わたしはどんな言葉で彼を連れ出したのか。
多分、散歩に行こうなんて感じのありきたりな誘い文句だったと思う。
二人並んで綺麗な庭を歩く。
季節は春。香る花の匂いが鼻をくすぐる。あの花の名前は何だっただろうか。
会話はあまり途切れない。それでいて、ペースが早すぎて疲れるということもなく、話していて心地が良い。
それなのに、息が詰まるような錯覚を覚える。
心地が良いのはわたしだけで、アルノーンには細心の気遣いを強要している気がして、快適な会話さえ苦しくなってしまう。
「ねえ、昔みたいには呼んでくれないの?」
ふと、そんなことを訊いてみた。
少しでも彼の考えていることを知りたかった。
耳障りの良い台詞じゃなくて、何にも偽ることない彼の本心を。
「……あの頃が子供だったんです。無礼を許してくれた殿下には、今でも感謝しています」
別にありきたりでもない言葉が、教科書的な模範解答に聞こえて仕方ない。
どうしても、言わされている気がするのだ。
いつから変わってしまったのだろうか。昔は何も考えず手を握り合えたのに。
「無礼だなんて思ってないわ。……そんなこと、一度も思ったことない」
アルノーンと初めて会ったのは、何歳の時だっただろうか。
まだアルノーンの背がわたしと同じか少し低いくらいだった頃。
わたし達は王女でも王子でもなく、ただの子供同士だった。
怖がりな彼の手を引いて、この庭を探検した。
国同士の力関係なんて考えず、もっと砕けた口調で、フラットな態度で、無邪気に言葉を交わしていたはずなのに。
会う機会は一年に一度か二度。
その一度か二度をわたしがどれだけ楽しみにしていたか。
アルノーンが婚約者だと知って、わたしがどれだけ舞い上がったか。
今まで、それを伝えていなかった。
伝えるのが怖かったのだ。
だって、向こうには拒否権が無いのだから。
わたしは絶対にアルノーンと結婚できるけれど、それはわたしが良い人だからじゃない。
魔術の才能があるからでも、剣の腕を持っているからでもない。
わたしが王女だからだ。
わたしはただ王女に生まれたというだけで、アルノーンの未来を全部奪って自分のものにしてしまえる。
アルノーンならもっと素敵な人と出会えるかもしれないのに、わたしは国の力関係を盾にそれを潰してしまえる。
アルノーンがわたしのことをどう思っていようと、わたしはわたしの好意を押し付けられる。
それが怖くて、ずっと口を噤んでいた。
彼に無理をさせるのが怖くて、自分の欲望を押し通してしまうのが恐ろしくて、自分の想いに蓋をしてきた。
でも、きっとそれじゃダメなんだろう。
レナが教えてくれた。
アルノーンに本心で話してほしいなら、まずわたしが本心を話さないと。
今日伝えるんだ。
ずっと言いたかったこと。わたしが抱いた想いの丈を。
「あのね、アルノーン。わたし、ずっと――――」
覚悟を決めて顔を上げた瞬間、わたしの目に映ったのは、こちらに向かって飛び込んでくるアルノーンの姿。
気付けば、彼の両手に突き飛ばされていた。
後方へと倒れていく体。そのまま見上げるアルノーンの肩から、赤い鮮血が舞っている。
そうして、ようやく理解する。
わたしを殺すはずだった何かが、アルノーンを傷付けたのだと。
ああ、どうして。
こんなにも彼のことを大切に思っているはずなの、どうして。
どうしてわたしは、上がる口角を抑えきれないんだろう。
***
「シェイル!」
「分かってる!」
宮殿の窓を蹴り破って、少年が外に飛び出る。
高所から庭の地面へ落下。
その衝撃は受け身で流し、一秒たりとも止まることなく走り出す。
(狙撃! しかも半端じゃない精度! レナーテットが攻撃魔術で弾かなきゃ、あの二人のどっちかが死んでた!)
日常の隙間を縫うように飛来した矢は、完全にハナウィルシアの頭部に照準を合わせていた。
アルノーン王子が彼女を庇ったことで狙いは逸れたが、それでも矢は王子の胸部を貫くはずだった。
狙撃に気付いたレナーテットが即座に放った攻撃魔術。それが矢を弾かなければ、アルノーン王子は即死していただろう。
(いくらレナーテットでも、狙撃に攻撃魔術を合わせるなんて神業を何度も成功させられるとは限らない。二射目までに、二人を俺の間合いの中に入れる)
全速力で庭園を駆けるシェイル。最短距離で庭を突っ切り、派手に花園を横断する。
再び放たれる矢。
二射目の狙撃が、ハナウィルシアへと一直線に迫る。
「――――ッ!」
持てる体術の中で最速の走りで王子王女の下に駆けつけたシェイルは、抜刀と共に剣を一閃。飛来した矢を高く弾き上げた。
さらに数発の矢が降り注ぐが、シェイルはそれらも問題無く剣で弾き飛ばす。
(間に合った。後はここで二人を守り続けるだけ)
シェイルは剣を構えつつ、周囲の状況を確認する。
ハナウィルシアは無傷。倒れているアルノーンは肩から血を流していた。
(王子の方が出血してる。レナーテットが弾いた矢の欠片が掠ったか?)
アルノーンの外傷は痛々しいが、出血の量自体は多くない。
表面を派手に裂かれただけで、体の内部まで影響は出ていない。言わば掠り傷だ。
むしろ、シェイルが異常だと感じたのは、アルノーンの傷よりもハナウィルシアの様子だった。
「アルノーン! 嫌だ嫌だ嫌だ! 死なないで! 行かないでアルノーン! ねえ! アルノーン! お願い! 嫌だ! こんなの嫌! アルノーン! アルノーン!」
倒れたアルノーンの側に屈み込み、喉が裂けんばかりに叫ぶ彼女の姿は、発狂していると言っても差し支えないほどの様相だった。
泣き叫ぶハナウィルシアの金切り声は、異常な絶叫となって空を裂く。
肩に手傷を負っただけのアルノーンの側で、王女は叫び続けていた。
「王女様! 大丈夫です! このくらいの傷なら助かる! だから落ち着いて! 落ち着いて下さい!」
「嫌! アルノーンが……アルノーンが死んじゃう! 嫌だ! アルノーンを返してよ! ねえ! お願い神様! アルノーンを連れてかないで!」
シェイルが呼びかけるが、半狂乱のハナウィルシアには届かない。
明らかに狂を発しているハナウィルシアに呆然とするシェイルの上空、キラリと幾筋もの閃光が走った。
それはレナーテットが狙撃手に対して放った攻撃魔術。
牽制と反撃を兼ねて数発の無属性攻撃魔術を放ってから、レナーテットは飛行魔術でシェイル達の近くに下りた。
「軽く反撃しといた。手応えは無かったけど」
「逃げたか位置を移動したか。多分前者だろうな。それより、レナーテット……」
シェイルが視線で合図した先、狂ったように泣き叫ぶハナウィルシアと肩から血を流して倒れるアルノーンの姿がある。
レナーテットは回復魔術でアルノーンの治療に取りかかりつつ、ハナウィルシアに声をかけた。
「大丈夫だよ、ハナ。大丈夫。全然大した傷じゃない。私が絶対助けるから。大丈夫。落ち着いて。すぐに治すから」
「ア、アルノーン……っ! わた、わたしを庇ったせいでっ……! わたっ、わたしが庭に連れ出したからっ、わたしが散歩しようって、言って……! アルノーンが……っ!」
「大丈夫。ハナのせいじゃないよ。大丈夫、大丈夫だから」
大丈夫と繰り返すレナーテットの胸の中、ハナウィルシアはうわ言のように唱えていた。
アルノーン、アルノーンと。赦しを乞うように延々と。
それから、アルノーンの治療が終わり、念のため彼は宮殿の医者に引き渡された。
傷こそ浅いアルノーンだったが、ショックのせいか気を失っており、医者に引き渡される時も目を覚まさなかった。
その間も、ハナウィルシアはレナーテットに縋りついて泣いていた。
枯れた喉で、泣きながら、ずっと何かを呟いていた。