少女へと鞘先が迫った瞬間、彼女の眼前に純白の帳が舞い降りる。
パキ、キン……!
まるで金属のそれとは思えないほどの軽い音色を響かせ、兵士の持つ刀剣と鎖が同時に断ち切られた。
眼前にしゃがみこむ一人の男、その双眸から魂を丸ごと射抜かれるかのような眼光が放たれる。
「あ……?が……」
まるで竜に睨まれているかの如き圧を受け、愚者の精神は自ら暗転を試みる────が、騎士はそれを許さない。
膝から崩れ落ちようとする体が、顎に真下から叩き込まれた鞘での凶暴なまでの突き上げにより強制的に戻され、空に浮く。
そしてその側頭部に、遠心力を伴い、水平方向に振り抜かれた柄頭がめり込んだ。
死んではいない、ただそれだけの強烈な「二撃」を喰らい、兵士は遥か先まで吹き飛び、積まれていた木箱の山に突っ込んだ後、完全に沈黙した。
「────釣りは要らん、とっておけ」
そう言い放つと、グレンは伏したままの弱々しい身体に向き直る。
少女のそれが致命傷の類ではないことを確認すると、背中と膝裏に手を差し入れ、そっと抱き上げる。
「────助けることを一瞬迷った……許せ」
騎士はそれだけを口にして走り出す。
少女の意識は未だ靄の中ではあったが、獣人の感覚が、高潔なる温もりに今抱かれていることを告げる。
悲しみを一粒で洗い流すように、安堵の涙がポロリと零れ、それは騎士の外套に優しく吸い込まれていった。
***
日が落ち始めた頃、グレンは雑多に並んだ建物の屋上に身を潜めていた。隣には保護した少女を寝かせ、身体に外套を掛けている。
少女の傷は、衝撃こそ強かったものの、切創としては比較的浅く、手当ては既に済ませてある。
グレンはまだ眠っている少女をチラリと見た後、瞑目し、今日の出来事に考えを巡らせる。
────潜入して早々に動きづらくなってしまった。
通行人は居なかったが、兵士が俺の姿を覚えているかもしれん……意識が戻っていればの話だが。
軍の動きについての情報はまだ得ていないが、入門審査の時のやり取りを鑑みるに、村への侵攻そのものの話が出回っていないのかもしれない。
何も得られずにただ一方的に叩きのめされ、敗走など軍の名折れ、などといった理由があるのかもしれんが……こちらの方は期待薄か。
一度酒場等でも話を聞きたいところではあるが────あまりこの娘を一人にするのもよろしくないな────どうする……?
叢雲を見つめ、グレンは一人の少女の顔を思い浮かべる。
────マリエル、俺の行動は間違っていなかったか。お前に胸を張れるものであっただろうか。
目を細めるグレン、それは西日の差し込みのせいか、あるいは別の理由であったのか────
***
それから更に時間が経ち、宵闇が二人を包んでいく。そして、眠っていた少女の意識が浮上した。
「ん……う……」
瞼がゆっくりと開き、少女は少し首を振った。
側頭部に感じる違和感によって覚醒は加速する。
「あ、ここは……?」
横たえていた身体を起こし、辺りを確認しようとして、彼女は自分を覆っていた大きな外套と、その持ち主である騎士の姿を認めた。
「あっ、騎士様!助けていただきありがとうございます……!」
先程まで人間の兵士に手痛い目に遭わされていたとは思えない反応に少し面食らうグレン。
もしや人間だと気づいていないのか?と思わず己の頭の上を触るグレン。
────やはりケモノ耳は生えていない。
少女はその動きを見て不思議そうに目を丸くする。
「礼はいらん。傷は痛まないか」
別に不機嫌な訳ではない、普段のグレンの問いかけ。初見だとともすれば性格を疑われうるものではあるが、少女は全く気にしていない。
「大丈夫です!手当までしていただき……!」
深々と頭を下げようとする少女を止めるようにグレンは口を開く。
「ならいい。腹も減っているだろう────食え」
と買っておいたパンと水、それにマリエルから受け取った大事な干し肉を少し分け与える。
「……ラビと申します。……ありがとうございます、騎士様。」
ラビと名乗った少女。────彼女は特に臆病な兎獣人故の本能で、グレンの本質に既に気づいていた。
「グレンだ。周囲の警戒はしておく。食べ終わったらゆっくりと眠れ────ラビ」
おもむろに叢雲の手入れを始めるグレン。
空には星々が姿を見せ始め、夜の彩りがこの濁った街の景色を少しだけ明るいものに変えていく。
グレンの潜入初日は、一人の獣人少女に安らかな眠りを与えることで、その終わりを告げようとしていた。
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