大総統がオラリオにいるのは間違っているだろうか 作:みずぎの
迷宮都市オラリオ。
世界の中心にして、神々の遊戯場。
巨大白亜塔《バベル》を中心として広がるその都市を、キング・ブラッドレイは冷めた眼で眺めていた。
石畳を行き交う冒険者たち。
武具を抱えた鍛冶師。
客引きの喧騒。
酒場から響く怒声と笑い声。
活気に満ちている。
だが、ブラッドレイの目には違って写る。
この都市の人間は皆、恐怖によって生かされている。
地下迷宮《ダンジョン》から溢れ出る怪物。
死と隣り合わせの探索。
いつ壊滅してもおかしくない日常。
だからこそ、人々は強さへ縋る。
そして神々は、その“足掻き”を眺めて楽しんでいる。
ブラッドレイは静かに口元を歪めた。
エリスはそんな彼の横顔を見ながら、困ったように笑う。
「早速潜るんでしょ?」
「何か問題があるかね」
「一般的には問題しかないわよ。ファルナ刻んだの昨日なんだけど?」
エリスは呆れたように肩を竦める。
神々にとって、人の成長速度にはある程度の常識がある。
ファルナを授かって数日程度では、ゴブリン相手ですら命懸けだ。
だが。
目の前の男には、その“常識”が当てはまらない。
昨日、エリスが背へ神の恩恵《ファルナ》を刻んだ時。
彼女は思わず絶句した。
器が違う。
魂の格が異様だった。
刻まれた能力値はもちろん0。しかし、肉体そのものが既に完成されている。
普通のレベル1とは根本から別物だった。
まるで死を恐れていない。
いや。
実際、恐れていないのだろう。
ブラッドレイという男は、既に一度死を受け入れている。
だからこそ異様だった。
生へ執着しているのではない。
ただ、己の怒りと矜持に従って動いている。
エリスはしばらく悩み、それから大きく溜息を吐いた。
「初日に死なないでよ?」
「善処しよう」
「はぁ……」
彼女は額を押さえる。
その様子を見ながら、ブラッドレイは僅かに目を細めた。
「ならせめて武器くらいまともなの借りてきなさいよ」
「心得ている」
そう言ってブラッドレイは歩き出す。
向かう先はギルド。
そしてその地下。
ダンジョン。
この世界の“戦場”だった。
◇
ギルド本部は朝から騒がしかった。
受付には列が並び、冒険者たちが依頼書や換金のために喧々囂々と声を上げている。
その喧騒の中を、ブラッドレイは真っ直ぐ歩いた。
軍靴の音が石床に響く。それだけで周囲の空気が僅かに変わる。冒険者たちが無意識に道を開けていた。視線が集まる。なんだあの男は、と。
理由は単純だった。
空気が違う。
歴戦の冒険者ですら、“戦士”の気配を纏っている者は少ない。だがブラッドレイは違った。ただ歩いているだけで、戦場の匂いがする。
殺し合いを日常としてきた者だけが持つ異質な圧力。
受付へ到着した瞬間、ギルド職員は反射的に姿勢を正していた。
「え、あ、はい! 本日はどのようなご用件でしょうか!」
ブラッドレイは静かに答える。
「ダンジョンへ潜る。装備を借りたい」
「はい、かしこまりました。ええと、ファミリア名は――」
ギルド職員は書類を見て固まった。
エリス・ファミリア。
新設。そして。登録日、昨日。
「…………」
沈黙。職員はゆっくり顔を上げる。目の前の男を見る。どう見ても新人ではない。むしろ、国家軍の総司令官か何かにしか見えない。
「……新人、ですよね?」
「ああ」
「本当に?」
「嘘をついているように見えるかね?」
あまりにも堂々としていた。
だから逆に怖い。
ギルド職員ら混乱した。
新人冒険者特有の緊張感がない。
覚悟とか、そういう段階ですらない。
この男。
ダンジョンを恐れていない。
それどころか。“測ろうとしている”。そんな感覚があった。
「ダンジョンは危険です。特に中層以降は、熟練冒険者でも命を落とします」
「ご忠告ありがとうお嬢さん。それで、サーベルを2本ほど貸してもらえるだろうか」
職員は思わず言葉を詰まらせた。圧力。怒鳴られた訳ではない。むしろ、好々爺然とした人当たりの良さすら感じる。
だが、目の前の男には、“命令する側”の空気が染み付いていた。長年、人の上に立ってきた者の声。自然と従いたくなる声音。
無意識に息を呑む。
そして理解した。
この男は止まらない。
ならせめて、少しでも生存率を上げるしかない。
ギルド備品のサーベルが差し出される。
ブラッドレイは鞘からゆっくり引き抜いた。鈍く光る刀身。
重量配分。
重心。
刃厚。
数秒で性能を把握する。
悪くない。量産品としては上等だ。
だが。
(脆いな)
彼の得物としては不足だった。
ホムンクルスとしての膂力。
超人的速度。
それに耐えられる武器でなければ、斬撃に耐久が追いつかない。
だが現状、選り好みはできない。
ブラッドレイは静かに納刀した。
「いい刀だ。感謝するよ」
ギルド職員は最後にもう一度だけ忠告する。
「絶対に無理はしないでください。1層でならして帰ってきてくださいね」
ブラッドレイは短く答えた。
「善処しよう」
その言葉を聞いた瞬間、何故か猛烈な不安を覚えた。
◇
ダンジョン。地下迷宮。
その入口へ足を踏み入れた瞬間、ブラッドレイは僅かに目を細めた。
空気が違う。
湿っている。
重い。
生臭い。
壁面は青白く脈打ち、生物じみた気配を漂わせていた。まるで巨大な生物の内臓だ。
足音が響く。
冒険者たちの怒声。
金属音。
遠くから聞こえる悲鳴。
死が近い。
だが。
ブラッドレイにとって、それはむしろ心地よかった。
戦場に似ている。
秩序の皮が剥がれ、暴力だけが支配する空間。
彼は歩きながら周囲を観察する。
通路幅。
視界。
退路。
待ち伏せに適した位置。
完全に軍人の視点だった。
その時、壁が脈打つ。
直後、肉壁を突き破るようにゴブリンが現れた。醜悪な緑色の小鬼が唾液を垂らしながら、棍棒を振り上げて突進する。
普通の新人なら恐慌する。
だが、ブラッドレイの姿が消えた。
一歩。
ただそれだけ。
次の瞬間には、ゴブリンの懐へ入り込んでいた。
抜刀。
銀閃。
ゴブリンの首が宙を舞う。
あまりにも自然。呼吸するのと変わらぬ動作だった。ブラッドレイは止まらない。視線だけで次の敵を捉える。
コボルト。
キラーアント。
全て一撃。斬るというより、“処理”だった。
ブラッドレイは理解する。
ファルナの影響は確かにある。
身体が軽い。
筋力も増している。
昨今、最強の眼を除き、肉体の衰えを感じていた。視力情報に追いつかなくなる体に嫌気が差していたが、まるで若返ったようだ。
ホムンクルスとして完成された肉体。その基礎能力だけで、既に並のレベル1を遥かに超えている。
少なくとも攻撃や速さは、ミノタウロス程度相手にならない。
そこへ。
“最強の眼”。
あらゆる攻撃を見切り、最適解を導き出す異能。
爆発し飛散する列車の中、飛来する瓦礫を見切るだけにとどまらず、どの道筋で府瓦礫の上を渡れば良いかまで見通す眼に、肉体が呼応する。
結果。
上層のモンスター程度では、話にならなかった。
ダンジョン上層。新人冒険者たちが命懸けで戦うその領域を、ブラッドレイは散歩でもするように進んでいた。
通路へ現れるモンスターの奇襲。
天井から這い寄る怪物。
その全てが、彼にとっては“遅い”。
ゴブリンが棍棒を振り下ろす。振り下ろされるより先に首が飛ぶ。
コボルトが牙を剥いて跳躍する。空中で両断される。
キラーアントの酸液。避ける必要すらない。最小限の動きで身体をずらし、すれ違いざまに脚を断つ。
灰となって消滅するモンスター。
残る魔石。
ブラッドレイは淡々と歩き、それを回収すらしない。
まるで作業だった。
彼の表情には、緊張も高揚もない。
だが。
その瞳だけは静かに細められていた。観察している。
ダンジョンを。
モンスターを。
この世界の法則を。
(やはり、死体が残らんか)
モンスターは死亡後、灰となって崩れ去る。血肉は残らず、核となる魔石のみが残存する。生物ではない。より正確に言えば、“生物に似た何か”だ。
そして、このダンジョンそのもの。
壁の脈動。
魔力の流れ。
一定周期で生まれる怪物。
まるで巨大な生命体だ。
ブラッドレイは壁へ触れる。ぬめりを帯びた感触。僅かな鼓動。地下迷宮というより、生きた臓器に近い。
「……不快だな」
ぽつりと漏れた呟き。
戦場は嫌いではない。暴力も死も、彼にとっては日常だ。
だが、このダンジョンには別種の不気味さがあった。
ただ本能のまま怪物を産み落とし、人を喰わせ続ける巨大器官。目的すら見えない。故に気味が悪い。
その時だった。前方通路から複数の悲鳴。
「ぎゃああああっ!!」
「ま、待て! 来るな!!」
ブラッドレイの足が止まる。
次の瞬間。
通路奥から三人の冒険者が雪崩れ込むように逃げてきた。
若い。装備も粗末。新人に毛が生えた程度の実力だろう。
その背後。重い足音。地響き。空気を震わせるような咆哮。冒険者たちの顔は恐怖に引き攣っていた。
「ミ、ミノタウロスだ!!」
ブラッドレイは静かに視線を向ける。いつのまにか10階層まで来ていたらしい。
現れたのは、巨大な牛頭。赤黒い筋肉。異様な体躯。ミノタウロス。中層における“洗礼”。新人冒険者にとって、それは死そのものだった。
「逃げろおおお!!」
冒険者たちはブラッドレイの横を駆け抜ける。
だが、ブラッドレイは動かなかった。むしろその口元が、僅かに吊り上がる。
(なるほど)
強い。少なくとも、ここまでの雑魚とは比較にならない。
筋力。
速度。
殺意。
ようやく、“戦闘”になりそうだった。
ミノタウロスが咆哮を上げる。
唾液を撒き散らしながら突進し、石床が砕ける。暴力的な質量。しかし、ブラッドレイの左目は、その全てが視えていた。
筋肉の収縮。
重心移動。
踏み込みの癖。
未来予測じみた演算が一瞬で組み上がる。
半歩。
それだけで、巨体の突進が空を切った。
直後。
ブラッドレイは既に懐へ潜り込んでいた。
抜刀。銀閃。
斬撃はミノタウロスの膝裏へ吸い込まれる。
筋断裂。巨体が揺らぐ。
咆哮。反射的に振るわれる腕。ブラッドレイはそれすら読んでいた。
身体を捻る。暴風のような腕が鼻先を通過。
同時に。
二撃目。腱。
三撃目。脇腹。
最小限。だが、確実に機能を奪う斬撃。
ミノタウロスは混乱していた。
視えない。捉えられない。敵が。
ブラッドレイは冷静だった。
(単調だ)
力はある。耐久も高い。だが、技術がない。野生任せ。読み合いにもならない。
だから。弱い。
ミノタウロスが絶叫しながら大剣を振り下ろす。その瞬間。ブラッドレイは踏み込んでいた。刃の軌道、その内側へ。
そして、首筋へ一閃。
肉を断ち。筋を裂き。骨へ到達する。
直後。
牛頭が宙を舞った。巨体が崩れ落ちる。数秒遅れて、ミノタウロスの死体が灰となって崩壊した。
静寂。
逃げていた冒険者たちは呆然としていた。
誰も言葉を発せない。
ミノタウロス。
新人殺し。
その怪物が。
たった一人の男に、一方的に解体された。
ブラッドレイは剣を払う。
そして淡々と呟いた。
「思ったより脆いな」
その言葉に、冒険者たちは戦慄した。
化物だ。
目の前にいるのは。
ダンジョンへ潜る側ではない。
ダンジョン側の怪物に近い。
◇
ブラッドレイは止まらなかった。中層。さらに深く。
普通の冒険者なら慎重に進む領域を、彼は迷いなく歩く。
理由は単純。まだ、自分を脅かす敵が現れない。退屈だった。モンスターは強くなっている。
だが、まだ足りない。
ブラッドレイの中には、確かな高揚があった。
久しく忘れていた感覚。
未知への興味。
己を殺し得る敵への期待。
それはかつて、スカーとの死闘で感じたものに近かった。
そして。
彼は辿り着く。巨大空間。異様な静寂。重苦しい圧力。
瞬間。
ブラッドレイの“最強の眼”が危険信号を鳴らした。
空気が震える。
次いで轟音。
天井付近の巨大影が、ゆっくりと身を起こした。
ゴライアス。
階層主。巨大。圧倒的。
それは怪物というより、災害だった。
筋肉の塊のような巨体。
岩盤めいた皮膚。
人間を見下ろす単眼。
一歩、踏み出すだけで大地が揺れる。
ブラッドレイは静かにそれを見上げた。
そして。
笑った。
久方ぶりだった。
本能が警鐘を鳴らしている。
その感覚が。
たまらなく愉快だった。
ゴライアスが咆哮した瞬間、空気そのものが震えた。
轟音は衝撃波となって地下空間を揺らし、天井から無数の砂塵が降り注ぐ。
並の冒険者なら、その咆哮だけで足が竦むだろう。
だが。
キング・ブラッドレイは一歩も退かなかった。
むしろ、その片眼は静かに細められている。観察していた。
筋肉の付き方。
重心。
骨格。
呼吸。
巨大な肉体のどこに“死”を通せるか。それだけを。
ゴライアスが腕を振り上げる。
岩盤のような筋肉が軋み、拳が空気を押し潰す。
次の瞬間。
振り下ろされた。
轟ッ――!!
大地が砕ける。
石床が爆散し、衝撃が周囲へ奔る。
だが、そこにブラッドレイはいなかった。
ブラッドレイの身体が滑るように動く。
視えている。
筋肉の収縮。
肩の沈み。
視線。
攻撃の起点すべてが。
“最強の眼”は、相手の動きを完全に読み切る。だから当たらない。
ゴライアスが二撃目を放つ。
横薙ぎ。暴風。壁面が吹き飛ぶ。
だが、ブラッドレイは既に懐へ潜り込んでいた。
抜刀。銀閃。斬撃が巨人の脚へ吸い込まれる。
硬い。
鋼を斬ったような感触。
それでも、浅く肉を裂く。
ゴライアスが唸り声を上げた。
ブラッドレイは即座に距離を取る。
直後、巨腕が空間ごと薙ぎ払った。
もし一瞬でも遅れていれば、直撃していた。
だが、ブラッドレイは冷静だった。
恐怖はない。あるのは分析だけ。
(硬いな)
ミノタウロスとは比較にならない。
筋肉。
骨格。
皮膚。
どれもが異様な強度を持っている。しかも巨大。質量そのものが武器だ。まともに受ければ無事では済まないだろう。
だが。だからこそ面白い。ブラッドレイの口元が僅かに歪む。
命のやり取り。純粋な戦闘。勝つか、死ぬか。
その単純極まりない世界。
ゴライアスが突進する。巨体とは思えぬ速度。
地鳴り。崩壊。
ブラッドレイは回避しながら駆ける。
壁を蹴る。空中へ跳躍。首筋へ斬撃。
火花。
浅い。ならば。眼。腱。関節。急所のみを狙う。
斬る。避ける。踏み込む。紙一重。
致死圏内を踊るように駆け抜ける。それは剣技というより、生存技術だった。ゴライアスは圧倒的だった。
しかし、当たらない。何一つ。
拳も。
踏み潰しも。
薙ぎ払いも。
ゴライアスには、ブラッドレイを捉えられない。
“最強の眼”が完全に未来を読んでいる。
ゴライアスの攻撃は、ブラッドレイにとって既に“過去”だった。
そして、ブラッドレイの斬撃は、確実にダメージを積み重ねていく。
脚。肩。眼窩。筋。少しずつ。だが確実に。
ゴライアスの動きが鈍り始める。
普通の冒険者なら、この時点で歓喜しただろう。
勝てる、と。
だが、ブラッドレイは違った。
彼は理解していた。
自分の攻撃力が足りない。
このサーベルでは、ゴライアスの耐久を抜き切れない。
武器が脆すぎる。本来、ブラッドレイの剣技は、人間の身体能力を想定していない。ホムンクルスとしての膂力。超人的速度。
その全てを乗せれば、当然ながら武器への負荷も跳ね上がる。
ましてこれはギルドの量産品。耐えられるはずがなかった。
そして、限界は突然訪れた。
ブラッドレイが踏み込み、首筋へ渾身の一閃を叩き込んだ瞬間。甲高い音が響く。
――パキン。
刀身中央に亀裂。次いで、砕けた。
銀の刃が宙を舞う。
ブラッドレイの眼が僅かに細まる。
直後、ゴライアスの拳が迫る。
回避。爆風。遅れて衝撃が全身を叩く。
ブラッドレイは後方へ跳び、折れた剣を見下ろした。
ゴライアスが咆哮する。勝利を確信したような雄叫び。
だが、ブラッドレイは悲観していなかった。
むしろ、静かに高揚していた。
(なるほど)
久しく忘れていた感覚だった。
万全なら勝てたかもしれない。だが、届かなかった。
それが腹立たしくもあり、愉快でもだった。
あと一歩届かない。
その感覚が、彼の闘争本能を激しく刺激する。
ゴライアスが再び拳を振り上げる。ブラッドレイはそれを見上げた。
そして、笑った。
獰猛に。
まるで、次の戦いを約束するように。
直後、ブラッドレイは踵を返した。
迷いなく駆ける。逃走。だが敗走ではない。
“次”へ繋げるための撤退。
ゴライアスが追撃する。
地下空間が揺れる。
だが、ブラッドレイは止まらない。
最短距離。最適経路。全て計算済み。
ゴライアスの攻撃を、そこから飛来する瓦礫の全てを紙一重で避けながら、迷宮を疾走する。
やがて、階層主の間を抜ける。追跡限界。
ゴライアスの咆哮が背後へ遠ざかっていく。ブラッドレイはようやく歩みを止めた。呼吸は乱れていない。戦いへの歓喜で心臓だけが高鳴っていた。
彼は折れたサーベルを見下ろす。
そして静かに呟く。
「次は、貴様を斬れる剣を用意してこよう」
その声音には、確かな愉悦が滲んでいた。