村が静まり返り、誰もが明日の平穏を願い床に着く時刻。
テントの窓から差し込む月光が淡く周囲を照らす中、グレンはその光を感じながら浅い眠りについていた。
疲労はあるが、底に辿り着くことは無くすぐに意識が浮上し、瞼を開く。
向こう端ではマリエルが毛布にくるまっている。
純心な少女は今日も安らかに眠っている——そう思った瞬間、
「ん……っ……」
かすかな呻きと共に布が擦れる音が聞こえた。
「グレ……ン、様……」
微かな囁きを伴う柔らかな息遣いが闇に溶ける。
(……夢でも見ているのか……寝言とは珍しいが……)
グレンは何気なく少女の方に目を向ける。
視線の先には、違和感を感じる毛布の動きをさせる少女の姿があった。
時折、胸やしっぽの辺りを小刻みに上下させ、ピクリと震える。
その動きは継続的であり、ただ眠っているという様子には見えなかった。そして
「はっ……ん……!」
明らかに色の込められた声。衣擦れの音も最初より大きくなっていた。
(────これは……そういうことか……)
「グレ……ン……様……もっと……」
少女の尊厳を守る為に、素知らぬ振りをしようと考えたグレンであったが、自分の名前を呼ぶ艶色に若干呼吸が乱れてしまった。
「……っ!?」
ビクリと跳ね上がる少女。
────しまった……。
「グレン……さま……?」
少女が三度名前を呼ぶ。
しかし今回のそれは明らかに毛色が違った。こちらに対して呼びかけている声────恐怖を伴った声だ。
どうする……寝たフリを続けるのは簡単だ。しかし────
彼女は恐らく確信に近いものを持って呼びかけている────聞かれていたことを。
ここで自分が気づかない振りをすれば、彼女は怯えた夜を過ごすことになるだろう。
俺が怒って返事をしなかったと思い、涙を流すかも知れない。
今まで体験しなかった場面にグレンは逡巡を挟んだが、このまま不安を抱かせたままにするよりも、今安心させるべきだと判断した。
「マリエル……眠れないようだな」
グレンは務めて穏やかにそう返した。
これで彼女が言葉通りに受け取り、良い方向に勘違いしてくれるのならそれが一番だ。
そう思ったが────
「……ひっ……く……ぐす……ご、ごめんな……さい……」
少女は謝罪の言葉を伴いながら、静かに泣き出した。
小柄な身体を包む毛布が一層小さく丸まり、切なく震えている。
その姿は背中を向けたままだ、表情は分からない。
だが彼女のことだ、こちらに顔を向けることも出来なくなっているのだろう。
(ダメだったか……これは俺のせいでもあるな)
彼女が自分に好意を抱いてくれていることは明らかだった。
年頃の少女ならば抑えきれない欲求もあるだろう。
少し無頓着すぎたのかもしれない、グレンの心に自責の念が湧く。
グレンは身体を起こす。
「マリエル」
労わるように優しく声を掛けると、縮こまって震えていた小さな身体がビクリと震える。
「ごめんなさい……ごめんなさい……どうか……嫌わないで……ぅぅ……ぐすっ」
あまりに健気な姿を見て、グレンの力が抜けると同時に”守らなければ”という強い思いが湧いた。
グレンは少女の隣まで行き胡座で静かに座り込むと
「マリエル」
と再度名前を呼び、毛布に手を入れて、丸まっていたマリエルを抱き上げた。
「ほら、大丈夫だ」
「グレン様……ううー……」
泣き腫らした目をそのままに抱きついてくる少女、しっとりとした指先がグレンの胸にふわりと絡みついてくる。
少女はまるで生まれたばかりの子猫のようにひっきりなしに、彼の胸に顔を埋め泣きじゃくった。
「恥ずかしがるな。お前の気持ちは嬉しい」
「でも……こんなの……いけないことです……」
「誰も見てない」
「でも……」
「俺は全く気にしない」
実際は────悪い意味では無いが、思うものはあった。
だが騎士は初めて嘘をついた。彼女が罪悪感に潰されないよう。
「……本当ですか?」
「ああ」
「グレン様……好きです……ずっと……ずっと……」
嗚咽混じりの告白。
「好き」と直接的な言葉を言われたことはなかった。衝動的に口から出てしまったのだろう。
グレンは静かにマリエルを抱き寄せた。
彼女の震えを鎮めるように、そっと背中を擦る。
「分かってる」
「ぅぅ……ふぅ……はぁはぁ……」
グレンの温もりを全身で感じる少女の体温がどんどん上がっていく。
グレンは慈しむように、優しく宝物を撫で続けた。
「もう泣くな。いい子だ」
「ふぅ……ぅ…………すぅ……すぅ……」
ようやく安堵したのか、マリエルの睫毛が重たくなってきた。
やがて穏やかな寝息に変わっていく。
月が雲間に隠れ、部屋が闇に包まれる。
グレンはマリエルを抱いたまま静かに瞑目した。
己の心の内を再認識させられた夜。騎士の矜恃はより深く刻まれる。
(必ず────守り抜く……)
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回の更新は8月21日(金)19:00です!