BLEACH異聞ー焦天五獄変ー   作:鬼屋敷

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10.天は焦げない

 

 もう数えることもやめた、幾たび目かのじゃれ合い。

 砂丘の上で刀を構える雛森の姿は、初めてここへ来た頃とは比べものにならなかった。

 シルエロの呼吸。霊圧の揺らぎ。攻撃へ移る直前、ほんの僅かに沈む重心。何度も殴られ、吹き飛ばされ、そのたびに身体へ刻み込まれてきたものを、今では考えるより先に拾える。

 踏み込む。

 シルエロの爪が動く、その一瞬前。雛森の身体はすでに懐へ滑り込んでいた。

 激突。

 甲高い音が白い砂漠へ響き、薄桃色の焔が弾ける。シルエロの腕が振り抜かれ、雛森の身体が砂の上を転がった。

 だが。

 肩口に残る赤い鱗の一枚に、黒い焦げ跡が残っていた。

 

「……へえ」

 

 シルエロが、自分の腕を見る。

 雛森はすぐに起き上がった。呼吸は荒い。腕も痺れている。今の一撃をまともに受けていたら、それだけで今日の戦いは終わっていただろう。それでも刀を構える。

 シルエロは焦げた鱗を爪で掻いた。

 

「おまえ、ほんと何なんだよ」

 

 口元が吊り上がる。

 

「どんどん良くなってやがる」

 

 その笑い方を、雛森は知っていた。まただ。こいつが、何か面白いものを見つけた時の顔。

 

「――ぶっ壊しちまったら、もったいねえじゃねえか」

 

 次の瞬間、紅い光が視界を埋めた。

 

「――ッ!」

 

 虚閃。

 以前なら、見えた時にはもう遅かった。薄桃色の焔を叩きつける。爆発の反動で身体を横へ弾き、頬を焼く熱の中を無理やり抜ける。

 背後で砂漠が爆ぜた。爆風に巻かれ、何度も砂の上を転がる。それでも刀を手放さず、勢いのまま地面へ突き立てて身体を止めた。

 

「おー、避けたな?」

 

 楽しそうな声が聞こえる。雛森は答えなかった。答える余裕などなかった。

 肺が焼けるように痛い。握った指は痺れ、膝も笑っている。それでも、立つ。

 いつもなら終わっていた。受け止めるだけで精一杯だった一撃を、今、自分は避けた。

 

(……戦えてる)

 

 シルエロが翼を広げる。まだ来る。

 次を間違えれば、今度こそまともに食らう。

 それなのに。

 雛森の足は、後ろへ下がらなかった。

 刀を握り直す。

 

(もう一回)

 

 胸の奥で、何かが燻った。

 

(もう一回、できる)

 

 死に場所を探して虚圏を彷徨っていたのに、そんなことを考えている自分のおかしさには自覚がなかった。

 ただ目の前の怪物から目を離さず、次の一撃をどう凌ぎ、どう返すかだけを考えていた。

 そしてシルエロもまた、そんな雛森を見ながら、牙を剥いて笑っていた。

 卍解と同時に踏み込み、シルエロと刃を交える。

 薄桃色の焔を纏った白刃が、振り下ろされた爪の軌道を捉えた。

 甲高い金属音が白い砂漠へ響く。

 弾かれた刀をそのまま返し、二撃目。

 シルエロが爪で受け、雛森は反動に逆らわず身体を捻る。

 死角へ回り込みながら斬り上げるが、それは鱗に阻まれた。

 数合。ほんの僅かな時間だった。

 それでも、以前なら一方的に吹き飛ばされていた距離で、雛森は確かにシルエロと打ち合っていた。

 だからこそ。

 突然、シルエロが大きく後ろへ退いた時、雛森は眉を寄せた。

 

「……?」

 

 おかしい。

 いつもなら、ここからだ。

 こちらが何か一つできるようになれば、嬉しそうに牙を剥いて、その上からさらに無茶苦茶な攻撃を叩きつけてくる。

 なのに、来ない。

 シルエロは雛森を見ていなかった。

 赤い瞳が向いているのは、その遥か向こう。白い砂丘が幾重にも連なる地平の彼方。

 雛森には何も見えない。だが、一拍遅れて肌が粟立った。

 遠い。

 それでも分かる。

 砂漠の向こうから、何かが近づいている。

 沸き立つような殺意と、研ぎ澄まされた霊圧。

 シルエロの意識は完全にそちらへ向いていた。

 

 ――気に入らない。

 

 雛森は地を蹴った。

 余所見をしているなら好都合。踏み込み、そのまま首を狙う。

 だが。

 

「――ッ!」

 

 振り向きもしなかった。

 雑に振られた尾が胴を捉え、雛森の身体が凄まじい勢いで吹き飛ぶ。

 砂丘へ叩き込まれ、そのまま深く砂を抉った。

 しばらくして、砂の中から刀が突き出た。

 それを支えに雛森が這い出してくる。

 口元の血を拭い、未だ遠くを見ているシルエロを睨んだ。

 

「……何を見てるの」

「別に」

「嘘つき」

「ハン、生意気な奴め」

 

 短い、いつも通りの乾いたやり取り。

 けれどシルエロはもう、雛森へ向き直らなかった。

 翼を大きく広げる。

 

「またな」

 

 雛森の眉が動いた。

 終わり。

 それだけで、今日の死合を切り上げるつもりらしい。初めてだった。

 

「……逃げるの?」

 

 せめてもの嫌味だった。シルエロが振り返る。

 

「ばーか」

 

 その顔を見て、雛森は言葉を失った。

 笑っていた。

 いつもの、雛森が何かできるようになるたびに見せる、楽しそうな笑顔ではない。

 牙を剥き出しにして、赤い瞳を爛々と輝かせている。

 獲物を見つけた獣そのものの顔。

 

「面白そうな奴がいんだよ」

 

 地面が爆ぜた。

 巨大な翼が白砂を巻き上げ、爆発的な霊圧とともに空へ飛び出す。

 あっという間だった。

 巨龍は地平線の彼方へ消えて、あとには巻き上げられた砂だけが残った。

 残された雛森は砂煙のなか、ただ一人で佇んでいた。

 自分を『壊れない玩具』として転がしていた化け物が、初めて見せた本気の気配。

 その一瞥すら与えられなかった圧倒的な境界線。

 見せつけられた絶望の果てに、今の雛森の目に宿るのは、怨念にも似た劣等感だった。

 世界の広さと、天井への渇望。

 今の自分の足りなさに、手の震えが止まらなかった。

 

 

 

 

 シルエロが向かった、砂漠の彼方。

 そこに一体の異物がいた。

 音もなく白砂へ降り立ち、ただ立っている。

 長身、細身。余分なものを削ぎ落とした肉体には、シルエロのような荒々しさも、獣じみた威圧もない。

 静かだった。

 あまりにも静かで、その存在だけが周囲から切り離されているように見える。

 抜き身の刃が、そのまま人の形を得たかのような破面。

 

 その名を、ドンキホーテ。

 

 その無機質な視線が、飛来する龍の巨影を捉えた。

 

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