負けた。
結果だけを言えば、ただそれだけのことだった。
荒れ狂う薄桃色の焔は確かにシルエロへ届いた。だが、それで埋まるほど二人の差は小さくない。
卍解まで引きずり出した雛森は、それでもなお圧倒的な力の前に叩き伏せられ、砂の上に倒れ込んでいた。
全身が軋む。薄桃色の焔が傷口を這い、焼けるような痛みとともに壊れた身体を修復していく。
「っ……」
本気で殺意を向けて噛みついてみても、結局、また負けた。
そう思った時だった。
「ははっ!」
楽しげな笑い声が頭上から響いた。
痛む身体をわずかに起こして見上げれば、そこには獰猛な笑みを浮かべたシルエロが立っている。
「おまえ、次からそれしてこいよ」
「……は?」
意味が分からなかった。
シルエロは自分の腕を、見せつけるように持ち上げた。紅い鱗。その一枚が剥がれて肉に傷が刻まれている。
雛森の焔が、初めて届いた跡だった。
「悪くなかったじゃねぇか!」
心底嬉しそうに笑うと、シルエロはそれだけで満足したらしい。翼を大きく広げる。
「じゃあな!」
「……え?」
返事を待つこともなく、轟音と砂煙を残して空の彼方へ飛び去っていった。
雛森はしばらく、その姿が消えた空を見つめていた。
「……なんなの、あいつ」
腹が立った。
あれだけ一方的に叩きのめしておいて、自分が傷をつけられたことには大喜びして帰っていく。
本当に意味が分からない。
だが、それからの日々は少しだけ変わった。
シルエロと遭遇するたび、雛森は卍解を使うようになった。
別に、あの怪物に言われたからではない。
何かのまぐれでも、とにかく、少しだけでも痛い目を見せてやりたい。
ただ、それだけだった。
「おっ、最初からそれか!」
「いいじゃねぇか!」
「さっきのよかったぞ!」
「もっといけんだろ!」
「ばーか! 遅ぇ!」
薄桃色の焔が砂漠を焼いた。
何度も戦った。何度も吹き飛ばされた。何度も砂の上から起き上がった。
相変わらず勝てる気などしない。それでも、昨日は届かなかった刃が今日は顔を掠め、まともに食らっていた一撃を、次には辛うじて受け流せる。
そうすれば、またシルエロが笑う。
「おまえ、いいな!」
何がそんなに嬉しいのか分からないくらい楽しそうに。
「次はもっと強くなってこい!」
「うるさい!」
励まされているようで腹が立つ。
たぶん、本人にそんなつもりはない。ただ面白い玩具が少しずつ頑丈になっていくのが嬉しいだけなのだろう。
いつか、その忌々しい余裕ごと吹き飛ばしてやる。
そんな事を考えている内に、卍解を使うことはいつの間にか当たり前になっていた。
かつては雛森自身の意思など無視して暴れ狂うだけだった力が、幾度もの戦いを経て、少しずつその輪郭を見せ始める。
霊圧の流れを感じる。焔がどこへ向かいたがっているのか分かる。
昨日できなかった事が、今日はできる。
飛梅の姿は、今も見えない。声も聞こえない。
それでも薄桃色の焔だけは、変わらず雛森と共にあった。
終わりを探して虚圏へ来たはずだった。
それなのに、気がつけば明日のことを考えている。
次は、どうすればあの怪物に一撃を入れられるだろう。
……おかしいな。本当に。
死に場所を探していたはずなのに。
今日もまた、刀を握っている。
そして遠くの空では、のんきな背中が楽しげに羽ばたいていた。
最低で、理不尽で、腹の立つ怪物だ。
それでも。
虚圏での終わらない日々は、少しずつ雛森を生かし始めていた。