会議室には妙な静けさがあった。
久しぶりの合同会議だったから、というだけではない。
軍人が二人。
有志が三人。
そして推薦。
顔ぶれは変わっていない。それなのに、誰も以前のような熱心さを持っていなかった。
机の上には報告書が積まれている。
財布の件。
花の件。
猫の件。
将棋やゲートボールの記録。
何か月も積み重ねてきた観測記録だった。
だが、それだけだった。
紙の山を見ても、もう誰も「答えが出る」とは思っていない。
それでも会議は開かれる。
仕事だからだ。責任があるからだ。
そして何より、途中で放り出すには長く関わりすぎていた。
「対象への接触観測を提案します」
モニターの向こうで上位観測班の人間が言ったが、その言葉に誰も驚かなかった。いつか出る話だと思っていた。むしろ、上の判断としては意外と遅かったなという感想まででた。
軍人が資料を閉じる。
「理由は」
「対象の異常性確認のためです」
有志の一人が眉をひそめた。
「異常性って」
「統計上説明不能な点が複数あります」
「でも本人は何もしてないですよね」
「だからです」
即答だった。
その返答を聞いた瞬間、会議室の空気が少しだけ冷える。
誰も何も言わない。
しばらくして、推薦が口を開いた。
「反対です」
全員がそちらを見る。
推薦は元国家公務員だった。
真面目で。
慎重で。
規則を重んじる男だった。
だからこそ、こういう場ではむしろ手順に従う側だと思われていた。
上位観測班が問い返す。
「理由は」
推薦は少し考えた。
だが考えた末に出てきた答えは、本人もあまり気に入っていなさそうだった。
「嫌な予感がします」
沈黙。
有志が吹き出した。軍人は額を押さえた。
モニターの向こうでは、上位観測班が本気で困惑している。
「それは根拠になりますか」
「なりません」
推薦は即答した。
「ですが反対です」
真顔だった。
会議室は数秒ほど機能を停止した。
その時だった。
警報が鳴った。
赤色灯が回り始める。
館内放送が響く。
『第三農業区画にて設備異常!』
『応援を要請します!』
全員が同時に立ち上がる。
推薦が資料を閉じた。
「会議中断!」
誰も異論を挟まない。上位観測班が何か言おうとしたが、通信はそのまま切られた。
その日の会議は、それで終わった。
*
だが次に集まった時も、また終わらなかった。
配給トラブル。
発電設備の不調。
避難民の受け入れ。
井戸ポンプの故障。
問題はいくらでも起きる。
人が増えれば増えるほど、新しい問題が生まれる。
気づけば接触計画は何度も延期されていた。
有志が資料をめくりながら苦笑する。
「これ、もう無理じゃないですか」
軍人は端末から顔を上げなかった。
「優先順位の問題だ」
「つまり?」
「水の方が大事だ。食料、電気も」
有志は天井を見上げた。
「まあ、そうですよね」
少しだけ笑いが起きる。
推薦は腕を組んだまま言った。
「当たり前です」
「何がです?」
「今はあいつより大事なものがある」
その言葉に、軍人が一瞬だけ顔を上げる。
有志も同じだった。
誰も指摘しなかった。
推薦が初めて"対象"ではなく、"あいつ"と言ったことを。
*
その頃、豪邸では何も変わらない日々が続いていた。
烏丸は縁側で麦茶を飲み。
ハヤテは昼寝をし。
運転手ゾンビは門を掃除し。
シェフゾンビは畑で採れた野菜を運んでいる。
風が吹いて、鳥が鳴く。
静かだった。
本当に静かだった。
シェルターがどれだけ慌ただしくなろうと、その場所だけは不思議なくらい変わらなかった。
*
二か月が過ぎた。
三か月が過ぎた。
四か月が過ぎた。
合同観測班が集まる回数は減っていった。
だが報告書だけは続いていた。
軍人は変わらず事実を書く。
有志は変わらず余計な一言を書く。
推薦は毎回、少しだけ悩むようになった。
その日もそうだった。
報告書を前にして、しばらくペンが止まる。
本来なら一行で終わる。
『変化なし』
それだけだ。
だが気づけば別の言葉を書いていた。
『危ないことはするな』
書いた瞬間、自分で眉をひそめる。
何を書いているんだ、報告書だぞ。
ペンを握って固まっていると、向かいから有志が覗き込んできた。
「推薦さん」
「……何だ」
「それ報告じゃないです」
推薦はしばらく黙ったあと、小さくため息をついた。そして、その一文を丁寧に塗り潰した。
代わりに書く。
『変化なし』
軍人は何も言わなかった。
ただ黙って判を押した。
*
半年後、ようやくシェルターは落ち着きを取り戻し始めていた。接触計画も再開される。
軍人が資料をまとめる横で、有志が伸びをする。
推薦は無言で立ち上がった。
ふと机の下を見る。
黄色いバケツが置いてあった。
貼られたガムテープ。
その上に書かれた平仮名。
『すいせん』
少しだけ端が剥がれている。
誰も処分しなかった。
誰も片付けなかった。
ずっとそこにあった。
推薦はそれを見て、なぜか少しだけ安心する。
「行きます」
軍人が言った。有志が頷く。
半年ぶりの現地確認。
半年ぶりの接触計画。
誰も口には出さなかったが、全員どこかで思っていた。
たぶん、あいつは今日も変わらないのだろうと。
縁側で麦茶を飲み、犬を撫で。
将棋で負けているのだろうと。
だから誰も知らなかった。
その半年の間に、烏丸が縁側で空を見上げながら。
ふと、思いついてしまったことを。
そして、その思いつきを止める者が、あの豪邸には一人もいなかったことを。
(第15話・完)