────ん……ここは……。
沈んでいた意識が浮上し、重い瞼が徐々に開かれていく。
ぼやけた視界に最初に入ってきたのは、差し込む陽の光と混ざり合い、柔らかな橙色となった見慣れない天井だった。
どうやらテントの中らしく、粗削りな樹皮と蔓で編まれた三角屋根で、木材の骨組みを囲うように丈夫な布で覆われている。
(……俺は……)
意識がはっきりしてくると同時に、全身を鉛のような倦怠感が襲ってきた。
肩から脇腹にかけて鈍い疼きが走る。
腕一本動かすのにもかなりの時間を要した。
「あっ!目が覚めたんですね!よかったぁ……!!」
安堵に満ちた声色を響かせながら、栗毛の塊がグレンの顔を覗き込んできた。
それはマリエルだった。
大きなフサフサ耳をピンと立て、しっぽをゆらゆらとさせながら枕元に座り込む。
両手にはまだ使用中の包帯と塗り薬が握られている。
「丁度今お怪我の治療をしてたんです、続けてお薬塗っていきますね。気をつけますけど……少し痛むかもしれません」
彼女の表情は晴れやかだ。
目元がわずかに赤く腫れていることにグレンは気づいた。
長い時間看病のために寝ていないのか────あるいは涙を流してくれたのだろうか?
「……どれくらい寝ていた?」
喉がカラカラに乾き、発した声は自分でも驚くほど掠れていた。
「ちょうど丸一日です。心配しましたけど、無事に目が覚めたようで安心しました」
マリエルはにこりと微笑みながら答えた。
次いで陶器製のコップに水を注ぎ、グレンの頭を持ち上げ、彼女の膝にそっと乗せた。
水を入れたコップを慎重に彼の口元へ運ぶ。
「飲めますか?」
彼女が尋ねると、グレンは僅かに頷き、水を少しずつ飲み込んだ。
失った血液の代わりに染み込んでいるのかと思うほどに、グレンの全身は生き返る感覚で満ち溢れた。
「ありがとう……お前は……?」
「マリエルです。最初に名乗りましたよね」
可愛らしくぷぅっと頬を膨らませるがすぐにへにゃりと笑顔に戻る。
「それにしても本当に良かったです。昨日はあなた、ずっと高熱で魘されてたんですよ」
言われればまだ少し身体が火照っているな、と思いながらふと、彼は自分を包む感触に気付いた。
泥と血まみれだった戦闘服の代わりに、粗い織物の衣服が着せられている。
露出した肌の部分を見ると、傷には清潔な包帯が丁寧に巻かれ、出血は完全に止まっていた。
「────世話をかけたようだな……」
礼を述べようと身を起こしかけたその時、テントの出入り口の布がそっとめくれ上がり、数人の獣人たちが姿を現した。
みな息を潜めるようにして佇んでいる。
狼族とでもいうのだろうか、年老いた長老らしい男性を中心に、小さな鹿の角が生えた女性や剛健な山羊角の青年などが距離を保ちつつグレンを覗き込んでいた。
彼らの視線には少しの警戒心、そして戸惑いや好奇心といった感情が見て取れた。
今のグレンには分からぬ事だが、長年迫害され続けてきた獣人にとって人間とはそのほとんどが自分たちを害する敵であり、助け合うなどあり得ない。
しかし、獣人族の鋭敏な嗅覚がグレンの他とは違う魂の匂いを感じ取り、彼に対する接し方を測りかねていたのだ。
「目覚めたか」
狼族らしき長老が低く落ち着いた声で言った。灰色の毛並みが逆光の中で浮かび、威厳を浮かび上がらせている。
「マリエルが連れて来た時には本当に驚いたものだ。まさか人間を匿うことになるとはな」
「でも長老!」
マリエルが割って入る。
「この方はすごく優しい眼をしておられます!本当に悪い人ならこんなことありません!」
────眼……?
グレンはその言葉に微かに眉をひそめた。
「そうだな」
長老は目を閉じて唸るように語った。
「私も最初は拒んだ。しかしマリエルの言う通り……この男の魂は確かに澄んでいる。我らの知る人間族とは確かに違う何かを持っている」
────やはり自分は異世界からやってきた異分子なのだ。
僅かに浮かぶ不安。だが、それとは別に安堵に似た感情もあった。
それは彼らが人間だからと言って一方的に排除しようとせず、まず話し合いから歩み寄ろうとしてくれていることに起因するものなのだろう。
「信じてくださるのか?」
「今、完全にという訳にはいかん」
長老は率直な気持ちを述べた。
「だが善意は善意で返すべきだというのが我らの信条だ。まずは傷を治せ。話はその後でも遅くはない」
長老の話がひと段落すると、他の獣人たちが続々とテント内に入ってきて食事を準備し始めた。
木製の平皿に干し肉や根菜の煮込みが盛られ、清涼な香りの薬草粥も添えられる。
マリエルが嬉しそうに椀を取り、グレンに差し出してきた。
「栄養をたっぷりとって、早く元気になりましょうね!」
椀の中の素朴で温かみのある料理を見つめるとじわじわと食欲が湧いてきた。
一口啜ると、山の恵みから来る出汁の旨みが傷付いた五臓六腑に沁み渡った。
「────美味い……」
本音が口をついて出るとマリエルの耳がピクリと動く。
「ほんとですか?よかった!あの、あの!それ、私が作ったんです……えへへ……」
和気藹々としたやりとりをしているうちに、テントの周りに集まった獣人達の雰囲気もどんどんと柔らかいものになっていった。
視線は感じるが、決して嫌な感情のものではない。
これまでの戦いの日々であまり経験することのなかった感覚に戸惑いながらもグレンは匙を進め続けた。
その隣では、琥珀色の瞳の少女がふわふわと笑い、グレンの横顔を見つめ続けていた。