その日、別荘の地下はかつてない異常な熱気に包まれていた。
若旦那様のこれからの旅に同行できる新たな布陣の枠は、筆頭執事から「各職、たったの一名ずつ」と冷酷な事実が告げられたからだ。その瞬間、居並ぶ使用人ゾンビたちは一斉に血走った戦闘モードへと切り替わった。
「(狭い車内での食事、洗濯、ベッドメイクをすべて一手に引き受ける究極の職人。それが私でなくて誰だと言うのですか)」
「(身の程を弁えなさい。狭小な移動スペースにおいて、私は若旦那様の歩みをまったく邪魔せぬ完璧な影となる執事。その座は譲りません)」
「(黙って聞いていれば。これからの過酷な大都市の悪路で、キャンピングカーの全性能を120パーセント引き出し、完璧なメンテをこなせる運転手兼整備士は俺の他にいないだろう)」
それぞれの職のうめき声の応酬は、すでに地下の空気そのものを歪ませていた。全員の衣服にシワは一切なく礼儀作法の乱れもなく完璧だが地下に渦巻く熱量は、大都市の防衛システムを丸ごと焼き尽くせるほどの凶暴さに達している。プライドの高いプロの使用人だからこそ、若旦那様のお世話という至高の座を他の誰かに譲ることなど、死んでも、いや死んでいても絶対に認められなかった。
中央に立つ直属の筆頭執事ゾンビは、その凄まじい嵐のような殺気の前で燕尾服の襟元を一度だけ正した。
「(静粛に。これより、若旦那様の旅路を支えるにふさわしい、唯一無二の精鋭を決定する選抜試験を執り行います)」
「(……審査基準は、当家の使用人としての『完璧なる技術』のみです)」
かくして、駿と関口が寝静まった別荘の地下で壮絶な「使用人ゾンビたちの全面戦争」の火蓋が切って落とされた。
*
第一試練:神速のベッドメイクと、執事の移動空間最適化。
並べられた簡易ベッドと狭い空間の前に、メイドゾンビたち、そして執事ゾンビたちが一列に整列する。筆頭執事ゾンビが手元の懐中時計をカチリと鳴らした瞬間、彼女たちの四肢が生きている人間には不可能な速度で爆発した。
フサッ、フササササッ!
恐ろしい風圧と共にシーツが宙を舞い、一瞬にして四隅が寸分の狂いもなく折り込まれていく。ある者は、あまりの神速ぶりに指先から摩擦の煙を上げながら毛布を完璧な角度で敷き詰め、またある者は、濁った瞳を限界まで見開いたまま枕の反発係数を一瞬で測り、極上のフカフカ具合へと叩き直していく。
その横では、執事ゾンビたちが、キャンピングカーの狭い通路に見立てた障害物だらけの空間を、衣服の擦れる音すら立てずに「音速の競歩」で往復していた。お盆の上に置かれた若旦那様のためのハーブティーは、一滴の揺らぎすら見せない。一分の狂いもない、完璧な影の規律がそこにあった。
「(……全員、合格ラインです)」
筆頭執事ゾンビは静かに目を閉じた。
「(だからこそ、一番難しい)」
筆頭執事ゾンビが冷徹にリストへチェックを入れる。
誰一人として脱落しない。プロとしての仕事が全員の身体に完璧に染み付いているからだ。
第二試練:極限の車両メンテと、大都市想定の悪路運転。
用意されたのは、中都市のホームセンターから引き揚げてきたばかりの、わざと一部の配線や点火系を狂わせた中古のエンジンだった。
運転手兼整備士ゾンビの兄弟たちは一斉に工具を構えた。もはや彼らの指先は見えない。音速で往復するスパナやレンチが幾重もの残像を描き、シュシュシュシュシュと、まるで高性能のインパクトレンチが暴走しているかのような爆音が地下に鳴り響いた。
わずか数十秒後。
彼らが両手で掲げたエンジンは、元の不具合がどこにあったのかさえ判別できないほど滑らかに駆動し、それどころか
「(大都市の突発的な検問や、飢えた略奪者たちの夜襲を想定し、ソーラーパネルの給電効率を30パーセント跳ね上げる独自カスタムを施しておきました)」
「(いいえ、私はサスペンションの減衰圧を一瞬で悪路仕様に切り替える油圧レバーを増設いたしました)」
と、駿に過保護な職人としての付加価値まで完璧に仕立て上げられていた。彼らは無言のままお互いの胸ぐらを掴み合い、濁った瞳の奥で凄まじい火花を散らしている。
最終試練として用意されたのは、総料理長ゾンビが腕を組んで立ちはだかる「移動厨房の試練」だった。
キャンピングカーの狭いキッチンという極限の環境のなかで、限られた缶詰や備蓄の乾麺だけを使用し、若旦那様を120パーセント満足させる至高の夜食をいかに神速で作れるか。
「(……)」
老紳士ゾンビの合図と共に、最後の肉弾戦が始まった。
狭い調理台のスペースを巡り、お互いのドレスの裾を踏み付け合い、無言のままお盆を盾にして押し合いながらも、彼女たちの手元だけはアト秒の無駄もなく、完璧な手際でフライパンを煽り、包丁を刻み続けていた。お互いの足を引っ張り合う泥仕合のなか、ある者は神速のスープを完成させ、ある者は缶詰のコーンを極上のオムレツへと昇華させていく。
「(私が……! 私こそが、若旦那様のお側に行くのです……!!)」
執念の火花が地下の天井を焦がさんばかりに燃え盛る中、一人のメイドゾンビが、調理の最終工程でふと手を止めた。彼女の前にあったのは、まだ手をつけていない一切れの乾燥肉と、ホームセンターで駿が「あ、これなんか可愛いね」と眺めていた、ささやかなハーブの苗の記憶だった。
彼女は、お互いに手控えし合うライバルたちの隙を縫うようにして、そのハーブの葉を一枚だけ、静かに毟り取った。
*
関口は、執事から手渡された旅の同行者リストを見つめて眉を寄せた。
「……メイドも来るのか」
その問いかけに、執事ゾンビのアルカイックスマイルがほんの一瞬だけ止まった。
それは、瞬きほどの時間。
次の瞬間には何事もなかったかのように、営業用の完璧な笑みを浮かべたまま静かに深く頷いてみせる。関口は、その一瞬の揺らぎに気付かなかった。
老紳士ゾンビにいたっては、昨夜の地下室から漏れまくっていた凄まじい地鳴りとエンジンの爆音、そして包丁の音を思い出したのか、そっと静かに目をそらした。
昨夜の最終審査の場。
勝ち残った一人のメイドが総料理長と執事の前へ差し出したのは、狭く、どんな悪路で車体が揺れても若旦那様が決して喉を詰まらせないよう極限まで柔らかく煮込まれた一皿のスープだった。
そしてその中央には。
昨日、ホームセンターで駿が「可愛い」と言って手を伸ばした小さなハーブの葉が一枚だけ静かに添えられていた。
「(若旦那様が旅先で、あのホームセンターの温かい記憶をいつでも思い出せるように──)」
その、家事能力を超越した「どこまでも過保護で、日々の暮らしの細やかな彩りを最優先にする」という究極の優しさに満ちた一皿を前にして、総料理長ゾンビは深い納得の溜息と共に
「(……お前が適任だな。行け。ちゃんと若旦那様たちをお支えしろ)」
と、その大きな顎を引いたのだった。
同じように、最も無駄のない動きでハーブの香りを損なわずに配膳した一人の執事と、そのスープを温めるためのコンロの火力を一瞬で調整してみせた一人の整備士が、それぞれの職種の「枠」を勝ち取ったのだった。
(第46.5話・完)
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※筆頭執事ゾンビは昨夜、睡眠薬を二人に盛ったとメイドゾンビから報告を受けた老紳士ゾンビに叱責されましたが、盛られていなかったら二人は飛び起きたので(結果的に)正解でした。