思わず後ずさった。
だが、手を掴まれてしまい──そのまま壁に追い詰められてしまう。
パニックになりかけながら、イクサは叫んだ。
「ま、待って!! 抱いてって……それ、意味分かってて言ってるの?」
顔を真っ赤にしながら、真意を問う。何も考えずにレモンの申し出に応えてしまうほど、イクサは軽率ではなかった。
意図が分からない。出会ってまだ2日の相手から迫られる覚えはない。
「バカにしないで。それくらい、分かってるわ。男の人が気持ちよくなるんでしょう?」
「間違っていないけど間違ってるよソレは!!」
「……子供を作る行為であることも分かっているわ」
「でも、なんでこんないきなり……ッ」
思わず一糸纏わぬ彼女の身体を見て、思わず言葉を失った。
その身体にはこれまでの戦いの傷が刻まれ、痕になっていた。
(これが、レモンさんの……今まで戦ってきた、証……)
切り傷。擦り傷。火傷。治るのは早いと言っていたものの、異世界の不衛生で不完全な医療環境では完全に傷を消す事は出来なかったようだった。
それは彼女も重々承知しているのか、申し訳なさそうに言った。
「……やっぱり、こんな傷だらけの身体じゃダメ……かしら」
「そんな事を言ってるんじゃない! 自分の身体を大切にしろって言ってるんだ!」
イクサは思わず声を荒げた。
「……一時の衝動で、やることじゃないよ。君の身体に負担がかかるかもしれないし、子供ができるかもしれない。そんな行為を、勢いでやるなんて──僕には出来ない」
「じゃあ、どうすれば良いの!?」
悲痛な叫びが部屋に響く。
そして彼女は──ぽろぽろ、と涙を零しながら壁を背にして座り込んでしまうのだった。
「わたし、イクサ君に何にもお返しできてないッ……」
「違っ……!! そういうつもりじゃ……!?」
慌ててイクサは取り繕うように宥める。諭すつもりはあれど、泣かせるつもりはなかったのだ。
「……ごめんなさいッ!! わ、私、私ッ……もう、どうすれば良いか、分からなくって……!!」
ぐす、ぐす、と嗚咽が響く中──イクサは口を噤んだ。
異世界に一人で転移し、味方はカガチだけ。そして当のイクサは本来巻き込むべきではない民間人。
敵はいつ現れるか分からない。そんな中、彼女がどれだけ張り詰めていたか──イクサは想像するだけで胸が痛んだ。
「一人でシャインに立ち向かって……カガチに大怪我させて、助けてもらって……なのに……なのに、私、何も出来てない……!! このままじゃ、貴方をまた……傷つけちゃう……!!」
「そんな、戦うのは僕が望んだことで……」
「だとしても……私、貴方が傷つくのは嫌なの……ッ!! なのに、貴方に助けてもらわなきゃいけない自分が本当に嫌で……ッ」
傷つく──その意味が外傷だけではないことをイクサは理解していた。
生き物の死は、イクサを内側から苦しめる。
このまま戦っていれば、壊れてしまうかもしれない──
「止められないなら、せめて……何か、返してあげたいって思って……」
「レモンさん。少し話そうか。珈琲、入れてくるからさ」
「……うん」
※※※
「……落ち着いた?」
「うん……」
シャツを上に羽織ったまま、二人はベッドに並んで座っていた。
ぐすぐす、と泣きながらレモンは珈琲を啜る。
「ユウティラヌスを死なせてしまったのは……私の力不足だわ。そして、貴方も結果的に苦しめる事になってしまった」
「確かにユウティラヌスが死んだときはとても悲しかったけど……あいつは、穏やかに天に昇って行ったよ」
「そうなのかしら。唯一の家族から痛めつけられていたのに?」
「健気な子だったからね。それでも、御主人に仕えるのが幸せだったんだと思う」
「許せないわ。シャインはそんな子を道具扱いして……」
「道具扱いしなきゃ、やってられなかったんだと思うよ」
イクサもまた珈琲を啜った。
ユウティラヌスにまだ意識が残っていると知った時のシャインの動揺を見るとやるせない気持ちになる。
「ユウティラヌスを生かす方法は機械に繋いで兵器にするしかなかったんだ。それはきっとシャインにとっても不本意な方法だったんだと思う」
「……連れ去られて、あいつらの傘下になった以上、シャインも命令を聞くしかなかった……?」
「シャインは当時子供だったんでしょう? 自分だけじゃなく家族の生殺与奪を握られてたなら従うしか無かったと思うよ」
きっと全てを諦めてしまったのだろう、とイクサは考える。
だが、それしか手立てはなく、そして他に生かす方法が無かったのならば──シャインは見て見ぬフリをするしかなかったのだ。
ユウティラヌスの中に、まだ主人を想う意識があったことを。
「……あいつら、本当に許せないわ」
「そうだね。だから僕は──戦うんだと思う」
イクサは胸を抑える。
ユウティラヌスの死も、ダイアウルフ達の死も、確かに彼を苦しめる。
だが──それはきっと止まる理由にはなり得ないのだと思う。
「だから、僕も一緒に戦わせてよ。今後もね」
「……私が力不足だから?」
「……確かにレモンとカガチだけじゃあ、あいつらには勝てないと思うよ。カガチは強いけど、弱点もあるからね」
「……そう、ね」
現に、冷気を浴びた所為でカガチは今回、終始苦戦を強いられた。
それはレモンも痛いほど理解していた。しかし──
「でも、僕達だけでもあいつらには勝てない。最後の火炎放射でうっかり羽毛を燃やされるところだった」
「あっ……そ、それは」
「逆に熱で復活したカガチが居たから、僕らはユウティラヌスの機械を破壊できたんだよ。違う?」
「……ちがく、ないわ」
レモンは──漸くイクサが何を言いたいのかが分かった。
一人ではきっと、侵略者には勝てない。それは、どちらも同じだ。
だからこそ力を合わせ、互いに弱点を補い合わなければならない、と。
「僕達、もう仲間じゃないか。だから、レモンさんは何も気負う必要なんてないんだよ」
「……そう、そうね。でも──」
「それに、レモンさんが居ないと……やっぱり僕、寂しいよ」
「……!」
レモンは目を開け、イクサの顔を見た。窓から差し込む月光に照らされた彼はにっこりと微笑んだ。
「だから、無理に役に立とうとしたり……勝手に居なくなったりするのはやめてほしいな」
「……いいの?」
「うん。他でもない、僕がそう願ってるんだからね」
「……そう」
レモンはイクサに寄り掛かる。
「ッ……レモンさん?」
「嫌なら、押しのけて良いのよ」
「嫌じゃ、ないけど」
重そうな瞼を開けてイクサに囁いた。
「なら、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「……レ、レモンさん……?」
「なに? 仲間なんでしょう? 互いを補い合うんでしょう? それなら……せめて傍に居させて」
「……うん」
「もう、居なくならない。無理矢理貴方に迫ったりもしない。ただ私──昔から、何かを抱きしめないと眠れないの」
「……うん?」
ベッドに寝転がり──レモンはイクサに向かって手を伸ばした。
「……後ろから抱き締めさせて。それだけで……良いから。それ以上は、望まないから」
「……レモンさん」
きっと彼女はずっと、心細かったのだ──とイクサは考える。
ずっと戦士として戦ってきたのは、自分を厳しく律してきたから。
「うん。それなら、お安い御用だよ」
だがそれで限界が訪れないはずもない。イクサは彼女のささやかな願いだけは──叶えてやることにした。
「……レモンさん?」
「……すー、すー」
「もう、寝ちゃったのかい?」
後ろから抱き枕のように抱き締めてくるレモン。
その鼓動と温もり、柔らかさがイヤでも伝わってくる。
「……ハァー、参ったな」
イクサは──紅潮する頬を掌で抑えて布団に顔を埋めた。
「……明日、まともに話せるかな……」
※※※
「……シャイン・マスカットが死んだか。所詮は──先兵に過ぎないがね」
宙に浮かび上がるのは、無数のキューブ。
そこには、ぼんやりと赤い光が浮かび上がっていた。
東京で最も高い場所、スカイツリー。その頂上で、その女は──黒い外套に身を包みネオンライト彩る街を見下ろす。
「……でもおかげで、データが取れた。この世界の人間は、我々の”侵略”に対抗策を持たない」
外套の下から覗く頬には──蜘蛛のタトゥーが押されている。
「……遊びは終わり。さあ、”侵略”の始まりだ」
東京の夜に、蜘蛛の子を散らすように大量のキューブがばら撒かれた。
それらは意思を持つように、夜の空を飛びまわる。