人気の無い空き地で軽く剣の修練を終えてから、俺は王城に向かった。
王城で王女様達と合流し、馬車に乗ってローネリアへと出発した。
今回の訪問はかなり少人数で行うらしく、馬車に乗ったのは俺とレナーテットと王女様の三人に加えて、メアリーという侍女が一人だけ。
質の良い馬車を使っているのか、御者を務めるメアリーの腕が良いのか、馬車の中は揺れも少なく快適だった。
緩やかに揺れる箱の中、俺とレナーテットはほとんど口を開かなかった。
王女様も俺達二人の間に流れる空気を感じ取ったのか、ずっと口を噤んでいた。
レナーテットがどんな表情をしているのか、俺には分からない。
顔を上げれば見えたのだろうが、俯いた俺の首は動かなかった。
きっと、彼女がどんな表情をしていたとしても、俺は羨望と嫉妬を煽られるだけだから。
ただ、自分の惨めさと醜悪さに打ちひしがれるだけだから。
長旅は王女様には酷だということで、一度馬車を止めて休憩することになった。
「わたし、ちょっと外を歩きたいわ。今までずっと座りっぱなしだったもの」
そう王女様が言い出した時、自然とレナーテットと目が合った。
護衛が王女様の側から離れるわけにはいかないが、馬車を無人で放置するのも良くない。
俺とレナーテットのどちらかが馬車に残り、どちらかが王女様に付いて行くのが自然な流れだった。
「私が行く」
「……ああ、頼む」
レナーテットは王女様と共にどこかへ歩いて行った。
それを見送った俺は無気力に馬車の壁面に体を預け、土色の地面を見下ろす。
胃の中が空っぽで、なんだか気持ち悪かった。
***
街道沿いの小さな森をハナと並んで散歩する。
何か話題を振ってあげた方が良いのかと思うのだけれど、何も思い浮かばなくて、開きかけた口を閉ざしてしまう。
今朝のことが頭の中をいっぱいに満たして、それ以外に何も考えられない。
――――俺は……あんたとは違うんだよ、レナーテット
昨日、手合わせをしたから分かる。
シェイル・ドラットには才能が無い。
光る物が無く、突出した武器が無い。まさに凡人。或いは凡人以下だったのかもしれない。
無才でありながら、果てしない努力によって獲得した技術の引き出しの多さで、彼は一級騎士の名に恥じない戦闘スキルを手にしていた。
どれだけ足掻いても一流にはなれないから、あらゆる部門での二流になった少年。
素直に格好いいと思った。持たざる者の努力、その結晶が見せる不透明な輝きは、どこか物語の主人公じみた熱を孕んでいた。
楽しかった。
あんなに楽しい模擬戦は初めてだったのだ。
確信した勝利が掌をすり抜けるスリル。敗北を幻視するほど白熱した駆け引き。全力をぶつけ合える快感。
まるで、物語の登場人物になったような気分だった。
あの時間がずっと続けば良いと思うほどに、爽やかで痛快な戦闘風景。
私とここまで張り合える少年と共に旅ができると思うと、興奮で胸が高鳴った。
退屈な日々が壊れる音がして、心が躍った。
でも、そんな風に浮かれていたのは私だけで、シェイルにとっては苦しいだけの戦いだったのだろうか。
ただ敗北を突きつけられるだけの、才能の差を見せつけられるだけの、そんな、断頭台の上を歩かされるような時間だったのだろうか。
昨日、私の心臓をあんなにも跳ねさせたのは、果てしない苦しみと母親の死があって初めて成り立つものだったのかもしれない。
「ねえ、レナ」
ふと、隣を歩くハナに声をかけられた。
「ちょっとここに座って」
「え? うん……」
ハナは路傍の切り株を指さして言った。
言われた通り、私がその切り株に腰掛けると――――
「はい」
そっと抱きしめられた。
細い腕に優しく包まれたかと思えば、私は彼女の平たい胸に顔をうずめていた。
暖かい。
さすられる背中の感触が心地良い。
良い匂いがするなんて言ったら、笑われてしまうだろうか。
「昔、お母様がよくこうしてくれたの。子供の頃の話だけどね。……レナ、元気が無いみたいだったから」
ああ、情けないな。
私はこんな子供に心配されるほど、鬱屈とした心象を顔に出していたのか。
でも、今は良い。今はこの包まれるような感覚に身を任せて、感情の海に沈んでしまいたい。
「……っ、…………っ!」
涙なんて流したのはいつぶりだろうか。
今まで平坦な日常を過ごしてきた分、久方ぶりに流す涙は勢いを増していくばかり。
泣く機会なんて無かった。
御伽噺の魔法使いに憧れて走り出して、私はあっさりとそれを達成してしまったのだから。
敗北の悔しさも、挫折の苦しさも、乗り越える壁も無く、私はただ無感動に勝利に重ねた。
勝って、勝って、勝って、惰性で勝利し続ける日々は退屈だった。
魔術を使うのは楽しかったけれど、そこに私が思い描いた世界は無かった。
天才的な魔術師にはなれても、御伽噺の魔法使いにはなれなかった。
涙の味すら知らず、才能に希釈された勝利だけを飲み干し続ける。
久方ぶりに噛みしめる涙の味は、切ない風味を含んでいた。
「ごめん。ハナの服ぐしょぐしょ……」
「良いの良いの。きっとメアリーが替えを持ってきてくれてるわ」
ひとしきり泣いた後、ハナの胸から顔を離した。
私の涙と鼻水でハナの綺麗な服はぐちゃぐちゃになってしまっていた。
ハナには悪いことをしたと思いつつ、王女様の服を汚すって結構重罪なんじゃないかと考えたりもする。
「抱きしめられると暗い気持ちが和らぐの。……何の解決にもならないかもだけど、ちょっとでも、レナの役に立ちたくて」
そうか。そうだよな。馬車の中で私とシェイル全然喋ってないし。
ハナにも心配させてしまった。格好悪い。護衛失格だ。
でも、うん、仕方ない。護衛にだって泣きたい時はある。
今日くらいこの子の優しさに甘えたって良いだろう。
私は縋るようにハナの細い身体を抱きしめる。
「レ、レナ……!?」
急に強く抱きしめられたハナは少し驚いているようだった。
王女様にこんなことをするのは結構重罪なのかもしれないが、構うものか。
「ありがとう、ハナ」
今はただ、純白の少女を抱きしめた。
その白がこの腕から零れ落ちていかないように。