午後四時。
教導隊格納庫では、断界作戦へ出撃する四機の最終確認が進められていた。
茶柱の不知火は、暁光作戦で損傷した右肩部の修理を終え、
頭部センサーも新しいものへ交換されている。
ただし、使用されたのは本来の規格品ではなく、
予備倉庫からかき集められた応急部品だった。
完全な状態とは言い難いが、戦闘と帰還に必要な機能は確保されている。
坂上の陽炎には、左腕部の反応に僅かな遅延が残っていた。
星之宮の不知火は、前回の戦闘で使用していた突撃砲を外し、
予備装備へ交換されている。
そして真嶋の撃震は、損傷していた右脚部の修理を終えていたものの、
最大出力は正常時の八十六パーセントまでしか戻っていなかった。
真嶋は自分の撃震の前に立ち、整備員たちへ最後の指示を出していた。
「右脚部の温度が規定値を超えたら、すぐに俺へ伝えろ」
担当整備員が端末を確認しながら答える。
「地下へ入った後は、通信が切れる可能性があります」
「中継器が生きている間だけでいい。数値が乱れた時点で知らせろ」
「帰還後に使用する交換部品は、どうしますか」
「準備しておけ」
整備員が僅かに顔を上げた。
「帰還後、ですか」
真嶋は相手を真っ直ぐ見た。
「帰るに決まっている」
迷いのない声だった。
近くでその会話を聞いていた須藤が、真嶋へ歩み寄る。
「先生」
「何だ」
「今度は、脚が壊れる前に下がれよ」
「候補生に言われる筋合いはない」
「でも、前回も同じことを言っただろ」
真嶋は僅かに口元を緩めた。
「今回は壊さない」
「本当か?」
「整備主任の俺が、自分の整備を疑うと思うか」
須藤はすぐに返す。
「整備は疑ってない。先生の操縦を疑ってる」
真嶋の表情が止まった。
須藤は笑う。
「無茶するからな」
真嶋は呆れたように息を吐いた。
「お前にだけは言われたくない」
少し離れた場所では、茶柱が堀北と向き合っていた。
「地上で待機しろ」
「分かっています」
「警報が鳴っても、勝手に機体を出すな」
「分かっています」
「綾小路が出撃すべきだと判断した場合でも、必ず司令官命令を確認しろ」
堀北は茶柱の顔を見る。
「先生」
「何だ」
「同じことを何度も言うのは、不安だからですか?」
茶柱は一瞬だけ黙った。
以前なら、そんな質問は必要ないと切り捨てていたかもしれない。
だが今は、誤魔化さなかった。
「そうだ」
短く認める。
「地下へ入れば、お前たちの様子は見えない」
堀北の目が僅かに揺れた。
「私たちも、先生たちの様子が見えません」
「そのために通信がある」
「通信が切れたら?」
茶柱はすぐには答えなかった。
堀北は続ける。
「暁光作戦では、何度も通信が途切れました」
「今回も同じことが起きる可能性があります」
そして、茶柱を真っ直ぐ見た。
「その時、勝手に残らないでください」
茶柱が僅かに眉を寄せる。
「誰も残るつもりはない」
そこへ星之宮が口を挟んだ。
「佐枝ちゃんは、ちょっと怪しいけどね」
「星之宮」
坂上も近づいてくる。
「今回は時間厳守だ。五分を超えたら、爆薬を捨ててでも戻る」
真嶋も頷いた。
「機体や爆薬より、帰還を優先する」
茶柱は三人を見回した。
「分かっている」
星之宮が念を押す。
「本当に?」
茶柱は小さく息を吐いた。
「全員で戻る」
堀北はようやく僅かに表情を緩めた。
「はい」
別の区画では、平田と一之瀬が、坂上へ救援対象の優先順位を確認していた。
「複数の損傷機がいる場合、どの機体から牽引するべきですか」
平田の問いに、坂上はすぐに答える。
「原則として、自力で動けない機体を優先する」
「次に、退路を塞いでいる機体だ」
一之瀬が尋ねる。
「搭乗者の負傷が重い場合は?」
「救命を最優先する」
「でも、管制ユニットだけを取り出したら、機体はその場へ残りますよね」
一之瀬の声が僅かに弱くなる。
味方の機体を捨てる。
搭乗者だけを救い、戦術機を地下へ置いていく。
救援任務では、そうした判断を求められる可能性がある。
坂上は穏やかに答えた。
「機体は置いていけ」
「その機体が通路を塞いだ場合は?」
「爆破して道を開ける」
一之瀬が言葉を失う。
平田も僅かに目を見開いた。
「味方の機体を、ですか」
「そうだ」
坂上は二人を見た。
「戦術機は大切な兵器だ」
「だが、人間を守るための道具でもある」
「順番を間違えるな」
平田は静かに頷いた。
一之瀬も少し遅れて答える。
「はい」
高円寺は星之宮機の近くに立ち、脚部と跳躍ユニットを見上げていた。
星之宮が不思議そうに言う。
「高円寺くんが見送りに来るなんて珍しいね」
「私は機体状態を確認しているだけだよ」
「私のことが心配なの?」
「都合よく解釈して構わない」
星之宮は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、心配してくれてるってことにする」
高円寺は星之宮ではなく、機体の左脚部を見ていた。
「左跳躍ユニットの反応が、〇・四秒ほど遅い」
星之宮が目を丸くする。
「そんなことまで分かるの?」
「試験起動時の音が、右側より僅かに遅れていた」
その言葉を遠くで聞いた真嶋が、すぐに整備班へ声を飛ばした。
「星之宮機の左跳躍ユニットを再確認しろ!」
担当整備員が端末を接続し、数値を確認する。
遅延は規定範囲内だった。
しかし、地下での方向転換や緊急回避では、
その僅かな差が機体姿勢へ影響する可能性がある。
真嶋が命じる。
「制御補正を入れろ」
星之宮は高円寺を見る。
「本当に心配してくれてたんだ」
「必要な機体が不調では困るだけさ」
「はいはい」
星之宮は満足そうに笑った。
龍園は教導隊の見送りには加わらず、
格納庫端末へ表示された地下作戦図を見つめていた。
その隣にはひよりがいる。
「西方幹線の敵反応が増えています」
龍園は地図から目を離さずに尋ねる。
「作戦開始前からか」
「はい」
「気づかれてるな」
ひよりは慎重に答える。
「偶然、個体が集まっている可能性もあります」
「四方向全部で増えてるんだろ」
「はい」
「なら偶然じゃねぇ」
そこへ坂柳有栖も近づいてきた。
「BETAが人類側の作戦内容を理解しているとは思えません」
龍園は赤く増えていく反応を見た。
「理由が何であれ、結果として待ち構えてるなら同じだ」
坂柳は否定しなかった。
「地上の囮反応炉を起動すれば、浅層個体の一部は移動するはずです」
ひよりが続ける。
「ただし、空いた区域へ深部から別の個体が上がってくる可能性があります」
坂柳も灯火作戦の記録を表示した。
「浅層部の反応が低下した直後、中層の大型反応が上昇しました」
龍園は作戦時間を見る。
「計画通りの二十分も、余裕はねぇかもしれないな」
ひよりが答える。
「作戦計画では、二十分以内に爆破地点へ到達することになっています」
「半分で進む必要がある」
坂柳が龍園を見る。
「現場へ無理を強いるつもりですか?」
「違ぇ」
龍園は西方幹線の分岐を指した。
「敵が動く前に通れる道を探す」
ひよりは地形を拡大する。
暁光作戦で使用した主坑道。
隣接する細い保守坑。
地下河川。
過去の崩落跡。
完全ではないが、爆破目標へ向かう道は一つではなかった。
「部隊を分けるのですか」
坂柳がすぐに懸念を示す。
「通信が途切れれば、合流できなくなる危険があります」
「十二機全部で同じ道を進めば、それだけ時間がかかる」
ひよりは二本の経路を比較した。
「六機ずつに分ければ、目標地点までの所要時間は短縮できます」
坂柳。
「目標直前で再合流する?」
龍園は首を横へ振った。
「最初から合流しねぇ」
二人が龍園を見る。
「一方が爆薬を設置する」
「もう一方は、退路を確保する」
「設置側が止められたら、退路確保側が役割を引き継ぐ」
ひよりは地図へ二隊の進路を描く。
「西方幹線なら、分岐地点から爆破目標まで二本の道があります」
坂柳も案を検討した。
「教導隊と司令部へ伝える価値はありますね」
龍園。
「なら早くしろ」
坂柳はすぐに司令部へ提案を送った。
採用される保証はない。
それでも、確信がないから黙るという選択はしなかった。
午後五時三十分。
断界作戦参加部隊の搭乗が開始された。
各格納庫で四十八機の主機がほぼ同時に始動し、
重い振動が人工島全体へ伝わっていく。
教導隊格納庫では支持架が解除され、最初に茶柱の不知火が歩き出した。
その後へ坂上の陽炎、星之宮の不知火、真嶋の撃震が続く。
さらにサムライ選抜八機が合流し、西方侵入隊十二機が東部軍港へ向かう。
他の三隊も、それぞれ別の港へ移動を開始していた。
輸送艦。
潜水作業母艦。
護衛艦。
上空を飛ぶ無人偵察機。
海面下で航路を確保する探査艇。
東京湾全体が、断界作戦へ向けて動き始めていた。
候補生予備隊は、西部格納庫で待機する。
十二機の吹雪には、救援用の牽引ワイヤー、
通信中継器、実弾、作業工具、限定量の爆薬が搭載されていた。
オレたちはまだ搭乗せず、各機の前で出撃命令を待っている。
命令が出てから三分以内に出られるよう、強化装備も接続確認を終えていた。
須藤は自分の吹雪を見上げる。
「俺たちは、出ない方がいいんだよな」
平田が静かに答える。
「うん」
「でも、ただ待ってるのも嫌だな」
堀北が言う。
「私たちが出る時は、先生たちが帰れない時よ」
須藤も理解している。
「だから嫌なんだよ」
高円寺は壁へ寄りかかり、腕を組んでいた。
「なら、帰ってくると信じればいい」
須藤が振り返る。
「お前は信じてるのか」
「信じることと、万一に備えることは両立する」
龍園は端末から目を離さない。
「信じてるだけじゃ、誰も戻らねぇ」
一之瀬が答える。
「でも、信じないよりはいいよ」
神崎は現実的に言う。
「感情の話をしている場合ではない」
一之瀬は神崎を見る。
「こういう時だからだよ」
声は穏やかだった。
だが、弱くはない。
「私たちは、この後出撃するかもしれない」
「怖いと思っている人もいる」
「先生たちが戻らないかもしれないって考えている人だっている」
「何も感じていないふりをして待つ方が、ずっと苦しいと思う」
神崎は少しだけ視線を落とした。
「そうだな」
短く認める。
ひよりは格納庫へ戻ってからも、地下地図を見続けていた。
龍園が横から言う。
「少し休め」
「まだ作戦開始前です」
「だからだ」
ひよりが顔を上げる。
龍園は近くの椅子を示した。
「始まったら休めねぇ。今のうちに座れ」
「眠れないと思います」
「寝なくていい」
「では、地図を見ながら――」
龍園はひよりの手から端末を取り上げた。
「今は見るな」
「龍園くん」
「五分だ」
「返してください」
「五分後にな」
ひよりは困ったように笑った。
「本当に五分だけですからね」
「分かってる」
その様子を見た伊吹が、石崎へ小声で言う。
「保護者みたい」
石崎も頷いた。
「龍園さん、結構優しいっすよね」
龍園が二人を見る。
「聞こえてるぞ」
伊吹と石崎はすぐに黙った。
午後六時。
東京湾に設置された三か所の囮反応炉が起動した。
無人撃震の反応炉出力が上昇し、
周囲へ熱と振動、通信波、二酸化炭素が放出される。
複数の戦術機と人間が集まっているかのように偽装された信号が、
東京ハイヴ浅層部へ届いていく。
やがて、地中のBETA反応が動き始めた。
北東。
南東。
南西。
浅層部にいた個体群が、三方向の囮へ引き寄せられていく。
第一作戦管制室から、坂柳有栖の報告が入った。
『浅層部の反応が囮方向へ移動しています』
ひよりがすぐに尋ねる。
『予測値との差は?』
『移動数は、予測より十二パーセント少ないです』
『中層反応は?』
『上昇しています』
やはり、灯火作戦と同じだった。
浅層個体が移動した区域へ、中層から別の個体群が上がってくる。
龍園が回線へ入る。
『使える時間は、計画より短い』
坂柳有栖。
『司令部も同じ判断です』
続いて、坂柳理事長の声が全回線へ流れた。
『断界作戦参加部隊へ』
輸送艦上に立つ四十八機。
各隊の衛士。
地上の候補生。
全員が聞く。
「浅層BETAの誘導を確認しました」
「同時に、中層部からの上昇反応も確認しています」
「作戦時間を五分短縮します」
当初の四十分から三十五分へ変更。
「目標地点への到達が困難と判断した場合は、
作戦開始から十五分の時点で撤退してください」
茶柱。
『了解』
サムライ3。
『了解』
オニキリ大隊長。
『了解』
シールド防衛群指揮官。
『了解』
坂柳理事長の声が強くなる。
「各隊、侵入を開始してください」
四隻の輸送艦から、戦術機が同時に海へ入る。
一機。
二機。
そして四十八機。
巨大な機体が、東京湾の暗い海中へ次々と沈んでいく。
候補生管制席の地図には、四方向の機体反応が表示された。
北方十二機。
南方十二機。
東方十二機。
西方十二機。
全機が海底縦坑を降り、東京ハイヴ浅層部の地下空洞へ到達する。
各隊が最初の通信中継器を設置。
回線がつながる。
坂柳理事長が告げた。
「断界作戦、第一段階を開始します」
西方侵入隊は、暁光作戦で使用された坑道へ入った。
茶柱。
坂上。
星之宮。
真嶋。
サムライ選抜八機。
照明が暗い地下空間を切り裂く。
だが、前回よりも明らかに敵が多い。
侵入口を抜けた直後、百体を超える戦車級が通路を埋めていた。
茶柱が命じる。
『射撃区域を分けろ』
十二機は三列に隊形を組み、同時に射撃を開始した。
無数の砲口炎と着弾の爆発によって、地下空洞が昼のように明るくなる。
戦車級の群れは先頭から吹き飛ばされ、爆風に押されて後続が崩れた。
サムライ3が命じる。
『止まるな。隊形を維持して進め』
真嶋も弾薬消費を警告する。
『全滅させようとするな。進路上の個体だけを撃て』
星之宮が前方を見ながら返す。
『それでも数が多いんだけど』
坂上。
『足元を空ければ十分だ』
敵をすべて倒す必要はない。
十二機が通る道だけを作る。
西方隊は射撃を続けながら前進した。
同じ頃、他の三隊でも異常が発生していた。
北方侵入隊は、入口近くで突撃級反応を確認した。
重装甲を持つシールド防衛群は正面戦闘を避け、側面坑道へ進路を変更する。
南方侵入隊の前方には光線級が現れた。
直線的な地下道での照射を避けるため、
オニキリ大隊は重金属雲を散布し、姿勢を低くして距離を詰めていく。
東方侵入隊では、敵反応こそ少なかったものの、
最初の通信中継器に出力低下が発生した。
作戦開始から僅か五分。
四隊すべてが、すでに計画外の事態へ直面している。
それでも、各隊は前進を続けた。
西方隊は第一分岐へ到達する。
そこには、龍園たちが提案した二本の経路がある。
坂柳有栖から、部隊分割案はすでに現場へ送られていた。
サムライ3が決断する。
『二隊へ分ける』
茶柱。
『六機ずつか』
『教導隊四機とサムライ4、サムライ5は右へ』
『残る六機は左へ進む』
坂上が尋ねる。
『再合流地点は?』
サムライ3は答える。
『合流しない』
『先に目標へ到達した側が爆薬を設置する』
『もう一方は退路を確保し、必要なら設置を引き継ぐ』
茶柱はすぐに意図を理解した。
『候補生の案か』
坂柳有栖。
『龍園くん、椎名さん、私の三人でまとめた案です』
茶柱は短く答える。
『悪くない』
地上で通信を聞いていた龍園は、僅かに口元を上げた。
西方侵入隊は二つに分かれる。
右経路へは、茶柱、坂上、星之宮、真嶋、サムライ4、サムライ5。
左経路へは、サムライ3を含む六機。
二隊は別々の暗闇へ進んでいく。
通信はまだつながっている。
だが、岩盤と距離によって、回線には少しずつノイズが混じり始めていた。
右隊の通路は狭く、前方には要撃級二体が待ち構えていた。
茶柱が即座に役割を決める。
『正面は私と坂上が受ける』
星之宮。
『私は側面支援』
真嶋。
『俺は後方の戦車級を止める』
サムライ4と5も答える。
『了解』
一体目の要撃級が長い前肢を振り上げる。
茶柱機が正面へ出て注意を引き、坂上機が側面へ回る。
星之宮が脚部へ射撃。
サムライ4と5も同じ関節へ砲撃を集中させた。
爆発が重なり、最初の要撃級が崩れ落ちる。
二体目が腕を振り回した。
その一撃が天井へ当たり、岩盤が崩落する。
茶柱機の前へ大量の瓦礫が落ち、進路が塞がれた。
坂上が右側の隙間を見る。
『右へ回る』
茶柱。
『通路幅が足りない』
『陽炎なら通れる』
坂上機は肩を壁へ寄せ、要撃級の側面へ滑り込む。
長刀で脚部関節を斬りつける。
星之宮が同じ箇所へ射撃し、真嶋が残していた百二十ミリ砲を撃ち込んだ。
大爆発。
二体目の要撃級も倒れる。
右隊は瓦礫を避け、前進を再開した。
残り時間、二十六分。
一方、左隊では敵反応がほとんどなかった。
サムライ3は、その静けさを不審に思う。
『静かすぎる』
管制席で地中振動を見ていたひよりが、異常へ気づく。
「左隊の真下です」
坂柳有栖も表示を切り替える。
「深部から大型反応が上昇しています」
龍園が地図を見る。
「道ごと突き上げてくるぞ」
警告が送られる。
直後、左隊の足元が大きく隆起した。
サムライ3が叫ぶ。
『全機散開!』
だが、坑道は狭い。
六機が完全に距離を取る余裕はない。
地面が割れ、突撃級の分厚い前面装甲が、二機の間へ突き出された。
その衝撃でサムライ6が弾き飛ばされ、壁へ激突する。
『サムライ6、中破!』
搭乗者の生命反応はある。
だが、脚部出力が大きく低下していた。
左隊は五機で戦闘を継続しながら、損傷した一機を守らなければならない。
サムライ3が管制へ尋ねる。
『爆破目標までの距離は』
『約七百メートルです』
残り時間は二十四分。
撤退判断まで、あと九分。
サムライ3は即断した。
『右隊へ』
『こちらは救援対象が発生した』
『爆薬設置を任せる』
茶柱。
『了解』
右隊の爆破目標までの距離は五百メートル。
だが、敵反応はさらに増えている。
左隊では、突撃級がまだ動き続けていた。
地上の龍園が言う。
「救援隊の準備を始めろ」
堀北が反応する。
「まだ早いわ」
「中破一機だ」
「左隊には動ける機体が五機残っている」
「突撃級も一体だけよ」
龍園は画面から目を離さない。
「一体だけで終わると思うか」
ひよりが左隊後方の振動を確認する。
「大型反応が増えています」
坂柳有栖。
「要撃級三体」
「さらに、戦車級多数が退路へ接近しています」
サムライ6は中破。
前方には突撃級。
後方には要撃級と戦車級。
作戦開始から、まだ十一分。
想定より早すぎた。
坂柳理事長の声が、西部格納庫へ届く。
「候補生予備隊」
全員の表情が変わった。
「搭乗準備へ移ってください」
まだ出撃命令ではない。
だが、待機段階が一つ上がった。
オレたちは一斉に走る。
吹雪の昇降機へ乗り、管制ユニットへ滑り込む。
強化装備が座席へ固定され、操縦系統との接続が始まる。
堀北機。
須藤機。
高円寺機。
龍園機。
平田機。
一之瀬機。
神崎機。
伊吹機。
石崎機。
アルベルト機。
残る二機。
十二機の主機が順番に起動する。
救援装備と実弾を確認。
支持架が解除される。
格納庫扉が開き、その先に夕暮れの東京湾が見えた。
地下では正規軍が戦っている。
茶柱の声が、ノイズ交じりに聞こえる。
『右隊、目標まで三百メートル』
サムライ3。
『左隊、サムライ6の牽引を開始』
『突撃級はまだ動いている』
爆発音が回線へ入り、通信が大きく乱れる。
平田が呼吸を整えた。
『全員を帰せるかな』
一之瀬が迷わず答える。
『帰すよ』
神崎は冷静に言う。
『まだ出撃命令は出ていない』
須藤。
『でも、出ることになる』
高円寺。
『おそらくね』
龍園がオレへ通信する。
『綾小路』
「何だ」
『出るなら左隊の救援だ』
「分かっている」
堀北も状況を整理する。
『右隊が爆薬設置を完了すれば、左隊の退路を確保する必要がある』
ひよりの声が管制室から届く。
『左隊の現在位置から、第二侵入口へ抜けられる可能性があります』
正規の帰還路ではない。
横方向へ伸びる旧地下水路を使う経路だった。
幅は狭い。
だが、吹雪一機なら通過できる可能性がある。
坂柳有栖。
『救援経路を送信します』
十二機は主機を起動したまま、出撃許可を待つ。
地下では、右隊が爆破目標へ到達した。
茶柱。
『爆薬設置を開始する』
左隊は突撃級を撃破したものの、
サムライ6の脚部出力は二十パーセントまで低下している。
牽引状態では、通常の侵入口へ戻る時間が足りない。
後方からは要撃級が迫っていた。
サムライ3が言う。
『時間が足りない』
坂柳理事長が決断する。
「左隊は作戦を中止してください」
「第二侵入口へ向かってください」
サムライ3が反応する。
『我々の地図にない経路です』
ひよりが答える。
『旧地下水路があります』
『通路幅はぎりぎりですが、理論上は通過可能です』
サムライ3。
『候補生の分析か』
茶柱が短く言う。
『信用しろ』
一瞬の沈黙。
『了解』
左隊は進路を変更し、損傷したサムライ6を牽引しながら旧地下水路へ向かう。
だが、入口は瓦礫によって狭められていた。
サムライ3が報告する。
『このままでは通れない』
地上の龍園が回線へ入る。
『削れ』
『誰だ』
『地上予備の龍園だ』
龍園は瓦礫配置を確認する。
『左上の岩盤だけを落とせ』
『右側には支柱がある。そっちへ力をかけるな』
ひよりも確認する。
『龍園くんの指示で問題ありません』
サムライ3が尋ねる。
『爆薬は使えるか』
龍園。
『使うな』
『作業杭で端から割れ』
五機は損傷したサムライ6を守りながら、瓦礫撤去を始める。
その間にも、敵は接近していた。
右隊の爆薬設置進捗は四十パーセント。
左隊へ迫る要撃級は、残り百メートル。
坂柳理事長が決断した。
「候補生救援隊」
全員が聞く。
「出撃を許可します」
茶柱の声が割って入る。
『司令官!』
坂柳理事長は揺らがない。
「左隊が第二侵入口から脱出するまで支援します」
「地下深部へ進入してはいけません」
「活動範囲は、入口から二百メートル以内」
「敵の撃破より、退路確保を優先してください」
茶柱は数秒黙った。
『……了解』
坂柳理事長は続ける。
「救援隊指揮官、綾小路清隆くん」
「任務を確認してください」
オレは答える。
「左隊六機を回収します」
「候補生救援隊にも、損失は出しません」
坂柳理事長。
「その通りです」
「出撃してください」
西部格納庫前で、十二機の吹雪が一斉に動き始める。
跳躍ユニットの出力が上がり、青白い炎が地面を照らした。
機体が加速し、夕暮れの空へ飛び出す。
候補生救援隊。
これまでのように、学校へ迫る敵を迎え撃つためではない。
地下へ取り残されかけている正規軍を救うため。
自分たちの役割と意思を持って。
オレたちは初めて、東京ハイヴへ向けて出撃した。
夕暮れに染まる東京湾の上を、十二機の吹雪が一列になって進む。
跳躍ユニットの炎が、海面へ長い光を映した。
前方には第二侵入口。
地下からは黒煙が噴き出し、周囲の海面が地中振動によって細かく揺れている。
正規軍左隊は、五機が行動可能。
一機が中破。
退路には要撃級三体と、多数の戦車級。
そして、さらに深い場所では。
これまで動かなかった未知の大型反応が、
左隊と救援隊の向かう第二侵入口へ向けて、ゆっくりと上昇を始めていた。
断界作戦は、まだ半分も終わっていない。
それにもかかわらず人類側は早くも。
本来なら地上へ残すはずだった戦力を。
東京ハイヴの入口へ投入しなければならなくなっていた。