マブラヴ・カーストルーム   作:EXTERMINATION

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第26話 白殻の群れ

断界作戦から一ヶ月間、高度育成衛士高等学校に警報は鳴らなかった。

 

北部地下観測所、南部封鎖区画、

中央講堂跡へ設置された臨時観測器のいずれも夜を通して大きな異常を検出しておらず、

お台場方面で散発的に確認されていたBETA反応も明確に減少していた。

 

東京湾の海面には久しぶりに軍用艇以外の作業船が姿を見せ、

防壁や港湾施設の復旧作業も少しずつ始まっている。

 

それは平和と呼ぶには、あまりにも脆い静けさだった。

 

東京湾の地下には依然として巨大なBETA構造体が存在し、

その全容も、中枢がどこにあるのかも判明していない。

 

軍も学校も警戒態勢を解除しておらず、戦術機部隊はいつでも出撃できる状態を維持していた。

 

それでも、一ヶ月という時間が何事もなく過ぎたことには意味があった。

 

そして、その静かな時間の中で、オレたちは一年生として最後の日を迎えた。

 

高度育成衛士高等学校へ入学してから一年。

 

入学当初、戦術機についてほとんど何も知らなかった生徒たちは、

今では強化装備を身につけ、自分の搭乗機を起動し、編隊を組み、実弾兵装を扱い、

BETAを前にしても最低限の判断を失わずに行動できるようになっている。

 

もちろん、それだけではなかった。

 

人工島へのBETA襲撃を経験し、鳳翼作戦に参加し、

東京の街が戦場へ変わっていく様子を目の当たりにした。

 

レインボーブリッジでは避難民を守るために戦い、

お台場では地上へ溢れ出したBETAを食い止め、

断界作戦では東京ハイヴの進行経路そのものを封鎖した。

 

訓練だけを受けて一年を終えた者は、もう誰もいない。

 

そして何より。

 

オレたちの学年からは、一人の殉職者も出なかった。

 

負傷した者はいる。

 

搭乗機を失った者もいる。

 

戦闘の恐怖から立ち直るまでに時間を必要とした者もいた。

 

それでも、誰一人として欠けることなく戻ってきた。

 

平田も。

 

堀北も。

 

須藤も。

 

櫛田も。

 

軽井沢も。

 

龍園も。

 

ひよりも。

 

一之瀬も。

 

坂柳も。

 

高円寺も。

 

そしてオレも。

 

全員が生きて、二年目の春を迎えた。

 

進級の日だからといって、特別な式典が行われたわけではない。

 

戦時下にある学校では、新しい学年へ上がることさえ日常の延長として処理される。

 

教室の端末に表示されていた学年表記が一年から二年へ変更され、

候補生としての階級表示が更新され、訓練課程の項目が一段階上へ移った。

 

それだけだった。

 

それでも、教室へ入ってきた茶柱は、いつもとは少し違う目で生徒たちを見ていた。

 

一年間、自分が預かってきた候補生たちが全員そこにいる。

 

空席はない。

 

茶柱は出席確認を終えると端末を閉じ、教卓の前から教室全体を見渡した。

 

「全員いるな」

 

誰も答えなかった。

 

当然のことを確認しているようにも聞こえたが、この学校で一年を過ごした今、

その言葉が持つ意味を理解できない者はいなかった。

 

茶柱自身も、それ以上説明しようとはしなかった。

 

「本日より、お前たちは二年生だ」

 

教室の空気が僅かに変わった。

 

須藤が自分の端末に表示された新しい学年表記を見て、平田が隣の席へ小さく笑いかける。

 

軽井沢たちも顔を見合わせ、堀北は何も言わずに正面を向いていた。

 

一年間を生き延びたという達成感よりも、

これから先に待っているものを意識している者の方が多かった。

 

茶柱はそんな生徒たちを見ながら続けた。

 

「進級したからといって、お前たちが一人前の衛士になったわけではない。

むしろ二年次からは実戦を想定した訓練がさらに増える。今まで以上に厳しくなると思え」

 

誰からも不満は出なかった。

 

一年前なら、池や山内あたりが露骨に嫌そうな顔をしていたかもしれない。

 

だが今は違う。

 

訓練が厳しい理由を、全員が知っている。

 

その先にあるものを、自分の目で見てしまったからだ。

 

茶柱は一度言葉を止めた。

 

「ただし」

 

僅かな沈黙の後、その声が少しだけ柔らかくなる。

 

「一年間、よく生きて戻った」

 

教室が静まり返った。

 

茶柱はそれ以上褒めなかった。

 

それだけで十分だった。

 

堀北が窓の外へ視線を向ける。

 

防壁の向こうには東京湾があり、そのさらに先には復旧作業の続く東京の街が見えている。

 

戦争は終わっていない。

 

東京ハイヴも残っている。

 

これから、さらに大きな戦いが待っている可能性も高い。

 

それでもオレたちは、一年前と同じ人数でここにいる。

 

誰かの席だけが空いた教室を見ることなく、次の一年へ進むことができた。

 

それがどれほど難しいことだったのかは、今なら分かる。

 

オレは新しく二年生と表示された端末を閉じた。

 

一年目は終わった。

 

そして、高度育成衛士高等学校での二年目が始まる。

 

 

進級して数日経った朝も静かなままだった。

 

だが、その静けさを平穏と呼ぶ者はいない。

 

南部格納庫は巨大な瓦礫の山へ変わり、

中央講堂が建っていた場所には、深く抉られた窪地が残されている。

 

西部軍港には断界作戦で損傷した戦術機が並び、

夜明け前から整備員たちが装甲板の交換や駆動系統の点検を続けていた。

 

戦死者はゼロ。

 

それは間違いなく、大きな成果だった。

 

しかし、失われなかったのは人命であり、戦力まで無傷だったわけではない。

 

断界作戦へ参加した四十八機のうち、即時再出撃が可能なのは二十九機。

 

短時間の修理で復帰できる機体が十一機。

 

中破した三機については、右脚部、跳躍ユニット、

主機冷却系などの大規模な交換作業が必要と判断されていた。

 

候補生救援隊の吹雪も、数機が修理区画へ入っている。

 

オレの機体は、未知種の肢体に掠められた右脚部外装を交換中。

 

須藤機は背部装甲。

 

高円寺機は救援時に高い負荷がかかった牽引装置の点検を受けていた。

 

それでも、人は残っている。

 

衛士も。

 

整備員も。

 

管制官も。

 

負傷者はいるが、誰一人として欠けてはいない。

 

その事実だけで、前までとは少し異なる空気が校内へ広がっていた。

 

食堂では久しぶりに、作戦やBETA以外の話をする生徒もいる。

 

池は配給されたパンが以前より小さくなったと文句を言い、

山内は昨夜ほとんど眠れなかったと、身振りを交えて大げさに語っていた。

 

櫛田は避難民支援へ参加した女子生徒たちに飲み物を配り、

軽井沢は自分も疲れているはずなのに、

毛布や衣類の不足数を職員へ報告している。

 

ただし、誰も完全に緊張を解いてはいなかった。

 

遠くで金属音が響けば、会話を止めて振り返る。

 

床が僅かに揺れたように感じれば、食器を持つ手が止まる。

 

警報が鳴らない朝を、どう過ごせばいいのか分からない。

 

静けさに慣れていない。

 

オレたち候補生予備隊は、午前六時半に第一作戦会議室へ集められていた。

 

議題は三つ。

 

昨日の断界作戦に関する簡易報告。

 

候補生救援隊の行動検証。

 

そして、東京ハイヴ最終攻略作戦に向けた第一次編成案の説明だった。

 

会議室正面には、東京ハイヴ深部の立体構造が表示されている。

 

鳳翼作戦。

 

暁光作戦。

 

断界作戦。

 

三つの作戦で得られた情報を重ね合わせた地図だった。

 

浅層と深部を結んでいた四本の主要幹線は崩落し、

地上側と深部の連絡は一時的に遮断されている。

 

すでにBETAが新たな掘削を始めた反応は確認されているが、

これまでの速度から計算すれば、

地上へ通じる経路が再構築されるまでには、数日から一週間ほどの猶予がある。

 

その時間を使い、人類側は東京ハイヴの中枢を破壊する。

 

司令卓の前には、坂柳理事長が立っていた。

 

隣には東京防衛軍の将校と、統合司令部から派遣された参謀。

 

さらに茶柱、坂上、星之宮、真嶋の教導隊四名が並んでいる。

 

茶柱の右肩には、まだ固定用のサポーターが巻かれていた。

 

真嶋は整備用端末を手にしている。

 

四人とも断界作戦から帰還した後、十分な休息を取ったようだ。

 

坂柳理事長が説明を始める。

 

「断界作戦の成功によって、

東京ハイヴ深部へ本格侵攻を行うための時間を確保できました」

 

大型スクリーンの浅層部が暗くなり、

そのさらに下へ広がる巨大構造が強調される。

 

「しかし、浅層との移動経路を断ったことで、

ハイヴそのものが弱体化したとは限りません」

 

ひよりが深部地図を見つめる。

 

巨大な地下空間。

 

その中央に存在する有機構造。

 

断界作戦で第二侵入口へ上昇してきた、白い外殻を持つ未知種。

 

作戦終了後の観測では、同じ特徴を持つ反応が複数確認されていた。

 

「これまで単独個体と推測されていた未知種は、

少なくとも三体以上存在する可能性があります」

 

深部構造上へ、白い反応が三つ表示された。

 

須藤が僅かに身を乗り出す。

 

「あれが三体もいるのか」

 

茶柱が答える。

 

「最低でも三体だ」

 

「最低?」

 

「我々が確認できた反応が三つというだけだ。

それ以上いる可能性は否定できない」

 

龍園は腕を組んだまま、白い反応を見つめる。

 

「もっといるかもしれねぇってことか」

 

「そうだ」

 

白い外殻を持つ未知種は、要撃級や要塞級とは身体構造が大きく異なる。

 

周囲のBETAはその進路を空け、

深部空間では他の大型種よりも優先されているように見えた。

 

統合司令部は、この未知種を暫定的に統率級と呼称している。

 

正式な分類ではない。

 

本当に周囲のBETAを統率している証拠もない。

 

それでも、断界作戦時に第二侵入口へ向かった個体の行動と、

深部へ戻った後に周囲のBETAが集結した状況は、

通常の大型種とは明らかに異なっていた。

 

坂柳有栖が尋ねる。

 

「統率級の主目的は、中枢防衛と考えられているのでしょうか」

 

参謀が答えた。

 

「その可能性が高い」

 

「根拠を教えていただけますか」

 

「第二侵入口から深部へ戻った個体が、中央構造体の周辺へ移動している」

 

ひよりが静かに言う。

 

「地上へ出ることを諦めて逃げたのではなく、本来の位置へ戻った」

 

坂柳有栖も頷いた。

 

「中枢を守るための防衛配置へ移った、と考えることもできますね」

 

龍園が鼻で笑う。

 

「こっちが来ると分かって、待ち構えてるってことか」

 

参謀は僅かに眉を寄せた。

 

「BETAが人類と同じ戦術的な思考を持っているとは限らない」

 

「呼び方なんざどうでもいい」

 

龍園は地図から目を離さない。

 

「結果として、俺たちが行く場所に集まってるなら同じだ」

 

参謀は反論しなかった。

 

坂柳理事長が説明を続ける。

 

「最終攻略作戦の基本構想は、三段階に分けられます」

 

第一段階は、浅層部の再確保。

 

断界作戦で崩落させた主要幹線とは別に、新たな攻略用侵入口を三つ開く。

 

工兵部隊が縦坑を確保し、通信中継器、補給拠点、

負傷者搬送用の昇降設備を設置する。

 

第二段階は、中層部制圧。

 

複数の戦術機部隊が三方向から同時侵攻し、深部へ続く主要縦坑を確保する。

 

後続部隊の通路を開き、補給線を維持しながら中枢突入部隊を送り込む。

 

第三段階は、中枢突入。

 

選抜された部隊が東京ハイヴ最深部へ進入し、

巨大有機構造へ大規模爆薬、あるいは軌道爆撃誘導装置を設置する。

 

中枢を破壊した後、全軍が撤退する。

 

説明だけなら単純だった。

 

だが、実際には数百機の戦術機に加えて、歩兵、工兵、整備員、

補給部隊、輸送艦、航空支援、軌道上支援を同時に動かす必要がある。

 

一つの遅れ。

 

一度の通信障害。

 

一か所の崩落。

 

それだけで、地下へ投入された一個部隊が孤立する。

 

坂柳理事長は候補生側を見た。

 

「候補生予備隊も、最終攻略作戦の戦力編成へ含めます」

 

室内の空気が変わった。

 

誰もが予想していた。

 

それでも、正式な言葉として告げられれば、その重さは違う。

 

茶柱の表情は険しい。

 

須藤は正面を見たまま動かない。

 

平田は膝の上で手を組んでいる。

 

一之瀬は小さく息を吸った。

 

高円寺は静かに画面を見ていた。

 

龍園は驚いた様子を見せない。

 

堀北は配布された端末へ情報を書き込み始める。

 

「ただし、現時点で候補生全員を中枢突入部隊へ配属する予定はありません」

 

候補生部隊は、大きく三つに分けられる。

 

地上へ残り、人工島と各侵入口を守る地上防衛隊。

 

正規軍とともに浅層へ入り、補給線や撤退経路を維持する浅層支援隊。

 

戦況の悪化や部隊孤立へ対応する予備救援隊。

 

中枢突入部隊は、正規軍と教導隊を中心に編成される。

 

候補生の大半は浅層、あるいは地上へ残る予定だった。

 

だが、作戦の進行や正規軍の損耗状況によっては、中層部まで入る可能性がある。

 

「最終的な配属は、今後四十八時間の訓練と適性評価をもって決定します」

 

僅か四十八時間。

 

それだけで、東京ハイヴへ入る者と、地上へ残る者が分けられる。

 

須藤が手を上げた。

 

「候補生の中にも、中枢まで行く奴がいるんですか」

 

坂柳理事長は、すぐには答えなかった。

 

「可能性はあります」

 

茶柱が横から口を開く。

 

「司令官」

 

「正規軍機の損傷率と、攻略へ必要な機体数を考えれば、

候補生を完全に除外することはできません」

 

「しかし、中枢突入は候補生へ任せられる任務では――」

 

「まだ決定ではありません」

 

坂柳理事長は穏やかに、しかし明確に茶柱を止めた。

 

「誰をどこへ置くべきか」

 

「それを見極めるための四十八時間です」

 

龍園が言う。

 

「すでに候補に入れてる奴がいるなら、最初から名前を出せ」

 

茶柱が注意する。

 

「龍園」

 

しかし、坂柳理事長は質問へ答えた。

 

「現時点で、中層以深への適性が高いと判断されている候補生は――」

 

大型画面へ名前が表示される。

 

綾小路清隆。

 

堀北鈴音。

 

龍園翔。

 

高円寺六助。

 

須藤健。

 

平田洋介。

 

一之瀬帆波。

 

神崎隆二。

 

さらに、画面の下へ四人の名前が追加された。

 

七瀬翼。

 

宝泉和臣。

 

天沢一夏。

 

八神拓也。

 

会議室後方に座っていた下級生四人へ、視線が集まる。

 

七瀬は背筋を伸ばし、正面を見た。

 

宝泉は壁際で腕を組み、椅子へ深く座っている。

 

天沢は緊張している様子もなく、僅かに笑みを浮かべていた。

 

八神は表情を変えず、画面に表示された情報を静かに確認している。

 

四人とも、これまで前線訓練の一部へ参加していた。

 

だが、東京ハイヴ最終攻略作戦の編成候補として、

正式に名前が挙げられたのは初めてだった。

 

須藤が宝泉へ視線を向ける。

 

宝泉もそれに気づいた。

 

「何見てんだ、パイセン」

 

「別に何も見てねぇ」

 

「俺が選ばれて不満か?」

 

「誰もそんなこと言ってねぇだろ」

 

「顔に出てんぞ」

 

須藤が立ち上がりかける。

 

平田がすぐに腕を伸ばした。

 

「今は会議中だ」

 

宝泉は鼻で笑う。

 

「相変わらず仲良しごっこか」

 

茶柱の声が飛ぶ。

 

「宝泉」

 

「聞こえてますよ」

 

宝泉は返事をしたものの、姿勢を正そうとはしなかった。

 

態度。

 

口調。

 

規律。

 

そのどれにも問題がある。

 

それでも、戦術機衛士としての適性評価は高かった。

 

身体能力。

 

反応速度。

 

射撃精度。

 

操縦技術。

 

候補生全体の中でも、明確に上位へ入っている。

 

一方で、集団行動には問題が多い。

 

訓練中の独断専行。

 

他候補生への威圧。

 

命令への反発。

 

宝泉は、自分が単独で戦った方が速いと本気で考えている。

 

坂柳理事長が、宝泉へ視線を向けた。

 

「宝泉くん」

 

「何ですか」

 

「東京ハイヴ最終攻略作戦では、一人で戦うことはできません」

 

宝泉は鼻で笑う。

 

「俺一人で全部やるなんて言ってねぇだろ」

 

「ですが、一人でできると考えている」

 

宝泉の笑みが消えた。

 

坂柳理事長の声は穏やかだった。

 

責めるでも、挑発するでもない。

 

ただ事実を示している。

 

「それが、今のあなたにとって最大の危険です」

 

宝泉は答えなかった。

 

隣にいた七瀬が、僅かに視線を向ける。

 

天沢は楽しそうに笑った。

 

「宝泉くん、怒られてる」

 

「黙れ」

 

「図星だったんだ」

 

「後で覚えてろよ」

 

八神が静かに言う。

 

「会議中ですよ」

 

宝泉は八神を睨む。

 

「お前も黙ってろ」

 

八神は表情を変えなかった。

 

「命令へ従えないのであれば、候補から外されます」

 

「お前に言われる筋合いはねぇ」

 

「僕が言わなくても、評価結果は同じです」

 

二人の間に張りつめた空気が流れた。

 

下級生四人には、それぞれ異なる特徴がある。

 

七瀬は他人との調整を得意とし、部隊全体を見て行動できる。

 

宝泉は圧倒的な身体能力と攻撃性を持つが、独断専行が目立つ。

 

天沢は型へはまらず、予想外の判断と機動を見せる。

 

八神は冷静で、状況分析や指揮能力にも優れている。

 

一見すれば、まとまりがない。

 

だが、戦術機適性だけを見れば、四人とも上位にいる。

 

この四人を、部隊として使うことができるのか。

 

それも四十八時間で見極めなければならない。

 

坂柳理事長は説明を終えた。

 

「本日の午前中は休息と機体整備へ充てます」

 

「午後からは、候補生全員を対象とした中層模擬戦闘訓練を開始します」

 

会議が終了し、候補生たちは廊下へ出た。

 

須藤が歩いていると、宝泉が横へ並ぶ。

 

「パイセン」

 

須藤は足を止めない。

 

「何だ」

 

「前の救援で、ずいぶん格好つけたらしいな」

 

「格好つけてねぇ」

 

「百二十ミリ弾一発で、要撃級を壁へ叩きつけたんだろ」

 

須藤が宝泉を見る。

 

「見てたのか」

 

「戦闘記録は公開されてる」

 

宝泉は笑った。

 

「俺なら最初の一発で脚を飛ばしてた」

 

須藤の足が止まる。

 

「言うだけなら簡単だ」

 

宝泉も立ち止まった。

 

二人には似た部分がある。

 

高い身体能力。

 

気性の荒さ。

 

前へ出ることを恐れない性格。

 

だからこそ、互いに相手を受け入れにくい。

 

「試すか?」

 

宝泉が一歩近づく。

 

須藤も引かない。

 

「やってみろよ」

 

その瞬間だった。

 

宝泉の右手が伸びる。

 

胸倉を掴むような乱暴な動きではない。

 

だが、須藤の肩を強く突き飛ばした。

 

不意打ちに近い力。

 

須藤の身体が半歩ずれる。

 

周囲の空気が一気に張り詰めた。

 

「てめぇ……!」

 

須藤が即座に宝泉の胸を押し返す。

 

今度は宝泉の身体が揺れた。

 

だが宝泉は笑ったままだった。

 

「ほら、やっぱそうなるじゃねぇか」

 

「ふざけんな!」

 

須藤が拳を握る。

 

宝泉も肩を鳴らした。

 

「戦場でビビって足止める奴は死ぬ」

 

「誰がビビったって?」

 

「お前だよ」

 

宝泉が挑発する。

 

「俺ならもっと前に出てた」

 

須藤の拳が動く。

 

完全な殴打ではない。

 

だが肩口を狙った一撃だった。

 

宝泉は腕で受け流す。

 

鈍い音。

 

次の瞬間には宝泉も須藤の胸を押し返していた。

 

二人の身体がぶつかる。

 

まるで獣同士の威嚇だった。

 

「上等だ」

 

「その顔が見たかったんだよ」

 

宝泉が笑う。

 

須藤の額には血管が浮かんでいた。

 

周囲の候補生たちも足を止める。

 

石崎が慌てる。

 

「お、おい宝泉!」

 

神崎も眉をひそめた。

 

「こんな場所で何をしている」

 

だが二人は聞いていない。

 

互いしか見えていなかった。

 

あと一歩。

 

どちらかが本気で殴れば完全な乱闘になる。

 

平田が二人の間へ入ろうとした。

 

その前に、高円寺が口を開く。

 

「格納庫へ行けば、訓練結果によって比較できる」

 

宝泉が高円寺を見る。

 

「何だ、お前」

 

「この廊下で殴り合っても、戦術機操縦の優劣は分からないと言っている」

 

「俺は操縦だけの話をしてねぇ」

 

「それなら最終攻略作戦には関係ないね」

 

宝泉の表情が僅かに歪んだ。

 

高円寺は気にした様子もなく続ける。

 

「自分の強さを示したいのであれば、部隊が利用できる形で示すべきだ」

 

須藤は高円寺を見る。

 

「お前が喧嘩を止めるとは思わなかった」

 

「床が汚れるからねぇ」

 

宝泉が笑った。

 

「面白ぇ奴だ」

 

高円寺は淡々と返す。

 

「君から評価されても、特に嬉しくはない」

 

須藤との衝突を止めた直後に、

今度は高円寺との間へ新しい火種が生まれかける。

 

七瀬が宝泉の腕へ手を置いた。

 

「行きましょう」

 

「触るな」

 

「ここで問題を起こしたら、訓練が始まる前に候補から外されます」

 

「外してみろ」

 

七瀬は穏やかな声のまま尋ねる。

 

「本当に外されたら、悔しいでしょう?」

 

宝泉は七瀬を見る。

 

七瀬も視線を逸らさない。

 

穏やかだが、退く気はなかった。

 

宝泉は舌打ちし、再び歩き出した。

 

天沢がその後ろをついていく。

 

「七瀬ちゃん、宝泉くんの扱いが上手いね」

 

「扱っているつもりはありません」

 

八神も続く。

 

「実際には、上手く扱えていますよ」

 

宝泉が振り返る。

 

「全部聞こえてんぞ」

 

四人はそのまま廊下の先へ消えていく。

 

龍園が小さく笑った。

 

「使いにくそうな駒だな」

 

ひよりが隣から注意する。

 

「人を駒と呼ばないでください」

 

「使えるかどうかの話だ」

 

「人には、それぞれ行動する理由があります」

 

龍園が尋ねる。

 

「宝泉にもか」

 

「あると思います」

 

「暴れたいだけじゃねぇのか」

 

ひよりは少し考えた。

 

「それも、理由の一つなのかもしれません」

 

龍園は僅かに笑った。

 

午前八時。

 

西部格納庫では、候補生機の整備が続いていた。

 

オレの吹雪は右脚部装甲を交換中。

 

須藤機は背部装甲。

 

高円寺機は牽引装置。

 

堀北機には、目立った異常は確認されていない。

 

整備員たちは候補生を危険な作業区域へ近づけすぎないよう注意しながらも、

機体構造や応急処置に関する説明を行っていた。

 

今後、候補生たちが東京ハイヴ内部へ入るならば、

簡単な処置は衛士自身で行わなければならない。

 

真嶋が候補生たちを集める。

 

「中層以深まで進めば、整備員はついてこられない」

 

戦術機の脚部。

 

装甲板。

 

駆動系統。

 

冷却管。

 

真嶋は機体図を表示し、各部を順番に示した。

 

「勘違いするな。地下で機体を完全に修理することはできない」

 

「必要なのは、何を捨てるかを判断することだ」

 

須藤が眉をひそめる。

 

「何を捨てるんだ」

 

「壊れた武装」

 

「動かなくなった装甲」

 

「過熱して使用不能になった跳躍ユニット」

 

「不要な重量を外し、動ける部分だけで帰還する」

 

須藤は聞き返す。

 

「直すんじゃねぇのか」

 

「地下で交換部品が都合よく出てくると思うか」

 

真嶋は須藤機の背部装甲を軽く叩いた。

 

「壊れたものを外し、残された機能で動く」

 

「それが、地下で行える応急処置だ」

 

少し離れた場所から、宝泉が言う。

 

「腕一本なくても、動けりゃ十分ってことだろ」

 

真嶋は宝泉を見る。

 

「その通りだ」

 

宝泉が意外そうに眉を上げる。

 

「ただし」

 

真嶋は続けた。

 

「自分の機体から腕を捨てる判断と、味方機の腕を勝手に捨てる判断は違う」

 

「誰がそんなことするんだよ」

 

「お前だ」

 

即答だった。

 

周囲の候補生が笑いそうになる。

 

宝泉は真嶋を睨んだ。

 

「俺を何だと思ってやがる」

 

「命令より自分の判断を優先する候補生だと思っている」

 

「正しい判断なら、別にいいだろ」

 

「何をもって正しいと判断するのかを、一人で決めるな」

 

宝泉は反論しようとした。

 

真嶋は先に機体図を切り替える。

 

「右腕部が動かなくなった機体がある」

 

「お前なら右腕を外すか」

 

「外す」

 

「右腕部には通信中継器が固定されている」

 

宝泉が黙った。

 

真嶋は別の損傷例を表示する。

 

「左脚部が過熱した機体」

 

「跳躍ユニットを切り離すか」

 

「切る」

 

「その機体は爆薬運搬担当だ。

跳躍ユニットを失えば、途中の崩落地点を越えられない」

 

宝泉の表情が変わる。

 

「情報が足りねぇだろ」

 

「そうだ」

 

真嶋は頷いた。

 

「だから、一人で決めるなと言っている」

 

宝泉は何も返さなかった。

 

納得したとは口にしない。

 

だが、その場から離れようともせず、真嶋の説明を最後まで聞き続けていた。

 

午後一時。

 

中層模擬戦闘訓練が開始された。

 

場所は西部地下演習施設。

 

断界作戦後に行われた地下戦訓練よりも、さらに複雑な状況が用意されている。

 

複数の階層。

 

狭い坑道。

 

巨大な地下空洞。

 

通信障害。

 

崩落。

 

複数方向から現れる敵反応。

 

今回の任務は三つだった。

 

補給物資を搭載した輸送機を指定地点まで護送する。

 

途中で孤立した味方二機を回収する。

 

中枢爆破部隊が通過するまで、追撃するBETAを阻止する。

 

参加する候補生は十二機。

 

上級生八機。

 

下級生四機。

 

全体指揮官はオレ。

 

副指揮官は堀北。

 

第一小隊には、須藤、高円寺、平田、一之瀬。

 

第二小隊には、龍園、神崎、七瀬、宝泉。

 

第三小隊には、天沢、八神、伊吹、石崎。

 

坂柳有栖とひよりは地上管制を担当する。

 

通常なら、龍園と宝泉を同じ小隊へ置くことは避けるだろう。

 

二人とも他人へ命令することを好み、自分が命令されることを嫌う。

 

だからこそ、今回は同じ小隊へ置かれた。

 

個人能力ではなく、部隊として使えるかを確認するために。

 

龍園が小隊回線を開く。

 

『第二小隊の指揮は俺だ』

 

宝泉は面倒そうに答える。

 

『聞こえてる』

 

『なら命令に従え』

 

『まともな命令ならな』

 

龍園が笑った。

 

『お前に、それを判断できるのか』

 

『試してみろ』

 

神崎が二人を止める。

 

『始まる前から揉めるな』

 

七瀬は落ち着いた声で言った。

 

『私は龍園先輩の指示に従います』

 

宝泉が反応する。

 

『勝手に決めんな』

 

『部隊編成で決まっています』

 

『俺の話をしてんだ』

 

『宝泉くんも部隊の一員です』

 

龍園が低く笑う。

 

『お前より、七瀬の方が話が分かるな』

 

『そいつを褒めるな』

 

七瀬が不思議そうに尋ねる。

 

『なぜですか』

 

『知らねぇ』

 

理由のない反発。

 

それでも、以前ほど空気は悪くなかった。

 

少なくとも宝泉は、命令を無視して先に機体を動かしてはいない。

 

訓練開始。

 

十二機が地下演習区画へ入る。

 

第一小隊とオレが前衛。

 

堀北が中央で全体指揮。

 

輸送機役を担当する平田と一之瀬は隊列中央。

 

第二小隊は右側面。

 

第三小隊は後方を担当する。

 

地下用照明が暗闇を照らす。

 

床には水が溜まり、壁面には東京ハイヴ中層部を模した有機構造が張りついていた。

 

通信状態は正常。

 

最初の分岐へ到達する。

 

左側には大型反応。

 

右側には多数の小型反応。

 

目的地へ続くのは正面だった。

 

堀北が全体回線で尋ねる。

 

『どちらの敵から処理する?』

 

龍園が即答する。

 

『右だ』

 

須藤は疑問を口にする。

 

『左の大型じゃねぇのか』

 

龍園。

 

『小型に後ろへ回り込まれた方が面倒だ』

 

高円寺も同意した。

 

『私も右側を先に処理するべきだと思う』

 

堀北が判断する。

 

『第一小隊は正面を維持』

 

『第二小隊は右坑道へ入り、小型標的を排除』

 

『第三小隊は本隊後方を警戒して』

 

第二小隊の四機が右坑道へ入る。

 

前方には模擬戦車級標的十二体。

 

通路は狭く、四機が横へ並ぶことはできない。

 

龍園が射撃区域を分けた。

 

『神崎は奥を担当』

 

『七瀬は左側』

 

『宝泉は右側を撃て』

 

宝泉が前へ出ようとする。

 

『俺が先頭へ出る』

 

『小隊長は俺だ』

 

『俺の方が速い』

 

龍園は譲らない。

 

『だから右側を撃てと言っている』

 

宝泉は舌打ちした。

 

それでも指定された位置へ入る。

 

戦車級標的が照明の中へ現れた。

 

龍園が中央。

 

神崎が奥。

 

七瀬が左。

 

宝泉が右。

 

四機が射撃を開始する。

 

狭い坑道に砲口炎と着弾の爆発が連続し、最初の八体が停止した。

 

残る四体のうち、一体が龍園側へ近づく。

 

宝泉は自分の担当区域から射線を中央へ移した。

 

龍園機の前を横切るように撃つ。

 

砲弾は標的へ命中し、動きを止めた。

 

龍園が低い声で言う。

 

『射線を越えるな』

 

『お前の前へ敵が来てた』

 

『俺が撃てた』

 

『撃つのが遅かった』

 

龍園は言い返さなかった。

 

宝泉の判断そのものは速い。

 

龍園が撃つ前に標的を止めている。

 

しかし、味方の射線へ自分の砲弾を入れた。

 

実戦なら、僅かな位置ずれで龍園機へ誤射していた可能性がある。

 

残る三体は、七瀬が二体、神崎が一体を停止させた。

 

右坑道の制圧完了。

 

第二小隊は本隊へ戻る。

 

龍園が宝泉へ言う。

 

『今の行動は減点だ』

 

『助けてやったのにか』

 

『俺の射線へ入った』

 

『当ててねぇだろ』

 

『当たらなかったから正しいわけじゃねぇ』

 

宝泉の声が低くなる。

 

『次は、お前が遅れるな』

 

龍園。

 

『次は命令を聞け』

 

互いに一歩も譲らない。

 

七瀬が二人の会話へ入る。

 

『次は、事前に補助射線を設定しましょう』

 

龍園。

 

『そうする』

 

宝泉。

 

『勝手にまとめんな』

 

七瀬は少し考えた後で言う。

 

『では、宝泉くんは龍園先輩を撃たないでください』

 

『撃つわけねぇだろ』

 

『なら問題ありません』

 

宝泉は言葉を返せなかった。

 

本隊前方には、模擬要撃級標的二体が待っていた。

 

通路幅は広い。

 

第一小隊が前へ出る。

 

須藤が左側。

 

高円寺が中央左。

 

オレが右。

 

平田と一之瀬は輸送機役として後方へ残る。

 

堀北が注意する。

 

『倒す位置を考えて』

 

二体を通路中央で停止させれば、輸送機が通過できなくなる。

 

左右の壁際へ誘導し、中央へ道を作らなければならない。

 

一体目は須藤が左へ引きつける。

 

二体目はオレと高円寺で右側へ誘導する。

 

脚部へ射撃。

 

着弾。

 

爆発。

 

要撃級標的が僅かに傾く。

 

須藤がさらに距離を詰めた。

 

堀北が警告する。

 

『須藤くん、近づきすぎよ』

 

『あと少しで止められる』

 

高円寺が地形を見た。

 

『その位置で倒せば、輸送機の進路が狭くなる』

 

須藤は前進を止めた。

 

自分が倒しやすい位置ではなく、後続が通りやすい位置へ要撃級を動かす。

 

須藤は射撃方向を変え、要撃級標的を左壁へ寄せた。

 

追加射撃。

 

標的停止。

 

右側でも、オレと高円寺が同時に射撃を行い、二体目を壁際で止める。

 

通路中央が開いた。

 

平田と一之瀬が輸送機役として通過する。

 

第一課題は順調に進んでいた。

 

だが、その直後。

 

通信障害装置が作動した。

 

全回線が一斉に途切れる。

 

オレと堀北の通信も失われた。

 

事前規則では、部隊全体が通信を失った場合、各小隊は独立して任務を継続する。

 

前方で大きな崩落音が響く。

 

演習施設の可動壁が作動し、通路構造そのものが変わった。

 

本隊は三つの経路へ分断される。

 

第一小隊には、オレ、堀北、須藤、高円寺、輸送機役の平田と一之瀬。

 

第二小隊には、龍園、神崎、七瀬、宝泉。

 

第三小隊には、天沢、八神、伊吹、石崎。

 

各隊の間に壁が作られ、管制室との通信も切断された。

 

自分たちの判断だけで、任務を継続しなければならない。

 

第一小隊の前方では、通路の一部が崩れていた。

 

輸送機役の二機は、そのままでは通過できない。

 

右側に細い迂回路がある。

 

堀北は通信の代わりに機体灯を使い、右へ進むよう合図した。

 

オレが先行する。

 

須藤は後方警戒。

 

高円寺が平田と一之瀬の機体を誘導する。

 

一方、第二小隊の前方には模擬要撃級一体。

 

背後には複数の戦車級標的が現れた。

 

挟撃。

 

龍園が即座に役割を決める。

 

『宝泉は正面の要撃級』

 

『七瀬は後方』

 

『神崎は中央から両方を支援しろ』

 

宝泉が聞き返す。

 

『俺一人で要撃級をやれってのか』

 

龍園が挑発するように返す。

 

『できねぇのか』

 

『言ったな』

 

宝泉機が前へ出る。

 

要撃級標的が長い腕を振り上げた。

 

宝泉は後退しない。

 

脚部へ射撃。

 

命中。

 

そのまま距離を詰める。

 

龍園が警告する。

 

『前へ出すぎだ』

 

『黙って見てろ』

 

要撃級の腕が宝泉機へ振り下ろされる。

 

宝泉は跳躍ユニットを短く噴射し、横へ回避した。

 

巨大な腕が壁面へ激突する。

 

その隙を逃さず、宝泉はさらに接近した。

 

至近距離から肩部へ三十六ミリ弾を連射する。

 

要撃級標的の動きが止まった。

 

撃破判定。

 

速い。

 

正面の大型標的を、一機で短時間に止めた。

 

だが、背後では七瀬と神崎が多数の戦車級標的へ対応している。

 

標的数が多く、弾薬消費も激しい。

 

龍園も後方支援へ加わった。

 

それでも、少しずつ押されている。

 

宝泉は本隊へ戻らなかった。

 

前方へ、新たな大型反応が表示されたからだ。

 

龍園が命じる。

 

『宝泉、戻れ』

 

『まだ前にいる』

 

『後ろを見ろ』

 

『そっちで処理しろ』

 

宝泉は前方へ現れた二体目の要撃級標的へ向かう。

 

独断専行。

 

龍園の声が強くなる。

 

『戻れ!』

 

『こっちを潰した方が早ぇ!』

 

その瞬間。

 

七瀬機の右側へ、一体の戦車級標的が回り込んだ。

 

七瀬の射線から外れている。

 

神崎が気づき、照準を向ける。

 

だが間に合わない。

 

模擬攻撃が七瀬機の右脚部へ命中した。

 

被弾判定。

 

右脚部機動力が五十パーセントへ低下する。

 

宝泉の動きが止まった。

 

七瀬。

 

『右脚部へ損傷判定を受けました』

 

龍園が怒鳴る。

 

『宝泉!』

 

宝泉は答えない。

 

前方には二体目の要撃級。

 

後方には脚部を損傷した七瀬。

 

一瞬だけ迷う。

 

そして。

 

宝泉機は要撃級へ背を向けた。

 

前方の敵を捨て、七瀬のいる後方へ戻る。

 

『七瀬、動けるか』

 

『歩行は可能です』

 

『下がれ』

 

『ですが、後方の戦車級が――』

 

『俺がやる』

 

宝泉機が七瀬機の前へ立つ。

 

再び独断で動いている。

 

だが、先ほどとは意味が違う。

 

自分だけで敵を倒すためではない。

 

損傷した味方を守るために前へ出た。

 

戦車級標的四体。

 

宝泉が射撃を開始する。

 

一体。

 

二体。

 

三体。

 

消費弾数は多い。

 

それでも、七瀬へ近づいていた敵を押し返す。

 

龍園が横へ入り、神崎も残る一体へ射撃する。

 

三機で戦車級を排除した。

 

龍園が言う。

 

『最初から戻れ』

 

宝泉は苛立った声で答える。

 

『うるせぇ』

 

『七瀬が損傷した』

 

『見りゃ分かる』

 

『お前が命令を無視したからだ』

 

宝泉の声が低くなる。

 

『分かってる』

 

龍園は一瞬だけ黙った。

 

宝泉が、自分の判断に問題があったことを認めた。

 

謝罪ではない。

 

完全に従うとも言っていない。

 

それでも、自分は悪くないと反発することもしなかった。

 

七瀬が宝泉へ呼びかける。

 

『宝泉くん』

 

『何だ』

 

『戻ってきてくださって、ありがとうございます』

 

『礼はいらねぇ』

 

『それでも助かりました』

 

宝泉は少し間を置いてから言う。

 

『次は、勝手に前へ出るな』

 

七瀬が僅かに笑った。

 

『その言葉は、宝泉くんへお返しします』

 

『……黙れ』

 

龍園が小さく笑う。

 

『使いにくいが、使えねぇわけじゃないな』

 

宝泉が怒鳴る。

 

『誰が駒だ』

 

『お前だ』

 

二人の関係が良くなったわけではない。

 

空気も、まだ悪い。

 

だが、少なくとも先ほどよりは。

 

四機が、一つの部隊として動き始めていた。

 

第三小隊は、後方経路へ取り残されていた。

 

天沢。

 

八神。

 

伊吹。

 

石崎。

 

通信は使えない。

 

前方には大規模な崩落。

 

左には細い通路。

 

右には大型反応。

 

石崎が尋ねる。

 

『どっちへ行く?』

 

伊吹が即答する。

 

『左でしょ』

 

天沢は左通路を見た。

 

『でも、かなり狭いよ』

 

八神は右側の反応を分析する。

 

『右側の大型反応は、突撃級を想定した標的です』

 

石崎。

 

『だったら左だな』

 

天沢。

 

『多数決で決めるの?』

 

伊吹。

 

『他に方法がある?』

 

八神は左通路の地形を確認していた。

 

『左側には途中で大きな高低差があります』

 

『吹雪だけなら通過可能です』

 

『ですが、孤立機を回収して戻ることはできません』

 

今回の第二課題は、途中で孤立した味方二機を回収すること。

 

左へ進めば、敵との接触を避けられる。

 

だが救援対象を連れて同じ道を戻ることはできない。

 

第三小隊には、敵を避けることではなく。

 

まだ姿も見えていない味方を。

 

どの経路から連れ帰るのかまで考える必要があった。

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