二体の異常値の霊圧を放つ大虚が、荒涼とした白い砂漠で相見えた。
言葉はない。因縁もなければ、思想の対立もない。
ただ目の前に、自分と同じように、この世界の理不尽を力だけで踏み越えてきた存在がいる。
それだけで、シルエロには十分だった。
「……へえ」
赤い瞳孔が、獣のように細く収縮する。
理由などいらない。何者なのかも、どこから来たのかもどうでもいい。ただ、目の前にいる。そして――強い。
己の牙を、爪を、力のすべてを叩き込んでも壊れない。そう直感した瞬間、シルエロの翼が大きく開いた。
霊圧が爆ぜる。白砂が吹き飛び、大気が震える。
「――お?」
次の瞬間には斬られていた。
シルエロの視界を、痩躯の破面が横切る。
いつ抜いた。いつ踏み込んだ。
そう考えるより早く、鱗に一本の亀裂が走った。
遅れて、熱い血が滴り落ちる。
「…………」
シルエロが傷口を見る。
一方、ドンキホーテはすでに次の斬撃へ移っていた。
何も感じていない。目の前の怪物が何者であろうと関係ない。強いから昂ることもない。傷つけたことに喜びもない。
『目の前に在るから処理する』
ただ、それだけ。
刃が閃く。シルエロが首を捻る。頬を掠めた切先が、その背後の砂丘を音もなく両断した。
「――は」
高揚していた。
自然、口角が吊り上がる。
「あは」
もう一撃。爪で弾く。返す。避けられる。ならば尾を薙ぐ。潜られる。懐から刃が跳ね上がり、鱗を削る。
「あはははは!」
シルエロは笑っていた。
殴れば避ける。避ければ斬る。動きを読めば、その先を処理する。速い。鋭い。
何より、壊れない。
今まで相手にしてきたものとは違う。
少し強く叩けば潰れることもない。加減を間違えれば終わってしまうこともない。
どこまでやってもいい。初めて、そう思えた。
「あは、あはははは! いいな! お前いいなぁ!!」
肩口が裂けた。熱い血が飛び散る。痛い。その痛みさえ、たまらなく愉快だった。
赤い翼が大きく広がり、砂漠を覆うほどの霊圧が膨れ上がる。
ドンキホーテは変わらない。歓喜もなければ、殺意すらない。
シルエロが強くなれば、その強さを新たな条件として処理する。
速度。間合い。攻撃軌道。回避。反撃。刻一刻と変化する戦場から最適な行動だけを拾い上げ、ただ正確に刃を振るい続ける。
それが余計にシルエロを昂らせた。
今まで雛森へ向けていたものとはまるで違う。
壊さないように力を抜く必要がない。成長を待つ必要もない。
今、この瞬間から、持っているものを全部ぶつけられる。
「もっとだ! もっともっともっと!! なぁっ!!」
シルエロが牙を剥いた。
「もっと!――行けるとこまで行こうぜ!!」
咆哮が轟く。
白い砂漠が、紅く染まった。
霊圧。衝撃。
「纏われ!『咬界華龍(ビオレンシア)』ッ!!」
窮屈を嫌い、弛緩状態にあった巨大な龍の象形。
すでに解放状態の霊圧が命令と共に灼熱と高揚の中で崩れ、膨大な力が一つの小さな肉体へと極限まで収束されていく。
紅が混じった鱗は肉体の動きに連動する龍の武装へ。
牙と角は殺傷力をさらに鋭く研ぎ澄ませた刃となり、頭上を漂う龍の頭骨へと変容。
炎が晴れたそこに立っていたのは、小柄な少女だった。
赤茶けた肌。身体を覆う深紅の龍鱗。
その小さな姿から溢れる、巨龍の時よりも濃密な野生の気配。剥き出しの暴威。
シルエロは爪を舐めて見せ、獰猛に笑った。
「――」
対する騎士は何も答えない。ただ静かに、その変化を見ていた。
そして、どこから発せられたのかすら分からない、深く冷たい音声が戦場に響く。
「――正せ」
騎士は片手に握った剣を、音もなく真横へと掲げた。
次の瞬間、何の予備動作もなく、その痩躯が高速で回転を始める。
轟、と空気が唸った。
――カシュンッ。
甲高い金属音とともに、刀身が左右へ展開する。
――カシュンッ。
内側に折り畳まれていた刃が噛み合い、新たな刃がせり出す。
――カシュンッ。
――カシュンッ。
回転が加速するたび、刃は増え、重なり、組み替えられていく。
その姿はまるで、自らを加工し続ける工作機械。
殺意も、威圧も、見栄もない。ただ対象を最も効率よく『処理』するという、たった一つの目的だけが形を成していく。
やがて変形は終わる。
高速回転する巨体の周囲を、幾重にも重なった刃が円環を描く。
それはもはや剣ではない。
巨大な地球独楽を思わせる、異形の回転処理機構。
「――『凶機乱撫(カバジェロ)』」
静寂。
シルエロの笑みが、ほんの僅かに深くなった。
全力を剥き出しにした自分を前にしても、何も変わらない。
恐れないのではない。恐怖という工程そのものが、最初から存在していない。
ただこちらを見ている。処理すべき対象として。
「……最高」
次の瞬間。
紅蓮の暴威と、冷徹な凶刃が激突した。
白砂が消し飛ぶ。空間が軋む。熱と斬撃が大地を抉り、衝突の余波だけで遥か彼方の砂丘が崩れ落ちていく。
そこに善悪はない。憎悪もない。互いを殺さなければならない理由すらない。
あるのは、どこまでも己の力だけで生きてきた獣と、目の前のすべてをただ処理し続ける騎士。
決して交わるはずのない二つの極致が、虚圏の白い砂漠で真正面から噛み合った。
◇
その凄絶な戦いを、遠く離れた高台から眺めている者がいた。
少年の姿をしたソレは、白い砂漠を揺るがす衝突を前にして、退屈そうに欠伸を零す。
「あーあ……こいつら、本当に馬鹿だな」
大地が抉れ、岩山が崩れ、二体の衝突が生み出す余波が高台まで押し寄せる。それさえ少年の髪をさらさらと揺らすだけで、本人は気にした様子もない。
口元には軽薄にへらへらとした笑みが浮かんでいる。
だが、その目だけは泥のように冷めきっていた。
シルエロとドンキホーテ。
どちらも強い。馬鹿みたいに強くて、それ以外に何もない。
片方は、強い相手を見つければ嬉々として牙を剥く獣。
もう片方は、目の前にあるものをただ処理する騎士。
混じり気がない。あまりにも純粋で、綺麗だった。
だからこそ。
「……んー、いかん。いかんぞ。これは、うん」
少年は笑いながら、指先を軽く振った。
黒い雫が落ちる。
粘ついたタールのようなそれは白砂へ染み込み、じわりと黒い染みを広げていった。
「ちっと、やらかしてやりたいよな」
純粋なものほど、汚れた有様を見てみたい。台無しになった時はきっと気持ちがいい。
掻き回して、不純にして、ぐちゃぐちゃにしてみたい。
少し混ぜてやればいい。余計なものを。本来なら、そこにないはずのものを。
どんな顔をするだろう。どんなふうに壊れるだろう。
想像しただけで、口元が緩くなる。
「……へへ」
戦場の余波が届くその寸前まで、少年は楽しげに歌でも口ずさむような足取りで、少しずつ二体へ近づいていく。
待つことなどできない。目の前に餌を置かれた、飢えた野犬のように。
口の端から、漆黒の泥が涎のように滴り落ちた。
破面の少年――リュウ・レイ。
その指先から零れるものが、この純粋な殺し合いへ混ざり込むまで、そう時間はかからなかった。