その日は強い風の吹きすさぶ、曇天の空模様だった。
先日までの穏やかな天気から一転、細い木々はなぎ倒され、柔らかな葉はちぎれ飛び、テントに打ち付ける枝が村人の心中に焦燥をもたらすような一日だった。
「マリエル、これで全てテント内に移動完了だ」
「ありがとうございます、グレン様」
「ああ、風が強い。マリエル、お前も早く中に退避しろ」
「はい」
普段テントの横に設置してある、薬師のマリエル用の薬棚と調合台、それに選別中の材料を入れた複数の籠が強風で飛んでしまわないよう、グレンは急ぎそれらをテント内に移動させていた。
マリエルがテント内に入ったのを確認して、グレンが後に続こうとしたその時─
ゴウッ──
────!?
グレンの周囲に強風とは別の奔流が現れ、光が舞った。
(これは……!あの時の転移と同じ…!)
舞い散る光はやがて束となり、グレンに絡みつくように巡る。異変を察したマリエルがテントから顔を出したその瞬間、
カッ──!
光が弾け、グレンの姿を完全に覆い隠す。
「グ、グレン様……?」
眩い光に目をつぶり、再び開いた時──
グレンの姿はまるで初めからいなかったかのように掻き消え、後には光の残滓が星屑のように儚く舞っていた。
***
「──でさあ、その時グレンのやつ、『お前、ちゃんと覚えてたのか』とか言いやがんだぜ!?失礼しちゃうと思わねえ?」
「ふふふ、グレン様らしいですね!」
「ったく……」
ヴァイスは、自身の寝泊まりするテントの中で、恋仲になったラビと他愛もない雑談に花を咲かせていた。話も盛り上がり、外の強風の音も気にならないような穏やかなムード、そこに
「ヴァイス様!ヴァイス様ぁ!!」
栗毛の柔らかな猫耳を悲しげに伏せ、大粒の涙を蓄えながら、マリエルが飛び込んできた。
「!どうした、マリエルちゃん!?」
少女の尋常ならざる雰囲気に、瞬時に魔装騎士の性格が顔を出す。
「グレン様が!……っ、グレン様が!」
「ラビちゃん、ここにいろ!」
ヴァイスは外へ駆け出した。
「グレン!」
ヴァイスはマリエルとグレンが暮らすテントにやってきた。普段彼らが穏やかに選別作業を行っている場所には誰もいなかった。代わりに違和感を放つ光の残滓が視界に入る。
「これは……!」
ヴァイスはグレンの身に何が起こったのか悟る。しかし悟ったところで解決法は無い、グレンの居場所を知る術はなにもなかった。曇天の虚空を見上げ、ヴァイスは戦友の姿を脳裏に思い浮かべる。
「グレン……」
呟いた声は風にかき消され、虚しく消えていった。
***
─シュオッ!
「くっ!」
突如空間に光のゲートが現れ、1人の男が姿を現す。異界の騎士、グレンだ。
地面に降り立ち、辺りを見回すと、見たことのない景色だった。
────街道か……しかし見たことの無い風景だ。
空を見ると、先程まで吹き荒れていた風は無く、空には日が差し、木々では鳥がさえずり合唱をしていた。
────さっきの光……あの時のように転移したのは間違いないが、規模は根源の地でのものより格段に小さかった。天気も変わっているところから推測すると、ここは村から離れたイルミナのどこかというところか…
グレンは何か手がかりを探るべく道なりに進み始めた。
警戒時の癖で腰に手をやるが、そこに愛刀の姿は無い。
……叢雲も置いてきたか……
グレンは心の中で舌打ちし、歩を進める。
歩き初めて一刻ほど経っただろうか、以前何の手がかりも得られないままであったが、グレンは周囲を探りながらの前進を止めなかった。
帰らなければならない場所が、守らなければならない存在が今のグレンにはある。その想いが彼の足を止めることを許さなかった。
内心の焦りを抑え、進み続ける騎士。そこに一つの物音が響いてきた。
────これは……足音か…走っているな、こちらへ向かってくる。数は1人、響き方からして小柄な者のようだが
グレンは足音の聞こえる方向を見つめる。
その方向から来たのは1人の少女だった。
少女は森の中から出てきたようで、森の中に続く道の方向から転がるように道沿いのグレンの方向へやってきた。
少女がグレンの姿を認めると警戒するように立ち止まり、木々を盾にした。
「……」
グレンは無言で見つめる。
「……」
少女も無言で見つめ返す。
少女は年のころ十代後半と言ったところか。
身長はかなり小柄で百五十センチを切る程度。
端正な顔立ちと、薄緑色の美しい髪を持ち、服装はシンプルだが旅装束として十分整ったものを着用していた。
一見旅行中の少女と言った風貌だが、一つだけ見慣れない点があった。以前マリエルに教わった、この世界の亜人の外見について思い出す。
────人間族ではないな。あの長い耳……確か、エルフという種族だったか。
ふとグレンは自身の姿を確認する。着用しているのは元の世界での魔装騎士の正装、魔装束。このイルミナではあまりに奇抜な姿だ。そして腰には剣を携えていない。この世界で見慣れない格好の上、剣を所持していないとなれば無害だと思い信頼してくれる可能性も低くはないが────
「……」
グレンは様子を見る。
「……」
依然無言で見つめ合う。
……仕方ない。
埒が開かないと判断しグレンから話しかける。
「……俺は旅の者だ。道に迷ってしまったようだ。危険は無いと思うが」
少女はその言葉に反応を示す。
「……あなたは一体……」
か細い声で話し始める。少女は少し距離を保ったまま木の幹に身を隠していた。
「名前はグレン。旅をしている者だ」
「……旅人?」
少女の口調からは未だ警戒の色が拭えない。
────無理もないな。人間以外の種族が危険視され虐げられる世界で旅をすれば、常に誰かに狙われる可能性と隣り合わせだ。
グレンは無害であることを証明すべくもう一歩踏み出して自己紹介を続けようとする。
「ああ、俺は────」
「だめです!あなたは人間でしょう?近づかないでください!」
少女はさらに距離を取り背後にある森の方へ下がっていく。
イルミナにおいて人間に見つかればどのような扱いを受けるか分からない。彼女の反応は当然のものだった。
どうする……?
警戒を解かせる方法をグレンが考えていると、
背後から新たに別の足音が聞こえてきた。