グレンが獣人の集落に滞在を許されてから早数週間。既にグレンは完全に集落の生活に溶け込んでいた。
昼下がり、村人の集まる広場に木の実の甘い香りが漂っていた。
グレンとマリエルは地面に敷いた筵の上で籠を分け合い、赤褐色の木の実を選り分けていた。
「こちらが薬用で、こちらが食用です。これは炎症を抑える働きが強いので、すり潰したものを捻挫や骨折の時に使うんですよ」
薬師であるマリエルは丁寧に説明しながら指差す。
「なるほど……中々興味深い。覚えておけば、今後役に立つこともあるかもしれんな」
グレンは籠の中の実をひとつ摘み上げた。太陽の光を反射してキラリと光る。
その時、広場に大柄な熊の獣人が近づいてきた。
グレンを軽々と超える身長に、筋骨隆々とした腕。
分厚い毛皮の上に金属製のアーマーパッドを装着し、眼光は鋭く、戦い慣れた猛者の雰囲気をまとっていた。
「よぉ人間。ちょいと顔貸せねぇか」
マリエルが小さく悲鳴を上げる。グレンは彼女の前に進み出て答えた。
「なんだ? 何か用事か」
「名乗り遅れたな。俺ァバーグル。この集落の守りを任されてる者だ」
熊人は喉を鳴らしながら拳を握りしめた。
「異世界のナントカ騎士さんよ、一回でいい、手合わせ願いたい」
群衆がざわめく。農作業や散策をしていた村人たちが次々と手を止め、広場の中心に集まってきた。
長老すら杖をつきながら様子を見に来る。
「わかった」
グレンは短く頷いた。
「ただ剣は使わない。素手でいいか?」
「ほぉ……随分自信がありそうだな。いいぜ。遠慮なしにかかってこいや」
バーグルはピクリと耳を動かし、楽しげに目を細めた。
マリエルが立ち上がり、グレンの袖をつかんだ。
「グレン様……大丈夫ですか?バーグルさん、村で一番強いんです」
「心配は無用だ」
グレンはそっと彼女の手を握り、笑みを浮かべる。
「見ていろ。二人とも怪我などしない。」
距離数メートルほどで対峙する。
バーグルが一足飛びに接近し、右ストレートを放った。
空気が切り裂かれ、周囲の砂塵が舞い散る。
だがグレンはその場で半歩左に躱し、拳の軌道を避けた。
「速いな」
グレンが呟く。
「チッ!」
舌打ちとともにバーグルは体重を乗せた前蹴りを放つ。
しかしグレンはその膝裏に軽く掌底を入れた。バランスを崩したバーグルがよろめき、なんとか体勢を戻す。
「マジか……」
群衆から驚きの声が上がる。
バーグルは一度距離を取り、真正面から突進する。パワー任せの単純な技、筋力でねじ伏せる作戦。
しかしグレンは冷静に突進の軌道を見極めると、横に躱し脇腹に肘を突込む。バーグルが再びよろめく。
「グッ!…………ウオオオオッ!!」
バーグルの目がカッと見開かれる。両手を組みながら振り上げ、渾身の雄叫びと共にそのまま振り下ろした。
だが次の瞬間、グレンの姿が消えた。
────グレンはバーグルの背後に立ち、振り下ろされたバーグルの右手を彼の背中側にギリギリと締め上げていた。
可動域の限界まで届こうとする直前、グレンは手を離して告げた。
「ここまでだ」
「っ……!」
バーグルは地面に膝を突き、息を荒げる。
「降参だ……強すぎる……」
ざわめきが広場を満たす。誰もが呆然としながら拍手を送り始めた。特に若者たちは目を輝かせている。
「グレン様!」
マリエルが駆け寄り、喜びと安堵の入り混じった笑顔を見せる。
「すごいです! 本当にすごかったです!」
「ありがとうマリエル」
グレンは彼女の頭を軽く撫でた。
「無事傷つけずに済んでよかった」
バーグルは立ち上がり、肩を回しながら近づく。
「すげえな────グレン……俺の負けだ!」
悔しさと敬意が混ざった笑み。
「腕っ節だけなら負けねえと思ってたが……まだ上には上がいるもんだ」
「戦いの意義は勝ち負けじゃない」
グレンは淡々と言い返した。
「守るべきものを守れるかどうかだ」
その言葉に長老も深く頷く。
「バーグル、彼の言葉を忘れるな」
広場には暖かな空気が満ちていた。
グレンの圧倒的、しかし優しい力を目の当たりにし、村人達の視線が尊敬を含んだものに変わる。
マリエルは頬を染めながらそっと呟く。
「グレン様……私、ずっとお傍にいてもいいですか?」
「ああ」
グレンは微かに微笑んだ。
「さあ、さっきの続きだ。今度はお前の薬草学を教えてくれ」
「はいっ!」
彼女の茶色い耳がぴょこんと跳ねた。
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