────ひとまず無事に王女を届けたが、これからどう行動するか……。どうやら国同士の衝突も起きているようだしな。
謁見の日の翌日。
用意された客間にて十分な休息を取ったグレンはソファに腰掛け、一人思案していた。とそこに、
────コンコン。
ノックの音が響く。
「グレン様、リリアーヌです。よろしいでしょうか」
控えめなリリアーヌの声。
「ああ、開いている」
「失礼します」
リリアーヌがスッ……と入室してきた。さすがは王女付き侍女、といった洗練された動きだった。
「用か、疲れも溜まっていただろう、もう大丈夫なのか」
「はい、お気遣いありがとうございます」
グレンの一見ぶっきらぼうだがその実、配慮に溢れた言動に、リリアーヌの長い耳がピクピクと動く。
「そうか、用件は?」
グレンは簡潔に返す。
「はい、グレン様にこの国の実情を知って貰いたく……案内いたしますので、まずは城下の散策でもいかがでしょうか」
「なるほど…」
グレンは少し考え込む。
有事に備えて周辺の地形も知っておく必要はある……それなら、今のリリアーヌの提案も僥倖か。
「有難く受けよう、案内頼む」
「はい」
リリアーヌの耳が今度は先程より大きく動いた。
「お待たせしました!」
「ああ」
城下町へ繰り出す約束をしたグレンは、外出用の衣装へと着替えに戻ったリリアーヌを城門の外で待っていた。そこへ息を切らしながらリリアーヌが走ってきた。
「慌てて走る必要は無い、転倒でもしたらどうする」
「ハア……ハア……はい、すみません……つい」
リリアーヌはハッと表情を変え、口を紡ぐ。
「つい、なんだ?」
グレンは怪訝な顔をする。一見不機嫌そうに見えるがそうではない、ただ相手を真っ直ぐに見ようとするこの誠実な騎士の性分だと、もうリリアーヌには分かっていた。
「いっ、いえ!本当になんでもないんです…」
リリアーヌの耳がピクピク動く、その先は僅かに赤い。
「?そうか」
マリエルとの心の触れ合いで、今まで縁の無かった領域にも確実に成長の兆しが見られる魔装騎士、しかしこの場でリリアーヌの乙女心を察するまでには至っていなかった。
「……グレン様、ご覧ください。あちらが中央広場です」
リリアーヌが指さす先には、色とりどりの花で飾られた噴水があった。水しぶきが陽光を浴びて虹を作り、その周りでは様々な種族が思い思いに時間を過ごしている。
グレンはゆっくりと歩を進めながら、街の様子を観察した。
獣人の子供が人間の老人から飴玉を受け取っている。エルフの女性がドワーフの鍛冶屋と真剣に剣の相談をしている。人魚が水槽付きの移動椅子に乗り、人間の友人と笑い合っている。
「……これが、メイリーンの日常か」
「はい!」
リリアーヌの声が弾む。
「私も最初は信じられませんでした。人間に捕まって、奴隷として売られそうになった時は……もう終わりだと思って」
彼女は少し俯き、小さな拳を握る。
「でも、シャルロット様が救ってくださいました。『あなたは奴隷じゃない、私の友達よ』って……」
噴水の縁に腰掛けながら、リリアーヌは続ける。
「この国では、種族なんて関係ないんです。誰もが笑い合い、助け合い、時には喧嘩もするけど……それでも、最後は分かり合える」
グレンは黙って耳を傾けている。
「グレン様」
リリアーヌが顔を上げ、真っ直ぐに彼を見つめる。大きな瞳に、決意の光が宿っていた。
「私、グレン様のような方に初めて出会いました。強くて、優しくて……誰にでも分け隔てなく手を差し伸べてくれる」
彼女の長い耳がピコピコと忙しなく動く。頬がほんのり朱に染まっているのは、夕陽のせいだけではないだろう。
「私……もっとグレン様のことを知りたいです。お傍で、色んなことを学びたい。いつか私も、誰かを守れるような……そんな強さを手に入れたいんです」
彼女は立ち上がり、グレンの正面に立つ。小柄な体を精一杯伸ばして、彼の顔を見上げた。
「だから……その……」
言葉に詰まりながらも、リリアーヌは勇気を振り絞る。
「これからも、お傍にいてもよろしいでしょうか……?」
夕暮れの街に、鐘の音が優しく響き渡る。
グレンは静かに目を閉じ、それから口を開いた。
「……俺は、いずれここを発つ。戻らねばならない場所がある」
リリアーヌの耳がしゅんと垂れる。
「だが」
グレンは続ける。
「今はまだ、俺の役目がここにある。お前たちを守り、この国の平穏を取り戻す。それが終わるまでは──」
彼は目を開け、リリアーヌを見下ろした。その口元が、ほんのわずかに緩む。
「お前のその願い、聞き届けよう」
「──っ!」
リリアーヌの顔がぱあっと輝く。耳が嬉しそうにピクピクと跳ね、瞳がうるうると潤み始める。
「あ、ありがとうございます……!グレン様……!」
彼女はスカートの裾をぎゅっと握りしめ、深々と頭を下げた。その仕草には、尊敬と憧憬と、そして淡い恋心が混ざり合っていた。
「さあ、戻るぞ。そろそろ夕餉の時間だ」
「はい!」
並んで歩く二人の影が、茜色の街並みに長く伸びていく。リリアーヌは時折、隣を歩く騎士の横顔をちらりと盗み見ては、幸せそうに微笑むのだった。
──グレンの胸中にも、この温かな光景を守りたいという思いが、確かに芽生え始めていた。
***
時を同じくして、メイリーンから遠く離れた地、ドライバリア国内のとある部屋。
燭台の灯りだけが周囲の石壁を照らす中、一人の男が狂気を孕んだ表情で佇んでいた。
男の名はグリオン────先の獣人村襲撃を率いた軍の指揮官である。
獣人を駆逐するために意気揚々と率いた部隊を壊滅させ、仮にも英雄と呼ばれた己の身にも消えぬ恐怖と屈辱を刻みつけた謎の人間────
その者によく似た風貌の男が遠く離れた国に滞在しているという噂を耳に入れ、今グリオンの目には復讐の炎が燃え盛っていた。
「あの妙な男さえいなければ……消してやる……獣どもめ!」
激情と共に漆黒の鎧が男を包み、炎が轟と揺らめく。邪気を帯びた靴音を残し、その姿は闇の中へと消えていった。