グレンがヴァイスの魔装を感じ取り帰還したのは、午後に差し掛かった頃のことであった。
晴れ晴れとしていた空は薄黒い雲が伸び、地に降り注ぐ日差しが遮られたことで辺りは気温が下がり始めていた。
「雲行きが怪しくなってきたな」
空模様を見やり、グレンがポツリと呟く。
屋上には遮蔽物が無く、雨が降り出した場合、三人とも濡れ鼠になるのは必定だった。
かといって、屋根のある屋内かつ、人目の無いところという都合のいい場所も思いつかない。
「ヴァイス、人目を避けつつ今晩寝泊まりできる場所は無いか。」
グレンがヴァイスに尋ねると
「あるぜ、俺の寝床だ」
と返すヴァイス。グレンは簡潔に
「そうか、案内を頼む」
とだけ伝えた。ヴァイスはラビに近寄り、その目の前で己の黒い外套を脱いだ。キョトンとしているラビに
「よし、お引越しだ、ラビちゃん。目立たないようにしばらく我慢してくれな」
と言うと、その小柄な身体を外套でくるみ、頭の耳が隠れるようにスポリと被せた。
「わぁ……」
驚いたというより、蕩けたような声が外套の中から聞こえてくる。
「行くぞ」
「あいよ」
ヴァイスが先に地を蹴り、グレンがすぐその後に続く。屋上から別の屋根へ、時には壁と壁とを蹴りながらの、縦と横の複合高速移動。
しかし二人の鍛え抜かれた身体は微塵も危うさを感じさせない。
外套により周りの景色が分からないラビは、ヴァイスの巧みな重心移動により、自分が今どれほど恐ろしい移動方法を取っているのかを知ることもなく、ただ外套とヴァイスの温もりに酔いしれていた。
「ここだ、ようこそマイホームへ」
最後に二人が着地したのは、居住区の民家が並ぶ場所、そこから少し距離を置き、ポツンと建っていた教会らしき建物の裏地だった。
門柱は砕け、柱には蔦が這っており、ステンドグラスは至るところが割れ、穴が空いていた。
「無人の教会か」
「多分な────まあ、ホントに教会として使ってたのか怪しいトコだけどな」
────?
訝しがるグレンを尻目に
「まあとりあえず中に入ろうぜ────実際に見た方が分かりやすい」
と促すヴァイス。「ラビちゃんも窮屈だろうしな」と付け加えながら歩いていく姿にグレンも続く。
果たして、中の様相は────一見普通の教会だった。
────荒れ果て、明らかに人の手が入っていない、という点を除けばだが。
「────教会だな」
ただ見たままを話すグレンだが、ヴァイスはチッチッ、と笑い
「ほら、見ろよ」
ヴァイスが首で指し示した場所。中央奥の祭壇────それが横にずれ、地下へと続く階段が見えていた。
「これは……」
「地下道へと続く階段ってやつだな。そのまま歩き続けると街の外だぜ。ちなみに、俺が転移してきたのがこの地下道の途中だ」
「なるほどな」
────外へと続く隠し階段。何かの逃走、もしくは搬入経路と言ったところか。詳細は分からんが、この世界の歪みを考えると推して知るべし……ヴァイスの洞察も当たらずとも遠からずだな。
「少し早いが、ここまでにしておく────欲しい情報は粗方得られた。お前と共有しておきたい話もあるしな」
「オッケー、じゃあ行くぜ」
二人は地下道へと足を進めた。
***
地下道の中程、ヴァイスが転移し、今までの仮の寝床として使っていた空間に辿り着いた後、グレンは暫し仮眠を取った。前日、一睡もせずに夜の番を務めた身体に束の間の休息が訪れる。
────余談だが、ヴァイスがお包み状態のラビを降ろし、外套をはぐると……ラビは余りの心地良さに、安らぎを通り越して熟睡していた。口端から幸せそうに垂れる涎。
グレンは顔を向けたまま自分の寝床に座り込み、ヴァイスは無言でスッ……と外套を包み直した。
***
階段から届いていた光が止み、床に置かれたランタンに火が灯る頃にはラビも意識が浮上していた。湯気立つスープを前に少女は遠慮がちに匙を握る。
「本当に美味しいです……こんなに温かいものを食べたのは久しぶりで……」
「良かったな」
グレンは一言だけ言うと、淡々とスープを啜る。
「お前……ラビちゃんとの温度差よ」
ヴァイスが苦笑しながら鍋を混ぜる。
「ラビちゃんの為に沢山作ったからな、しっかり食ってくれよ」
「は、はい……!」
ラビの頬が朱に染まる。ヴァイスの屈託のない笑顔に心惹かれているのが傍目にも明らかだった。
グレンは内心苦笑する。しかし少女の瞳に宿る純粋な好意を否定するつもりはない。
「ところでグレン」
ヴァイスが声を低めた。
「さっき言ってた『共有しておきたいこと』って何だ?」
「ああ、それは────」
グレンはまず、言語理解から来る己の推測を伝えた。それに伴うかもしれない恩恵のことも。
「なるほどな────俺もおかしいとは思ってたが……そうなると、戦士型の亜人を多く迎えたいところだな」
「俺の推測が正しければ、の話だがな。まあ、どちらにせよ男手は必要だ。村を存続させるにはな」
グレンは匙を置き、続ける。
「それと、情報収集の方だが……件の軍勢はこの土地で勢力を持つ『ドライバリア』という国の軍らしい。この街もそのお膝元だ。」
「ふむ、で?」
「俺が叩きのめしたヤツらは、英雄と称えられる男が率いる精鋭の集まりだったようでな……『強大な他国との激戦で互いに疲弊激しく、暫し休養を要する事態』というものにすり変わっていた」
「プッ。実際の所は一人の男に全員ボコボコにされてしばらく動けません!ってやつか」
「端的に言うとそうだ。村へ再度攻めてくる、というのは少なくともかなり先の話にはなるな────だから今の内に、先程の俺の仮説の真偽を確かめる必要がある。」
一旦言葉を区切り、同意を得るようにヴァイスを見る。
「明日、朝一番で村へ帰還する。夜明けと共に出発するぞ」
「オッケー、いよいよこの地下道ともお別れだな!」
「あ、あの……」
ラビがおずおずと手を挙げる。
「なんだ、ラビ」
「私も……その村へ迎えて頂けるのでしょうか……その、私……帰る場所が無くて……」
「…………」
「…………」
二人して唖然とする騎士。息ピッタリである。
「今更何言ってんのラビちゃん!そんなの当たり前だろ、嫌だって言っても俺が離さないからな!」
「分かっているものと思っていた。話を省いて済まなかったな」
「……はい……はい……!ありがとうございます……!」
ラビの返事に活力が満ちる。ヴァイスはその様子を満足げに眺めながらラビの皿にスープをつぎ足す。
地下で過ごす夜────月の光は入らず、焚き火の爆ぜる音だけが空間を彩る。
しかし、少女にとっての『月』は確かに、今彼女を包み込み、輝いていた。