断界作戦開始まで、残り二十時間。
高度育成衛士高等学校の西部格納庫では、すでに昼夜の区別が失われていた。
天井から吊り下げられた大型照明が、
格納庫内へ集められた数十機の戦術機を白く照らしている。
整備足場では工具や溶接機の音が一度も途切れず、
床面では弾薬運搬車と部品輸送車が、決められた通路を何度も往復していた。
断界作戦へ参加する正規軍機。
地上予備として待機する候補生用の吹雪。
損傷からの復帰作業が進められている教導隊機。
目的も状態も異なる機体が同じ空間へ集められ、
整備員や候補生、軍人がその間を絶えず行き交っている。
巨大な戦術機と、それを動かすために働く無数の人間によって、
格納庫全体が一つの生物のように活動していた。
オレたち候補生予備隊も、朝から整備補助と救援訓練を繰り返している。
敵を撃破するための訓練ではない。
地下で動けなくなった味方を、地上まで連れ戻すための訓練だった。
牽引ワイヤーを損傷機へ接続する。
脚部を失った機体を、横転させずに引く。
狭い坑道の中で他機へ進路を譲る。
通信中継器を短時間で設置する。
瓦礫の下へ取り残された管制ユニットを回収する。
どれも実戦映像のような派手さはなかった。
それでも、暁光作戦を見た後では、誰もこうした訓練を軽く考えてはいない。
真嶋の撃震が、右脚部出力を失いながらも帰還したこと。
サムライ3が最後の一機として地下へ残り、
迫るBETAを押し返しながら縦坑へ上がったこと。
茶柱が爆破地点から十分に離れる前に、突撃級ごと起爆しようとしたこと。
地下では、一機の停止が部隊全体を止める。
一人の判断が、十機の生死を変える。
候補生たちは、すでにそれを知っていた。
「牽引角度が高すぎる!」
真嶋の声が格納庫へ響いた。
訓練用の損傷機を引いていた須藤は、管制ユニットの中で舌打ちする。
『これ以上下げたら、機体が地面へ擦るだろ!』
「擦らせろ」
『装甲が壊れる!』
「横転するよりはましだ」
真嶋は地上の監督席から、三機の挙動を映す訓練映像を確認していた。
須藤機が前方で牽引ワイヤーを引き、後方の平田機が張力と姿勢を調整している。
二機の間には、両脚部を固定され、自力歩行できない吹雪が置かれていた。
『でも、装甲が削れたら――』
「装甲は交換できる」
真嶋の返答は早かった。
「地下で横転した戦術機は、その場で巨大な障害物になる。
お前たちだけではなく、後続部隊すべての進路を塞ぐんだ」
須藤はそれ以上反論せず、牽引ワイヤーの角度を下げた。
損傷機の踵が床へ触れ、金属が擦れる重い音が響く。
外装には長い傷が刻まれたが、機体全体の傾きは小さくなり、姿勢が安定した。
平田が後方から報告する。
『牽引対象の傾斜は二度以内。安定しています』
真嶋は端末へ表示された数値を確認し、短く頷いた。
「そのまま進め」
須藤機がゆっくりと歩き始める。
速度は出さない。
一歩ずつ。
後方の平田機がワイヤーの張力を細かく調整し、須藤の歩調へ合わせる。
どちらか一方が焦れば、中央の損傷機は左右へ大きく振られてしまう。
須藤は普段よりも慎重だった。
自分の出力だけで強引に引こうとはせず、
平田から送られる数値と機体の動きに合わせ、一定の速度を維持する。
やがて三機は指定地点へ到達し、損傷機を横転させることなく停止した。
牽引訓練成功。
管制ユニットから降りた須藤は、訓練機の踵へ刻まれた傷を見つめた。
「本当に削れたな」
真嶋は端末を確認したまま答える。
「だから何だ」
「いや」
須藤は傷へ手を触れた。
「前までは、機体を壊さない方がいいと思ってた」
「今も壊さない方がいい」
「でも、壊してでも帰さなきゃならない時があるんだな」
真嶋がようやく顔を上げ、須藤を見る。
「そうだ」
短い返答だった。
だが、須藤にはそれで十分だった。
少しだけ笑い、次の訓練で使用する牽引ワイヤーを取りに向かう。
格納庫の隣接区画では、龍園たちが瓦礫撤去訓練を行っていた。
龍園機。
伊吹機。
石崎機。
アルベルト機。
四機の吹雪が、崩落した坑道を再現した障害区画へ並んでいる。
正面には、戦術機一機の力では動かせない巨大なコンクリート塊が横たわっていた。
石崎は障害物を正面から見上げる。
『四機で押せば、動かせるんじゃないですか?』
『正面から押すな』
龍園が即座に止めた。
『でも、四機なら――』
『押した先に空間があるか分からねぇだろ』
コンクリート塊の向こう側は見えない。
そのまま力を加えれば、奥にある支柱や壁面へ圧力がかかり、
別の崩落を起こす可能性もある。
石崎が尋ねる。
『じゃあ、どうするんですか?』
龍園は障害物の上部と左右を確認した。
『砕く』
伊吹が反応する。
『地下で爆破は危険でしょ』
『爆薬は使わねぇ』
龍園機が手にしたのは、戦闘用の武器ではなかった。
瓦礫へ亀裂を作るための大型作業杭。
龍園は杭の先端を、コンクリート塊の左上へ当てる。
『端から割る』
続けて全員へ指示を出す。
『石崎は右側を支えろ』
『了解です!』
『伊吹は割れた破片を後ろへ退かせろ』
『分かった』
『アルベルトは俺と一緒に杭を押す』
『Roger』
龍園機とアルベルト機が、左右から作業杭へ力を加える。
最初の一押しでは、表面へ細い亀裂が入っただけだった。
二度目。
三度目。
亀裂が奥へ伸び、コンクリートの一部が大きく割れる。
伊吹機が落ちた破片を掴み、通路の外へ移動させる。
石崎機は残った本体が倒れないよう側面から支えていた。
一度にすべてを動かそうとはしない。
少しずつ形を変え、幅を減らしていく。
派手さはない。
それでも、巨大な障害物の中央へ、一機が通れるだけの隙間が作られていった。
地上管制席では、ひよりが演習区画の地形図と機体位置を重ねていた。
「右側を削りすぎないでください」
龍園が作業を止めずに尋ねる。
『理由は』
「障害物の奥に支柱があります」
『距離は』
「二・八メートルです」
龍園機の動きが止まる。
ひよりは支柱とコンクリート塊の位置を拡大した。
「あと五十センチ右へ寄せると、作業杭の力が支柱側へ逃げます。
支柱へ亀裂が入る可能性があります」
『分かった』
龍園は迷わず角度を変えた。
ひよりが見えない地形を確認し。
龍園が判断する。
伊吹と石崎が作業を支え。
アルベルトが力を加える。
四機と管制支援一人の役割が噛み合い、巨大な瓦礫は少しずつ削られていった。
やがて、一機分の通路が開く。
龍園が周囲を見る。
『これで通れる』
ひよりは通路幅と吹雪の外装寸法を比較する。
「通常装備の吹雪なら通れます。ただし、肩部を壁へ寄せすぎないでください」
『通れりゃ同じだろ』
「次に通る機体が、同じ幅とは限りません」
追加装甲。
救援装備。
牽引ワイヤー。
損傷によって変形した外装。
戦術機の幅は、常に同じではない。
龍園は少しだけ黙った。
『あと三十センチ広げる』
石崎が驚く。
『まだやるんですか?』
『ひよりが足りねぇと言ってる』
ひよりは小さく笑った。
「そこまで強くは言っていません」
伊吹が返す。
『でも、できれば広げたいんでしょ』
「できれば」
龍園。
『ならやる』
四機は再び作業へ戻った。
訓練開始から数日。
龍園は以前のように、自分一人の力だけで戦場を動かそうとはしなくなっていた。
自分が前へ出る。
他人へ命令する。
その姿勢は変わらない。
だが今は、誰が何を見ているのか。
誰が何を得意としているのか。
それぞれの能力を、全体の結果へつなげようとしている。
作業区画のさらに奥では、オレたちの救援訓練が始まろうとしていた。
参加するのは、堀北、平田、須藤、高円寺、そしてオレ。
通常の編隊は四機だが、今回は損傷機の前後を守るため、五機編成となっている。
小隊長は堀北。
オレが前衛。
須藤が右側。
高円寺が左側。
平田が損傷機の直接護衛。
堀北は中央で全体を指揮する。
与えられた状況は、通信中継器を失った地下坑道。
後方から敵反応が接近。
前方通路の一部が崩落。
その中で、損傷機一機を連れて脱出する。
制限時間は十五分。
訓練開始。
模擬地下区画の照明は最低限まで落とされ、
戦術機の前照灯だけが、瓦礫と壁面の影を長く伸ばしている。
堀北の声が小隊回線へ入った。
『隊形を維持して前進するわ』
前方には幅の狭い通路。
オレは先に左右の壁と天井を見る。
左側の上部には、浅い亀裂が連続している。
右側は狭いが、構造そのものは安定していた。
「右を通る」
堀北が尋ねる。
『根拠は?』
「左上部に崩落の兆候がある」
高円寺が左側へ照明を向ける。
『確かに亀裂があるね』
須藤が右側を見る。
『でも、右は狭いぞ』
「一機ずつ通せばいい」
堀北は短時間で状況を確認した。
『右側を使う』
オレが先行する。
肩部を壁際へ寄せ、背部装備が接触しない角度へ機体を傾けた。
一歩。
二歩。
通過。
続いて高円寺。
壁面との距離を一定に保ち、外装を擦ることなく抜ける。
その後を堀北。
平田と損傷機。
須藤が最後尾。
全機が狭所を抜けた直後、左側の壁面が崩れた。
崩落そのものは小規模だったが、通路の半分以上が瓦礫で埋まった。
須藤が振り返る。
『本当に崩れたな』
堀北。
『来た道は使えないわね』
「戻る必要はない」
オレは前方を見る。
撤退経路は、別に探せばいい。
その直後、後方に模擬戦車級の反応が現れた。
数は数十。
崩れた通路を乗り越えながら接近してくる。
須藤が突撃砲を向ける。
『撃つぞ』
堀北は弾薬残量を確認する。
『搭載されているのは救援任務用の最低限だけよ』
『でも、敵は来てる』
高円寺が崩落した壁面を見る。
『瓦礫を利用できる』
須藤。
『どうやってだ』
高円寺機が作業用ワイヤーを取り出し、
瓦礫上部の不安定なコンクリート塊へ照明を向けた。
『あれを通路へ落とす』
堀北は瓦礫の形状と敵の接近経路を確認する。
『爆破を使わずに?』
『ワイヤーで引けばいい』
平田も役割を申し出る。
『僕が損傷機を支える』
須藤。
『なら俺が瓦礫を引く』
高円寺が角度を確認する。
『君一機では、中央へ落ちない』
「オレもやる」
須藤機とオレの機体で、瓦礫上部へ二本のワイヤーを固定する。
高円寺が牽引方向を指示した。
『レッドヘアーくんは右側へ』
『綾小路ボーイは後方へ引いてくれ』
『同時に力をかければ、瓦礫は通路中央へ落ちる』
堀北が敵の接近時間を読み上げる。
『接触まで二十秒』
平田は損傷機の前に立ち、盾を構えた。
堀北も射撃位置へ入る。
須藤が叫ぶ。
『引くぞ!』
二本のワイヤーへ張力がかかる。
最初は、僅かに瓦礫が動いただけだった。
さらに二機が後退する。
コンクリート塊が大きく傾く。
『もう一度!』
須藤とオレが同時に機体出力を上げた。
瓦礫が支えを失い、通路中央へ落下する。
地面へ激突した衝撃で演習区画全体が揺れ、模擬戦車級の進路は完全に塞がれた。
敵反応停止。
弾薬消費はゼロ。
須藤が笑う。
『撃たなくても止められたな』
高円寺。
『君も学習しているようだ』
『お前に言われるとムカつく』
『褒めたつもりだよ』
堀北が会話を切る。
『話は後。前へ進むわ』
制限時間は残り九分。
損傷機を隊列中央へ置き、再び前進する。
次の分岐へ入った瞬間、通信障害装置が作動した。
堀北の声が途切れる。
同時に、前方へ要撃級標的が現れた。
後方通路は瓦礫で塞がれている。
左右には細い保守坑があるが、戦術機は入れない。
逃げ場はない。
事前に定められた指揮順位では、次はオレ。
「須藤は右前方」
「高円寺は左前方へ」
「平田は損傷機を三十メートル後退させろ」
須藤が後方を見る。
『後ろは塞がってるぞ』
「三十メートル戻った地点に横穴がある」
高円寺。
『戦術機は入れない幅だ』
「損傷機を横穴の前へ置く」
平田が意図を理解する。
『そこなら、要撃級の腕が届きにくい』
「そうだ」
要撃級標的が近づく。
須藤と高円寺が左右へ分かれ、オレは中央に立つ。
倒すことが目的ではない。
平田が損傷機を安全な位置へ動かすまでの時間を作る。
「脚部へ火力を集中しろ」
須藤。
『了解』
高円寺。
『了解』
三機が要撃級の右脚へ射撃する。
着弾が重なり、進行速度が落ちる。
それでも標的は止まらない。
後方では、平田が損傷機を横穴前へ動かしている。
堀北機も通信不能のまま、機体灯の信号に従って後退していた。
オレは要撃級の左側にある排水溝を見る。
周囲より一段低い。
「高円寺。左へ誘導する」
『方法は?』
「標的の右側へ火力を集中させる」
須藤も理解する。
『向きを変えさせるのか』
「そうだ」
須藤と高円寺が、要撃級右側の装甲へ射撃を集中させる。
標的は攻撃方向へ向きを変え、左側へ寄った。
片脚が排水溝へ沈み、巨体が大きく傾く。
完全に転倒したわけではない。
だが身体が通路左側へ寄り、右側に一機分の隙間が開いた。
「通過する」
須藤が驚く。
『要撃級の横を抜けるのか?』
「倒すより早い」
高円寺。
『賛成だ』
平田と損傷機が先に隙間を抜ける。
続いて堀北。
須藤。
高円寺。
オレは最後尾へ残った。
要撃級標的の腕が動く。
横から迫る攻撃を回避する。
だが、完全には避けきれず、右肩部を僅かに掠めた。
警告表示。
小破判定。
それでも機体は通過した。
全機が要撃級の横を抜け、出口方向へ移動する。
堀北の通信も復帰した。
『状況を報告して』
平田。
『綾小路くんの指揮で、要撃級の横を突破した』
堀北は後方の標的を見る。
『倒していないのね』
「必要なかった」
須藤が笑う。
『今のは、俺もそう思う』
高円寺。
『珍しく意見が一致したね』
『一言多い』
制限時間は残り三分。
五機は出口へ到達した。
全機帰還。
損傷機の回収にも成功。
オレの機体だけが右肩部小破判定を受け、他機には異常がなかった。
茶柱の評価が回線へ入る。
『任務達成』
『ただし、綾小路機には被弾判定がある』
堀北が答える。
『最後尾へ残ったためです』
『だからといって、損傷していい理由にはならない』
「回避が遅れました」
茶柱は少しだけ沈黙した。
以前のオレなら、被弾を避けるために別の機体を危険な位置へ置いたかもしれない。
だが今回は、全機が要撃級の横を通過するまで最後尾へ残った。
茶柱も、その違いには気づいている。
『判断そのものは悪くない』
『だが、次は同じことを無傷でやれ』
「了解」
須藤が不満そうに言う。
『厳しすぎねぇか?』
茶柱は即座に答えた。
『実戦で同じ被弾を受ければ、右腕が動かなくなる可能性がある』
須藤は黙った。
訓練では小破判定。
実戦なら、機体損傷。
救援する側が、救援される側へ回る。
それは許されない。
午前の救援訓練が終わる頃、東部軍港では断界作戦参加部隊の集結が始まっていた。
第十三戦術機甲大隊サムライ。
第七戦術機甲大隊オニキリ。
第十二機動防衛群シールド。
高度育成衛士高等学校教導隊。
さらに、東京防衛軍から派遣された二個戦術機中隊。
合計四十八機。
作戦部隊は、北方、南方、東方、西方の四つに分けられる。
各隊は十二機。
それぞれ別の縦坑から東京ハイヴ浅層へ侵入し、
BETAが使用している主要移動幹線へ爆薬を設置する。
地上では三か所の囮反応炉が同時に起動し、
浅層BETAを作戦区域外へ誘導する。
作戦時間は四十分。
中層部から敵の補充が始まる前に、侵入、爆薬設置、撤退を完了させる。
四つの幹線は、ほぼ同時に爆破されなければならない。
一か所でも作業が遅れれば、
そこへ残ったBETAが別の侵入隊へ流れ込む可能性がある。
四隊すべてが、同じ時間で動く必要があった。
午後一時。
第一作戦会議室で、断界作戦の最終説明が始まった。
作戦へ参加する四十八名の衛士。
各隊指揮官。
整備責任者。
教導隊。
そして候補生予備隊。
会議室の座席は、ほとんど埋まっていた。
大型スクリーンには、東京ハイヴ浅層部の立体地図が表示されている。
暁光作戦で取得した内部映像。
無人探査機が集めた地形情報。
灯火作戦によって確認されたBETAの移動経路。
それでも地図の多くは暗く、未探査区域として残されていた。
完全な情報はない。
それでも、人類は進まなければならない。
坂柳理事長が壇上へ立った。
濃紺の司令官服。
大規模な演説を行うための中央講堂は、すでに失われている。
今は狭い作戦会議室へ、正規軍と候補生が肩を並べていた。
坂柳理事長は、室内にいる一人一人を見渡した。
「断界作戦の目的は、東京ハイヴを攻略することではありません」
静かな声だった。
それでも、室内の隅まで明確に届く。
戦果を求めるな。
深追いするな。
目的を見失うな。
これまで繰り返されてきた言葉を、全員が思い出していた。
「今回の目的は、深部と浅層を結ぶ四本の主要移動経路を崩落させ、
地上へ進出するBETAの数を減らすことです」
「そして、東京ハイヴ本格攻略のための時間を作ります」
地図上へ、四つの赤い爆破目標が表示される。
「各隊の作戦時間は四十分」
「開始から二十分以内に爆破地点へ到達し、十分以内に爆薬を設置してください」
「残る十分で、侵入口まで撤退します」
正規軍の衛士たちは表情を変えない。
候補生側には、明らかな緊張があった。
四十分という時間は、暁光作戦よりも短い。
だが、今回は四方向同時侵入。
敵配置は完全には分からず、別の隊が何をしているかを確認できない可能性も高い。
坂柳理事長は続ける。
「予定時間を五分超過した部隊は、爆薬設置が完了していなくても撤退してください」
一部の衛士が僅かに反応した。
任務未達でも戻れ。
その命令が、どれほど重いかを理解している。
「他部隊を待たないでください」
「救援のために、別の幹線へ入らないでください」
仲間が遅れていても、助けへ向かわない。
各隊は自分たちの経路から戻る。
サムライ3が尋ねる。
「一隊だけが遅れた場合、爆破はどうしますか」
「残る三隊で実行します」
「遅れた隊の経路から、他の部隊へBETAが流れ込む可能性があります」
「承知しています」
坂柳理事長は迷わず答えた。
「だからこそ、時間を守ってください」
壇上脇には茶柱が立っている。
教導隊が所属するのは西方侵入隊。
茶柱。
坂上。
星之宮。
真嶋。
さらに、暁光作戦経験者を含むサムライ選抜八機。
西方幹線は、深部で確認された未知反応に最も近い。
四つの中で、最も危険と判断された経路だった。
茶柱が補足する。
「地下で遅れた隊を、別経路から助けることはできない」
「道がつながっている保証がない」
「通信が届く保証もない」
「救援へ向かった部隊まで失う危険がある」
候補生たちは、その言葉を黙って聞いていた。
自分たちは地上予備。
正規軍が帰還できない場合に限り、救援へ出る可能性がある。
一見すれば、茶柱の言葉と矛盾しているようにも思える。
だが、そうではない。
候補生が地下へ入る時点で、通常の作戦規則では帰還できない事態が起きている。
侵入口が崩落した。
牽引が必要な損傷機が残された。
通信が完全に失われた。
それでも、生存者の位置や救援経路が確認できた場合。
候補生予備隊は、最後の手段として投入される。
坂柳理事長は候補生側へ視線を向けた。
「候補生予備隊は、西部格納庫で出撃待機とします」
「使用可能な戦術機は十二機」
「全機へ救援装備を搭載します」
「通常であれば、出撃は行いません」
茶柱が僅かに目を閉じる。
坂柳理事長は続けた。
「しかし、作戦部隊が予定時刻を
十五分超過しても帰還しない場合には、救援出撃を検討します」
即座に出すとは言わない。
地下の敵反応。
生存信号。
使用可能な救援経路。
候補生を投入する危険。
すべてを確認した上で判断される。
「救援隊指揮官は――」
坂柳理事長の視線が、オレへ向けられる。
「綾小路清隆くん」
室内の視線が集まった。
堀北。
須藤。
平田。
高円寺。
龍園。
坂柳。
一之瀬。
ひより。
教師陣。
正規軍の衛士たち。
「了解」
オレは答えた。
須藤は僅かに笑う。
龍園は当然だという顔をしている。
高円寺は興味深そうにこちらを見た。
堀北の表情は変わらなかったが、端末を握る指へ少しだけ力が入っている。
「副指揮官は堀北鈴音さん」
堀北が姿勢を正す。
「了解しました」
「前衛は須藤健くん、高円寺六助くん、龍園翔くん」
三人が順番に返答する。
「了解」
「承知したよ」
「了解」
「後方護衛は、平田洋介くん、一之瀬帆波さん、神崎隆二くん」
平田。
「了解」
一之瀬。
「了解です」
神崎。
「了解」
「坂柳有栖さんと椎名ひよりさんは、地上からの情報管制を担当してください」
二人は戦術機へ乗らず、作戦管制室へ残る。
坂柳。
「承知しました」
ひより。
「はい」
「橋本正義くんと神室真澄さんは、通信中継器と地上回線の管理を担当します」
橋本。
「了解」
神室。
「了解」
「伊吹澪さん、石崎大地くん、山田アルベルトくんは牽引補助へ入ってください」
三人がそれぞれ返答する。
救援隊の具体的な形が作られていく。
まだ出撃命令は出ていない。
それでも、名前と役割が決められた時点で。
地下へ向かう可能性は、現実のものになった。
坂柳理事長は、作戦へ参加する全員を見渡した。
「皆さんに、英雄的な行動を求めるつもりはありません」
穏やかな声だった。
「四本の道を壊し」
「必ず帰還してください」
「作戦を成功させることと、生き残ることを、別の目標だと考えないでください」
一度、言葉を切る。
「生きて帰ることも、作戦の一部です」
教導隊。
正規軍。
候補生。
全員が、その言葉を聞いている。
「東京は、すでに多くのものを失いました」
南部格納庫。
中央講堂。
お台場。
道路。
港湾施設。
戦術機。
衛士。
「ですが、失ったものだけを数えて、立ち止まることはできません」
坂柳理事長の声が、僅かに強くなる。
「我々の後ろには、まだ多くの人々がいます」
避難区画の住民。
生徒。
家族。
東京に残る人々。
戦う力を持たず、軍と衛士を信じて待つ人間たち。
「その人たちが、明日の朝も目を覚ますことができるように」
「今日、我々が道を断ちます」
坂柳理事長は姿勢を正し、敬礼した。
「断界作戦参加部隊」
「皆さんの帰還を待っています」
四十八名の衛士が、一斉に敬礼を返した。
教導隊。
候補生予備隊。
整備責任者。
会議室にいる全員が、それに続く。
誰も声を上げない。
それでも。
断界作戦へ向かう者たちの顔から、迷いは消えていた。