今日も、終われない。
虚圏に来てから、どれだけの時間が経ったのだろう。
黒い空。
白い砂。
時間の感覚すら曖昧なこの世界で、雛森は今日も虚を斬っていた。
最初は、終わるつもりだった。
帰る場所はもうない。
飛梅も失った。
あの日、黒い裂け目の向こうへ足を踏み入れた時には、死ぬつもりだった。
死ぬ場所が現世か虚圏か、その違いでしかなかった。
それなのに。
雛森はまだ、生きている。
「どうして……」
答えてくれる者はいない。
折れた骨は、いつの間にか元に戻っている。
裂けた肉は、薄桃色の焔に焼かれながら修復される。
霊圧が尽きれば、また燃える。
気を失って目を覚ませば、何事もなかったかのように立ち上がっている。
あの日、飛梅が雛森を守るために振るった力。
本来なら、まだ手にするはずのなかった力。
雛森は、その力のことを何も知らない。
どうして自分を生かし続けるのか。
どうして飛梅の声が聞こえなくなったのか。
どうして自分だけが取り残されてしまったのか。
何も分からない。
ただ一つだけ分かることがある。
――終われない。
そんな時だった。
あの龍のような怪物と出会ったのは。
初めて見た時、ようやく終われると思った。
圧倒的だった。今まで出会ったどんな虚とも違う。
あれほどの力なら、きっと自分を簡単に殺せる。
そう思った。けれど。
「ちぇ、やっぱ雑魚か、つまんな」
気が付けば、雛森は砂の上に倒れていた。
何をされたのかもよく分からない。
全身の骨が砕け、呼吸をするたび胸の奥が軋んで、それでも意識が途切れる寸前まで、遠ざかっていく白い翼に滲む紅だけは見えていた。
次に目を覚ました時には、身体はまた治り始めていた。
「……なんで」
あの怪物は、雛森を殺さなかった。
殺せなかったのではない。本気ですらなかった。
道端に転がる石ころを蹴飛ばすように吹き飛ばして、興味を失えばそのままどこかへ行ってしまう。
二度目も。三度目も。何度出会っても同じだった。
傷が癒えれば、また虚を斬る。そのうちあの怪物と鉢合わせて、性懲りもなく刀を向ければ、あっという間に砂へ沈められる。
それでも死なない。
気がつけばまた立ち上がり、刀を握っている。
そんなことを幾度繰り返した頃だったか。
「……なんなの、あいつ」
雛森は、少し腹が立っていた。
同情しているわけでも、気遣っているわけでもない。哀れんですらいない。ただ自分など、わざわざ殺すほどのものでもないと思っている。
たぶん、それだけだ。
それが妙に腹立たしかった。
終わるために虚圏まで来たはずなのに、自分の力は勝手に身体を治し、ようやく出会った化け物には雑に吹き飛ばされて終わる。
そうして今日も、雛森は刀を握っている。
何のためにそうしているのか、もう自分でもよく分からなかった。
死にたいのか。それとも、本当は生きたいのか。
雛森は砂の上に腰を下ろし、膝の上へ刀を置いた。
「飛梅」
静かな砂漠に、声だけが落ちる。
「これでいいのかな」
返事はない。
刀へ視線を落としたまま、雛森は自分の肩を覆う薄桃色の羽衣に触れた。
「こんなの卍解って言えるのかな」
羽衣は何も答えず、主の意思など知らないとでもいうように乾いた風に揺れている。
どこからともなく、鈴の音がした。ちりん、と。
けれど、飛梅は現れない。
「怒ってる?」
少し待ってみる。
「呆れた?」
やはり、何も返ってこなかった。
雛森は刀を胸元へ抱き寄せ、小さく息を吐いた。
「ごめんね」
黒い空を見上げる。
「ねぇ、ごめんなさい、飛梅……」
その視界を、遠く白い翼が横切った。雛森は目だけでその姿を追う。
ふざけた怪物だ。殺せるくせに、殺してくれない。
あれだけ一方的に叩きのめしておいて、こちらが生きていようが死んでいようが確かめもしない。
「またいる」
ぽつりと呟いてから、雛森はしばらく呑気に飛ぶ背中を眺めていた。
やがて刀を抱いたまま立ち上がる。
別に、追いかける理由なんてない。
それでも少し考えてから、化け物が消えていった方角へ歩き出した。
今日もまた、終わらない。