馬車がローネリアに着く頃には、すっかり夜になっていた。
俺達はすぐに宮殿へと案内され、王女様にはその中でも最高級の客室が、俺とレナーテットにはその隣の部屋が与えられた。
護衛が護衛対象の側に付きっ切りであるのは、基本的に移動などで外に出る時だ。
宮殿内に入った後の王女の安全は宮殿の警備に任せて、護衛は休息を取りつつ有事の戦力として備えることが多い。
護衛が護衛対象の側にいる時間は、実はそこまで長くない。
魔力探知範囲内に護衛対象を入れておけば問題無い、と言う者もいるくらいだ。
そういうわけで、俺は宮殿の庭に出て日課の鍛錬をしていた。
「あ、いたいた」
いつも通りの鍛錬に身を沈めていると、後ろから声が聞こえた。
聞きたくない声。その声は太陽のような明るい声音なのに、俺は不快な金属音を聞かされているような気分になる。
優しくて強くて格好いい御伽噺の主人公みたいな少女。
その眩しさを直視すれば嫉妬で狂いそうになり、恵まれた人間を妬む自分への自己嫌悪が募っていく。
会う度に掻き立てられる悪感情で、俺自身が潰れそうだ。
だから、その声は聞こえないフリをして、彼女には背を向けて、そそくさと立ち去ろうとしたのに――――
「逃げるな」
追って来た少女はあろうことか、俺に対して拘束魔術を使った。
一瞬にして出現した光の鎖に全身を絡め取られ、俺は地面に尻餅をつかされた。
「嘘だろ……」
「言ったでしょ? 言っても聞かないなら拘束魔術使うって」
確かにそんなことを言っていた。
でも、それは言葉の綾だろう。本当に味方に対して拘束魔術を使う馬鹿がどこにいるのか。
心の中で悪態をつきつつも、こうも考える。
これが拘束魔術ではなく攻撃魔術だったなら、俺は即死だった。
不意を打てばレナーテットはいつでも俺を殺せる。
多分、逆はできない。俺がレナーテットに不意打ちを仕掛けても、防御魔術の展開は間に合うだろう。
実力差は明白だ。持つ者と持たざる者の差は広い。
両目にそれぞれ違う色を宿して俺を見下ろす少女を見上げて、絶望にも似た感情を抱いた。
「ちょっと、話聞いてほしくて。良い?」
「嫌だって言ったら解放してくれるのか?」
「しないけど」
理不尽すぎる。
出会い頭に人を魔術で拘束して無理矢理話を聞かせるなんて、道端でやったら騎士団のお世話になるレベルの蛮行だ。
既にレナーテットはその騎士団員を拘束してしまっているのだが。
「本当に嫌なんだ。……あんたの話なんて聞きたくない。何を聞いても、きっと、俺は、あんたとの差に打ちひしがれるだけだから……」
優しい言葉をかけられても、厳しい言葉で叱咤されても、甘い言葉で慰められても、俺の心が安らぐことは無い。
こいつが優しくて良い人だなんて認めたくないし、分かったような顔で説教もされるのも嫌だし、憐憫を含んだ慰めなんて俺のボロボロの自尊心を崩壊させるだけだ。
「私の両目、色違うでしょ?」
話し始めた。
徹頭徹尾、俺の要望は却下する方針らしい。
「これ魔眼なんだ、どっちも。右は魔力視で、左は術式視。両目に違う魔眼が宿ってるのは、歴史上初めてなんだって」
魔眼。
それは先天的に宿る超常の瞳。透視を可能としたり、見た者を石に変えたりと効果は様々だが、基本的には先天的に宿り、死ぬまで機能を変化させることはない。
言うなれば、究極の才能。
遅咲き早咲きの概念すら無く、何の積み重ねも無く生まれた時から備わっているアドバンテージ。
「私には魔力と術式が目に見える。だから、昔から、魔術は人より上手く使えた。普通の人よりも、ずっとずっと上手く」
魔力視と術式視。
どちらも有名な魔眼だ。それを持って生まれれば、魔術師としての成功が約束されるとさえ言われている。
それもそうだ。魔力も術式も目に見えない。何となく感じ取ることはできるが、その感覚は抽象的で不明瞭だ。誰もがそんな曖昧な感覚で魔術を使っている。
だが、レナーテットにとっては違う。
こいつには見えている。周りが目隠しして挑むレースに、一人だけバッチリ目を開けて挑んでいるようなものだ。
魔術の発動速度も、魔力のロスも、果ては魔力による身体強化でさえ、レナーテットのそれは常人と一線を画す。
「ははっ……」
口から乾いた笑いが零れた。
そうか。昨日の俺はこんな天才に勝とうとしていたのか。
なんて、馬鹿なんだろう。
「退屈だったよ。誰も私に勝てない。手強いライバルも、倒すべき強敵も、私に付いて来れる仲間も、どこにもいないんだから」
天才故の孤独というやつか。
そんなもの、フィクションの中にしか無いと思っていた。
でも、多分心配は要らない。
この世界、化け物みたいに強い人間はたくさんいる。例えば、一級騎士の内の何人かなら、レナーテット相手でも良い勝負ができるだろう。
「でも、心配要らなかった」
ほら、本人も分かっている。
魔術連にだって強者はたくさんいるだろう。
同世代では誰一人手も足も出ないだろうが、上の世代を当たれば互角くらいに戦える者はいるはずだ。
だから、そう、レナーテットのような人間は、もっと上に――――
「君に会えたから」
耳を疑った。
何を言っているんだろうか。
こんな絵に描いたような天才が、御伽噺の主人公みたいなヤツが、俺に一体何の意味を見出したというのか。
「あんなに追い詰められたの初めてだもん。最後、シルブレされてたら負けてたし。……君は、私がやっと出会えた御伽噺。シェイルとなら、私は物語の主人公にだってなれそう」
そんなことない。
レナーテットは初めから眩いばかりの英雄気質で、きっと俺なんかいなくても誰かを助けてしまう。
俺なんかいなくても、彼女は物語の主人公だ。可憐なお姫様を救ったり、歴史に名を刻んだりするだろう。
でも、それでも、意味はあると言うのか。
俺が下らない夢を追い続けた意味が、母親を自殺に追い込んだ意味が、確かにあると彼女は言うのか。
「だから、いつまでもウジウジしてんなよ! あからさまに避けられると私も傷付くぜ!」
呆然と夜空を見上げる俺の前で、レナーテットはにかっと笑った。
夜空は満天の星空で、見上げているだけで目を奪われる。多分、全部この星空のせいだ。
「レナーテット、あんたと一緒にいると、どうしても思わされるんだ。俺がレナーテットみたいな人だったらって……そんなこと考えても意味は無いのに。考えるほど吐き気がして、気持ちが暗く沈んでいく……」
こんなことを口にしてしまったのも、きっとこの星空のせい。
煌めく星々があまりに綺麗なものだから、その輝きに目を曇らせて、無計画に本音を吐き出してしまう。
揺らめく星明りの魔力は強力で、抑え込んでいた心をぐらぐらと揺らす。
喉の奥に仕舞っていた言葉を零してしまったり、蓋をしたはずの思考が動き出してしまったり。
彼女もそんな星明りの魔力に当てられたのだと思う。
「……え?」
気付けば、強く抱きしめられていた。
「こうすると、暗い気持ちが和らぐんだって」
ローブの袖越しに伝わる体温に、冷えた体躯が包まれていくよう。
その温かさを感じて初めて、今夜は寒かったんだなと思い出した。
こうして抱きしめられるまで、俺は寒空の冷気にさえ気付かずに、剣を振り続けていた。
それが間違いだなんて思ったりしないけれど、鉄の冷たさには少し飽きていたのかもしれない。
「……レナーテット? これは……」
「あ! あー! いや! これはアレだから! 健全なスキンシップ的なアレだから! それじゃあまた明日! バイバイ!」
尋ねようとすると、レナーテットは叫んでどこかへと走って行った。
その表情は見えない。一体どんな顔をしているのか、ちゃんと見ておけば良かったと思った。
俺にとってレナーテットはコンプレックスの象徴でしかなかった。
姿を見るだけで嫉妬が掻き立てられ、声を聞くだけで自己嫌悪が募っていく。
だから、レナーテットにとっての俺がどんな存在かなんて考えもしなかった。
俺がレナーテットと出会ったことが、彼女にとって意味あることなら、あのレナーテットが会えて良かったと言えるだけの何かがあるのなら、俺はそれを知りたい。
そうすれば、俺が騎士になった意味が見つかる気がしたから。
――――最後、シルブレされてたら負けてたし
レナーテットのその言葉が、丸っきり本当だとは思えない。
あの模擬戦で、俺が拳でのシールドブレイクを成功させていたとしても、レナーテットならどうにか対応していたような気がする。
それでも、彼女がそう言うのなら。
それがあれば、シェイル・ドラットはレナーテット・リーレンにさえ届きうるのだとしたら――――
「明日から、練習しようかな……」
一つ、目標ができた。
ちっぽけな目標だ。
使い道も少ないし、いつ役立つか分からない小手先の技術。
習得難易度だって高くない。剣でシールドブレイクを使える以上、九割以上勘は掴んでいる。しっかり練習すれば拳でもできるようになるだろう。
できたって全然凄くないし、お金にも名誉にも繋がらない。
でも今は、このちっぽけな目標に向けて、頑張ってみようと思ったのだ。
義務感からでもなく、強迫観念からでもなく、ただ純粋な気持ちで。
頑張ってみようと思ったのだ。