グレンの体調を慮り、獣人達はテントから去っていった。
横にはマリエルが付き添って、甲斐甲斐しく水で濡らした柔らかい布と、乾いたそれを交換してくれている。
────そういえば……
グレンはふと、あの戦いの最後、膝が崩れ落ちるまでムラクモを握りしめていた右手を見やった。
────転移の際に向こうに置いてきたか……それとも俺が転移してきた場所にまだあるのか……
性質を鑑みると、見知らぬ者に触れられるのは考えものだが……
まだろくに体の動かぬ今は、それを確かめる術はない、相棒の姿が無い現状に一抹の寂しさを感じていると、
「あっ、そう言えば!」
ふいにマリエルが手をパン、と叩き、テントの隅まで歩いていった。そこにはグレンの戦闘服と外套が畳まれて置いてあるようだ。
グレンは突然のマリエルの行動を不思議に思いながらその後ろ姿を見つめていた。すると
「あの、これ……少し離れた場所に落ちていたんですけど、あなた様の物ですよね?」
と件の相棒、鞘に収納された叢雲を持ってやって来た。
「これは……!」
マリエルが持つ叢雲に思わず目を見張る。
叢雲の別名────「鏡面刀」
触れた者の魂を写し出し、またそれに応じた力を刀身に宿し、放出する剣。
高潔、善良な者ほど切れ味や頑強さが増すが、邪気や悪意を帯びた者が触れるとその刀身は黒く染まり、ただの鈍なまくらと化す。
そしてマリエルが持ってきたそれは、鞘に入った状態でも分かるほどに清廉な気が満ち溢れていた。
「あの、あなた様がお眠りになられている時にお手入れさせて頂いたんです、少し汚れてましたので……錆びないように油も塗っておきましたけど、素人仕事なので後で確認してくださいね」
あの苛烈な戦いの後だ。「少し」所ではなかったはずだが、グレンは言及せず改めて叢雲を注視する。
────今まではグレンの魂で力強い波動を放っていた剣が、今はそれに加えて何か包み込むような、例えればマリエルの笑顔そのものと言った温かみを内包した物になっていた。
「……何故俺の剣だと?」
グレンが問いかけるとマリエルは少し恥ずかしそうに笑った。
「なんだか不思議な重みがあって……大切なものだとすぐにわかりました」
柔らかな笑みを浮かべ、マリエルの顔は僅かに赤くなっている。
そしておずおずと両膝を折りグレンの側まで寄ってくるとそっとその細身の剣を差し出した。
「………まだよく知らぬ厄介者に剣を返してもいいのか?」
叢雲の善なる変化を感じた時点で、マリエルの純粋さと、打算の無い善意から来た行動であることは分かっていたが、グレンは聞き返さずにいられなかった。
見知らぬ世界への転移直後である故、まだここがどういった常識の世界なのか大してわからない。
しかし先程の長老とのやり取りから、この世界での人間と獣人、あるいはその他の種族もいるのだろうか、ともかく、そこの穏やかではない関係はそれとなく感じていた。
────『はい、いいんです。』
マリエルはまたふわりと微笑み、その一言だけを返す。何も説明は無い。
しかしその簡潔な答えに、全ての説明が詰まっているようにグレンは感じた。
グレンは無言で剣を受け取り、少しだけ鞘を抜く。現れた刀身に見た目の変化は無かった。
しかし、余程丹念に手入れをしてくれたのだろう、鏡面刀に本人が知らず込めたマリエルの気持ちが、どこまでも柔らかな波動となって流れ込んできた。
「……感謝する。恩を仇で返すことは決してしないと、この剣にかけて誓う」
グレンは刀身を収め、受け取った愛剣を強く握りしめた。
「ふふ、わかってます。でもまずはお身体を万全にしなきゃですからね?」
グレンの真摯な態度に笑顔で返したマリエルは冗談交じりに返しながら立ち上がる。
「ああ、わかっている。……俺はグレンだ。名乗るのが遅くなってすまない」
グレンは改めて自己紹介をした。
「グレン……様、素敵なお名前ですね。私はマリエルです。改めてよろしくお願いします」
「ああ」
会話が終わり、また看病の続きをし始めたマリエルを見つめ、グレンの口元が微かに緩む。
テントの入口からは穏やかで暖かい風が入り込み、二人を撫でるように流れ始めていた。