真冬の澄み切った朝陽が、キャンピングカーの白いルーフに薄く張った霜をきらきらと輝かせ始めていた。
幹線道路沿いの開けた駐車場。夜の間にすっかり冷え切っていたアスファルトの境界線が、冬の新しい眩しさを帯びて静かに白んでいく。
車内の空気はどこまでも当たり前で、そして温かかった。
ダイネットの小さな簡易キッチンの前では、一人のメイドが朝食の片付けを手際よくこなしていた。助手席に腰掛けた執事は、本日の運行ルートの荷物や防寒具のノートを確認し、運転席の整備士はいつでも発車できるよう凍てつく計器の点検に余念がない。
シートの足元ではドッグトレーナーが四匹の犬たちの肉球を一つずつ丁寧に覗き込み、冷たい雪や霜で怪我をしていないかを確かめていた。ハヤテ、シグレ、ミナト、臨時のブランケットに包まれた小さな子犬が、白い息を吐きながら眠そうに伸びをしている。
世界があの日を迎えてから、どれほどの時間が流れたのだろう。
駿はテーブルの上に広げられた古い地図を見つめて心を弾ませると、ふと横を振り返った。
「今日はどっち行く?」
「おとうさん、まだ行ったことない所いっぱいあるね」
その無邪気な問いかけに、すぐ真横の席で静かに温かいコーヒーを啜っていた准は眉を少しだけ和らげて短く応えた。
「しゅん。お前の好きな方でいい」
「全部行こう」
准は小さく、本当に微かに優しく笑った。
准の隣では厚手のロングコートを羽織った老紳士ゾンビが、そんな二人を眺めながら満足そうに静かに頷いていた。
駿は准の声に含まれた深い父親の温もりに包まれながら、いつもの屈託のない笑みを浮かべて真っ直ぐに手を伸ばした。
「じゃあ、あっち行こう!」
「日本全部回る気か?」
「うん」
「みんな居れば、大丈夫!」
駿は何の衒いもなく、当たり前の日常を約束するようにして当然のように頷いてみせた。
助手席の執事ゾンビが深く顎を引き、運転席の整備士ゾンビがイグニッションキーを滑らかに回した。
ゴォォン、と新しく積み替えられたキャンピングカーの重厚なエンジン音が、冬のまぶしい青空へと高らかに響き渡る。
小さな我が家は、四匹の犬たちの楽しそうな遠吠えを置き去りにしながらまだ見ぬすべての地平へ向かって、軽やかに、そしてどこまでも自由に走り出していった。
駿たちが何も意識せずに残していった小さな営みの灯は、行く先々で静かに受け継がれていく。
駿がこれからどこへ向かうのか、その正確な目的地は分からない。けれど、それでよかった。
その先にある景色を、まだ誰も知らなかった。
(第52話・最終話 完)
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読後推奨(あとがきとオマケ)
この作品を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
駿たちの旅はここで一区切りとなります。
ですが、この世界では今日も誰かが暮らし、誰かが歩き続けています。
皆さんの中で、この旅がこれからも続いてくれるなら幸せなことです。
(おまけ)
真冬の冷気につつまれた静かな観測室の内部では、電子音だけが虚しく響いていた。
デスクの前で軍人が最後の一枚となる報告書を静かに閉じ、引き出しの奥へと仕舞い込んだ。
その硬質な挙動を少し離れた壁際から見つめていた有志が、胸の内の割り切れない思いを吐き出すようにしてぽつりと問いかけた。
「……追わないんですか」
推薦がこのシェルターでの生活や任務をすべて手放して姿を消してから、かなりの時間が流れていた。マニュアルに従うのであれば、今すぐにでも追跡班を編成し、大都市の防衛網の手前で捕獲しなければならない対象のはずだった。
少しだけ、重い沈黙が室内に落ちる。
軍人は何も答えず、ただ制服の襟元を一度だけ正すと、霜の降りた窓硝子の向こう側の白く凍てつく景色をじっと見つめた。
「あいつには」
軍人の唇から、低く掠れた聲音が漏れる。
「もう、帰る場所がある」
有志の男は何も言わず、ただその言葉の重みを咀嚼するようにして沈黙を守った。かつては数字と『対象』という記号だけで管理されていた青年と、ただ冷徹に観測を続けていた推薦という男。彼らがこの壊れた世界の片隅で、用意された檻ではなく自らの足で歩むことを決めたのだという事実を、男もまた肌で理解していたからだ。
軍人は、静かに視線をデスクの端へと戻した。
「だからいい」
それだけだった。誰も理由は聞かず、誰も異論を挟まなかった。
*
机の端には、もう二度と新しく更新されることのない分厚い紙の束がぽつんと取り残されていた。
あの日から積み重ねられてきた、彼の始まりの記録。
その色褪せた表紙には、
『観測対象:0050』
と、無機質な明朝体の文字で確かに書き記されていた。
有志は静かに一礼すると、先に部屋を出て行った。
軍人は、その最後の報告書を両手で静かに持ち上げると、誰も触れることのない深い書棚の奥へと戻した。
彼は鍵をポケットへと収めると、もう誰もいない部屋の窓の向こうの冬の地平へと向かって、小さく、誰にも届かない声音で呟いた。
「……元気でな」
その一言だけを残し、男は観測室の灯りを落とした。
(おまけ・完)
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