夜もすっかり更け、小さな灯りが一つだけ備え付けられたテントの中で、グレンは仰向けに床に着き、一週間ぶりに見る天井に懐かしさを覚えつつ微睡んでいた。
薄いシーツが彼の逞しい体にかかっている。この一週間、短くは無い距離を歩き、睡眠もそこそこに活動を続けた疲労が彼を深い眠りへと誘いかけているはずだった。
しかし────
────やはり気になるな……
グレンの鋭敏な感覚は、背後で繰り広げられている妙な気配を見逃せなかった。マリエルがテントに入ってきた時から感じていた彼女の視線────
それは単なる見守りではなく、明らかに何かを伝えようとして躊躇している類のものだった。少女は自分の床に入ることなく、シーツの縁に座り込んでいる。
────何だ? 何か言いたいことがあるのか……
ひとまず眠ったフリをしてみるが、実際は全神経を研ぎ澄ませている。魔装騎士にとって睡眠は消耗した肉体を回復させる貴重な時間。
だが相手がマリエルとなると話は別である。
マリエルは自分の指先を見つめていた。一週間前に晒してしまった痴態────自らの指先で疼きを鎮めようとしたあの晩が脳裏をよぎる。恥ずかしさで顔から湯気が出そうになる。それなのに……
彼の姿を見るだけで胸がキュウっと締め付けられる。今もあの時の温もりが残っているような気さえする。
指で触れてくれた時の電流のような感覚。頭が溶けてしまうような甘やかな触れ合い。
「んぅ……」
思わず漏れた吐息に自分で驚いて口を覆う。グレン様は疲れて眠ってしまっているのだろうか……?端正な横顔から一時も目が離れない。
────ダメダメ! 変な女って思われちゃう……でもっ!
マリエルは意を決して寝巻きの裾を握りしめた。ほんの少し近づく。しかし勇気が続かず距離が戻る。これを何度繰り返したことか。
ふと気づけばテントの布一枚隔てた向こうで虫の音が聞こえる。夏の湿った土の匂い。グレンの息遣いが感じられるほどの距離なのに、手を伸ばすことができない。
────私ったら……こんな時なのにエッチなことばかり考えて……
羞恥心で瞳が潤む。それでも欲望は止まらない。太ももを擦り合わせた拍子に甘い刺激が走る。一週間もの間募らせた恋情と劣情はとうとう理性の枠を超えていた。
「グレン……さま」
蚊の鳴くような声で囁く。返事は無い────それでも良かった。少なくとも拒絶されてはいない。
(そうだ! 口実があれば!)
マリエルは閃いたようにパッと目を開ける。そしてグレンの眠るシーツの端へ手を置き、肩口へゆっくりと手を乗せてユサユサと揺する。手のひらを通してグレンの体温が伝わる。
その温もりに、少女は己の高鳴りが聞こえてくるような錯覚に陥る。
「……怖い夢を見て……起きていただけませんか?」
咄嗟についた嘘だが心臓が痛いくらい脈打つ。頬にじわりと汗が滲む。でも、ここまで来たらもう引けなかった。
────お願い……気づいて……
数秒の静寂。
「……ん?」
突然グレンが瞑目を解き、視線が交錯した。翡翠色の瞳が灯りを反射して淡く光る。少女の心臓が凍りつく。
「まだ寝ていなかったのか」
「はっ……はい!」
「どうした? 不安でもあるのか?」
「あのっ……そのっ……」
マリエルは再び縮こまる。だが今度こそ逃げられない。グレンの真剣な視線に射抜かれ、あわあわと口を動かすマリエル。
「大丈夫か? ……怖い夢とはどんなものだ?」
優しい問いかけ。マリエルの胸の中で何かが決壊した。
「……怖い夢じゃ……ありません! 本当はっ……」
そこで言葉を飲み込む。本当はあなたの帰りを待ちながら一人で慰めていたんです。そんな台詞口が裂けても言えない。
代わりに彼女は腕を伸ばし、グレンの胸元へと両手を置くと自らの顔を埋めるように近づけた。彼の優しい匂いが鼻腔をくすぐり多幸感が押し寄せる。彼の体温を感じるだけで思考が霞み始める。
「グレン様……私もう……我慢できません……!」
自分でも驚くほど大胆な発言だった。マリエル自身も戸惑いを隠せないまま顔を伏せる。
一方のグレンも困惑していた。
────これは……やはりそういう意味か。
ただ純粋に自分を想い、待ち続けていてくれたのだろう。
その真っ直ぐさゆえに欲望に抗えなくなる姿は痛々しいほど儚げだった。
「マリエル……」
静かに名を呼ぶ。少女が恐る恐る顔を上げた瞬間
────グレンは指先でその頬を撫でた。
「……待たせたな」
低く穏やかな声。そして掌がゆっくりと滑り落ち肩口へと添えられる。少女の呼吸が荒くなる。
「えっ……」
「我慢できないのだろう?」
今度ははっきりと口にされた核心。マリエルの顔から火が出るようだった。
「ひゃぁ……ああ……グレン様っ……」
声にならない声と共に彼女の体がグレンへと傾く。長い栗色の髪がベールのように帳を作り上げた。
テント内は窓からの星明かりとランプの淡い光に包まれている。外からは微かに虫の音が響くだけで外界の騒めきは一切遮断されていた。
二人の間に存在するのは互いの体温と吐息だけ。
その夜マリエルは初めて知る悦びに溺れることになる。
そしてグレンもまた自身の中で燻っていた気持ちの正体を確信することになった。