「……え? なにこれ、世界滅んでる?」
口から出た言葉は、どこか他人事のように白々しく響いた。
炎上する車。立ち上る黒煙。血まみれの人。そして、遠くから聞こえる悲鳴。
あまりにも非現実的で、暴力的なまでの情報量が、病み上がりの烏丸の脳みそに一気になだれ込んでくる。
烏丸の脳内コンピューターは、静かにエラー音を鳴らしてシャットダウンを選択する。
(あ、ダメだ)
(今これ考えたら頭爆発する)
(……世界が滅んでるかどうかは、ひとまず保留)
(後で考えよう)
圧倒的な体調不良を前に、世界滅亡という大事件すらゴミ箱へとポイ捨てされた。
今の烏丸にとっての国家非常事態は、地面に「だばだば」と吸い込まれていくポカリスエットと、ガンガンと内側から殴られるような偏頭痛のほうだった。
「……はぁ。薬局戻ろ……」
空のペットボトルを拾うためにしゃがんだらもう立てない。ゾンビ並みにフラフラしながら烏丸は踵を返し、今出てきたばかりの薄暗い薬局へとトボトボ引き返した。
手動でこじ開けられた自動ドアをくぐると、店内には先ほどの死にたてホヤホヤの店員ゾンビが、やはり通路をゆっくり徘徊していた。
店員ゾンビは、さっき出て行ったばかりのパジャマ男が、この世の終わりみたいな顔(実際世界は終わっているのだが)で戻ってきたことに気づく。
ゾンビの濁った視線が、烏丸の手ぶらから外のペットボトル、そして地面のポカリのシミへと移動した。
「(えぇ……。もうこぼしちゃったの……? 病み上がりだから手元がおぼつかないんだな、可哀想に……)」
腐敗し始めた店員ゾンビの顔に、深い同情の念が浮かぶ。店員ゾンビは「ウアァ……」と小さくため息をつくような声を漏らすと、飲料コーナーへとノロノロ歩き、新しいポカリスエットの500mlボトルを抱えて戻ってきた。そして、それを再び烏丸の手に優しく握らせる。
「あ、すいません、何度も……」
烏丸は、またしてもキャップが開けられたボトルを受け取り、ぼんやりした頭で本来の目的を思い出した。
「あの、解熱剤ってどこですかね……」
声に出して棚を見回すが、頭が働かなくて文字が滑る。
すると店員ゾンビは「キュゥゥ……(こっちだよ)」と喉を鳴らし、自分のエプロンの裾を烏丸にそっと握らせた。そのまま手を引くようにして、優しく風邪薬コーナーまで案内してくれる。さらには、一番値段が高くて即効性がありそうな、金色のパッケージの解熱鎮痛剤を爪の剥がれかけた指でツンツンと指差して勧めてくれた。
「あ、これ。ありがとうございます……」
店員ゾンビは解熱剤を指差したあと、さらに栄養ドリンクの棚を指差した。
「ウア……(これも飲んどけ)」
「あー、栄養剤ですか」
「確かに効きそう……」
店員ゾンビは満足そうに頷いた。
接客評価五つ星である。
目的のものをすべて手に入れた烏丸は、フラフラとレジへと向かった。
しかし、レジカウンターには当然誰もいない。それどころか、レジの液晶画面は消え、電源すら落ちている。
(……あ、停電か)
(会計どうすればいいんだろ)
(……でもいくらだろ、財布出すのもしんどいな……)
また思考が途切れ途切れになる。
烏丸がサイフをポケットから出そうと、もたついていると。
横からすっと、店員ゾンビの青白い手が伸びてきて、烏丸の財布を持とうとする手を優しく制止した。
店員ゾンビは、首を横に小さく振った。
「ウアァ……(いいよ……。もうお金なんて意味ないし、そのまま持っていきな……)」
それは、常連客にサービスする馴染みの店主のような、圧倒的な包容力だった。
世界が崩壊したせいで、皮肉にも薬局のサービスは究極の領域(完全無料)へと達していた。
「あ、いいんですか……? すいません、じゃあ、お言葉に甘えて……」
思考を放棄している烏丸は、その神対応の異常さに深く疑問を持つこともなく、素直に甘えることにした。
新しいポカリと、最強らしい店員オススメの解熱剤を小脇に抱え、烏丸は再び薬局を後にした。店員ゾンビは、パジャマ姿の烏丸の背中を、まるで我が子を学校へ送り出す親のような、温かい目で見送っていた。
新しいポカリ。
最強らしい解熱剤。
そして謎に優しい店員。
病人に必要なものは、だいたい揃った。
「……帰って寝よ」
世界が終わっていようがいまいが、今の烏丸に必要なのは睡眠である。
なお。
帰宅途中で二十匹ほどのゾンビが付き添いを始めるのだが、
本人はまだ気づいていなかった。
(第2話・完)