マブラヴ・カーストルーム   作:EXTERMINATION

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第28話 天衝作戦

午前零時十八分。

 

高度育成衛士高等学校の全域に、緊急招集を告げる赤い灯りが点った。

 

警報音は長く鳴り続けるものではなかった。

 

短い警告音が一度だけ校内を駆け抜け、

それが途切れた後には、かえって不自然な静けさが広がった。

 

その直後、学生寮の扉が次々と開く。

 

眠っていた生徒たちは、まだ意識が完全に覚醒していない状態で

訓練服へ袖を通し、強化装備を抱えて廊下へ出てきた。

 

職員区画からは教師や管制官が作戦室へ向かって走り、

格納庫では夜間整備班だけでなく、

休息へ入っていた整備員まで呼び戻されている。

 

断界作戦が終了してから、まだ一日も経過していない。

 

戦術機も、衛士も、整備員も、十分には回復していなかった。

 

損傷機の修理は途中。

 

弾薬の補充も完了していない。

 

負傷者の中には、まだ医療区画から出られない者もいる。

 

それでも、東京ハイヴ中枢構造体の上昇は止まらなかった。

 

第一作戦管制室の大型画面では、

巨大な赤い反応が刻一刻と浅い位置へ移動している。

 

深度千八百メートル。

 

千七百五十。

 

千七百。

 

巨大な有機構造体が、既存の縦坑を押し広げ、

周囲の岩盤を崩しながら東京湾中央へ向かって垂直に上昇していた。

 

その周囲には、無数のBETA反応が集まっている。

 

戦車級。

 

要撃級。

 

突撃級。

 

要塞級。

 

光線級。

 

さらに、断界作戦で初めて地上近くまで現れた、白い外殻を持つ統率級。

 

観測できるだけでも五体。

 

中枢の移動に合わせるように、

深部へ集結していたすべての個体が浅層方向へ移動を開始していた。

 

断界作戦によって四本の主要幹線を失ったにもかかわらず、

BETAは中枢構造体そのものを先頭にして、別の上昇経路を作ろうとしている。

 

人類側が最終攻略の準備を整えるより早く。

 

中枢そのものを地上へ出す。

 

それがBETAにとって何を意味するのか、明確な答えを持つ者はいなかった。

 

中枢を守るための移動なのか。

 

東京湾岸を直接破壊するためなのか。

 

あるいは、人類がまだ理解していない別の目的があるのか。

 

ただし、中枢構造体が東京湾中央で

地表へ現れた場合に何が起きるかだけは、誰にでも想像できた。

 

人工島。

 

お台場。

 

東京湾岸部。

 

それらすべてが、中枢の周囲へ集まるBETAとの決戦場になる。

 

午前零時二十五分。

 

第一作戦会議室には、招集できる限りの人員が集められていた。

 

正規軍の各部隊指揮官。

 

教導隊。

 

候補生予備隊。

 

統合司令部の参謀。

 

地質、通信、整備、補給、医療を担当する各部門の責任者。

 

室内の座席は埋まり、座りきれない者は壁際に立っている。

 

大型画面には東京ハイヴの立体構造が表示され、

その内部を巨大な赤い反応が地上へ向かって上昇していた。

 

坂柳理事長は壇上へ立っている。

 

髪も、濃紺の司令官服も、普段と変わらず整えられていた。

 

だが目の下には、連日の作戦による疲労がはっきりと残っている。

 

中央講堂の崩壊。

 

お台場での戦闘。

 

暁光作戦。

 

断界作戦。

 

その間、一度も十分な休息を取れてはいないはずだった。

 

それでも、坂柳理事長の声は落ち着いていた。

 

「東京ハイヴ中枢構造体は、現在も上昇を続けています」

 

画面へ予測時刻が表示される。

 

午前六時十二分。

 

地表到達。

 

現在時刻から、約六時間後。

 

「当初計画されていた最終攻略作戦は、複数の部隊が東京ハイヴへ侵入し、

最深部へ到達した後、中枢構造体を内部から破壊するものでした」

 

しかし、その構想はすでに使えない。

 

人類側が中枢へ降りていくより先に、中枢が地表へ向かって上がってきている。

 

「中枢構造体が移動している以上、我々も作戦を変更します」

 

画面が切り替わった。

 

東京湾中央。

 

人工島。

 

お台場。

 

湾岸防衛線。

 

海上艦隊。

 

そして、上昇中の中枢へ向かって伸びる三本の迎撃経路。

 

「中枢構造体が地表へ到達する前に、上昇経路へ三方向から侵入します」

 

「周囲を護衛しているBETAを排除し、

中枢構造体へ直接爆薬を設置してください」

 

地下へ侵入すること自体は変わらない。

 

だが、これまでの作戦のように、固定された最深部を目指すわけではなかった。

 

地中を移動している中枢の進路を予測し、途中で接触する。

 

移動目標へ地下で追いつき、爆薬を設置し、離脱する。

 

さらに困難な作戦だった。

 

坂柳理事長は続ける。

 

「地下で中枢構造体を停止させることができなかった場合は、

地上決戦へ移行します」

 

画面上で、中枢の予測出現地点が東京湾中央へ示される。

 

「地表へ現れた中枢を、海上艦隊と軌道支援によって破壊します」

 

統合司令部の参謀が補足した。

 

「地上決戦へ移行した場合、東京湾岸に甚大な被害が発生する」

 

「人工島やお台場だけでは済まない可能性もある」

 

「可能な限り、地下で止めなければならない」

 

茶柱が質問する。

 

「中枢の上昇経路は確定しているのですか」

 

地質担当者が答えた。

 

「中枢構造体は、既存の大型縦坑を拡張しながら進んでいます」

 

「現在までの地震波と地層変化を分析した結果、

進路の約八割は予測可能です」

 

坂柳有栖が画面を見たまま尋ねる。

 

「残る二割は?」

 

「崩壊する岩盤の状態によって変化します」

 

「つまり、途中で現在の予測線から逸れる可能性がある」

 

「はい」

 

龍園が言う。

 

「地下へ入った後に、移動した中枢を追い直すことになるかもしれねぇな」

 

参謀が答える。

 

「そのために迎撃隊を三方向へ分ける」

 

北迎撃隊。

 

西迎撃隊。

 

南迎撃隊。

 

三隊がそれぞれ別の経路から中枢上昇線へ接近し、

最も早く接触した部隊が爆薬設置を担当する。

 

残る二隊は周囲のBETAを引きつけ、中枢接触隊の退路を確保する。

 

画面へ作戦参加数が表示された。

 

正規軍百四十四機。

 

高度育成衛士高等学校教導隊四機。

 

候補生二十四機。

 

合計百七十二機。

 

会議室が静まった。

 

候補生二十四機。

 

断界作戦で投入された候補生予備隊よりも、明らかに多い。

 

上級生だけではない。

 

下級生を含む適性上位者も、正式な作戦戦力として数えられている。

 

坂柳理事長は、候補生部隊の役割を説明した。

 

第一候補生隊は中層支援。

 

正規軍中枢接触隊の退路を守り、

通信中継器を設置し、損傷機の回収にあたる。

 

第二候補生隊は浅層防衛。

 

地上や別経路から流れ込むBETAを阻止し、

第一候補生隊と正規軍の帰還路を確保する。

 

第三候補生隊は地上予備。

 

人工島防衛と、帰還した損傷機の回収を担当する。

 

画面へ各隊の名前が表示された。

 

第一候補生隊。

 

綾小路清隆。

 

堀北鈴音。

 

龍園翔。

 

高円寺六助。

 

須藤健。

 

平田洋介。

 

一之瀬帆波。

 

神崎隆二。

 

七瀬翼。

 

宝泉和臣。

 

天沢一夏。

 

八神拓也。

 

十二名。

 

第一候補生隊は中層へ入り、正規軍中枢接触隊の直後を進む。

 

候補生部隊の中では、最も危険な配置だった。

 

堀北は表情を変えず、表示された編成を確認している。

 

須藤は膝の上で拳を握った。

 

平田は小さく息を吸い、呼吸を整える。

 

一之瀬は一瞬だけ神崎へ視線を向けた。

 

龍園は驚いた様子を見せない。

 

高円寺も静かだった。

 

七瀬は背筋を伸ばしている。

 

宝泉は口元を僅かに上げた。

 

天沢からは、普段の軽い笑みが消えている。

 

八神は画面から目を離さなかった。

 

第二候補生隊には、伊吹、石崎、アルベルト、

橋本、神室、葛城、櫛田、軽井沢を含む十二名が選ばれた。

 

彼らが担当するのは、第一候補生隊が帰還するための浅層西側経路。

 

中層部隊より地表へ近いからといって、安全な場所ではない。

 

地上から侵入するBETAと、

深部から上昇してくるBETAの両方へ備えなければならない位置だった。

 

後方支援としては、第三候補生隊と第四候補生隊が結成された。

 

第三候補生隊。

 

長谷部波瑠加。

 

佐倉愛里。

 

幸村輝彦。

 

三宅明人。

 

佐藤麻耶。

 

松下千秋。

 

第四候補生隊。

 

王美雨。

 

森下藍。

 

山村美紀。

 

白石飛鳥。

 

西野武子。

 

茶柱は第一候補生隊の名前を見て、坂柳理事長へ視線を向ける。

 

「候補生第一隊を中層へ入れるのですか」

 

「はい」

 

「十二名全員を?」

 

「全員です」

 

「訓練期間が短すぎます」

 

統合司令部の参謀が答える。

 

「正規軍だけでは、三本の迎撃線と地上防衛線を同時に維持できない」

 

茶柱の声が強くなる。

 

「だからといって、候補生を――」

 

坂柳理事長が穏やかに止めた。

 

「茶柱先生」

 

茶柱は言葉を止める。

 

「候補生第一隊へ、中枢への爆薬設置は命じません」

 

「担当区域は中層までです」

 

「正規軍中枢接触隊の後方を守り、通信を維持し、損傷機を回収する」

 

坂柳理事長は一度言葉を切った。

 

「ただし、正規軍中枢接触隊が任務を継続できなくなった場合には、

候補生第一隊が爆薬を引き継ぐ可能性があります」

 

会議室の空気が変わった。

 

須藤の視線が画面へ固定される。

 

龍園の目が僅かに細くなる。

 

一之瀬の表情も硬くなった。

 

平田は何も言わない。

 

茶柱が低い声で言う。

 

「それでは、事実上の中枢突入予備ではありませんか」

 

「そうです」

 

坂柳理事長は否定しなかった。

 

「ですが、最初から候補生へ任せるわけではありません」

 

「最後の手段です」

 

茶柱はさらに言う。

 

「最後の手段なら、大人が残るべきです」

 

「大人たちだけで必要な戦力を満たせないから」

 

坂柳理事長は答えた。

 

声は穏やかだった。

 

だが、その言葉には隠しようのない苦さがあった。

 

「彼らへ任務を与えます」

 

候補生を戦わせたい者など、ここにはいない。

 

それでも、東京ハイヴ中枢は待ってくれない。

 

人員と戦力が足りないという現実は、感情だけでは変えられなかった。

 

須藤が手を上げる。

 

「俺たちは、どの迎撃隊へ入るんですか」

 

坂柳理事長が答える。

 

「西迎撃隊です」

 

西迎撃線は、三本の中で最も深い。

 

暁光作戦や断界作戦で使用された経路に近く、

統率級の反応も最も多く確認されている。

 

画面へ各指揮官が表示された。

 

西迎撃隊総指揮。

 

サムライ3。

 

中枢接触隊指揮。

 

茶柱佐枝。

 

候補生第一隊指揮。

 

綾小路清隆。

 

副指揮。

 

堀北鈴音。

 

茶柱とオレが、同じ迎撃線へ入る。

 

須藤は一瞬だけ茶柱を見る。

 

茶柱は何も言わなかった。

 

星之宮は小さく息を吐き、坂上は経路図を確認し、

真嶋は投入予定機の状態へ視線を移している。

 

坂柳理事長は第二候補生隊の役割も説明した。

 

「候補生第二隊は、浅層西側防衛を担当します」

 

「指揮官は葛城康平くんです」

 

葛城が立ち上がる。

 

「了解しました」

 

橋本。

 

神室。

 

櫛田。

 

軽井沢。

 

伊吹。

 

石崎。

 

アルベルト。

 

彼らは第一候補生隊の出口を守る。

 

軽井沢の顔色が僅かに変わった。

 

これまでは避難支援や後方作業を中心に担当し、

実戦の中心へ立つことはなかった。

 

だが今回は正式な浅層防衛任務。

 

平田は軽井沢を見る。

 

軽井沢も視線に気づいた。

 

会議中であるため、言葉を交わすことはできない。

 

それでも彼女は僅かに頷いた。

 

大丈夫。

 

そう伝えようとしている。

 

本当に大丈夫かどうかは、本人にも分からないはずだった。

 

坂柳理事長は作戦時刻を告げる。

 

「作戦開始は午前五時です」

 

中枢構造体の地表到達予測は午前六時十二分。

 

作戦時間は七十二分。

 

「地下迎撃部隊は、作戦開始から四十分以内に

中枢上昇経路へ到達してください」

 

「爆薬設置に使用できる時間は二十分」

 

「残る十二分で離脱します」

 

厳しい時間設定だった。

 

目標となる中枢は移動している。

 

予測経路から逸れる可能性もある。

 

その周囲には、通常の大型種だけでなく、複数の統率級が存在する。

 

坂柳理事長は続けた。

 

「爆薬設置が不可能と判断した場合は、

移動する中枢を深追いせず、地上決戦へ移行してください」

 

龍園が言う。

 

「地上へ出せば、東京湾岸の被害が大きくなる」

 

「承知しています」

 

「それでも追うなと?」

 

「地下で迎撃部隊を失えば、地上で戦う戦力まで失います」

 

龍園は黙った。

 

正しい判断だった。

 

しかし、地下で止めなければ、

東京湾岸はお台場以上の被害を受けるかもしれない。

 

どちらを選んでも危険は残る。

 

完璧な作戦など存在しない。

 

坂柳理事長が画面の前へ進んだ。

 

「作戦名を発表します」

 

背後には、地中から天へ向かって上昇する巨大な反応が表示されている。

 

「天衝作戦」

 

天を衝く中枢。

 

それを地中で迎え撃ち、逆に押し返す人類側。

 

「本作戦を、東京ハイヴ最終攻略作戦とします」

 

会議室にいる全員が立ち上がった。

 

坂柳理事長の声が、広い作戦会議室へ静かに響いた。

 

「天衝作戦の目的は、東京ハイヴ中枢構造体の破壊」

 

「東京湾岸へのBETA進出を阻止し」

 

「我々の街、東京を奪還することです」

 

そこまで告げると、坂柳理事長は一度言葉を止めた。

 

壇上から見えるのは、整然と並ぶ正規軍衛士と教導隊、そして候補生たちだった。

 

これまで別々の立場で戦ってきた者たちが、

今は同じ作戦へ参加するために集まっている。

 

坂柳理事長は、彼らの顔を一人ずつ確かめるように見渡した。

 

「これまで我々は、守るために戦ってきました」

 

「我々は南部格納庫を失いました」

 

「中央講堂も失いました」

 

「東京の街も、多くの場所がかつての姿を失っています」

 

坂柳理事長の声には、失ったものを嘆く激しさはなかった。

 

だからこそ、その言葉は重かった。

 

誰もが、自分の目で見た光景を思い出している。

 

「多くの命も失われました」

 

会議室の空気が僅かに沈む。

 

坂柳理事長は、その悲しみから目を逸らさなかった。

 

「ですが、失ったものだけを見ていてはなりません」

 

「どうか、皆さんの傍らを見てください」

 

候補生たちは僅かに顔を動かした。

 

隣に立つ仲間。

 

何度も同じ戦場へ出た者。

 

衝突した者。

 

助けた者。

 

助けられた者。

 

同じ恐怖を知り、それでもここへ戻ってきた者たち。

 

「そこには、今も皆さんと共に立っている人がいます」

 

「傷つきながら戻ってきた衛士がいます」

 

「機体を失っても、次の出撃のために働く整備員がいます」

 

「恐怖を知った後でも、再び操縦桿を握ろうとしている候補生がいます」

 

坂柳理事長は、教導隊と候補生たちの双方へ視線を向けた。

 

「我々は満身創痍です」

 

「戦力も、施設も、時間も十分ではありません」

 

「それでも、もう一度立つことを選びました」

 

声が僅かに強くなる。

 

「それは、我々に恐怖がないからではありません」

 

「勝利を疑っていないからでもありません」

 

「生き残っている我々には」

 

「戻らなかった者たちが守ろうとしたものを、次の朝へつなぐ責任があるからです」

 

地上で。

 

海上で。

 

大空で。

 

それぞれの任務を最後まで果たした者たち。

 

坂柳理事長は、彼らの名をここで読み上げなかった。

 

だが、誰もがそれぞれの顔を思い浮かべていた。

 

「大地の下で帰らなかった者たちの声を、忘れないでください」

 

「東京湾で果てた者たちの願いを、忘れないでください」

 

「我々の帰還路を守り、最後まで持ち場を離れなかった者たちを、忘れないでください」

 

静かな言葉が、一つずつ会議室へ積み重なっていく。

 

「彼らは、我々へ死を求めているのではありません」

 

「同じ場所へ来ることを望んでいるのでもありません」

 

「彼らが守った道の先へ」

 

「我々が生きて進むことを願っているはずです」

 

坂柳理事長は、天衝作戦の立体図を振り返った。

 

東京ハイヴ。

 

地下へ伸びる複数の侵入経路。

 

中枢構造体。

 

正規軍。

 

教導隊。

 

候補生部隊。

 

軌道支援部隊と海上艦隊。

 

残された戦力のほぼすべてが、一つの作戦へ投入される。

 

「これまで我々は、敵より深く進むことより、帰還することを優先してきました」

 

「暁光作戦では情報を持ち帰りました」

 

「断界作戦では敵の道を断ち、正規軍を地上へ帰しました」

 

「その判断は間違っていません」

 

茶柱は正面を見たまま、僅かに拳を握った。

 

真嶋も動かない。

 

須藤と堀北も、これまでの作戦を思い出している。

 

「生きて帰ることは、作戦から逃げることではありません」

 

「帰還し、得たものを次の戦いへつなぐことも、人類の前進です」

 

「ですが」

 

坂柳理事長の声音が変わった。

 

穏やかさは失われていない。

 

それでも、その奥にある決意がはっきりと伝わってくる。

 

「守るだけでは、いずれ守る場所そのものがなくなります」

 

南部格納庫を失った。

 

中央講堂を失った。

 

お台場が戦場になった。

 

BETAは一つの道を塞がれるたび、別の道を掘り進んできた。

 

「だから今日」

 

「我々は初めて、自ら前へ進みます」

 

「敵が地上へ向けて掘った道を逆に辿り」

 

「東京ハイヴの中枢へ到達します」

 

「そして、東京を奪われるだけの戦いを終わらせます」

 

作戦会議室へ、重い緊張が走った。

 

天衝作戦。

 

これまでの偵察や封鎖とは違う。

 

人類側からハイヴ中枢へ向かう、初めての本格攻略作戦。

 

坂柳理事長は候補生たちを見た。

 

「若い皆さんへ、恐怖を感じるなとは言いません」

 

「恐怖は、恥じるべきものではありません」

 

「危険を知り、命を守るために必要な感情です」

 

須藤は黙って聞いている。

 

北部区画で前へ出ようとした自分を、高円寺の言葉が止めた。

 

宝泉も、以前のように不敵な笑みを浮かべてはいなかった。

 

七瀬や天沢、八神も正面を見ている。

 

「ただし」

 

「恐怖によって、隣にいる人を見失わないでください」

 

「自分だけで戦おうとしないでください」

 

「一人だけで、正しい答えを出そうとしないでください」

 

坂柳理事長は、候補生たちがこれまで見せた戦いを思い返すように続けた。

 

「照準が合わないなら、隣の弾道を借りてください」

 

「敵が見えないなら、管制から送られる情報を信じてください」

 

「恐怖で足が止まったなら、仲間の声を聞いてください」

 

「自分の火力が足りないなら、別の機体と同じ場所を撃ってください」

 

「自分の判断に迷った時には、迷っていることを伝えてください」

 

情報。

 

判断。

 

火力。

 

技術。

 

勇気。

 

一人では足りないものを、隣の誰かが補う。

 

坂柳理事長は静かに手を広げた。

 

「皆さんが持っているものを、互いに渡してください」

 

「強い者が、弱い者を一方的に守るのではありません」

 

「誰かが見つけた道を、別の誰かが広げる」

 

「誰かが作った数秒を使い、別の誰かが敵を止める」

 

「一人ひとりが異なるものを持っているからこそ」

 

「部隊は、一人では成し遂げられないことを可能にします」

 

「天衝作戦で必要なのは、英雄ではありません」

 

「自分だけの力で、すべてを変えようとする者でもありません」

 

「自分の役割を果たし」

 

「隣の者の役割を信じ」

 

「全員で帰還する部隊です」

 

坂柳理事長の視線が、教導隊へ移る。

 

「茶柱先生」

 

「坂上先生」

 

「星之宮先生」

 

「真嶋先生」

 

四人は黙って敬礼する。

 

「これまで何度も、生徒たちを帰してくださったことに感謝します」

 

「今回も、彼らを導いてください」

 

次に正規軍衛士たちを見る。

 

「正規軍の皆さん」

 

「この学校の候補生は、まだ未熟です」

 

「判断を誤ることも」

 

「恐怖に動きを止められることもあるでしょう」

 

「その時は、どうか支えてください」

 

正規軍側から返事はない。

 

だが、複数の衛士が静かに頷いた。

 

最後に、坂柳理事長は候補生たちへ向き直る。

 

「そして、候補生の皆さん」

 

そこで一度、言葉を止めた。

 

これから戦場へ送り出す若者たち。

 

本来ならば、学校で学び。

 

友人と過ごし。

 

将来を考える時間を持つべき者たち。

 

坂柳理事長の声に、僅かな痛みが混ざった。

 

「我々大人を、許す必要はありません」

 

会議室の空気が変わった。

 

候補生たちは、思いがけない言葉へ顔を上げる。

 

「皆さんへ、戦う術を教えることしかできなかった我々を」

 

「皆さんを戦場へ送り出さなければならない我々の力不足を」

 

「仕方がなかったという言葉で、許さないでください」

 

茶柱が僅かに目を伏せる。

 

坂柳理事長は続けた。

 

「若い皆さんを戦場へ立たせている責任は、我々にあります」

 

「皆さんが戦うことを当然だとは、決して考えません」

 

「候補生だから」

 

「衛士を目指したから」

 

「才能があるから」

 

「そのような理由で、命を差し出すことを求めてはならない」

 

声は穏やかだった。

 

だが、これまでで最も強かった。

 

「願うことが許されるなら」

 

「皆さんの戦いが」

 

「次の若者たちを、同じ戦場へ送らなくて済む未来の礎となることを願います」

 

「ですが、その礎になるという言葉を」

 

「死ぬことだと考えないでください」

 

坂柳理事長は、はっきりと言った。

 

「生きて帰り」

 

「この戦いを次の世代へ伝え」

 

「戦場のない未来を作ること」

 

「それこそが、皆さんに果たしてほしい役目です」

 

候補生たちの中で、僅かに表情が動く。

 

死によって未来を支えるのではない。

 

生き残り、その先を作る。

 

それがこの作戦で求められることだった。

 

「皆さんの名が、歴史へ大きく記されることはないかもしれません」

 

「天衝作戦の詳細が、すべて公表されるとも限りません」

 

「何を守り」

 

「誰を助け」

 

「どこで恐怖に耐えたのか」

 

「それを知らない者もいるでしょう」

 

坂柳理事長は会議室にいる全員を見渡した。

 

「ですが、ここにいる我々は忘れません」

 

「隣で戦った者の行動を」

 

「道を開いた者の判断を」

 

「最後まで通信をつないだ者の声を」

 

「帰還する仲間を待ち続けた者の願いを」

 

誰かが称賛しなくても。

 

勲章が与えられなくても。

 

その行動は、共に戦った者の中へ残る。

 

「皆さん自身も、隣にいる者を覚えていてください」

 

「それが、戻らなかった者への礼儀であり」

 

「これから共に帰る者への約束です」

 

坂柳理事長は再び東京ハイヴの立体図を見た。

 

中枢構造体。

 

無数のBETA。

 

未知の統率級。

 

作戦が計画通り進む保証はない。

 

「天衝作戦では、予想していない事態が必ず起こります」

 

「地図にない道が現れるかもしれません」

 

「通信が切れるかもしれません」

 

「命令を待つ時間がない局面もあるでしょう」

 

「その時は、作戦目的を思い出してください」

 

「中枢を破壊すること」

 

「東京を奪還すること」

 

そして。

 

「全員で帰ることです」

 

三つ目の目的を、坂柳理事長は最も強く言った。

 

「中枢を破壊しても」

 

「東京を取り戻しても」

 

「帰るべき皆さんがいなければ」

 

「私は、それを勝利とは呼びません」

 

静寂。

 

誰も動かない。

 

坂柳理事長の言葉だけが、作戦会議室へ残る。

 

「皆さんには」

 

「東京を取り戻した後の街を見ていただきます」

 

「再建された中央講堂で」

 

「再び入学式を行い」

 

「そして、卒業式を行います」

 

瓦礫へ変わった中央講堂。

 

坂柳有栖が父へ言った言葉。

 

全員が卒業するための場所を作る。

 

その約束が、今も残っている。

 

「戦いが終わった後」

 

「友人と食事をしてください」

 

「本を読んでください」

 

「買い物へ行ってください」

 

「写真を撮ってください」

 

「くだらないことで笑い」

 

「明日の予定を話してください」

 

候補生たちの胸へ、それぞれ異なる日常が浮かぶ。

 

戦場の先にあるもの。

 

守りたいもの。

 

取り戻したいもの。

 

「それが、我々が奪還する東京です」

 

「建物だけではありません」

 

「皆さんが、自分の未来を選ぶことのできる時間を取り戻すのです」

 

坂柳理事長は姿勢を正した。

 

「天衝作戦参加部隊の皆さん」

 

全員が壇上を見る。

 

「今日、我々は前へ進みます」

 

「ですが、誰も置き去りにはしません」

 

「隣の者と共に進み」

 

「隣の者と共に戻ってきてください」

 

「恐怖を抱いたままで構いません」

 

「その恐怖を、一人で抱え込まないでください」

 

「皆さんが互いを見失わない限り」

 

「我々は、何度でも道を作ることができます」

 

坂柳理事長は敬礼した。

 

「東京を取り戻しましょう」

 

「そして」

 

最後の言葉は、命令ではなかった。

 

司令官としてでもない。

 

教育者として。

 

一人の大人として。

 

若者たちへ未来を託さなければならない人間の、心からの願いだった。

 

「必ず、生きて帰ってきてください」

 

一拍を置いて。

 

「天衝作戦参加部隊」

 

「出撃準備を開始してください」

 

正規軍。

 

教師。

 

候補生。

 

会議室にいる全員が敬礼を返した。

 

午前零時五十五分。

 

会議は終了した。

 

作戦開始まで、残り四時間五分。

 

整備。

 

弾薬補給。

 

装備確認。

 

医療検査。

 

そして、僅かな休息。

 

すべてをその時間内に終えなければならない。

 

候補生たちが廊下へ出る。

 

須藤が最初に大きく息を吐いた。

 

「中層か」

 

龍園が横から尋ねる。

 

「不満か」

 

「ねぇよ」

 

「顔に出てるぞ」

 

須藤は誤魔化さなかった。

 

「緊張してるんだ」

 

「悪いかよ」

 

龍園は短く答える。

 

「悪くねぇ」

 

高円寺が二人の後ろを歩きながら言う。

 

「君たちも、少しは素直になったようだね」

 

須藤が振り返る。

 

「お前は緊張してねぇのか」

 

高円寺は僅かに考えた。

 

「しているよ」

 

須藤が驚いたような顔をする。

 

高円寺はそのまま続けた。

 

「未知の地下へ入り、完全には把握できていない敵と戦う」

 

「機体性能も、敵数も、帰還経路も確実ではない」

 

「緊張しない方が不自然だろう」

 

「でも、平気そうに見えるぞ」

 

「表へ出す必要がないだけさ」

 

龍園が笑う。

 

「それを隠してるって言うんだろ」

 

高円寺も笑みを返す。

 

「君にだけは言われたくないね」

 

平田は第二候補生隊の集合地点へ向かう軽井沢を追った。

 

櫛田。

 

橋本。

 

神室。

 

葛城。

 

同じ廊下を歩く者たちの中で、平田が呼びかける。

 

「軽井沢さん」

 

軽井沢が足を止めた。

 

周囲には多くの人間がいる。

 

それでも、今は名前で呼ぶことをためらわなかった。

 

「何?」

 

「少しだけ話せる?」

 

軽井沢は隣にいた櫛田を見る。

 

櫛田は二人の様子を察したように微笑む。

 

「私たちは先に行ってるね」

 

人の流れが離れ、二人は廊下の窓際へ残った。

 

窓の向こうには、作業灯が並ぶ東京湾が見える。

 

平田が言う。

 

「浅層防衛なんだね」

 

「うん」

 

軽井沢は少しだけ強がるように笑った。

 

「中層よりは楽なんじゃない?」

 

「楽ではないよ」

 

「分かってる」

 

少し間を置く。

 

「でも、平田くんの方が危ないでしょ」

 

「僕は一人じゃない」

 

「私も一人じゃない」

 

同じ言葉を返し、軽井沢は笑おうとした。

 

だが、その声は僅かに震えていた。

 

「昨日までは、避難してきた人へ毛布を配ってたのに」

 

「今度は戦術機へ乗ってBETAを止めろって」

 

「変だよね」

 

平田は尋ねる。

 

「怖い?」

 

軽井沢はすぐには答えなかった。

 

やがて、小さく認める。

 

「怖い」

 

「すごく怖い」

 

それでも彼女は続けた。

 

「でも、逃げたくない」

 

「平田くんが前へ行って、私だけ後ろで待つのも嫌」

 

そして、誤解されないようにすぐ付け加える。

 

「同じ戦場へ行きたいって意味じゃないよ」

 

「私にも、ちゃんと自分の役目が欲しいだけ」

 

平田は頷いた。

 

「軽井沢さんならできるよ」

 

軽井沢が眉を寄せる。

 

「簡単に言わないで」

 

「簡単には言っていない」

 

平田の声は穏やかだった。

 

「避難の時、足を痛めた子を支えて歩いていた」

 

「お台場から逃げてきた人へ、ずっと毛布や水を配っていた」

 

「怖くても動けていた」

 

「戦術機へ乗っても、きっと同じだと思う」

 

軽井沢は視線を落とした。

 

「撃てるかな」

 

「撃つことだけが役目じゃない」

 

「でも、BETAが来たら撃たなきゃならない」

 

「その時は、隣の人を見て」

 

坂柳理事長の演説と同じだった。

 

「一人で撃たなくてもいい」

 

軽井沢は小さく頷く。

 

「平田くんもね」

 

「うん」

 

「一人で全部守ろうとしないで」

 

平田は少し驚いた。

 

自分が同じことを言われるとは思っていなかった。

 

「分かった」

 

軽井沢はさらに言う。

 

「絶対に戻ってきて」

 

「軽井沢さんも」

 

二人は同じ約束を交わした。

 

午前一時十分。

 

西部格納庫では、第一候補生隊十二機の出撃準備が進められていた。

 

並んでいるのは候補生用の吹雪。

 

整備足場では、戦闘装備と救援装備が各機へ取り付けられている。

 

突撃砲。

 

長刀。

 

短刀。

 

牽引ワイヤー。

 

通信中継器。

 

応急爆薬。

 

中枢接触隊の後方を守るため、単純に火力だけを増やすわけにはいかない。

 

真嶋が十二人を集め、装備内容を説明する。

 

「第一候補生隊は、戦闘装備と救援装備をほぼ半分ずつ搭載する」

 

「敵と戦うだけではなく、通信をつなぎ、損傷機を連れて帰るためだ」

 

須藤が尋ねる。

 

「百二十ミリ砲弾は?」

 

「一機につき二発だ」

 

「少ねぇな」

 

「地下で何発も撃てば、BETAより先に天井が落ちる」

 

宝泉が言う。

 

「二発あれば十分だろ」

 

須藤が宝泉を見る。

 

「お前は一発で当てられるのか?」

 

「お前よりはな」

 

「試すか」

 

真嶋は二人の間へ工具箱を置いた。

 

重い金属音が響く。

 

「試すなら、作戦から帰った後にしろ」

 

須藤と宝泉は黙った。

 

真嶋は通信中継器の説明へ移る。

 

「今回、最も重要なのは中継器だ」

 

地上で回線全体を管理するのは橋本と神室。

 

だが、実際に中継器を運び、地下へ設置するのは第一候補生隊だった。

 

八神と神崎が主担当。

 

平田と七瀬が予備を持つ。

 

「通信が切れれば、地上側はお前たちの位置を見失う」

 

「指揮も、救援も、起爆命令も届かない」

 

八神が確認する。

 

「設置間隔は二百メートルですか」

 

「基本は二百メートル」

 

「岩盤が厚い場所では百五十メートルへ短縮する」

 

神崎も尋ねる。

 

「敵反応が接近している場合は?」

 

「設置を後回しにする」

 

真嶋は即答した。

 

「中継器を置くために部隊を止め、その場で全滅したら意味がない」

 

七瀬は端末へ手順を記録する。

 

宝泉も黙って聞いていた。

 

真嶋が宝泉を見る。

 

「お前は、中継器担当を守れ」

 

宝泉が眉を寄せる。

 

「俺が?」

 

「前へ出すぎるからだ」

 

「後ろへ置いて、罰を与えるつもりか」

 

「違う」

 

真嶋は答える。

 

「中継器担当は部隊の中心だ」

 

「側面から敵が来た場合、最も早く対応しなければならない」

 

「お前の反応速度を使う」

 

宝泉の表情が僅かに変わった。

 

後方へ下げられるのではない。

 

能力を必要とされている。

 

「八神と神崎の位置を維持しろ」

 

「独断で前へ出るな」

 

宝泉は八神を見る。

 

八神は穏やかに頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」

 

宝泉は面白くなさそうに返す。

 

「気に入らねぇ」

 

七瀬が言う。

 

「でも、断らないんですね」

 

「うるせぇ」

 

天沢が笑う。

 

「宝泉くん、真ん中でお留守番だね」

 

「お前から撃つぞ」

 

「味方を撃ったら失格だよ」

 

高円寺も口を挟む。

 

「彼女の言う通りだ」

 

「お前まで入ってくんな」

 

張りつめていた空気が、僅かに緩んだ。

 

それでも、誰も長く笑い続けることはなかった。

 

これから中層へ入る。

 

訓練ではない。

 

天衝作戦は、東京ハイヴを巡る最終戦だった。

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