食事会は終始和やかな空気の中で行われた。
アルノーン王子は穏やかな気性の持ち主で、会話の節々にその優しさが滲んでいた。
年齢に似合わずよく気の回る人で、美しい容貌も相まって、絵本の王子様が現実に出て来たようだ。
だからこそ、不思議だった。
アルノーン王子が優しく微笑みかける度、気遣いに満ちた言葉を口にする度、苦しそうに歪む王女様の顔色が。
その表情の変化は些細なもので、王女様と正面から向き合っていたアルノーン王子にも、気取られていないのではないかというほど。
レナーテットなんかは、少しも気付いていないだろう。
俺がその色を読み取れたのも、きっと、自分自身に覚えがあったというだけの偶然だ。
俺達は昼食を終えた王女様と共に、宮殿の客室に戻っている最中。
煌びやかな宮殿の廊下を歩いている。
「どうだった? アルノーン。わたしの婚約者」
王女様は不意にそんな質問を投げて来た。
「どう、と言われても……」
「良い子って感じ? 丁寧すぎて逆に距離感じたりするけど、普通に優しい子だと思うよ」
答えに窮する俺とは対照的に、レナーテットはすらすらとアルノーン王子の感想を述べる。
レナーテットはこういう時に物怖じしない。
素直に自分の思ったことを口にできる。
それは彼女の美点なのかもしれないと、俺は思い始めていた。
まあ、他国の王子について評価するようなことを言ってしまうのはちょっと危ないが。
「ふふ、そうでしょ。優しくて可愛いわたしの王子様。あの年で剣の腕も凄いのよ。……本当に素敵な、絵に描いたような王子様」
おっとりとした王女様の顔は恋する乙女のようで、死者を追悼する老婆のようでもある。
甘く純真な恋心と心根に深く差した哀の色が、彫刻のように整った顔の上で混ざり合っていた。
「あんなに素敵な人だもの。きっと宮殿では大人気よ。彼を密かに慕う女の子がきっといて、身分の違いに阻まれながらも、変わらない愛を謳うの。他にも……そうね、ずっと側に仕えてくれたメイドとの恋が芽生えたり、社交界で一目惚れした相手がいたり……」
王女様が語ることを、妄想だと切り捨てるのは簡単だ。
そんなものはフィクションの世界にしか無いと、言ってのけるのは至極容易い。
けれど、俺はあり得るのではないかと思ってしまった。
王女様の語る作り話めいた理想のラブストーリー。
そんな人生を容易く想起させるほどに、アルノーン・ローネリアは物語じみていた。
「でもね、そんなもの全部無意味。初めから、あの子の相手はわたしだって、決まっているんだから」
お姫様の政略結婚。
物語では定番のシチュエーションだ。
可憐なお姫様は政略のために好きでもない男と結婚させられて、それを解決するために格好良いヒーローが色々と活躍する。
でも、現実にヒーローはいないし、今回に限って言えば立場が逆だ。
恐らく、王女様はやろうと思えばこの婚約を破棄できる。
けれど、その逆は絶対に許されない。
サーガハルト側がローネリアの顔に泥を塗ることはできても、ローネリアがサーガハルトを拒むなんて許されない。
今回の場合、物語のお姫様はアルノーン王子の方だ。
「ねえ、なんであの子がアルノーンって名付けられたか知ってる?」
王女様の問いに、寒気が走った。
「生まれる前から決まってたのよ。御伽噺の主人公みたいな王子様として作られた。そう在ることを強いられて、わたしに捧げられると決められた供物。それが、あの子」
『春風のアルノーン』。
有名な御伽噺だ。貧乏な俺の家に置いてあった唯一の本でもある。
主人公の名前はアルノーン。強くて格好良い騎士であるアルノーンに、本をめくる誰もが憧れ惹かれていた。
他ならぬ俺もその一人だ。
そんな主人公の名前を付けられた少年。
ウケの良い理想の王子様として作られ、育てられた存在。
生まれた時から、政略結婚の道具として使われることが決定していた、作り物の王子様。
それがアルノーン・ローネリアだと、王女様は言っているのだ。
「創作物から名前を付けるのは珍しくありません。俺の名前も古典からとったそうで……」
そう口にはしてみたが、自分でもその理論の浅さに呆れてしまう。
古典と流行の御伽噺では話が違いすぎる。
そもそも、シェイルという名前の由来は古典だが、メジャーな名前として定着しすぎていて、由来となる古典を詳しくを知る人も少ない。
シェイルなんてありふれた名前の一つに過ぎないが、アルノーンと言われれば、誰もが春風の騎士を思い浮かべるだろう。
「ありがとう。優しいのね、騎士さんは」
王女様は全てを見透かしたように、薄く微笑んだ。
かける言葉が無い。俺には否定できない。
あの少年がまさに理想的な王子様だったからこそ、王女様の語った背景が信憑性を増している。
俺には口を閉ざすことしかできなかった。
俺は沈黙という名の肯定を返すことしかできなかった。
だからこそ――――
「そんなの、もっと話してみないと分からないんじゃない?」
静寂を切り裂くようなレナーテットの言葉に、胸を打たれた。
「状況はどうであれさ、あの子が何考えてるかはもっと話してみないと分かんないよ。作り物だからって偽物なわけじゃないし。案外、あの子もハナのこと好きかもしんないじゃん?」
楽観的な言葉の羅列は不思議とすんなりと信じられた。
ある意味無責任とでも言えそうな軽い言葉が、こんなにも暖かい光を纏うのは何故だろう。
「アルノーンはわたしを拒めないわ。拒んではいけないの。わたしが何を話しても、向こうが取れる選択肢は一つだけ」
「答えが分かり切ってるからって、訊かない理由にはならないよ。あの子に本音で話してほしいなら、まずはこっちから打ち明けなきゃ」
今に始まったことではないが、やはりレナーテットは豪胆だ。
王女様相手にこんな説教じみたことを言える人間が、この世界に何人いるというのか。
けれど、身分関係無く本音を口にできるのが、彼女の彼女たる所以なのだろう。
より高い身分を、より高貴な職を、より見栄えの良い功績を。
そんな風に生きてきた俺とは、見えている世界が違うのだ。
いつか、俺にも見えるだろうか。
レナーテットの見ている世界が、俺にも見える日は来るのだろうか。
「うん。……ありがとう、レナ。わたし、ちょっと行ってくる」
来ると良いな、なんてことを王女様の背中を見送りながら思った。
レナーテットの才能と強さには、まだ少し劣等感と嫉妬心を感じたりする。
でも、レナーテットのこういう、何というか、人間的な長所には素直に憧れるようになった。
子供の頃、『春風のアルノーン』を読んでいた時のような気持ちで。
こういう風になりないなと、何の歪みも無く、率直に思えるようになったのだ。
「やっぱりすごいな、レナは」
王女様の背中が見えなくなった頃、無意識にそんなことを口にしてしまっていた。
「待って。今レナって言った?」
レナーテットに問い返されてから、気付く。
どうやら、王女様の呼び方が知らぬ内に移っていたらしい。
「言ってない」
「言ったよね!? 絶対言ってた! や~、嬉しいなぁ~。シェイルがそんな風に呼んでくれるなんて~。これは距離縮まっちゃったな~」
ニヤニヤ顔のレナーテットが揶揄ってくる。
くそ。調子に乗りやがって。
でも、まあ、こういう所は、少し、ほんの少しだけ、可愛いのではないかとも思ってしまう。
そんなこと、絶対口には出さないが。
「だから言ってないって…………ていうか、王女様から離れて良いのか? 俺ら一応護衛だけど」
「まあ、良いんじゃない? 宮殿の中だし。ハナの魔力は覚えたから、魔力探知で位置は追える。庭に出る時はどっかの窓から見てれば良いよ」
レナーテットは王女様とアルノーン王子が二人で話す機会を守りたいらしい。
護衛としては少し粗のある仕事だが、その心情には俺も賛成だ。
個人の魔力を覚えるなんて馬鹿げた芸当だが、レナーテットが口にするなら信じられる。
それに心のどこかで思っていたのだ。
レナーテットならどうにかできると。この英雄的な少女ならば、何か俺には無い天才的な力で、事態を良い方向に持っていけると。
この時はまだ、そう思っていたのだ。