ゾンビ公認:この人間は食べられません   作:めぇ

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第9話:再会と、雑な世界の入口

 

重い鉄製のゲートが、鈍い音を立てて閉じられた。

 

「ようこそ、生存者地下シェルターへ」

 

無機質なスピーカーの声と同時に、烏丸は薄暗い通路へと案内された。壁には非常灯が等間隔に並び、清潔だがどこか病院のような匂いが漂っていた。

 

案内役は軍服を着た男だった。顔には疲労の色が濃いが、その身のこなしは鋭く訓練されたものだった。

 

「身分確認を」

 

烏丸は慌ててポケットから、あのIDカードを差し出す。

男は一瞬だけ目を細める。

 

「……回収班か。運が良かったな。外からここまで生きて辿り着く奴なんて、もうほとんどいない」

 

その言葉の重さを、烏丸は理解できないまま、ひとまず頷いた。

 

 

 

広間に出ると、そこは想像よりも“普通”の光景が広がっていた。

避難民たちは段ボールベッドに座り、配給のスープをすすっている。小さな子供の泣き声。眠る暇もなくその手を握り続ける医療班。遠くで響く怒鳴り声。静かに無線を操作する兵士たち。

だが、その“普通”の中に、歪みが混ざっていた。

 

「優先区画」

 

その札があるだけで、列は静かに分断され、誰も声を荒げない。代わりに、視線だけが尖っていた。

 

 

「……思ったよりちゃんとしてるな」

烏丸は、配給のシステムを見て小さく呟いた。

 

数人が同時にこちらを見る。

その視線には怒りというより、“理解し合えない者への深い疲れ”が混ざっている。

 

(ちゃんとしてる……?この地獄が…?)

 

 

その反応に気づかないまま、烏丸がさらに奥へ進もうとして足を止めた。

 

 

前方で小さな揉め事が起きていた。

「昨日の割り当てと違うだろ!」

「違うのはそっちの認識です!記録見てください!」

「記録が現実を救ったことあんのかよ!」

 

それは、限られた物資を巡る数字のぶつかり合いだった。

正しさ同士が衝突しているため、どちらも一歩も引けない。

荒げられた声は鋭いが、どこか“限界ギリギリで維持している秩序”が軋む音のようだった。

 

 

やがて、掴み合いの弾みで机が派手にひっくり返り、誰かが手を振り上げた。

 

――ドゴッ、と。

容赦のない、鈍い打撃音が響いた。

 

一瞬だけ静寂。

 

すぐに軍人や医療班が割って入る。

それは、あまりにも慣れた動きだった。止め方も、収め方も、もう手順化されている。

 

混乱は、ものの数十秒で綺麗に終わった。

だが、空気は戻らない。

 

烏丸はその場に立ったまま、奇妙な違和感だけを静かに飲み込んでいた。

騒ぎはすぐに収束したのに、胸の奥に、ざらついた落ち着かなさだけが残った。

 

(これはただの争いじゃない)

(壊れた秩序を、無理やり動かしている音だ)

(人間が“正しくあろうとして、逆に壊れていっている”んだ……)

 

 

その派手な争いの少し横では、また違う諍いがあった。

そこには、「調整区画」と書かれた札が立っている。

 

その奥の薄暗いスペースで、数人が言い争っていた。

遠くて詳細は聞こえない。

 

その諍いの様子を、誰かが静かに端末に記録した。

感情ではなく、数値を更新していた。

 

誰かが”正しさ”を守るたびに、別の誰かの配給が減っていた。

 

烏丸はそのシェルターの仕組みに気づかないまま、ただその諍いを「なんか、あっちでも揉めているな……」としてだけ認識していた。

 

そのとき、近くを通りかかった軍属の一人が、低い声で同僚に囁いた。

 

「……それ、上のなのか?」

「そうなるな」

「また“上層指示”か?」

「いや……」

「じゃあ、誰が決めてるんだ」

「どっかで、誰かが」

 

そこで会話は終わった。

誰も続きを聞こうとしない。

 

それが”当たり前”みたいだった。

 

 

別の兵士が、自嘲気味に小さく笑った。

「結局、あれって独裁じゃないよな」

「……いや」

 

先ほどの軍属が、少しだけ間を置いて言う。

 

「独裁“みたいなもの”だ。ただ、独裁者がいないだけだ」

 

その言葉だけが、妙に軽く落ちた。

 

 

烏丸はそれを聞いていない。

ただ、人が揉めている。

誰かがそれを淡々と記録している。

誰かが事務的に止めている。

 

それだけを見ていた。

 

(なんか……色々大変そうだな…)

 

騒ぎは終わった。

でも何一つ終わった感じがしなかった。

 

この空間の息苦しさを作っている"なにか"には、まだ気づかなかった。

 

 

 

 

「……君は」

 

不意に、後ろから声がした。

振り返ると、そこにいたのは——あの“和牛のお父さん”だった。

 

だが別人のように見えた。

以前のような生き生きとした軽さはない。

ただ痩せているのではなく、まるで魂が“削れている”かのようだった。生き延びるために必要な最低限の機能だけ残して、なんとか生きている感じだった。

 

目の下には濃い疲労の影。背中も少し丸い。手には配給用の紙袋を持っていた。

 

「久しぶりだね……まさか、ここで会うとは思わなかったよ」

お父さんは力なく笑う。

「……外から戻れる人間、もうほとんどいないからね」

 

烏丸は一瞬、言葉を探した。

「お父さん……無事だったんですね」

 

それだけで、会話は一度途切れる。

だが、その“途切れ”がこの場所では問題だった。

 

 

 

その瞬間、空気が一変した。

周囲の雑音が、一段きれいに落ちる。

周りが、視線をそらさずに二人の会話をじっと見守り始めた。

 

言葉にならない圧だけが流れる。

 

会話が“記録される種類のもの”に変わる。

 

誰かがふいに止まる。

誰かが静かに耳を傾けた気配がした。

誰かが端末の画面を、もう一度だけ確認するように見直す。

 

”監視”ではなかった。

 

いつの間にかそうなっていた”習慣”だった。

 

 

 

烏丸はふと気づく。

(ここはちゃんと管理されてる)

(でも、人間が管理してるんじゃない)

(ここが“壊れないようにするための癖”で動いてるんだ)

 

 

 

少し離れた通路。

軍服の男がその光景を見ていた。

 

「……今の男」

 

隣の兵士が顔を上げる。

 

「知り合いですか?」

「いや」

 

短い返事。

だが視線は烏丸から離れない。

 

男は手元の端末に目を落とした。

 

「回収班、一名帰還。外部接触あり」

「そう書いてある」

 

少し間が空く。

 

「……だが、違和感がある」

「どこがですか」

「反応だ」

 

端末を見ながら続ける。

 

「怖がっていないわけじゃない。適応しているわけでもない。なのに“乱れ方が一定”だ」

 

「一定?」

 

「普通の人間は崩れるとき、順番がある。怒り→混乱→恐怖、あるいは逆だ」

男は烏丸を凝視する。

「でもあれは、全部が起きてるのに、どれも表に出てない」

 

少し沈黙。

 

「……だから分類できない」

 

兵士は端末を操作する。

 

「危険かどうかではなく、データが“存在しない(知らない)”、と?」

「ああ。一応、要観察ではなく“保留個体”で処理」

「了解」

 

 

 

 

さらに奥。

ガラス越しの監視室。

 

白衣の人物が、ずらりと並ぶモニターを見ていた。

 

「この個体……またか」

 

別の職員が顔を上げる。

 

「知り合いですか?」

「違う」

即答だった。

 

「でも、挙動が……一定すぎる」

「この環境で“壊れない理由”が見えない」

 

モニターには烏丸の映像。

歩く。止まる。周囲を見る。返事を返す。

すべてが自然で、何一つ異常がない。

 

異常がないこと自体が、引っかかる。

 

「普通の人間は、どこかで崩れる」

「ここでは必ず」

「でも彼は崩れない」

 

少し間を置く。

 

「……崩れない人間は、正常じゃない」

 

タブレットに記録する。

 

【経過観察対象:未分類】

 

結論ではない。

ただの保留。

 

 

 

烏丸は自分がシェルターの監視対象になったことを知らない。

ただ、配給列と医療班とときたま起きる怒号と周囲の沈黙を見ていた。

 

「物資、足りてます?」

「足りてるわけないでしょ」

「でも回してる。回さなきゃ死ぬから」

 

その言葉には怒りも諦めもなかった。

ただ“作業”だった。

 

シェルターの空気は常に張り詰めている。

 

 

(みんな疲れてる)

烏丸はぼんやりと思う。

(疲れて、擦り切れた状態で、維持してる)

(でも誰も止まれない)

(止まったら、たぶん誰かが死ぬからだ)

 

 

 

 

翌朝。

軍人が烏丸に正式に告げる。

 

「君にはここでの“保護措置”を受けてもらう」

「……保護?」

「安全のためだ」

 

言葉は丁寧だが、多くの情報を与えない声だった。

そこに拒否権(選択肢)などないことは明白だった。

烏丸は少し考えたあと、静かに頷いた。

 

窓のない廊下。

音の少ない空気。

外の世界は見えない。

 

(ここは”正しい”)

(でも正しさが多すぎて、人が息をできない)

 

 

 

烏丸の頭には、別の光景が浮かぶ。

 

ゾンビが徘徊している世界。

ハヤテが嬉しそうに走り回る世界。

元運転手が正門の前で直立不動で立っている世界。

元メイドたちが一本道の両脇に美しく並んでいる世界。

 

(あっちの方が、たぶん静かだな)

その考えに自分で驚いて、また首を振る。

 

(ここは“助かろうとしている場所”だ)

(でもゆとりがなくて息が詰まる)

 

 

「……とりあえず帰るか」

 

烏丸が至極当然のように告げると、目の前の軍人は一瞬止まった。

「……帰る?」

「はい。家、留守にしているので」

 

あまりにもお行儀が良く、あまりにも堂々とした口調だったため、周囲の誰もがそれを冗談だと受け取った。

あまりにもブラックユーモアすぎて、乾いた笑いが床に転がった。

 

 

 

 

数時間後。

 

烏丸は再び重い扉を抜け、何気ない様子で外へ出る。

不思議なことに、誰も後ろから追ってはこなかった。

誰一人として、彼の行く手を遮って止めようともしなかった。

あまりにも、その場に溶け込んだ自然すぎる退出だった。

 

それは“見逃し”ではなかった。

ただ単に、あまりにも突飛な烏丸の行動に対して、シェルターの“処理が追いつかなかった”というだけだった。

 

 

 

 

そして夜。

大豪邸。

黒い門が静かに開く。

気配を察したハヤテが走ってくる。

運転手ゾンビが深く頭を下げる。

メイドゾンビたちが整列する。

 

烏丸は広いリビングで麦茶を一口飲んで、ようやく息をついた。

そして飲みながら、少しだけ考える。

 

「……あそこは、ちゃんとしてた」

「でもちゃんとしすぎて、人が壊れてた」

 

見える地獄。

機械的に運用される、息苦しい地獄。

そして、この塀の向こう側にある、見えない地獄。

 

「……こっちの方が、静かでいいかな」

 

(でも、そうか)

 

烏丸は麦茶をテーブルに置き、そっと目を閉じた。

 

「世界は別に壊れてしまったわけじゃないんだ。ただ、……場所によって、壊れ方がちょっと違うだけなんだな」

 

(……きっと、壊れ方が違うだけなんだ)

 

 

 

遠くで雷が鳴った。

あのシェルターでは、今頃また新たな数字のぶつかり合いと混乱が起きているのだろう。

 

けれど、ずーーーーーーーっと続く長い塀に囲まれたこの家の中だけは、いつも通り、ひたすらに静かで、ひたすらに優しかった。

 

 

(第9話・完)

 

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