午前六時二分。
東京湾南西の無人海域には、
倒壊した東京ハイヴの中枢構造体が巨大な島のように横たわっていた。
軌道支援によって上部外殻を貫かれ、
神室機の自爆と海上艦隊の集中砲撃によって基部を砕かれても、
その活動は完全には停止していない。
赤黒い有機組織が露出した裂け目からは高温の蒸気が絶え間なく噴き出し、
周囲の海水を白く沸騰させている。
構造体全体は海面へ半ば沈みながらも、まだゆっくりとした脈動を続けており、
そのたびに巨大な外殻が軋み、海面へ重い波が広がっていった。
中枢周辺では、残存するBETAとの戦闘が続いている。
統率級二体。
要塞級三体。
さらに、海面へ浮かぶ中枢外殻の上には無数の戦車級が這い回り、
その周囲を要撃級が固めていた。
光線級はすでに排除されている。
だが、人類側の損耗も大きい。
正規軍の戦術機は百機近くが戦場へ残っているものの、
その多くは装甲、武装、跳躍ユニットのいずれかを損傷していた。
地下撤退戦から休む間もなく戦い続けた候補生第一隊も、
残弾、機体出力、搭乗者の疲労のすべてが限界に近い。
海上艦隊は中枢周辺のBETAへ砲撃を続けているが、
外殻の裂け目へ無差別に砲弾を撃ち込むことはできなかった。
中枢内部の構造が分からない。
どこに活動中枢があるのか。
どこへ爆薬を置けば完全に停止させられるのか。
外から攻撃を続けるだけでは確認できない。
誰かが、内部へ入らなければならなかった。
第一作戦管制室では、
中枢の裂け目へ投入された小型探査機の映像が表示されていた。
入口の幅は約三十メートル。
吹雪や不知火なら、一機ずつ通過できる。
裂け目の奥には下方へ傾いた巨大な空洞が広がり、
壁面には太い管状組織が縦横に走っている。
床は岩盤ではなく、赤黒い有機組織によって形成されており、
中枢の脈動に合わせて僅かに上下していた。
探査機が奥へ進む。
最初の百メートルでは、戦車級数体が確認された。
探査機は高度を上げて回避し、そのまま中央部へ向かう。
百五十メートル。
空洞は三方向へ分かれていた。
中央経路の奥から、他の場所とは比べものにならないほど
強い熱反応と振動が検出されている。
探査機が中央へ向きを変えた直後。
画面の右側から白い外殻が現れた。
統率級の肢体が探査機へ伸びる。
次の瞬間には映像が激しく乱れ、暗転した。
管制官が報告する。
「探査機一号、反応消失」
別の画面では、左経路へ入った二号機が有機壁に取り込まれ、動きを止めていた。
右経路へ向かった三号機も、通信障害によって位置を見失っている。
中枢内部の地図は、入口から僅か二百メートルまでしか作れなかった。
それでも、中央経路の奥に活動中枢らしき反応があることだけは確認できた。
ひよりが探査機の映像を繰り返し確認する。
「最深部までは、少なくとも四百メートル以上あります」
坂柳有栖は、内部の脈動と反応強度を比較していた。
「中央経路を進むほど、中枢構造体全体の脈動と一致する反応が強くなっています。
最深部には、この構造体を維持している中核が存在する可能性が高いです」
統合司令部の参謀が尋ねる。
「そこへ爆薬を設置すれば、完全に停止させられるのか」
坂柳は首を横へ振った。
「保証はできません」
正直な答えだった。
「ですが、外殻へ攻撃を続けるよりは可能性があります。
少なくとも、活動中枢へ最も近い場所です」
作戦案が組み直される。
中枢内部破壊用の大型爆薬は二基。
一基につき十二トン。
戦術機一機で一基を運搬する。
中核の両側へ爆薬を設置し、内部から同時に起爆する。
爆薬を運ぶ機体。
前方を切り開く機体。
通信を維持する機体。
損傷機が発生した場合の救援担当。
最低でも六機。
敵数を考えれば、八機が必要だった。
しかし、中枢内部は狭く、十機以上を投入すれば互いの退路を塞ぐ可能性がある。
坂柳理事長は、教導隊と候補生第一隊の機体状態を一機ずつ確認していた。
茶柱機は右肩部を損傷し、三十六ミリ弾の残量は三十七パーセント。
坂上機は左脚部出力が低下しているものの、爆薬を運搬できる。
星之宮機は左脚を小破。
真嶋機は外装各部を損傷し、残弾も少ない。
候補生側では、オレの武御雷は右脚部外装を小破。
堀北機は左肩部。
須藤機は背部装甲。
龍園機と宝泉機も小破判定を受けている。
比較的状態が良いのは、高円寺、八神、一之瀬、七瀬だった。
だが、選考基準は機体状態だけではない。
判断力。
狭所戦闘への適性。
連携。
精神状態。
平田は軽井沢を失った直後。
一之瀬も神崎を失っている。
伊吹は神室を失い、候補生第二隊から離れられる状態ではない。
橋本を失った坂柳も、地上管制を離れるつもりはなかった。
坂柳理事長が全回線を開く。
「中枢内部破壊隊を発表します」
戦場へ残る正規軍。
教導隊。
候補生。
海上艦隊。
全員が聞く。
「指揮官、茶柱佐枝先生」
茶柱は即座に答えた。
『了解』
「副指揮官、綾小路清隆くん」
「了解」
「前衛は、龍園翔くん、宝泉和臣くん」
龍園。
『了解』
宝泉は僅かに口元を上げた。
『今度は最初から前か』
茶柱が釘を刺す。
『命令を守れるならな』
『分かってる』
「爆薬運搬は、坂上数馬先生、高円寺六助くん」
坂上。
『了解』
高円寺。
『承知したよ』
「通信と後衛を八神拓也くん」
八神。
『了解しました』
「救援担当を七瀬翼さん」
七瀬。
『了解です』
合計八機。
茶柱。
オレ。
龍園。
宝泉。
坂上。
高円寺。
八神。
七瀬。
教導隊全員ではない。
星之宮と真嶋は外部支援に残る。
候補生側も、堀北、須藤、平田、一之瀬、天沢は外へ残る。
堀北がすぐに通信を開いた。
『私は選ばれないのですか』
坂柳理事長は穏やかに答えた。
「堀北さんには、外部候補生隊の指揮をお願いします」
『ですが、綾小路くんが中へ入るなら』
「内部隊が戻るには、裂け目の外を守る部隊が必要です」
中枢周辺には、まだ統率級や要撃級が残っている。
外部部隊が押し込まれれば、内部破壊隊は戻る場所を失う。
「中へ入ることだけが前線ではありません」
坂柳理事長の言葉に、堀北は反論を止めた。
裂け目。
敵。
戻ってくる八機。
すべてを見渡せる者が必要。
『……了解しました』
須藤も不満を隠さない。
『俺も行ける』
真嶋が答える。
『残弾が少なすぎる』
『二十五パーセントある』
『中で弾切れになる』
『長刀もあるだろ』
茶柱が割って入った。
『須藤』
『何だよ』
『お前には外を任せる』
須藤は舌打ちする。
『また外か』
茶柱は少しだけ間を置いた。
『今回は、堀北を守れ』
須藤が黙る。
守るのは堀北だけではない。
平田。
一之瀬。
天沢。
星之宮。
真嶋。
外部部隊。
そして、中から戻る八機。
須藤は操縦桿を強く握り。
『……了解』
一之瀬は七瀬へ通信した。
『七瀬さん』
『はい』
『絶対に戻ってきて』
神崎を失ったばかりの一之瀬にとって、軽い約束ではない。
七瀬もそれを理解している。
一瞬だけ言葉を詰まらせた後。
『必ず戻ります』
意思を込めて答えた。
宝泉が七瀬へ言う。
『お前は俺の後ろにいろ』
『私は救援担当です。必要なら前へ出ます』
『出るな』
『宝泉くんが損傷した場合もです』
『俺は損傷しねぇ』
龍園が鼻で笑った。
『その自信で一度、七瀬を危険にしただろ』
宝泉の声が低くなる。
『忘れてねぇ』
茶柱。
『なら今回は、敵だけではなく味方の位置を見ろ』
『前だけを見るな』
宝泉は短く答えた。
『分かってる』
高円寺機と坂上機には、大型爆薬が固定されていく。
通常装備より遥かに大きい爆薬コンテナは、
機体の背部から腰部までを覆い、跳躍ユニットの可動範囲を制限していた。
高円寺が自機を見上げる。
『ずいぶん重そうだね』
真嶋。
『爆薬だけで十二トンある』
『美しくない重量だ』
『落とすなよ』
高円寺は静かに答えた。
『私が預かったものだ。目的地までは運ぶ』
午前六時七分。
中枢内部破壊隊、八機。
移動開始。
外部部隊が裂け目までの道を作る。
正規軍が残存する統率級へ砲撃を集中させ、
堀北たち候補生外部隊が裂け目周辺へ集まる要撃級と戦車級を押さえている。
海上艦隊も、破壊隊の進入経路を確保するため、
西側への砲撃を一時的に停止していた。
『裂け目までの道は守る』
須藤の声が外部回線から届く。
その向こうでは、要撃級へ向けた砲撃音が途切れなく響いている。
茶柱が短く答えた。
『頼む』
茶柱機が先頭に立ち、赤黒く裂けた外殻へ入る。
続いて龍園、宝泉。
大型爆薬を背負った坂上と高円寺。
通信を担当する八神。
救援担当の七瀬。
最後尾を、オレの武御雷が進んだ。
裂け目の外から差し込んでいた朝の光が、機体の背後で急速に遠ざかっていく。
中枢内部は高温多湿だった。
赤黒い壁面を走る太い管状組織が脈動するたび、
床全体が持ち上がり、戦術機の脚部が柔らかな有機組織へ僅かに沈む。
壁から垂れ落ちた液体が外装へ触れると、すぐに腐食警告が表示された。
『有機液を浴びた機体は、洗浄液をすぐ使え』
外で支援する真嶋の声が届く。
『装甲温度が上がれば、そのまま焼きつくぞ』
隊列は速度を落とさなかった。
探査機が作成できた地図は、入口から約二百メートルまでしかない。
中核へ到達するためには、その先の未知領域を進む必要がある。
最初の空洞で、壁面の穴から戦車級が現れた。
十体以上。
茶柱が正面。
龍園と宝泉が左右。
三機は射撃区域を分け、互いの射線を塞がない範囲だけを撃つ。
前衛を抜けた個体はオレと七瀬が処理した。
高円寺は十二トンの爆薬を背負ったまま、
進路へ直接入った一体だけを短い連射で止める。
坂上は足を止めない。
八神は通信強度と後方反応を監視する。
最初の戦闘は、一分もかからず終わった。
『止まるな』
茶柱の命令で、八機はそのまま前進する。
三方向へ分かれた空洞へ到達すると、ひよりが中央経路を指定した。
『中枢構造体全体の脈動と一致する反応が、中央から来ています』
『中核は、この先です』
中央経路は奥へ進むほど狭くなった。
左右の有機壁から細い組織が伸び、機体の肩部や跳躍ユニットへ絡みつこうとする。
宝泉が銃口を向ける。
茶柱が制した。
『撃つな』
『邪魔だろうが』
『壁を刺激すれば、内部全体が閉鎖反応を起こす可能性がある』
宝泉は不満を隠さなかったが、銃口を下げた。
オレは有機組織の動きと、各機の機関出力を比較した。
組織は特に跳躍ユニットと反応炉周辺へ集まっている。
「全機、出力を落とせ」
龍園が尋ねる。
『熱に反応してるのか』
「可能性が高い」
全機が跳躍ユニットを停止し、主機出力を移動可能な最低値まで下げた。
有機組織の動きが目に見えて鈍くなる。
宝泉が舌打ちする。
『歩けってか』
『爆薬を無事に運べればいい』
茶柱の返答に、宝泉も今度は反論しなかった。
八機は中枢の脈動に揺れる床を、一歩ずつ進んだ。
爆薬を背負う坂上機が足を滑らせかけた時には、高円寺機がすぐ横から支えた。
『助かった』
坂上が言う。
『私の爆薬まで巻き込まれると困るからね』
『礼くらい素直に受け取れ』
『では、受け取っておこう』
狭い経路を抜けると、視界が一気に開けた。
直径二百メートル近い巨大空洞。
中央には、下から上へ伸びる赤黒い柱状組織があり、
そこから無数の太い管が中枢構造体の各部へ広がっている。
そのさらに奥。
巨大な球状組織が、複数の管によって空中へ固定されていた。
一度脈動するたび、空洞全体が大きく揺れる。
坂柳有栖の声が僅かに強くなる。
『中核反応です』
『爆薬設置地点まで、残り約二百メートル』
だが、そこへ続く道は空いていなかった。
中核手前の広場を、無数の戦車級と複数の要撃級が埋めている。
その中央には、白い外殻を持つ統率級。
敵は偶然集まっているのではない。
中核を守るように配置されていた。
龍園が低く笑う。
『随分と歓迎されてるな』
宝泉は突撃砲を構えた。
『全部潰しゃいい』
茶柱が即座に否定する。
『敵の全滅が目的ではない』
『中央へ道を作る』
オレは敵の配置を確認した。
統率級は中央から動かない。
要撃級は左右へ分かれ、戦車級はその間を埋めている。
統率級の正面へ火力を集中しても、外殻へ阻まれるだけだ。
「統率級の右側へ射撃を集中する」
茶柱が意図を理解する。
『左へ向きを変えさせるのか』
「そうです」
『龍園、宝泉。私と来い』
三機が前へ出た。
茶柱は統率級の右側関節。
龍園は右脚。
宝泉は肢体の付け根を狙う。
倒すためではない。
右側から継続的に衝撃を与え、巨体を左へ向けるための射撃だった。
砲撃を受けた統率級が、僅かに向きを変える。
同時に、要撃級二体が三機へ向かった。
オレの武御雷が一体目の前へ入る。
三十六ミリ弾を右脚部へ集中。
巨体の速度が落ちたところで側面へ滑り込み、長刀を抜いた。
紫の機体が低く踏み込み、脚部関節へ刃を走らせる。
要撃級が大きく傾いた。
七瀬も反対側の一体へ射撃を加え、前衛へ接近させない。
後方から現れた戦車級は、八神の警告を受けた七瀬がすぐに戻って押さえた。
統率級の外殻に赤い孔が開き始める。
ひよりが叫ぶ。
『蒸気攻撃が来ます!』
茶柱の命令が飛ぶ。
『開口部へ集中!』
茶柱、龍園、宝泉の砲撃が赤い孔へ吸い込まれた。
内部で連続して爆発が起こる。
統率級の上半身が左へ傾き、放たれた高熱蒸気は天井方向へ逸れた。
有機壁が裂け、熱された液体が空洞へ降り注ぐ。
宝泉機の右肩へ付着。
腐食警告が表示される。
七瀬がすぐに言った。
『宝泉くん、洗浄してください』
『後だ』
『今です』
龍園も続ける。
『七瀬の言う通りにしろ』
宝泉は舌打ちしながら洗浄液を噴射する。
そのために一歩下がった直後、統率級の肢体が宝泉機のいた場所を薙いだ。
七瀬が静かに言った。
『今ので直撃を避けられました』
宝泉は短く答える。
『分かってる』
統率級は左側へ寄った。
中核へ続く中央に、辛うじて一機分の通路が開く。
茶柱が叫ぶ。
『爆薬機、前へ!』
坂上と高円寺が中央へ進む。
八神が続き、オレと七瀬が側面を守る。
茶柱、龍園、宝泉は統率級の注意を引きつけたまま、爆薬運搬機を追わせない。
中核まで残り百五十メートル。
その時。
左右の有機壁が、中央へ向かって動き始めた。
高円寺が淡々と言う。
『通路を閉じるつもりらしい』
爆薬を背負った二機が並んで通れる幅は、もうない。
高円寺はすぐに決断した。
『私が先に行く』
『二基とも必要だ』
坂上が言う。
『一基も届かないよりはましだ』
高円寺機が爆薬コンテナを壁へ接触させないぎりぎりの角度で通過する。
坂上機も続いた。
だが、通路はさらに狭くなる。
背負ったままでは抜けられない。
坂上は爆薬コンテナを分離し、両腕で前へ押した。
反対側から高円寺がワイヤーを接続する。
坂上が押す。
高円寺が引く。
十二トンの爆薬が、閉じる有機壁の間を少しずつ進む。
坂上機の肩部装甲が壁へ擦れ、圧力警告が点灯した。
茶柱が叫ぶ。
『爆薬を捨てろ!』
『中核まで百メートルだ』
『機体が潰れるぞ!』
『爆薬を通せば下がれる』
高円寺機が出力を上げた。
コンテナが閉鎖地点を抜ける。
坂上機は後退しようとした。
だが左肩へ有機組織が絡みつき、機体が固定される。
茶柱がすぐに駆け寄り、長刀で組織を切断した。
高温の液体が噴き出す。
洗浄液を浴びせながら坂上機を引き戻す。
二機が元の空間へ戻った直後。
有機壁が完全に閉じた。
壁の向こう側にいるのは、高円寺。
そして爆薬二基。
中核側へ、一機だけが取り残された。
オレは通信を開く。
「高円寺、状況は」
『爆薬は二基とも無事だ』
『中核まで八十メートル』
外部から堀北の声が入る。
『一人で進まないで』
『しかし、通路は閉じた』
坂柳有栖が閉鎖した壁を解析する。
『上部に細い亀裂があります』
『戦術機は通れません』
龍園が言う。
『なら壁ごと壊す』
八神が警告した。
『中枢全体の防御反応が上昇しています』
『壁を大きく破壊すれば、すべての経路が閉鎖される可能性があります』
統率級が中央へ戻ろうとしている。
戦車級の反応も増えていた。
時間はない。
オレは上部亀裂を見た。
戦術機は通れない。
だが、人間なら通れる。
「高円寺は爆薬を運べ」
堀北が反応する。
『綾小路くん』
「オレは別の経路から合流する」
高円寺は迷わなかった。
『妥当だ』
茶柱が尋ねる。
『一人で二基設置できるか』
『不可能ではないが、時間がかかる』
「ならオレが行く」
『誰が行くと言った』
「オレです」
堀北の声が強くなる。
『駄目よ』
「高円寺一人では、二基の設置と起爆回線の確認を同時にできない」
『別の方法を探して』
「その時間がない」
中核反応は上がり続けている。
海上へ倒れた構造体が、再び身体を起こそうとするように大きく脈動した。
茶柱が言う。
『私が行く』
「先生は破壊隊指揮官です」
『だからだ』
「残る六機を外へ戻す人が必要です」
龍園も名乗り出る。
『なら俺が行く』
「強化装備単独行動の訓練記録は、オレが最も高い」
茶柱の声が低くなる。
『ホワイトルームでの訓練か』
「そうです」
今まで隠していた能力。
だが、隠し続けるために高円寺を見捨てるつもりはない。
高円寺の声が壁の向こうから届く。
『時間が惜しい』
『私は一基目を先に運ぶ』
「行け」
『待っているよ』
オレは武御雷を壁際へ止めた。
ハッチを開く。
中枢内部の熱気が、強化装備越しにも身体へ押し寄せる。
七瀬が救援ワイヤーを腰部へ固定した。
『私が保持します』
「頼む」
茶柱機の腕部を足場にし、上部亀裂へ飛び移る。
有機壁は滑りやすく、亀裂の内側では組織が脈打ちながら身体を押し潰そうとする。
短刀で伸びてくる組織を切る。
噴き出す高温液を避ける。
ワイヤーの張力を利用し、狭い亀裂を少しずつ進む。
七瀬の声が届く。
『綾小路先輩、張力が限界です』
「少し緩めろ」
『了解』
亀裂の先に赤い光が見えた。
身体を捻り、最後の狭い部分を抜ける。
眼下には、高円寺機。
一基目の爆薬を抱え、中核へ向かっていた。
オレはワイヤーを外した。
十メートル下へ落下。
強化装備の補助噴射を使い、有機床へ着地する。
高円寺が言った。
『本当に来たのか』
「待っていると言ったのはお前だ」
『社交辞令ではなかったようだねぇ』
高円寺機が片腕を下ろした。
オレはその腕へ飛び乗り、肩部まで上がる。
中核まで残り四十メートル。
球状組織は近くで見ると、直径百メートル以上あった。
表面を太い血管のような組織が走り、
脈動するたびに周囲の管へ赤い光が流れていく。
『醜い心臓だ』
高円寺が言う。
「一基目を下部へ設置する」
高円寺機が中核へ近づいた。
有機床の穴から戦車級が次々と現れる。
十体。
二十体。
さらに増える。
高円寺は片手で爆薬を支えながら、もう片方の突撃砲で進路上の個体だけを撃つ。
オレも機体肩部から強化装備用火器を使った。
火力は小さい。
だが、接近する戦車級を一瞬止めるには足りる。
爆薬を中核下部へ押し込む。
作業アームが固定を開始。
十パーセント。
二十パーセント。
戦車級の数が増える。
「オレが固定する」
機体肩部から飛び降り、爆薬の固定脚へ向かった。
有機組織が腕と脚へ巻きつこうとする。
短刀で切断し、固定脚を中核表面へ押し込んだ。
高円寺は周囲へ射撃を続ける。
『あとどれくらいだ』
「二十秒」
『長いね』
「耐えろ」
『私に命令するとは』
「副指揮官だ」
高円寺は僅かに笑った。
『そうだったねぇ』
一基目の固定が完了する。
その直後。
空洞の左右にある有機壁が、一斉に裂けた。
最初に現れたのは要撃級。
一体。
二体。
四体。
さらに奥から、白い外殻を持つ統率級が二体。
中核内部に潜んでいた護衛部隊。
それまでの敵は、侵入者を止めるための外周防衛に過ぎなかった。
中核を直接守る近衛部隊が、ようやく姿を現した。
八神の声が弱い通信へ割り込む。
『綾小路先輩!』
『中核周辺に大規模反応!』
『要撃級十二、統率級二!』
高円寺が二基目の爆薬を見る。
『随分と豪華な歓迎だ』
「お前は二基目を運べ」
『君はどうする』
オレは閉じた壁の向こうに置いてきた武御雷を見た。
高円寺側から中核へ続く空間の脇に、細い連絡管が通っている。
戦術機一機が通れる幅はある。
「武御雷をこちらへ入れる」
『壁の向こうだよ』
「連絡管は外周空洞へつながっている」
八神へ通信する。
「八神、武御雷を遠隔起動できるか」
『簡易移動だけなら可能です』
「連絡管へ誘導しろ」
『ですが、統率級が――』
「茶柱先生たちに三十秒だけ作ってもらえ」
壁の向こうで茶柱が即答した。
『聞こえたな、龍園、宝泉』
龍園が笑う。
『また道を作れってか』
宝泉。
『ぶち抜けばいいんだろ』
三機の砲撃音が壁越しに響く。
隔壁が開くと同時に、龍園機が真っ先に飛び出した。
「邪魔だ」
三十六ミリ砲が火を噴く。
先頭を走っていた戦車級がまとめて吹き飛び、爆炎が狭い通路を真っ赤に染め上げる。
その爆煙を突き破るように、宝泉機が全速力で突進した。
「どけぇッ!」
突撃級が真正面から迎え撃つ。
巨体同士が激突した。
鈍い衝撃が地下全体を震わせる。
宝泉は推力を最大まで吹かし、そのまま突撃級を壁へ押し込んだ。
外壁が砕ける。
突撃級の外殻に亀裂が走る。
「潰れろ!」
百二十ミリ砲が零距離で炸裂した。
爆炎が突撃級の上半身を包み込み、巨体は壁を砕きながら崩れ落ちる。
その横から、新たな要撃級が長い前肢を振り上げた。
龍園は避けない。
寸前まで引きつける。
「今だ!」
要撃級の腕が振り下ろされた瞬間、機体を半歩だけ横へ滑らせる。
腕は空振りし、そのまま壁へめり込んだ。
「間抜けが」
砲口を腕の付け根へ押し付ける。
引き金を引く。
轟音。
要撃級の肩口が吹き飛び、片腕を失った巨体が苦悶するように傾いた。
そこへ宝泉が飛び込む。
「邪魔なんだよ!」
百二十ミリ砲。
さらに三十六ミリ砲。
至近距離からの連続砲撃が要撃級の胸部を抉り、
爆炎とともに巨体を真っ二つに裂いた。
しかし、奥からさらに戦車級が雪崩れ込んでくる。
「まだいるぞ!」
「上等じゃねぇか」
龍園は笑みを深くした。
龍園機の三十六ミリ砲が火を噴き、砲弾は戦車級の群れへ次々と突き刺さる。
着弾と同時に爆炎が通路いっぱいへ広がり、
先頭を走っていた数十体が衝撃波ごと吹き飛ばされた。
だが、その爆煙を突き破るように後続の群れが雪崩れ込む。
宝泉は一歩も退かず、百二十ミリ砲を至近距離で撃ち放った。
轟音と共に砲弾は敵集団の中心を貫き、
爆発した外殻と有機組織が地下空間一帯へ激しく飛び散る。
龍園も間髪入れず照準を切り替え、左右から迫る戦車級へ連続砲撃を浴びせた。
砲口が閃くたびに爆炎が重なり、押し寄せていた群れは次々と弾け飛んでいく。
爆風は通路を埋め尽くし、炎の壁となって後続のBETAまで呑み込んだ。
砕けた外殻が雨のように降り注ぎ、
床には黒煙を上げる残骸が幾重にも積み重なっていく。
それでも敵は止まらない。
しかし二機の砲撃はさらに勢いを増し、
轟音と閃光が絶え間なく地下空間を揺らし続けた。
狭い地下通路は爆炎で埋め尽くされ、戦車級は前へ進むことすらできず、
押し寄せる端から圧倒的な火力によって蹂躙されていった。
だが、BETAの波は尽きない。
宝泉は長刀を抜いた。
「弾がもったいねぇ」
一閃。
二閃。
巨大な刃が戦車級をまとめて薙ぎ払い、有機液が壁一面へ飛び散る。
さらに踏み込み、倒れた死骸ごと次の群れを叩き斬る。
通路は死骸で埋まり始めていた。
茶柱が冷静な声で通信を飛ばす。
『龍園、宝泉。前へ出過ぎるな』
「まだ余裕だ」
『余裕ではない』
茶柱機が二機の間へ滑り込む。
正確な三十六ミリ砲撃。
戦車級だけを確実に撃ち抜き、二人の死角へ回ろうとしていた個体を排除する。
『敵を倒すことより、生きて戻ることを優先しろ』
「説教なら帰ってから聞く」
龍園が吐き捨てる。
『帰るために言っている』
茶柱は即座に返した。
その瞬間、新たな要撃級が瓦礫を押し退けながら姿を現す。
宝泉は笑う。
「またデカいのが来やがった!」
『宝泉!一人で突っ込むな!』
「無理だな!」
推力全開。
宝泉機は爆煙を切り裂き、咆哮するように要撃級へ飛び込んでいった。
その姿を見た龍園は呆れたように笑う。
「本当に脳まで筋肉だな」
そう言いながら、自らも砲口を新たな敵へ向ける。
その時、七瀬から通信が入った。
『宝泉くん』
砲撃音の向こうでも分かるほど、七瀬の声には心配が滲んでいた。
『右肩の損傷が広がっています。無理は――』
宝泉は照準を敵へ合わせたまま、小さく息を吐く。
『心配すんな』
百二十ミリ砲が火を噴き、戦車級の群れが爆炎に呑まれた。
『この程度で止まるほどヤワじゃねぇ』
さらに機体を旋回させ、新たな要撃級へ砲口を向ける。
『ちゃんと戻る』
その一言は、以前のような強がりではなかった。
自分一人だけの戦いではない。
待っている仲間がいることを理解した者の言葉だった。
七瀬は小さく微笑む。
『……はい。信じています』
『だから、お前も無茶すんな』
短く言い残し、宝泉は再び爆煙の中へ突撃していった。
龍園が低く笑う。
『前言撤回だ。少しは変わったじゃねえか』
三機の戦術機は爆炎の中で互いを支え合いながら、
仲間の道を命懸けでこじ開けていく。
外周へ戻っていた統率級の注意が、再び茶柱たちへ向いた。
八神が武御雷の遠隔移動を開始する。
閉鎖壁の向こう。
紫の機体が無人のまま動き出す。
細い連絡管へ入り、壁面を擦りながら中核側へ進む。
『連絡管出口まで十秒』
統率級二体がこちらへ向く。
赤い孔が開き始める。
「高円寺、中核の陰へ」
高円寺機が二基目の爆薬を抱えたまま移動する。
高熱蒸気が空洞を横切った。
中核表面を削り、戦車級と有機壁をまとめて焼き払う。
もう一体も赤い孔を開く。
逃げ場がない。
その瞬間。
連絡管出口を塞いでいた有機膜が内側から吹き飛んだ。
紫の武御雷が、爆炎と有機液を突き破って中核空洞へ飛び込んでくる。
八神の遠隔操作から手動制御へ切り替える。
オレは高円寺機の肩部から跳び、武御雷の開いた管制ユニットへ入った。
接続。
主機出力上昇。
警告表示が視界へ並ぶ。
右脚部外装小破。
残弾三十六パーセント。
長刀使用可能。
跳躍ユニット出力八十一パーセント。
十分だった。
武御雷の主機が咆哮する。
統率級の蒸気攻撃が放たれる直前、オレは機体を横へ滑らせた。
高熱蒸気が武御雷の左肩を掠め、背後の壁面を赤熱させる。
そのまま跳躍ユニットを噴射。
中核表面を蹴り、空洞上部へ上がる。
要撃級三体が下から腕を伸ばした。
武御雷を空中で反転。
三十六ミリ弾を脚部へ連射する。
一体目の動きを止める。
落下しながら長刀を抜き、二体目の肩部から脚部へ斜めに刃を走らせた。
巨体が傾き、三体目と衝突する。
二体が折り重なって倒れたところへ、残る百二十ミリ砲弾を撃ち込む。
大爆発。
赤い空洞全体が白く染まった。
爆炎が中核表面を走り、倒れた要撃級と周囲の戦車級をまとめて押し流す。
だが護衛部隊は止まらない。
統率級二体が左右へ分かれ、武御雷を挟む。
戦車級が足元へ集まり。
残る要撃級が退路を塞ぐ。
八神の警告が続く。
『敵反応が綾小路先輩へ集中しています!』
「予定通りだ」
『この数は予定以上です!』
「高円寺が爆薬を設置できればいい」
高円寺は中核の反対側へ回っている。
二基目を運び、固定地点を探していた。
オレがすべての注意を引き受ければ、高円寺へ向かう敵は減る。
統率級一体が肢体を横薙ぎに振るう。
武御雷は中核表面を蹴り、攻撃の上へ跳んだ。
もう一体の蒸気攻撃。
空中では避けきれない。
オレは長刀を有機壁へ突き立て、機体を強引に引き寄せた。
灼熱の蒸気が背後を通過する。
武御雷の背部装甲が警告を発した。
着地と同時に、戦車級の群れが足元へ殺到する。
三十六ミリ弾を地面へ撃ち込む。
連続した爆発で有機床が大きく裂け、戦車級が開いた穴へ落ちていく。
右側から要撃級。
武御雷は長刀を逆手へ持ち替え、振り下ろされた腕を受け流した。
力で止めるのではない。
軌道をずらす。
要撃級の腕は隣の統率級へ衝突した。
白い外殻が大きく揺れる。
一瞬だけ二体の動きが重なった。
武御雷はその間を抜けた。
高円寺から通信が入る。
『二基目、設置地点へ到着』
「固定を急げ」
『君の方が急いだ方がよさそうだ』
武御雷の警告表示が増えている。
左肩部装甲損傷。
右脚部出力低下。
三十六ミリ残弾十八パーセント。
それでも、機動力は残っていた。
統率級が赤い孔を開く。
オレは正面から退かなかった。
蒸気攻撃が放たれる直前、右へ急加速する。
攻撃は武御雷を追うように空洞を横切り、
後方から迫っていた要撃級三体を直撃した。
高熱蒸気によって敵の隊列が崩れる。
オレは崩れた隊列の中央へ飛び込んだ。
長刀を横薙ぎに振るう。
白い外殻と赤黒い壁面が同時に裂ける。
噴き出した有機液と蒸気が視界を覆う。
その中から、武御雷が前へ出る。
紫の装甲は爆炎と有機液に汚れ、
すでに坂柳理事長から託された時の美しさを失っている。
だが。
戦うための機体としては。
今が最も完成していた。