キャンピングカーはさらに深い山奥へとその轍を滑らせていた。
うっそうと茂る木々の合間、山肌にぽっかりと不気味な黒い顎を開けた巨大な天然の洞窟を見つけるなり、駿はキャンピングカーの窓から身を乗り出した。
「洞窟?!行ったことない!行こ!」
「しゅん、待て!」
准は先走りそうな駿に低い声で釘を刺しながらシートベルトを外した。
ひんやりとした冷気が入り口から絶えず吹き出してくる洞窟の内部は、意外なほど広大な空間が奥へと連なっていた。
天井から静かに滴る地下水の音、淡い外光を反射して怪しくきらめく鍾乳石の群れ。初夏の生ぬるい熱気に包まれていた身体には、その天然の冷気が何よりも心地よかった。駿はまるで秘密基地を見つけたかのように足元を弾ませていく。四匹の犬たちも湿った岩肌の匂いを忙しそうに嗅ぎ回っていた。
老紳士ゾンビと執事ゾンビは、洞窟の入り口の明るい日陰にレジャーシートを広げ、そこから静かに主人の背中を見守る配置に就いている。
准はその数歩後ろを歩きながら、駿が小さな水たまりを飛び越えるたびにその手元へ自然に指先を伸ばして周囲のすべてに警戒し続けていた。
一方、その頃。
洞窟の入り口から、数つの谷を挟んで遥かに離れた険しい尾根の頂。
女性リーダーは、生ぬるい夏風に髪を揺らしながら、大型の望遠鏡のレンズを静かに覗き込んでいた。
彼女たちの優秀な追跡網は、あの大型バスの巨体を見失って以来、半分諦めかけた停滞のなかにあった。車高が高く、車幅が大きく、幹線道路の一本道しか通れなかったあの大型バスに比べ、山道や林道の分岐をスイスイと木々に紛れて進む白いキャンピングカーの影は、あまりにも隠蔽性が高すぎた。
普通なら、ただの背景として見逃していた。
だが彼女の圧倒的な観察眼だけが、木々の隙間に一瞬だけ閃いた白い車体の輪郭を捉えてその動きをピタリと止めさせた。
(……配置が同じ。犬、ゾンビ、男、青年)
(大型バスじゃない。乗り換えている)
(……ゾンビの数が少なくなってる……)
周囲の仲間たちが戸惑いの視線を交わすなか、彼女はただ無言のままレンズの倍率を上げ、洞窟の前へと焦点を合わせていった。
女性にとって、それは関口という男に対する初めての本質的な「観察」の始まりだった。これまではただの「警戒心が強い男」程度にしか彼のことを見ていなかったからだ。
だが、望遠鏡の硝子越しに映し出される二人の距離感は旅の一行としては説明のつかない奇妙な温もりを帯びていた。
青年が苔むした岩の上で、ほんの少しだけバランスを崩して転びそうになる。
その瞬間、足元のゾンビ犬よりも早く、背後のゾンビたちよりも遥かに自然な動線で男の手が青年の肩をそっと支え、元の安全な位置へと引き戻していた。
遊び疲れた青年が岩に腰掛けた瞬間。
男は何も言わずに、自らの手で先に水筒の蓋を開けてからそれを青年の手元へと手渡してやった。
どれ一つとして、他者の目を欺くための不自然な演技でもない。
ただ、そこにいることが当たり前であるかのように、ただ一緒にいるからという理由だけで、男の手元は青年の生活のすべてを周りのゾンビ同様過保護なまでに守り続けているように見えた。
(…??、これは……何?)
(……無理に名前を付けるなら、…そう)
「……家族、かしら」
女性はレンズの向こう側の景色を見つめたまま、その薄い唇から微かな呟きをそっと零した。
あの日、電柱の陰で青年が男を何と呼んだのか、彼女は知らない。
口の動きまでは読めなかったし、そんな言葉の事実など彼女には必要なかった。ただ、今こうして客観的に第三者の目として二人の動線を観察していれば、頭のなかで勝手に結論が導き出されていく。
あの集団は生存者の互助グループなどではない。利用価値も、肩書きも、血縁の証明すらも超越したところで、いつの間にか本物の「家族のようになってしまった」歪で、温かい人間たちに見えた。あの二人の佇まいは、まるで、本当の親子のようだった。
*
女性は、それ以上の観測を拒むように、望遠鏡を静かに下ろした。
夕日に照らされながらゆっくりと山道を下っていくキャンピングカーの影が、レンズの奥へと消えていく。
彼女の背後から、男が一人、静かに口を開いた。
「……どうしますか」
女性は少しだけ黙ったまま、キャンピングカーが見えなくなった山道の向こうを見つめていた。
(……あれは『家族』)
(こちらは……なんなのかしら)
一番の判断力とこれまでの経験を全員が心から信頼しているからこそ、自然と彼女が中心の役割を担っていた。
生き残るために大人たちが知恵を持ち寄り、必然のままに形成された信頼の集団がそこにあった。そこには軍隊のような無機質な上下関係の呼称はなかった。誰かが命令を下す歪な組織ではなく、信頼が皆を動かしていた。
(こちらへ引き込めば、あの調和は壊れてしまうかもしれない)
やがて、静かに答える。
「……今は、保留」
「そうですか」
男は短くそれだけを返した。
保留の理由を誰も聞くことはなく、誰一人として異論を挟む者もいなかった。それだけで十分だった。
女性は望遠鏡を畳み、小さく息を吐いた。
(これ以上ギリギリになったらまた別。……だけど、今は)
「帰りましょう――――我が家へ」
男たちは一瞬だけ動きを止めた。
誰も顔を見合わせない。
誰も何も言わない。
それでも、それぞれの胸の奥で、小さく何かがほどける音がした。
「……ええ」
ただ一人が静かに答えた。
やがて他の男たちもぞれぞれが静かに頷いた。
そのまま全員が、静かに踵を返して山を下りていく。
彼らはもう誰も、キャンピングカーの消え去った方角を振り返ることはなかった。
(第48話・完)
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