数刻前、アルダイン国国境付近の森の中にひっそり佇む小屋。その中に二人の人影があった。
二人とも可憐な少女だが────一人は金髪碧眼の人間族、一人はエルフのリリアーヌという、この世界では異色の組み合わせで、縄で縛られ地面に転がされていた。
「シャル様……私、怖いです……」
「大丈夫よ、リリアーヌ。私がいるでしょう?」
侍女である前に一人の友であるエルフの少女を励ます彼女────王女シャルロットの身体も、微かに震えていた。
アルダインの卑劣な罠により捕らえられた二人が監禁されているボロ小屋。その外には一人の兵士が見張りをしながら酒を飲んでいた。
シャルロットは必死に何かないか辺りを見回す。
────あれは……!
ボロボロになった床板の一部が踏み抜かれたのか鋭く欠け、立ち上がっていた。
シャルロットはなりふり構わず、芋虫のように必死に這いずり、その床板に腕を縛る縄を押し付け、断ち切ろうと動かし始めた。
彼女の額に脂汗が浮かぶ、鋭い木片に強く押し付けられる手のひらも裂け、鮮血も流れ始めていた。
「シャル様……!お手が……!」
「平気よリリアーヌ。少しかすった程度よ」
涙を浮かべるリリアーヌに、シャルロットはニコリと笑いかける。
シャルロットの動きは弱まらず、ついに縄を切ることに成功した。
「やった……!」
シャルロットは急いで足の縄を解き、次いでリリアーヌの拘束も次々と解いていった。
「うっ………」
シャルロットの顔に苦悶の色が浮かぶ。既にその手のひらは血まみれになっていた。
「ああ…シャル様……!」
リリアーヌは眉を下げ悲痛な面持ちになり、包帯代わりとして己のスカートを裂き始めた────
しかしシャルロットはその動きを制する。
「ふぅ……ふぅ……リリアーヌ、大丈夫。それより聞きなさい」
痛みに耐え、息を整えながらシャルロットは小屋の壁に空いた穴から兵士を確認する。
「今外には一人しかいないわ、私が音を立てて見張りを中におびき寄せるから、あなたはドアの横に隠れて。見張りが中に入ったら二人ですぐに出て扉を閉めるのよ」
シャルロットがリリアーヌに説明する。
「怖いです…!」
ポロポロと涙を零すリリアーヌ。
「私を信じて、必ず成功させるわ」
シャルロットはリリアーヌを安心させるように、その手を自らの傷ついた両手で包み込む。
「さあ、やるわよ。リリアーヌ、気をしっかり持って!」
「は、はい!」
シャルロットが壁際にあった酒樽を力の限り倒す。
────ガシャアン!!
「あ?なんだ?」
酔っ払った見張りの兵士が中の様子を見るために扉の鍵を開ける。
「ナニやってんだてめぇ……ら?」
中に踏み入った兵士は、縛られているはずの2人の姿が眼前に無かったことで一瞬呆ける。
横に潜んでいたシャルロットは、持っていた角材を渾身の力で兵士の兜に打ち下ろした。
ゴッ!
「グワッ!!」
見張りが前のめりに倒れる。
「今よ!!」
二人で扉の外に出る。しかし倒れた兵士は既に起き上がろうとしている。
────鍵は無い、このままじゃ逃げてもすぐに扉が開いて追いつかれちゃう!どうすれば…………!
リリアーヌがその事に気づいた、その時………
────バン!
シャルロットが閉めた扉の前に立ち、背中で体重を預け、全力で扉を押さえ込み始めた。
「────さあリリアーヌ、私が時間を稼ぐわ。逃げなさい」
シャルロットは全て分かっていたのだ。
「そんな!シャル様!?」
リリアーヌの足が止まる。
「なりません!共に逃げましょう!」
リリアーヌは必死に説得するが、シャルロットは静かに首を横に振った。
「無理よ、今私が離れたら、途端に扉は開いてしまうわ。今は私の使える僅かな身体強化魔法で保っているだけ」
背後から聞くに耐えない罵声と共に、強く響いてくる衝撃に必死に耐えながら、王女は言葉を放つ。
「私のことを気にする必要は無いわ、さあ、早く匿ってもらえる場所に走るの」
「無理です!シャル様を見捨てるなんてそんな!」
リリアーヌは必死に首を振りイヤイヤを繰り返す。
「シャル様……!シャル様……!」
なおもシャルロットに縋りつこうとするリリアーヌ。
だが────
「リリアーヌ!まだ分からないの!?」
突如シャルロットの怒号が飛ぶ。
「私はね、人間なのっ!!」
今まで一度も聞いた事のない、王女の喉が張り裂けんばかりの怒鳴り声。それが今、友である少女に向かっている。
「汚らしいエルフ族のあなたなんて本当はずっと嫌いだった!!私の侍女なんて分不相応なあなたの姿を見る度に虫唾が走っていたわ!!」
「シャル様……」
リリアーヌの幼い瞳から止めどなく涙がこぼれ落ちる。
「身の程を弁えていないあなたに教えてあげる、私は主で………っ、あなたは卑しい奴隷なの」
シャルロットは言葉を一瞬詰まらせる。
「だから、卑しい身分のあなたに逆らう権利は無いわ………さあ」
シャルロットの眼に涙が伝う。
「────『命令』よ、リリアーヌ。私を置いて逃げなさい。捕まることは決して許可しません!……そして、あなたの生を幸せに生きなさい!」
「………!」
リリアーヌは走り出す。風に乗った少女の涙のきら星がシャルロットの元へ向かい、儚く消えていく。
「それでいいのよ、リリアーヌ……必ず逃げ切るのよ……さよなら、私の一番の友達……」
シャルロットは魔力の一滴すら枯れ果てるまで、扉の前に立ち続けた。