その日の夜、床に着いたまま天井を見上げ、一人考え込むグレン。
身体を休めて備えると言った手前、日課の訓練を控え、いつものようにマリエルの薬師としての作業を手伝いながら一日を終えた。
────話し合いの席ではマリエルに悲しい顔をさせてしまったが、後の場ではいつも通りの元気な彼女に戻ってくれて良かった。────必ず無事に帰還しないとな。
窓を見やると、いつも通りに月の光が優しくグレンの目に入ってくる。
この日常をいつまでも守っていきたい────そう思っていた時、不意に近くから声が聞こえた気がした。
注意して耳を澄ますと、隣からうっすらとすすり泣く声。
どこまでも他人を慮る彼女のことだ。先日の件もあり、絶対に聞こえないようにと必死に押し殺しているのだろう。
しかし思惑を超えて、魔装騎士としての鋭敏な聴覚で捉えてしまう。泣いている理由もグレンには思い当たる気がしていた。
────そうであれば……ここで気づかない振りをするのは騎士失格だな……。
グレンは起き上がる。物音を立てた瞬間、マリエルの体を包む毛布が一瞬ピクリと震える。
静止しているように見えて、よく見るとその健気で純粋にグレンを想う身体はフルフルと僅かに震えていた。
「………マリエル」
返事は無い。
グレンはマリエルへと静かに近づき、そっと毛布をめくる。
グレンの姿を認めた瞬間、マリエルの琥珀色の瞳は決壊し、大粒の雫をポロポロとこぼし始めた。
「グレン様……ううぅ…!」
「ほら、おいで」
昨晩と同じようにふたたびマリエルを優しく抱き上げ、胸元に引き寄せる。
「ううー!うーうぁぁぁぁん!」
一度決壊するともう止まらなかった。
堰を切ったように大声を上げて泣き始めたマリエル。何度もグレンの名前を呼ぶ。
グレンは優しく抱きしめたまま、ゆっくりと耳を撫で続けた。
「大丈夫だ……ここにいる」
「グレン様……!グレン様ぁ!」
何度名前を呼んでも満足できず、一向に泣き止む気配がない。
「……今日、ずっと辛かったか────気づかなくてすまなかった」
「グレン様がいないなんて嫌です……!グレン様が出ていったら私は……!生きていく意味がなくなってしまいます……!ううああぁ……!」
「そんなことを言うな────俺は必ず帰ってくる。約束だ」
「……約束……?」
「ああ」
「でも……でも……!ぐすっ……グレン様のいない村なんて考えられません……」
「マリエル……聞いてくれ」
「……はい」
「俺がここに転移してきたのは、この村を守るためではなく、この村で生きるためだったんだと思う」
「え……?」
「多少腕が立った所で、俺は所詮一人だ。多くの亜人を救うには限界がある。だから俺は仲間を増やしながら、これからもこの村で暮らしていく。お前達と、いや────お前とずっと一緒だ」
「本当に……?」
「ああ。俺にとってお前は特別な存在だ」
月光に照らされキラキラと、琥珀色の瞳から零れ落ちる宝石を優しく拭う。
今度は抱き上げたままマリエルを自分の膝に乗せる。
「グレン様……」
「だから約束しよう────今回だけでは無い。何度でも、何があっても、俺は必ずお前の元に戻ってくる」
「絶対ですよ……!」
マリエルの声が震え、その小さな身体はグレンの抱擁を求め、縋り付く。
グレンは騎士ではなく、彼女を守る男としてそれを受け入れた。
咄嗟に我に帰ったマリエルがぱっとグレンから離れる。
「すっすみません……私ったら……また暴走してしまって……」
「構わないさ」
「でも……私みたいな子供がグレン様に迷惑をかけてはいけないです……」
「迷惑などかけられた覚えは無い。お前はもっと自分に自信を持つべきだ」
「はい……ありがとう……ございます」
「それに俺も男だ。お前に慕われて悪い気などするものか」
「えっ……」
マリエルは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「どうした?」
「いえ……なんでもないです」
「そうか」
「はい……」
「────しばらく寂しい思いをさせるが……元気に待っていてくれ。埋め合わせはする」
「グレン様……はい……待ってます……」
夜空には輝く月。その光はブーケのように白く白く、闇を照らしていた。
***
旅立ちの朝は晴れていた。
薄い雲が刷毛で掃いたように空を覆い、山肌が朝日に照らされて淡く輝いている。村人たちが集まる広場には名残惜しそうな空気が漂っていた。
「グレン様……これをお持ちください」
マリエルが差し出したのは革袋に入った干し肉と保存食。指先はわずかに震えていたが、目は必死に笑顔を作っている。
「マリエル────ありがとう」
「い……いいえ……! ちゃんと食べてくださいね! ……すご、…ぅっ、ごく美味しく出来たんです、から……」
声が途中で詰まる。言葉を紡ごうとする度に喉が震えているのが見てとれた。
「……大丈夫だ」
グレンはマリエルの頭を軽く撫でる。
「土産話を沢山持って帰ってくる────そして二人で沢山話そう」
「約束ですよ?」
「ああ」
マリエルが無理に作った笑顔を浮かべると同時だった。グレンの手が彼女の頬に添えられる。
「え……?」
少女の額に優しい温もりが宿る。
「ふぇ……!?」
驚きで目を見開くマリエル。
村人たちも息を呑む。
バーグルは顔を目を丸くしながら口笛を鳴らした。
「これはこれは、縁起の良いものを見たな」
と長は深い皺の掘られた口元を緩め、穏やかに笑う。
「誓いの印だ」
グレンは平然と答える。
「────必ず戻る」
マリエルの頬が耳まで紅潮する。その瞬間、必死に隠していた涙が一筋こぼれた。
涙を拭う彼女の猫耳をそっと撫でるグレン。
「行ってくる。留守は任せたぞ」
「はい……!」
少女が力強く頷くと同時、グレンは背を向け、純白の外套を翻し歩き出す。
彼の足が砂利を踏むたびに村人たちの声援が湧き上がった。
「グレン様! どうかご無事で!」
「頑張れよ!」
一人ひとりの激励を受けながら山裾へ続く坂道へと進む。やがて道が曲がりくねり、村が見えなくなる寸前──
「グレン様ー!!」
少女の声が風を切って届く。振り返ると丘の上から全力で手を振っている姿があった。その必死な仕草に胸が熱くなる。
「……待っていてくれ」
小さく呟いて再び前を向く。
新たな戦いへと足を進める皇竜騎士の背には確かな決意が刻まれていた。