マブラヴ・カーストルーム   作:EXTERMINATION

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第29話 武御雷

各自、装備説明を終え、各自が搭乗機の前へ移動する。

 

オレの吹雪は、第二侵入口で損傷した右脚部装甲の交換を終えていた。

 

高円寺が駆動試験の音を聞く。

 

「問題はなさそうだ」

 

「整備員になったのか」

 

「確認しただけさ」

 

高円寺が視線を向けた先。

 

整備区画の最奥部。

 

そこには普段は閉ざされている大型格納スペースがあった。

 

厚い防爆シャッター。

 

二重の警備。

 

一般候補生は立ち入り禁止。

 

その場所だけ、どこか空気が違う。

 

須藤が首を傾げる。

 

「何だあれ」

 

真嶋が少しだけ眉をひそめた。

 

「見るな」

 

「そう言われると気になるんだけどな」

 

須藤が言った瞬間。

 

格納スペースのシャッターがゆっくりと上昇した。

 

重い駆動音。

 

巨大な金属音。

 

白い照明が内部を照らし出す。

 

そして。

 

そこに立っていた機体を見た瞬間。

 

格納庫の空気が変わった。

 

紫。

 

深い紫色の装甲。

 

流麗な頭部。

 

洗練されたシルエット。

 

吹雪とも不知火とも違う。

 

見る者へ圧倒的な存在感を与える特別な機体。

 

堀北が息を呑む。

 

「まさか……」

 

真嶋が短く答えた。

 

「武御雷だ」

 

須藤の表情が変わる。

 

「武御雷?」

 

龍園も珍しく視線を向ける。

 

「あの斯衛軍のか」

 

「正式には試験配備機だ」

 

真嶋が言う。

 

「帝国政府から高度育成衛士高等学校へ預けられている」

 

高円寺は機体を見上げたまま口元を僅かに上げる。

 

「なるほど、噂は本当だったようだねぇ」

 

誰もが見上げる中。

 

格納庫奥から一人の人物が歩いてくる。

 

坂柳理事長だった。

 

理事長は武御雷の前で足を止める。

 

「皆さんに紹介しておきましょう」

 

穏やかな声。

 

だが格納庫全体が静まり返る。

 

「この武御雷は、帝国政府より試験配備された特別機です」

 

照明に照らされた紫色の装甲が静かに輝く。

 

「本来であれば斯衛軍が運用する機体ですが、

高度育成衛士高等学校の研究協力に伴い、一機だけ預けられています」

 

須藤が呟く。

 

「一機だけかよ」

 

「当然です」

 

坂柳理事長は微笑んだ。

 

「非常に貴重な機体ですから」

 

ひよりも端末から顔を上げて見つめる。

 

坂柳有栖は小さく頷いていた。

 

龍園が腕を組む。

 

「で、誰が乗るんだ」

 

理事長は答えなかった。

 

ただ武御雷を見上げる。

 

まるで未来を見ているように。

 

「まだ、その時ではありません」

 

静かな返答。

 

「ですが」

 

理事長は続けた。

 

「いつか、この機体を託すべき人物が現れるでしょう」

 

誰も言葉を返さない。

 

武御雷は沈黙したまま格納庫に立っている。

 

まるで来るべき決戦の日を待つように。

 

その姿を見ながら。

 

オレは何も言わなかった。

 

だが。

 

なぜか視線だけは自然と武御雷へ向いていた。

 

そこへ堀北が来た。

 

「作戦隊形を決めましょう」

 

十二機を四機ずつ、三班へ分ける。

 

第一班は、オレ、堀北、須藤、高円寺。

 

前衛と全体指揮を担当する。

 

第二班は、龍園、平田、一之瀬、神崎。

 

中央部隊として、救援と情報管理を行う。

 

第三班は、七瀬、宝泉、天沢、八神。

 

後衛と通信中継器の防衛を担当する。

 

堀北は宝泉の位置に懸念を示した。

 

「宝泉くんを後衛へ置くのは危険ではない?」

 

龍園が言う。

 

「前へ置く方が危険だ」

 

離れた場所から宝泉が反応する。

 

「全部聞こえてんぞ」

 

龍園は平然と返す。

 

「なら命令に従え」

 

「お前の隊じゃねぇ」

 

オレは隊形図を見る。

 

「宝泉は第三班の前衛へ置く」

 

堀北が確認する。

 

「第三班の先頭?」

 

「中継器担当より前」

 

「ただし第二班よりは後ろだ」

 

龍園が意図を理解する。

 

「前へ出た感覚を与えながら、全体からは離れさせねぇ位置か」

 

宝泉が苛立つ。

 

「ふざけんな」

 

「お前の反応速度が必要だ」

 

宝泉は黙った。

 

真嶋と同じ理由だった。

 

「左右の保守坑や分岐から接近する敵に、最初に対応しろ」

 

「中継器担当へ届かせるな」

 

宝泉は少し間を置く。

 

「最初からそう言え」

 

「今言った」

 

不満は残している。

 

それでも、配置そのものは受け入れた。

 

堀北が指揮系統も整理する。

 

「全体指揮が途絶えた場合、第一順位は私」

 

「次に龍園くん」

 

龍園がこちらを見る。

 

「綾小路じゃねぇのか」

 

堀北が答える。

 

「綾小路くんは前衛で、局所戦闘の判断を優先する」

 

「全体指揮は私が引き継ぐ」

 

「俺が二番か」

 

「そうよ」

 

龍園は高円寺を見る。

 

「お前じゃねぇんだな」

 

高円寺は静かに答える。

 

「私は指揮官役を希望していない」

 

龍園が笑う。

 

「できねぇの間違いじゃねぇか」

 

「必要ならできる」

 

高円寺も笑みを崩さない。

 

「だが、人を動かすのは君の方が得意だろう」

 

龍園は一瞬だけ言葉を止めた。

 

高円寺から評価されたことは気に入らない。

 

だが、否定もしなかった。

 

堀北は続ける。

 

「第三順位は平田くん」

 

平田が驚く。

 

「僕?」

 

「あなたは人をまとめられる」

 

「龍園くんが指揮できない場合は、第二班を中心に部隊全体を維持して」

 

平田は緊張した表情を見せた。

 

それでも、逃げずに答える。

 

「了解」

 

「第四順位は八神くん」

 

八神が顔を上げる。

 

「僕ですか」

 

「中継器担当として、全機の位置と回線状態を把握することになる」

 

「冷静な判断もできる」

 

八神は静かに頷いた。

 

「了解しました」

 

宝泉が口を挟む。

 

「俺は入ってねぇのか」

 

龍園が即答する。

 

「お前が指揮したら全機前進になるだろ」

 

「必要ならな」

 

七瀬が言う。

 

「だから指揮順位へ入っていないのだと思います」

 

宝泉は七瀬を見る。

 

「お前、言うようになったな」

 

七瀬は僅かに笑う。

 

「訓練で学びました」

 

午前一時四十五分。

 

候補生第一隊へ休息命令が出された。

 

出撃まで、残り三時間十五分。

 

十二人は格納庫に隣接する休憩室へ移動した。

 

眠れる者は少ない。

 

それでも身体を横にし、目を閉じるだけでも疲労は違う。

 

照明が落とされ、簡易ベッドが並ぶ室内へ暗闇が広がった。

 

オレも横になり、目を閉じた。

 

周囲から、呼吸や寝返りの音が聞こえる。

 

須藤は眠れていない。

 

堀北も、何度か身体の向きを変えている。

 

龍園はベッドを使わず、壁へ背中を預けて座っていた。

 

高円寺は横になり、目を閉じている。

 

本当に眠っているのかは分からない。

 

平田は端末を見ていた。

 

軽井沢から短い通信が届いている。

 

『こっちは大丈夫』

 

平田は返す。

 

『無理しないで』

 

一之瀬と神崎は隣のベッドへ横になり、会話はしていない。

 

七瀬は座った状態で目を閉じている。

 

宝泉は天井を見続けていた。

 

天沢は布団を頭まで被っている。

 

八神だけが、まだ作戦地図を表示していた。

 

「八神」

 

声をかけると、八神がこちらを見る。

 

「何でしょうか」

 

「休め」

 

「作戦経路を確認しています」

 

「すでに覚えているだろ」

 

八神は少しだけ笑った。

 

「そう見えますか」

 

「見える」

 

「綾小路先輩には隠せませんね」

 

八神は端末を閉じた。

 

「少し休みます」

 

横になった直後、天沢が布団の中から声を出す。

 

「八神くん、緊張してる?」

 

「していません」

 

「嘘」

 

「なぜですか」

 

「端末を見る回数が、いつもより多いから」

 

八神は答えなかった。

 

天沢が布団から顔だけを出す。

 

「私も緊張してるよ」

 

七瀬が目を開ける。

 

宝泉も天沢の方を僅かに見た。

 

天沢は続ける。

 

「怖いっていうより、失敗したら格好悪いなって思ってる」

 

宝泉が呆れたように言う。

 

「そこかよ」

 

「だって私、できる子だから」

 

八神が言う。

 

「僕は失敗しないように確認していました」

 

天沢が笑う。

 

「やっぱり緊張してる」

 

八神は小さく息を吐いた。

 

「そうかもしれません」

 

初めて、自分から認めた。

 

七瀬も言う。

 

「私も緊張しています」

 

宝泉が鼻で笑う。

 

「お前ら揃って情けねぇな」

 

天沢が尋ねる。

 

「宝泉くんは?」

 

「してねぇ」

 

七瀬も疑う。

 

「本当ですか」

 

「本当だ」

 

壁際から龍園の声がした。

 

「寝返り五回目だぞ」

 

宝泉が身体を起こす。

 

「数えてんじゃねぇ」

 

「うるせぇからな」

 

須藤が笑う。

 

「お前も緊張してるんじゃねぇか」

 

「黙れ、先輩」

 

休憩室に小さな笑いが広がった。

 

誰も完全には眠れない。

 

それでも、緊張を隠し続けるよりはよかった。

 

午前三時三十分。

 

候補生たちは起床し、軽食と水分を取った後、簡易医療検査を受けた。

 

強化装備を着用し、接続部や生命維持装置を確認する。

 

午前四時。

 

各部隊が格納庫へ集合した。

 

外はまだ暗い。

 

東京湾には軍用艦艇と大型輸送艦が並び、

甲板上の作業灯が海面へ反射している。

 

正規軍の不知火。

 

陽炎。

 

撃震。

 

候補生用の吹雪。

 

大型輸送艦。

 

潜水作業母艦。

 

護衛艦。

 

軌道支援用通信車両。

 

合計百七十二機の戦術機と、それを支える部隊が、

三つの地下侵入口と地上防衛線へ分かれていく。

 

西迎撃隊には、サムライ部隊、教導隊、候補生第一隊が参加する。

 

合計五十六機。

 

輸送艦三隻。

 

出港地点は人工島西部軍港。

 

茶柱が第一候補生隊の前へ来た。

 

強化装備を着用し、表情はいつも通り厳しい。

 

「最終確認を行う」

 

「候補生第一隊の活動区域は中層まで」

 

「中枢接触隊との間には、常に二百メートル以上の距離を取れ」

 

「爆薬運搬機が損傷した場合でも、独断で任務を引き継ぐな」

 

須藤が尋ねる。

 

「正規軍が全滅したら?」

 

茶柱の目が僅かに動く。

 

「その時は、綾小路が判断する」

 

「先生は?」

 

「私は中枢接触隊に入る」

 

須藤はさらに聞く。

 

「なら、先生たちが戻らなかった時は?」

 

「戻る」

 

「仮の話だ」

 

「仮でも答えは同じだ」

 

須藤は茶柱から目を離さない。

 

「また一人で残る気じゃねぇよな」

 

茶柱の表情が険しくなる。

 

だが怒鳴ることはなかった。

 

「残らない」

 

明確に答える。

 

「今回は、爆薬設置が不可能と判断した時点で撤退する」

 

「中枢を追わない」

 

堀北が確認する。

 

「約束ですか?」

 

茶柱は堀北を見る。

 

「約束だ」

 

後ろから星之宮が言う。

 

「今、ちゃんと聞いたからね」

 

坂上も頷く。

 

「全員が証人だ」

 

真嶋は淡々と続ける。

 

「破ったら、帰還後に機体から引きずり下ろす」

 

茶柱は三人を睨んだ。

 

「お前たちは自分の準備をしろ」

 

星之宮が候補生たちへ笑いかける。

 

「地下で会っても、慌てないでね」

 

高円寺が返す。

 

「我々が地下で会わない方が、作戦は順調なのでは?」

 

「そうとも言うね」

 

坂上は平田と一之瀬へ注意する。

 

「損傷機が複数いても、すべてを同時に助けようとするな」

 

平田。

 

「優先順位を決めます」

 

一之瀬。

 

「機体より搭乗者の救命を先にします」

 

「そうだ」

 

真嶋は須藤と宝泉へ言う。

 

「百二十ミリ砲弾は、一発ずつ使え」

 

須藤が言う。

 

「二発あるだろ」

 

「だから一発ずつだ」

 

宝泉が呆れる。

 

「二発同時に撃つ奴なんかいるかよ」

 

真嶋は宝泉を見る。

 

「お前ならやる」

 

「やらねぇ」

 

「なら、その言葉を忘れるな」

 

午前四時十五分。

 

西部軍港中央の簡易演説台へ、坂柳理事長が立った。

 

西迎撃隊に所属する衛士、候補生、整備員の全員へ回線が開かれる。

 

「西迎撃隊へ」

 

五十六機の戦術機が並ぶ。

 

「皆さんは、三つの迎撃隊の中で最も深い経路へ入ります」

 

「統率級の反応も、他の二隊より多く確認されています」

 

不安を隠すような演説ではなかった。

 

危険を危険なまま伝える。

 

「ですが、西迎撃隊には、暁光作戦と断界作戦で地下を知った者たちがいます」

 

教導隊。

 

サムライ部隊。

 

候補生救援隊。

 

「皆さんは、まったく知らない場所へ入るのではありません」

 

「一度生きて戻った道を、もう一度進みます」

 

茶柱。

 

サムライ3。

 

オレたち候補生。

 

「前回よりも敵は多いでしょう」

 

「中枢構造体も移動しています」

 

「それでも、前回より皆さんは互いを知っています」

 

「誰が前へ出るのか」

 

「誰が前へ出すぎた者を止めるのか」

 

「誰が損傷機を引くのか」

 

「誰が目に見えない異常を発見するのか」

 

それぞれの違い。

 

須藤の突破力。

 

高円寺の精度。

 

龍園の指揮。

 

堀北の調整。

 

平田と一之瀬の救援。

 

神崎と八神の情報管理。

 

七瀬の状況判断。

 

宝泉と天沢の反応速度。

 

地上に残る坂柳有栖とひよりの分析。

 

「その違いが、皆さんを地上へ帰します」

 

坂柳理事長は敬礼した。

 

「西迎撃隊」

 

一度言葉を切る。

 

「東京を、お願いします」

 

全員が敬礼を返した。

 

午前四時三十分。

 

輸送艦が出港した。

 

夜明け前の東京湾を、艦隊の灯りが三方向へ分かれて進んでいく。

 

北。

 

西。

 

南。

 

戦術機を載せた輸送艦が、それぞれの地下侵入口へ向かう。

 

地上部隊は人工島と東京湾岸へ展開を始めていた。

 

第二候補生隊も、浅層西側入口へ到着している。

 

指揮官は葛城。

 

軽井沢。

 

橋本。

 

神室。

 

櫛田。

 

伊吹。

 

石崎。

 

アルベルト。

 

中層へ向かう平田や一之瀬とは、ここで完全に別れることになる。

 

浅層入口へ到着した軽井沢から、平田へ短い通信が届く。

 

『聞こえる?』

 

『聞こえるよ』

 

『私たち、浅層入口へ着いた』

 

『こっちは輸送艦の中だ』

 

短い沈黙。

 

『絶対戻ってきて』

 

『軽井沢さんも』

 

それ以上は言わなかった。

 

橋本が軽井沢へ注意する。

 

『作戦回線を私用で使うなよ』

 

『一秒だけでしょ』

 

神室が橋本へ言う。

 

『橋本も、坂柳へ何か言えば?』

 

『俺は仕事中だ』

 

『格好つけてる』

 

『お前に言われたくない』

 

葛城の声が割って入る。

 

『集中しろ』

 

第二候補生隊は通信を切り、浅層防衛の準備へ戻った。

 

午前四時四十五分。

 

西迎撃隊は、予定された侵入口へ到着した。

 

輸送艦の周囲には、大型ブイ、潜水作業母艦、無人探査機が展開している。

 

海面の下には、東京ハイヴへ続く暗い縦坑。

 

画面へ表示された中枢構造体の深度は九百八十メートル。

 

上昇速度は、会議時点よりも僅かに速くなっていた。

 

地表到達予測時刻も更新される。

 

人類側へ残された時間は。

 

さらに短くなりつつあった。

 

午前四時四十五分。

 

西迎撃隊が侵入口へ到着した時点で、

東京ハイヴ中枢構造体の地表到達予測時刻は、当初より九分も早まっていた。

 

第一作戦管制室から、坂柳有栖の声が全回線へ届く。

 

『中枢構造体の上昇速度が、さらに八パーセント増加しました』

 

続いて、ひよりが西迎撃線周辺の敵反応を報告する。

 

『西経路で確認されている統率級は六体です』

 

龍園が端末上の反応を見た。

 

『また増えたな』

 

『はい。六体すべてが、中枢構造体の進行方向へ移動しています』

 

中枢は現在、深度九百八十メートル。

 

人類側が接触を予定している地点は、深度約六百メートル。

 

こちらは地上から下降し、中枢は深部から上昇してくる。

 

双方が同じ経路を進み、その途中で接触する計画だった。

 

だが、中枢の速度が上がるほど、

人類側が接触地点へ到達するための猶予は短くなる。

 

しかも、その間には六体の統率級と、大量の既知BETAが待ち構えている。

 

午前四時五十五分。

 

西迎撃隊全機へ、降下準備命令が出された。

 

輸送艦の甲板から戦術機が一機ずつ東京湾へ入り、

海中に設置された誘導灯と昇降ケーブルに沿って降下していく。

 

最初に正規軍の不知火と陽炎。

 

続いて教導隊。

 

その後へ候補生部隊の吹雪が続いた。

 

オレも吹雪へ搭乗しようとしていた。

 

だが、その時だった。

 

「綾小路くん」

 

背後から声がかかる。

 

振り返る。

 

坂柳理事長だった。

 

周囲には副官と整備員が数名。

 

理事長は静かに言う。

 

「少し、こちらへ」

 

作戦開始直前だった。

 

こんな時間に呼び止められる理由が分からない。

 

それでもオレは理事長の後を追った。

 

甲板後方。

 

大型コンテナの陰。

 

そこには一機の戦術機が立っていた。

 

朝焼け前の薄暗い空。

 

作業灯に照らされた紫色の装甲。

 

流麗な頭部。

 

鋭く伸びる肩部。

 

吹雪とも不知火とも違う。

 

誰が見ても特別だと分かる機体。

 

武御雷。

 

オレは無言で見上げた。

 

整備員たちが最後の点検を続けている。

 

機体状態は良好。

 

主機出力正常。

 

跳躍ユニット正常。

 

武装もすでに搭載済みだった。

 

まるで最初から出撃する予定だったかのように。

 

「本来であれば、誰にも使わせるつもりはありませんでした」

 

理事長の声は穏やかだった。

 

「しかし、天衝作戦の戦力分析を行った結果」

 

一度だけ言葉を切る。

 

「あなたが最も生還率を高められると判断しました」

 

オレは理事長を見る。

 

「他にも優秀な衛士はいます」

 

「います」

 

理事長は即答した。

 

「ですが」

 

その目は真っ直ぐだった。

 

「綾小路くんほど、状況の変化へ対応できる衛士はいません」

 

海の向こうでは次々と戦術機が降下していく。

 

時間は残されていない。

 

理事長は武御雷へ視線を向けた。

 

「東京ハイヴへ突入する部隊の中で」

 

「最も危険な場所へ向かうのは、あなたです」

 

遠くでサイレンが鳴る。

 

作戦開始まで、あと僅か。

 

理事長は静かに言った。

 

「綾小路くん」

 

オレは答えない。

 

ただ続きを待った。

 

理事長は微笑む。

 

それは司令官としてではなく。

 

教師としてでもなく。

 

一人の大人が、生徒へ託すような表情だった。

 

「この機体を使いなさい」

 

短い言葉だった。

 

だが、その重みは大きい。

 

帝国最高峰の戦術機。

 

多くの衛士が憧れる機体。

 

それを理事長は迷いなく差し出した。

 

「よろしいのですか」

 

オレは尋ねた。

 

「失うかもしれません」

 

理事長は少しだけ笑う。

 

「機体は失っても構いません」

 

そして。

 

「ですが、あなたは失いたくありません」

 

一瞬だけ沈黙が流れた。

 

東京湾を吹く風。

 

遠くの艦艇。

 

降下していく戦術機。

 

全てが静かだった。

 

理事長は最後に言う。

 

「必ず帰ってきてください」

 

「了解」

 

それだけ答えた。

 

整備員が搭乗用ラダーを降ろす。

 

紫色の武御雷。

 

その装甲へ手を触れる。

 

冷たい金属の感触。

 

次の瞬間。

 

オレは武御雷の操縦席へ乗り込んだ。

 

主機起動。

 

計器が順番に点灯する。

 

システム認証。

 

操縦者登録。

 

視界いっぱいに表示される機体情報。

 

吹雪とは比べ物にならない反応速度。

 

高出力。

 

高機動。

 

そして圧倒的な完成度。

 

『武御雷、起動確認』

 

整備員の声。

 

『全システム正常』

 

『出撃可能です』

 

オレは操縦桿を握る。

 

紫色の機体がゆっくりと立ち上がった。

 

その姿を見上げながら。

 

坂柳理事長は静かに敬礼する。

 

オレも短く敬礼を返した。

 

そして。

 

武御雷は甲板端へ進む。

 

前方には東京ハイヴ。

 

人類最大の敵。

 

天衝作戦。

 

その最終決戦へ向けて。

 

紫色の機体は朝焼け前の海へ飛び出した。

 

オレは甲板端へ進み、暗い海へ足を踏み入れる。

 

水面を越えた瞬間、外部の音が遠くなり、

視界は前照灯の届く範囲だけに限定された。

 

周囲には誘導灯。

 

機体を支える降下ケーブル。

 

深度と姿勢を示す表示。

 

水圧による軋みが装甲を通じて管制ユニットへ伝わってくる。

 

吹雪は一定速度を維持したまま海底へ向かい、

そのまま人工的に拡張された縦坑へ入った。

 

海水の中から岩盤に囲まれた地下空間へ移る。

 

脚部が濡れた岩盤へ着地し、重い衝撃が機体全体へ響いた。

 

一機。

 

二機。

 

そして十二機。

 

候補生第一隊は全機、地下への降下を完了した。

 

足元には浅い地下水が流れ、前方には正規軍機の照明が何列も続いている。

 

西迎撃隊は、役割に応じて複数の集団へ分けられていた。

 

前方でBETAを排除する制圧隊。

 

中枢へ爆薬を運ぶ接触隊。

 

その後方を支える候補生第一隊。

 

さらに、侵入口と退路を守る後方確保隊。

 

オレたちは中枢接触隊から約二百五十メートル後方に位置していた。

 

八神と神崎が最初の通信中継器を取り出し、壁面へ固定する。

 

その作業中、宝泉が前方を守り、七瀬と天沢が左右の保守坑を警戒した。

 

『第一中継器、起動しました』

 

八神の報告に、地上の橋本が応じる。

 

『映像と音声を受信している』

 

神室も各機の反応を確認した。

 

『候補生第一隊、十二機すべて正常』

 

堀北が隊形を確認する。

 

第一班は、オレ、須藤、高円寺、堀北。

 

第二班は、龍園、平田、一之瀬、神崎。

 

第三班は、宝泉、七瀬、天沢、八神。

 

配置に乱れはない。

 

『候補生第一隊、前進』

 

堀北が命令を出そうとした、その時だった。

 

須藤が突然声を上げる。

 

『おい、待て』

 

全員の視線が一斉に前方へ向く。

 

東京湾の薄暗い海中。

 

誘導灯の光を受けながら、一機の戦術機が静かに降下していた。

 

紫色の装甲。

 

鋭い頭部形状。

 

吹雪でもない。

 

不知火でもない。

 

誰もが知っている。

 

帝国最強クラスの戦術機。

 

『武御雷……』

 

堀北が思わず呟いた。

 

その機体は候補生隊の先頭へ移動してくる。

 

識別コードが表示される。

 

搭乗者。

 

綾小路清隆。

 

通信回線が一瞬静まり返った。

 

最初に声を出したのは須藤だった。

 

『マジかよ……』

 

宝泉が笑う。

 

『ハッ。随分と派手じゃねぇか』

 

龍園は武御雷を見上げる。

 

驚きはあった。

 

だが納得もしていた。

 

『当然だな』

 

平田が少し驚いたように尋ねる。

 

『当然って?』

 

龍園は前を見たまま答える。

 

『今さら誰が乗るんだって話だ』

 

『綾小路以外にいねぇだろ』

 

誰も反論しない。

 

今までの戦いがある。

 

中央講堂。

 

お台場。

 

レインボーブリッジ。

 

暁光作戦。

 

断界作戦。

 

天衝作戦。

 

最も危険な場所へ行き。

 

最も冷静に状況を見て。

 

誰より多くの仲間を帰してきた。

 

須藤が笑う。

 

『まぁ、そうだな』

 

『あいつ以外に乗らせる方がおかしいか』

 

高円寺も珍しく否定しない。

 

『合理的な判断だろうねぇ。

性能を最大限に引き出せる人材へ与える。極めて自然だ』

 

天沢が口を開く。

 

『悔しいですけど、綾小路先輩なら納得です』

 

七瀬も続く。

 

『私も同じ意見です、あの機体を任されるなら綾小路先輩しかいません』

 

八神は静かに笑った。

 

『ホワイトルーム最高傑作ですからね』

 

『むしろ遅いくらいですよ』

 

宝泉が鼻で笑う。

 

『気に食わねぇが、強ぇ奴が前に立つなら文句はねぇ』

 

一之瀬は武御雷を見上げる。

 

紫色の機体。

 

その中にいる綾小路。

 

どれだけ危険な場所へ向かうのか。

 

それは誰より理解していた。

 

だからこそ。

 

『綾小路くん』

 

小さく呟く。

 

『必ず帰ってきてね』

 

神崎が頷く。

 

『彼なら帰る』

 

平田も静かに言った。

 

『うん』

 

『僕もそう思う』

 

そして。

 

堀北は武御雷を見つめる。

 

出会った頃。

 

何を考えているのか分からなかった少年。

 

誰にも頼らず。

 

誰にも頼らせず。

 

ただ一人で立っていた少年。

 

だが今は違う。

 

綾小路の後ろには仲間がいる。

 

そして仲間たちもまた、綾小路を信頼している。

 

堀北は通信を開いた。

 

『綾小路くん』

 

『何だ』

 

いつも通りの声。

 

それが少しだけ可笑しかった。

 

『その機体』

 

『似合っているわ』

 

数秒の沈黙。

 

そして。

 

『そうか』

 

短い返事。

 

だが、堀北は少しだけ笑った。

 

候補生だった少年少女たち。

 

何度も死地を越えてきた仲間たち。

 

その全員が知っている。

 

綾小路清隆が誰なのかを。

 

龍園が最後に言った。

 

『行くぞ』

 

一拍。

 

『人類最強』

 

通信回線の向こう。

 

武御雷は静かに前へ出る。

 

その後ろへ。

 

三個班十二機が続く。

 

今や誰も疑っていなかった。

 

この部隊の先頭を走るのは。

 

人類最強の衛士――綾小路清隆であることを。

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