武御雷へ向かって、無数の戦車級が一斉に押し寄せた。
正面だけではない。
左右の有機壁。
床面に開いた穴。
中核の裏側。
空洞のあらゆる場所から、異形の群れが紫の機体を包囲しようとしている。
オレは突撃砲を捨てた。
突撃砲の残弾はほとんどない。
武御雷の右手が長刀の柄へ触れる。
だが、すぐには抜かない。
機体を僅かに沈め、敵の動きだけを見る。
最初の一体が間合いへ入る。
次の瞬間。
長刀が鞘から走った。
紫の残光が横一線に空間を裂き、先頭の戦車級が勢いを失う。
武御雷は刃を止めない。
振り抜いた勢いのまま機体を半回転させ、背後から迫っていた二体へ斬撃を返す。
一歩。
それだけで三方向の敵が止まった。
右側からさらに群れが来る。
オレは敵へ正面を向けず、長刀を低く構えたまま歩く。
最初の一体が飛び込む。
刃先が僅かに持ち上がる。
斜めの一閃。
その動きを隠すように機体を沈め、すぐ後ろの個体へ突きを放つ。
引き抜く。
振り返らない。
次の敵が背後へ入った瞬間、長刀だけを逆方向へ走らせる。
武御雷の身体はほとんど動いていない。
動くのは脚部の重心。
腰部の回転。
そして刃だけだった。
無数のBETAが押し寄せているはずなのに、
長刀の間合いへ入った個体から順番に動きを止めていく。
高円寺の声が通信へ入る。
『随分と静かな戦い方だねぇ』
「無駄に動けば囲まれる」
言葉を返した直後、左側の壁面から戦車級が飛び出した。
武御雷はそちらを見ない。
長刀を鞘へ戻すように引き、敵が機体へ届く直前に再び抜き放つ。
短い閃光。
敵は武御雷の横を通り過ぎることもできず、その場で止まった。
前方の群れが一斉に距離を詰める。
五体。
十体。
さらにその後ろ。
オレは一歩踏み込んだ。
長刀を横へ薙ぐ。
一体目を止め、そのまま刃を返して二体目へ。
三体目には柄を叩き込み、姿勢を崩したところへ下から斬り上げる。
四体目の攻撃を機体肩部で外側へ受け流し、開いた進路へ身体を滑らせた。
そこから一回転。
長刀が円を描く。
紫の機体を中心にした斬撃が、周囲へ迫っていた敵をまとめて押し退けた。
だが、まだ終わらない。
要撃級の長い腕が、戦車級の群れごと武御雷を薙ぎ払おうと迫る。
オレは長刀を立てた。
正面から受けない。
刃を腕へ沿わせ、軌道だけを僅かに上へ逸らす。
巨大な腕が武御雷の頭上を通過した。
その下へ踏み込む。
長刀を両手で握る。
一閃。
要撃級の腕部関節へ刃が走り、巨体が大きく姿勢を崩した。
武御雷は倒れる要撃級の身体を盾にする。
後方から迫っていた戦車級が、その巨体に進路を塞がれた。
オレは要撃級の背を蹴り、空中へ上がる。
跳躍ユニットは一瞬だけ噴射。
高く飛ぶ必要はない。
敵の頭上を越えるだけでいい。
着地と同時に長刀を振り下ろす。
さらに前へ。
右。
左。
背後。
抜刀。
納刀。
再び抜刀。
動作の一つひとつは小さい。
だが、その小さな動きの間に、迫る敵の攻撃だけが外れ、
武御雷の刃だけが確実に間合いを通過していく。
爆炎に照らされた紫の機体が、赤黒い中枢空間を静かに進む。
走らない。
叫ばない。
無理に敵を追わない。
ただ、自らの間合いへ入ったものだけを斬る。
それでも。
武御雷の周囲には、誰一人として通ることのできない道が生まれていた。
オレは長刀を再び低く構える。
前方では、さらに多くのBETAが押し寄せている。
「高円寺」
『何かな』
「今のうちに爆薬を設置しろ」
『この数を一機で止めるつもりかい?』
「止める必要はない」
武御雷が一歩前へ出る。
「ここを通さなければいい」
高円寺は数秒だけ黙っていた。
中核を守るように広がる戦車級の群れ。
崩落した有機組織の向こうから起き上がろうとしている要撃級。
さらに左右の壁面では、新たな亀裂が開き始めていた。
敵反応は増え続けている。
一機で受け止められる数ではない。
だが高円寺は、それ以上何も言わなかった。
『分かった』
二基目の爆薬を抱え直し、中核の反対側へ向かう。
『無理だと思ったら呼びたまえ』
「呼ぶ必要はない」
『そう言うと思ったよ』
高円寺機が離れる。
武御雷は追わなかった。
中核と爆薬設置地点の間へ立ち、長刀を右手へ構える。
足元には、先ほどの砲撃で裂けた有機床。
左右には赤黒い管状組織。
背後には高円寺。
前方には無数のBETA。
八神の通信が入る。
『戦車級反応、百二十を超えました』
さらに画面の赤い点が増える。
『左右の壁面からも接近しています』
「分かっている」
『綾小路先輩、後退する場所がありません』
「必要ない」
武御雷は腰を僅かに落とした。
機体重量を右脚へ置く。
左脚は前へ。
長刀の柄を握る右腕には、余計な力を入れない。
最初の戦車級が間合いへ入る。
跳びかかる直前、身体が僅かに沈んだ。
次の瞬間。
長刀が鞘から走った。
大きく振ったわけではない。
腰部を半分だけ回し、刃を水平へ滑らせただけだった。
紫の残光が戦車級の進路を横切る。
先頭の一体が、武御雷へ届く直前で動きを止めた。
オレは結果を確認しない。
振り抜いた刃を戻さず、そのまま左側へ流す。
二体目が横から飛び込む。
刃を僅かに立てる。
敵の勢いを利用し、長刀の側面へ触れさせる。
刃が外殻を通過する。
武御雷は半歩前へ。
背後から三体目。
振り返らない。
右腕を脇へ引き、長刀だけを後方へ走らせた。
短い一閃。
敵は武御雷の背中へ触れる前に勢いを失う。
三方向から来た個体が、ほぼ同時に有機床へ崩れた。
その後ろから、さらに十体。
オレは長刀を低く下げたまま歩いた。
敵の中心へ向かうためではない。
間合いの位置を変えるためだ。
正面から二体が並んで来る。
武御雷は真正面へ立たない。
一体目の外側へ身体をずらす。
敵同士の進路が重なる。
先頭が後続を僅かに押す。
その一瞬に踏み込む。
長刀を斜め下から上へ。
一体目。
刃を返して水平へ。
二体目。
そのまま長刀の柄を三体目へ打ち込み、身体を横へ押し流す。
転倒した個体が、右側から来ていた群れの足元を塞いだ。
『数を減らすより、動きを止めているのか』
高円寺の声が届く。
爆薬固定作業を続けながら、こちらの戦闘を見ているらしい。
「全部を斬る必要はない」
武御雷の前方で戦車級が重なり、群れ全体の速度が落ちる。
だが、後方の個体がその上を乗り越え始めた。
五体が同時に飛び込んでくる。
オレは足を止めた。
長刀を鞘の近くへ引く。
刃先を敵へ向けない。
動かない。
最初の一体が右側へ入る。
二体目が正面。
三体目が左。
残る二体が背後へ回ろうとする。
間合いが閉じる。
そこで初めて、武御雷の腰部を回した。
抜き打ちに近い横薙ぎ。
右から正面。
正面から左。
一度の軌道で三体の進路を横切る。
振り切らない。
途中で肘を畳み、刃を身体の近くへ戻す。
背後へ回った一体へ逆方向の斬撃。
残る一体には、機体を反転させず長刀の石突を叩き込む。
敵の身体が傾いたところへ、返した刃を下から通した。
武御雷の周囲へ一瞬だけ空間が生まれる。
オレはそこへ立ち続けない。
一歩前へ。
敵の包囲が完成する前に、包囲の外側へ出る。
左の有機壁から別の戦車級が飛び出した。
視界の端。
武御雷は顔を向けない。
敵が着地する音。
床の沈み方。
機体へ近づく振動。
それだけで位置は分かる。
長刀を鞘へ戻すように引く。
敵が背後へ入った瞬間、刃を短く抜き放つ。
一閃は小さかった。
だが、それで十分だった。
オレは再び長刀を低く構える。
正面では、群れがこちらの動きへ合わせて広がり始めていた。
統率級の指示を受けている。
単純に直進してくるだけではない。
左右へ分かれ、武御雷を動けない場所へ追い込もうとしている。
こちらへ敵を通すわけにはいかない。
戦車級の群れが左右へ分かれた。
中央を空ける。
その奥から、要撃級が進んでくる。
一体。
先ほどの崩落で片側の腕を損傷しているが、まだ動ける。
戦車級は武御雷の退路を塞ぐ役割。
要撃級が正面から押し潰す。
オレは長刀を下げたまま、要撃級へ歩いた。
『正面から行くのですか?』
坂柳有栖が聞く。
「正面には行かない」
要撃級が長い腕を振り上げる。
武御雷を中心に、その影が広がった。
腕が振り下ろされる。
オレは回避の噴射を使わなかった。
右足を半歩だけ外へ。
機体上半身を僅かに傾ける。
要撃級の腕が、武御雷の左肩すれすれを通過した。
風圧で紫の装甲へ有機液が叩きつけられる。
巨大な腕はそのまま床へ激突。
有機床が陥没し、周辺の戦車級が衝撃で跳ね上がった。
武御雷は腕の内側へ踏み込む。
長刀を両手で握る。
斬るのは装甲の厚い正面ではない。
腕部関節。
一閃。
刃を抜く。
要撃級が腕を引こうとする。
その力に逆らわず、武御雷も同じ方向へ歩いた。
敵の動きへついていく。
二歩目で刃を返す。
同じ関節へ、もう一度。
外殻の亀裂が深くなる。
三度目。
要撃級の腕が大きく垂れ下がった。
だが、巨体そのものは止まらない。
残る腕を横へ薙ぐ。
オレは長刀を正面へ立てた。
受け止めない。
刃の腹を腕へ沿わせる。
武御雷の腰部を回し、攻撃の軌道を上へ滑らせる。
巨大な腕が機体の頭上を通過した。
その勢いで要撃級の身体が前へ流れる。
武御雷は懐へ入った。
長刀を下から振り上げる。
外殻の隙間へ刃が走る。
要撃級がさらに傾く。
オレは倒しきらない。
巨体の進路だけを変えた。
要撃級は右側へ倒れ、包囲しようとしていた戦車級の群れを巻き込んだ。
巨大な身体が有機床へ落ちる。
地面が大きく揺れる。
倒れた要撃級が、新たな壁になる。
右側の敵は、中核へ進めなくなった。
残るのは左。
オレは要撃級の腕を踏み台にした。
跳躍ユニットを一瞬だけ噴射。
高く上がる必要はない。
戦車級の頭上を越えられればいい。
武御雷が群れの上へ飛ぶ。
空中で身体を半回転。
着地地点へいた三体へ、落下の勢いを乗せて長刀を振り下ろす。
床へ触れる直前、刃を止める。
必要以上に有機床を傷つければ、新たな敵の穴を作る可能性がある。
着地。
左側から二体。
右側から四体。
武御雷は走らない。
長刀を構え直す時間も取らない。
一体目へ刃を滑らせる。
そのまま身体を回し、二体目を柄で押し退ける。
右側の先頭が迫る。
左脚を軸に半回転。
低い横薙ぎ。
後続が飛び越える。
刃を立て、上へ返す。
一体が武御雷の背部へ飛びつこうとする。
機体を沈める。
敵が頭上を通る。
その真下から長刀を突き上げる。
武御雷は敵の動きを追いかけない。
敵が攻撃へ入る瞬間だけを見る。
重心が前へ移る。
脚部が沈む。
腕が開く。
跳躍前に身体が縮む。
その僅かな変化へ、刃を置いていく。
大きく動く必要はない。
敵が自分から間合いへ入ってくる。
紫の機体はほとんど同じ場所にいる。
それなのに周囲のBETAだけが、一体ずつ前へ進めなくなっていく。
八神が息を呑む。
『綾小路先輩の周囲だけ、敵の進行速度が低下しています』
ひよりが答える。
『敵が多すぎて、後続が前方の個体を避けられていません』
「なら、さらに詰まらせる」
武御雷は正面の戦車級を斬らなかった。
長刀の柄で押し、横向きに転倒させる。
後続がその身体へ衝突。
さらに次の個体も重なる。
小さな障害が、群れ全体の動きを止める。
その脇を抜けようとした個体だけを長刀で止める。
一体。
二体。
三体。
斬撃の合間に、武御雷は僅かに位置を変える。
倒れた敵。
要撃級の腕。
裂けた有機床。
すべてを利用して、通れる道を狭くしていく。
敵は数で優位に立っている。
だが一度に武御雷へ近づける数は減っていた。
高円寺が言った。
『敵を相手にしているというより、盤面を組み替えているようだ』
「坂柳ならそう言うだろうな」
『君も十分に似ているよ』
管制回線へ、坂柳有栖の穏やかな声が入る。
『お褒めいただき光栄です』
わずかに笑みを含んだ声。
坂柳の声音は不思議なほど落ち着いていた。
『綾小路くんの戦い方は、とてもチェスに似ています』
長刀が閃く。
戦車級が斜めに切り裂かれ、左右へ崩れ落ちる。
武御雷はその間を滑るように通過した。
『普通の衛士は、目の前の駒を取ることを考えます』
『ですが綾小路くんは違います』
さらに一閃。
要撃級の前肢が切断され、巨体が横倒しになる。
その倒れた巨体が、新たな障害物となって後続の進路を塞いだ。
『彼は駒を取るために動いているのではありません』
『盤面そのものを、自分に有利な形へ作り替えているのです』
坂柳の声が続く。
『例えば今の要撃級』
『撃破するだけなら他にも方法はありました』
『ですが彼は倒れる方向まで計算していました』
『結果として敵の進路は狭まり、一度に接近できる数が大きく減っています』
高円寺が小さく笑う。
『なるほど、まるでクイーンを犠牲にして、敵の駒を詰まらせるような手だねぇ』
『ええ』
坂柳も同意する。
『そして今の武御雷はクイーンですらありません』
『盤上を自由に動きながら、相手に次の一手を強制している』
長刀が再び振るわれる。
閃光。
血飛沫。
崩れ落ちるBETA。
その死骸によって形成された狭い通路へ、後続の群れが押し込まれていく。
『チェスで最も恐ろしいのは、駒を失うことではありません』
坂柳は静かに言った。
『相手の思考そのものを誘導されることです』
『今、統率級護衛部隊は綾小路くんの望む場所へ集められています』
『自分では包囲しているつもりでしょうが、実際には包囲されているのは彼らの方です』
オレは答えなかった。
ただ武御雷を前へ進める。
長刀を構える。
迫り来る敵の群れ。
だが盤面は、すでにこちらが支配していた。
左側の壁面が大きく裂けた。
戦車級だけではない。
要撃級がもう一体現れる。
今度の個体は損傷していない。
両腕を広げ、倒れた仲間ごと武御雷を押し潰そうと進む。
その足元を、戦車級が埋めている。
武御雷は長刀を鞘へ戻した。
完全には収めない。
刃を半分だけ残す。
八神が驚く。
『なぜ刀を――』
「刃を休ませる」
長時間の戦闘で、長刀にも負荷が蓄積している。
無理に振り続ければ折れる。
次の一撃へ必要な角度だけを作る。
要撃級が迫る。
長い腕が左右から閉じてくる。
逃げ道は前だけ。
だが前には巨体。
武御雷は動かない。
間合いが縮まる。
二十メートル。
十五。
十。
要撃級の腕が左右から加速した。
その瞬間。
武御雷は前へ踏み込んだ。
敵から離れるのではなく、懐へ入る。
左右の腕が武御雷の背後で衝突した。
凄まじい衝撃音。
要撃級自身の身体が揺れる。
オレは鞘から長刀を抜いた。
下から上へ。
敵の胸部中央ではない。
腕と胴体をつなぐ内側の関節。
紫の刃が走る。
武御雷はそのまま要撃級の身体の横を通過した。
振り返らない。
数歩進む。
背後で要撃級の片腕が垂れ下がる。
巨体が向きを変えようとする。
オレは長刀を肩へ担ぐように構え、背後へ刃を返した。
もう一方の関節へ一閃。
両腕の支えを失った要撃級が前へ倒れる。
その巨体が、戦車級の群れを押し潰しながら中核前の通路を完全に塞いだ。
直後、崩落した空洞の向こうで、白い外殻が動いた。
統率級。
瓦礫に埋もれた一体が、再び身体を起こそうとしている。
赤い孔が開き始める。
蒸気攻撃。
武御雷の周囲には、倒れた要撃級と戦車級。
大きく回避できる空間はない。
坂柳有栖が警告する。
『高熱反応上昇!』
『十二秒後に蒸気攻撃が来ます!』
高円寺機は爆薬固定中。
動けない。
統率級の狙いが高円寺へ向けば終わる。
オレは武御雷を前へ出した。
長刀を低く構える。
統率級の注意が紫の機体へ向く。
「こっちだ」
赤い孔が武御雷を追う。
八秒。
戦車級が足元へ集まる。
武御雷は一体を斬る。
二体目は蹴り飛ばす。
三体目を長刀の峰で押し、統率級との間へ転がす。
五秒。
赤い孔の奥が白く輝く。
オレは倒れた要撃級の背へ上がった。
三秒。
跳躍ユニットを短く噴射。
統率級の視線を上へ向ける。
蒸気攻撃が放たれた。
武御雷は空中で長刀を有機壁へ突き刺した。
刃を支点に機体を横へ振る。
灼熱の蒸気が武御雷の背後を通過する。
地上を埋めていた戦車級が熱波に飲まれる。
倒れた要撃級も押し流される。
統率級自身が作った攻撃によって、中核前の敵群が一気に崩れた。
武御雷は壁から長刀を抜く。
落下。
着地。
片膝をつく。
右脚部の警告表示が赤く点滅する。
だが立てる。
長刀も折れていない。
統率級は次の攻撃を準備している。
周囲の戦車級も、再び起き上がり始めた。
オレは長刀についた有機液を振り払った。
大きくは振らない。
刃先を僅かに下へ向けただけ。
赤黒い液体が床へ落ちる。
武御雷は静かに立ち上がった。
敵の数は減っていない。
武御雷の装甲は損傷している。
残弾もない。
右脚部の出力も低下している。
それでも。
中核へ続く道を通過したBETAは、一体もいなかった。
オレは長刀を正面へ向けず、腰の横へ低く構えた。
最初の構えと同じ。
敵を威嚇する必要はない。
攻撃の意思を見せる必要もない。
間合いへ入った時にだけ、斬ればいい。
統率級が動く。
戦車級が走る。
要撃級の残骸を乗り越え、新たな群れが押し寄せる。
武御雷が一歩進む。
一体目。
抜刀。
二体目。
返す刀。
三体目。
機体を沈めてかわし、背後へ一閃。
要撃級の腕が瓦礫の下から伸びる。
長刀を添え、軌道を外す。
その腕を踏み台にして前へ。
統率級の赤い孔が開く。
武御雷は正面へ歩く。
逃げない。
追わない。
ただ、高円寺との間へ立つ。
武御雷の長刀が、最後に一度だけ閃いた。
高円寺機へ飛びかかろうとしていた戦車級が、その直前で動きを止める。
オレは刃を下げた。
武御雷は高円寺と爆薬を背にしたまま、静かに長刀を構え直した。
高円寺が報告する。
『二基目、固定五十パーセント』
統率級二体が同時にこちらへ向いた。
オレを最優先の脅威と判断したのだろう。
左右から肢体が迫る。
武御雷は後退しない。
空洞上部を走る巨大な管状組織へ照準を向ける。
外周から中核へ大量の熱と有機液を送っている主要管。
損傷すれば、中核周辺の構造そのものが崩れる。
武御雷は左腕へ残していた短砲身の三十六ミリ砲を主要管へ向けた。
三十六ミリ弾を集中。
一本目の管が裂ける。
大量の液体が噴き出す。
二本目。
三本目。
切断された外殻。
飛び散る有機液。
崩れる死骸。
それらが武御雷の足元へ積み上がっていく。
まるで死体の山だった。
『綾小路先輩……』
天沢が呟く。
『あれが……ホワイトルームの最高傑作』
誰も答えない。
武御雷は再び統率級へ向かう。
統率級が指揮信号を放つ。
さらに奥から要撃級が現れる。
二体。
三体。
四体。
だが、武御雷は前進を止めなかった。
長刀を水平に構える。
一歩。
また一歩。
高円寺との距離を測る。
時間を稼ぐ。
それだけ。
それだけのために。
一機で。
数百のBETAを止めていた。
武御雷の紫色の装甲は、すでに有機液で黒く染まっている。
だが、その姿は誰よりも美しかった。
まるで戦場を歩く剣豪。
人類最強の衛士。
その背中だけで。
誰もが爆薬設置の時間を稼げると確信していた。
天井を支えていた組織が大きく痙攣する。
ひよりが警告する。
『空洞上部の構造が崩れます!』
「そのために撃った」
『綾小路くんも巻き込まれます!』
「高円寺、あと何秒だ」
『八秒』
天井から巨大な組織塊が剥がれ始める。
統率級二体が迫る。
要撃級も左右を塞ぐ。
武御雷の残弾は五パーセント。
跳躍ユニット出力六十二パーセント。
「五秒」
高円寺は答えない。
固定作業を続けている。
巨大な管状組織が一本、天井から落下した。
要撃級二体を押し潰し、有機床を大きく沈ませる。
続いて二本目。
統率級の一体が回避しようと身体を捻る。
その動きで、もう一体と進路が重なった。
オレは最後の三十六ミリ弾を、二体の間にある天井基部へ撃ち込んだ。
爆発。
空洞上部が大きく裂ける。
数千トン規模の有機組織と外殻片が、統率級護衛部隊の上へ雪崩れ落ちた。
白い外殻。
赤黒い組織。
要撃級。
戦車級。
すべてが瓦礫の奔流へ飲み込まれる。
中核空洞全体が激しく揺れた。
武御雷も爆風で押し戻される。
右脚部が床へ沈み、警告表示が赤へ変わった。
『固定完了』
高円寺の声。
二基目の爆薬が設置された。
「起爆回線を接続しろ」
『接続中』
瓦礫の下で、統率級の一体がまだ動いている。
長い肢体が組織塊を押しのけ、武御雷へ伸びてきた。
残弾はない。
オレは長刀を構える。
肢体が迫る。
武御雷が踏み込む。
刃を正面からぶつけるのではなく、伸びてくる軌道へ斜めに当てた。
肢体が滑り、武御雷の左肩を掠めて中核表面へ突き刺さる。
オレはその肢体を足場にし、跳躍ユニットを噴射した。
統率級の外殻へ飛び乗る。
長刀を赤い孔へ突き立てた。
統率級が大きく暴れる。
武御雷を振り落とそうとする。
オレは長刀をさらに押し込んだ。
跳躍ユニットを至近距離で噴射する。
推進炎と圧力が開口部へ流れ込み、内部で凄まじい爆発が発生した。
白い外殻が内側から弾ける。
灼熱の爆炎が赤い孔から噴き上がり、統率級の上半身を包んだ。
武御雷は爆風で空中へ投げ出される。
姿勢制御。
着地。
右脚部が限界を迎え、機体が片膝をついた。
高円寺が報告する。
『起爆回線接続』
八神の声が返る。
『一基目、信号を確認』
『二基目――』
通信が止まった。
ノイズ。
数秒後、八神が言う。
『二基目の起爆信号が来ません』
高円寺が確認する。
『こちらでは接続済みだ』
『回線が中核組織に取り込まれています』
爆薬から伸びた起爆ケーブルが、再生した有機組織によって覆われている。
中核そのものが、異物を排除しようとしていた。
高円寺が機体出力を上げ、通信信号を送る。
反応はない。
一基だけの爆発では、中核を完全に破壊できない可能性がある。
茶柱が言う。
『一度爆薬を外して接続し直せ』
高円寺。
『固定器が中核へ埋まっている』
『外せば再設置に時間がかかる』
中核周辺の崩落は続いている。
統率級護衛部隊も、すべて停止したわけではない。
残された時間は少ない。
オレは武御雷のハッチを開いた。
堀北の声が強くなる。
『何をするつもり?』
「二基目を手動で接続する」
『武御雷から降りないで!』
「機体では爆薬の裏側へ入れない」
高円寺が言う。
『私が行く』
「お前は周囲を守れ」
『君の武御雷は弾切れだ』
「長刀は残っている」
『君自身は生身だよ』
「強化装備がある」
高円寺が一瞬黙る。
オレは操縦席から降り、中核表面へ飛び移った。
二基目の爆薬は中核の反対側。
そこへ続く表面は、脈動するたび大きく傾いている。
足元から有機組織が伸びる。
短刀で切り払いながら進む。
背後では、高円寺機が残る戦車級を撃っていた。
武御雷は無人のまま片膝をついている。
その長刀だけが、統率級の残骸とこちらの間を遮るように突き立っていた。
爆薬へ到達。
起爆ケーブルは完全に組織へ包み込まれている。
短刀で表面を切る。
赤黒い組織が再生し、すぐに切断面を閉じようとする。
一本。
二本。
ケーブルを露出させる。
接続部は破損していた。
遠隔起爆信号を送るための端子が潰れている。
八神へ報告する。
「遠隔端子が破損している」
『予備端子は爆薬下部です』
「見えている」
爆薬と中核の間。
人間一人が辛うじて入れる隙間。
中核の脈動によって幅が変わっている。
広がる時で約六十センチ。
縮む時は二十センチ以下。
オレは身体を滑り込ませた。
堀北が叫ぶ。
『綾小路くん!』
中核が脈動する。
爆薬と組織の間隔が急速に狭まる。
強化装備の外装が押され、圧力警告が表示された。
次の拡張まで耐える。
三秒。
四秒。
空間が広がった。
さらに奥へ進む。
予備端子を確認。
ケーブルを引き出す。
端子へ接続。
だが固定具が閉まらない。
組織の再生によって端子周辺が歪んでいる。
短刀の柄で固定具を叩く。
一度。
二度。
三度。
ロック。
八神の声。
『二基目信号を確認!』
『遠隔起爆可能です!』
その直後。
中核がこれまで以上に強く収縮した。
空間が閉じる。
強化装備の警告音。
オレは身体を引き抜こうとする。
右脚が有機組織に絡まった。
短刀を振るう。
届かない。
空間はさらに狭くなる。
高円寺がこちらへ機体腕部を伸ばした。
『掴まりたまえ』
「届かない」
『なら届くところまで来い』
高円寺機が中核へ一歩近づく。
統率級の残骸から、最後の肢体が伸びた。
高円寺機の背部へ衝突する。
機体が大きく揺れる。
それでも腕部を下げない。
オレは強化装備の補助噴射を使い、絡みついた組織ごと身体を前へ動かした。
右脚外装が裂ける。
だが抜けた。
高円寺機の手が身体を受け止める。
そのまま肩部へ乗せられた。
『借りは二つ目だ』
「数えているのか」
『当然だ』
遠隔起爆信号は二基とも安定している。
だが中核周辺の有機組織が、再び爆薬を包み始めていた。
坂柳有栖とひよりが脱出経路を示す。
『中核上部に排出管があります』
『海面へつながっている可能性があります』
『途中の構造は不明です』
「武御雷を回収する」
高円寺が答える。
『右脚が動かないのでは?』
「左脚と跳躍ユニットは生きている」
高円寺機が武御雷の近くまで移動する。
オレは再び武御雷へ乗り移った。
主機を再起動。
右脚部出力十二パーセント。
歩行は困難。
だが跳躍ユニットはまだ使える。
二機が中核上部へ向かう。
瓦礫の下から統率級の肢体が追ってくる。
高円寺機の左脚へ衝突。
出力低下。
武御雷は残る長刀で肢体を切り払い、排出管入口を塞ぐ有機膜へ突撃した。
長刀を突き刺す。
高円寺も横から射撃を加える。
膜へ亀裂。
再生が始まる前に、二機が同時に押し広げた。
有機膜が破裂する。
その向こうから、凄まじい水圧で海水が流れ込んだ。
大量の水が排出管を満たし、二機を押し戻そうとする。
同時に、追ってきた統率級の肢体も正面から海水を受け、奥へ押し流された。
「上へ行く」
『この状況でかい?』
「浮力を使え」
武御雷と高円寺機は、跳躍ユニットを短く噴射した。
水流と浮力を利用し、急斜面の排出管を上がっていく。
白い光。
海面。
出口。
二機は中枢構造体の東側から、海水を押し上げて飛び出した。
堀北たち外部部隊が待っている。
須藤と真嶋が高円寺機へ牽引ワイヤーを接続。
堀北機が右腕を伸ばし、右脚を失った武御雷を支える。
堀北の声が届く。
『本当に、無茶ばかりする』
「戻った」
『まだ爆発していないわ』
「そうだな」
西側の裂け目から、茶柱、龍園、宝泉、坂上、八神、七瀬も脱出する。
内部破壊隊八機。
全員生還。
坂柳有栖が報告した。
『内部破壊隊全機の離脱を確認』
坂柳理事長の声が全回線へ入る。
「全軍、爆破範囲から退避してください」
中枢から一キロ。
戦術機部隊が距離を取る。
損傷機は牽引。
艦艇も一斉に離れていく。
高円寺機の左脚部が限界を迎え、速度が落ちた。
須藤が牽引出力を上げる。
『もっと引くぞ!』
真嶋が命じる。
『左跳躍ユニットを切り離せ!』
高円寺はすぐに分離操作を行った。
重量が減る。
二機の牽引によって速度が上がった。
武御雷も堀北機と星之宮機に支えられながら進む。
距離八百メートル。
九百。
一キロ。
八神が起爆信号を確認する。
『一基目、安定』
『二基目も信号を維持しています』
真嶋が叫ぶ。
『組織へ取り込まれる前に起爆しろ!』
中枢内部では、赤黒い管状組織が爆薬を包み始めている。
固定器。
起爆ケーブル。
爆薬コンテナ。
すべてを異物として飲み込もうとしていた。
坂柳理事長は、退避状況を最後まで確認した。
戦術機部隊。
海上艦隊。
内部破壊隊。
全機が爆破範囲の外へ出る。
「爆発に備えてください」
全軍が身構える。
坂柳理事長の声は静かだった。
「起爆」
八神が遠隔信号を送る。
一基目が作動。
外からは、まだ何も見えない。
一瞬遅れて、二基目も起爆した。
中核の両側で生まれた爆圧が、中心部で激突する。
東京湾に横たわる巨大な中枢構造体が、内側から大きく膨張した。
外殻を走る亀裂という亀裂から、白い光が噴き出す。
次の瞬間。
中枢構造体は、東京湾中央で内側から破裂した。
数百メートルの火柱が海上へ立ち上がる。
灼熱の爆炎は、一つの場所から噴き上がったのではなかった。
中核の両側で起きた爆発が、
巨大構造体の内部を走る無数の管状組織へ一気に伝わっていく。
最初に中央部が白熱し、続いて赤黒い外殻の内側へ幾筋もの光が走った。
まるで中枢構造体そのものが、身体の奥深くから燃え上がっているようだった。
一つ目の裂け目から炎が噴き出す。
次の瞬間には、その隣の亀裂も爆発した。
さらに別の場所。
さらにその外側。
内部へ蓄積された圧力が逃げ場を求め、
外殻のあらゆる隙間から真紅の爆炎となって噴き上がる。
東京湾中央に横たわっていた巨大構造体は、瞬く間に巨大な火山へ変わった。
数百メートルの火柱が夜明けの空を突き抜ける。
その中心は白く輝き、外側には赤と橙の炎が幾重にも巻きついていた。
爆炎の中で、外殻が次々と内側から破裂する。
巨大な破片が炎を引きながら空へ舞い上がり、弧を描いて海面へ落下した。
海水へ触れた瞬間、大量の蒸気が爆発的に広がる。
白い水蒸気と真紅の炎が混ざり合い、東京湾全体を覆うほどの巨大な雲を作った。
中枢周辺に残っていた戦車級は、押し寄せる爆風によって一斉に吹き飛ばされた。
要撃級も立っていることができない。
統率を失うより早く、灼熱の爆炎と崩壊する外殻の下へ飲み込まれていく。
海面へ浮かんでいた要塞級の巨体も、
内部から走った衝撃によって大きく姿勢を崩した。
その直後、火柱の根元から広がった第二波の爆炎が、
周囲に残るBETA群をまとめて包み込む。
逃げる方向はなかった。
前には炎。
後ろには崩壊する中枢。
頭上からは燃え上がる外殻片が降り注ぐ。
BETAの反応は、爆発の中心から外側へ向かって次々と消えていった。
一つ。
十。
百。
管制画面を埋めていた無数の赤い光が、炎の広がりと同じ速度で失われていく。
中枢から供給されていた命令も。
地下へ伸びていた活動反応も。
地上へ向かっていた群れの統制も。
すべてが巨大な爆炎の中で断ち切られた。
さらに中核深部で残っていたエネルギーが誘爆する。
最初の火柱を内側から押し広げるように、三度目の大爆発が起きた。
爆炎は巨大な半球となって海面を覆い、夜明け前の東京湾を真昼のように照らした。
戦術機の装甲が赤く染まる。
艦艇の影が海面へ長く伸びる。
遠く離れた人工島からも、その炎ははっきりと見えた。
巨大な構造体が燃えているのではない。
東京ハイヴという存在そのものが、内側から焼き尽くされている。
そう思わせるほどの光景だった。
やがて外殻の中央部が完全に耐久限界を越えた。
構造体全体が折れるのではなく、中心から四方へ引き裂かれる。
凄まじい爆発音と共に、赤黒い巨体が無数の破片へ分かれた。
灼熱の破片。
沸騰する海水。
吹き上がる水柱。
黒煙。
白煙。
真紅の炎。
そのすべてが絡み合い、東京湾中央へ天を覆うほどの巨大な爆炎を作り上げた。
炎の内側では、もう動くものはなかった。
統率級の反応も。
要塞級の反応も。
中枢構造体の脈動も。
一つ残らず、爆炎の中へ消えていく。
それは単なる爆破ではなかった。
東京の地下へ根を張り、人類の街を奪い続けた強大な敵が。
ついにその中心から完全に滅びていく瞬間だった。
大量の海水。
砕けた外殻。
赤黒い有機組織。
すべてが一つの巨大な噴煙となり、空へ巻き上げられた。
衝撃波が円形に広がる。
海面が壁のように持ち上がり、艦艇と戦術機をまとめて押す。
堀北機が大きく揺れる。
オレは損傷した武御雷の中で、操縦桿を握ったまま爆風へ耐えた。
須藤と真嶋は高円寺機を支え。
茶柱たちも巨大な波を越える。
爆炎は長く続いた。
やがて、少しずつ収まっていく。
中枢構造体が存在していた場所には。
巨大な空洞と渦だけが残されていた。
赤い光は消えている。
脈動もない。
ひよりが地中波形を一つずつ確認する。
深部。
浅層。
地上。
中枢。
すべての反応が低下していく。
管制官の声が震えた。
『中枢反応、消失しました』
坂柳有栖も別系統から確認する。
『地下深部の活動も急速に低下しています』
ひよりが最後に告げた。
『中枢の脈動は、完全に停止しました』
内部破壊隊。
全員生還。
坂柳理事長が全回線を開く。
「天衝作戦参加部隊へ」
人工島。
海上艦隊。
戦術機部隊。
整備員。
管制官。
全員が聞く。
「東京ハイヴ中枢構造体の反応消失を確認しました」
「地下に残るBETAの活動も、急速に低下しています」
「現在、正規軍が残存個体の掃討と地下構造の封鎖を進めています」
一度。
言葉を切る。
「天衝作戦の主要目標は」
声が僅かに震える。
「達成されました」
艦艇から。
正規軍から。
整備員から。
小さな歓声が上がる。
それは少しずつ広がっていく。
だが、坂柳理事長は続けた。
「この勝利は」
歓声が静かになる。
「全員が戻った勝利ではありません」
橋本正義、軽井沢恵、神崎隆二、神室真澄。
そして、正規軍の戦死者。
「帰還できなかった者がいます」
「彼らが守った通信」
「彼らが空けた帰還路」
「彼らが通した誘導信号」
「彼らが変えた中枢の倒壊方向」
「そのすべてが」
「今日の中枢破壊へつながりました」
坂柳有栖は目を閉じる。
橋本の軽口。
最後まで維持された通信。
平田は、軽井沢の声を思い出している。
一之瀬は、神崎が最後に残した言葉を。
伊吹は、神室が橋本のところへ行かないと言った声を。
「我々は」
坂柳理事長は続ける。
「彼らを置き去りにはしません」
「名前を」
「行動を」
「この東京を守ったという事実を」
「必ず持ち帰ります」
東の空から朝日が昇る。
東京湾には、まだ煙と炎が残っている。
それでも。
夜は終わった。
「天衝作戦」
「終了です」
「全隊」
「帰還してください」
午前六時三十分。
高度育成衛士高等学校、西部軍港。
帰還機が一機ずつ降りてくる。
整備員と医療班が走る。
傷ついた機体が支持架へ固定される。
だが、四つの場所だけが空いている。
橋本機が戻るはずだった場所。
軽井沢機。
神崎機。
神室機。
誰も、その空白を見ないようにはできなかった。
平田は軽井沢機の支持架前で足を止める。
一之瀬も、神崎の場所を見る。
坂柳有栖は橋本。
伊吹は神室。
それぞれ、言葉を失う。
茶柱が候補生たちの前へ立った。
「作戦は終わった」
いつもより低い声。
「強化装備を外し」
「医療検査を受けろ」
須藤が尋ねる。
「先生」
「何だ」
「俺たち」
その先が続かない。
勝った。
東京ハイヴは破壊された。
だが、喜べない。
茶柱は答えた。
「今は、それでいい」
無理に誇れとも。
喜べとも。
立ち直れとも言わない。
「戻った者は休め」
「戻らなかった者の分まで、すぐに何かをしようとするな」
「今日だけは、自分が生きていることを確認しろ」
候補生たちは静かに頷いた。
オレは四つの空いた支持架を見る。
ホワイトルームでは、勝利と損失は数字だった。
必要な犠牲。
効率。
結果。
だが、今は違う。
橋本、軽井沢、神崎、神室。
それぞれの声。
行動。
選択。
数字ではない。
堀北が隣へ来る。
「綾小路くん」
「何だ」
「戻ってきた」
「ああ」
「高円寺くんも、みんなも、先生たちも」
「ああ」
堀北は空いた支持架を見る。
「でも」
言葉が止まる。
「全員ではない」
オレが答えると。
堀北は小さく頷いた。
「そうね、でも……」
一泊。
「私は誇りを持って、彼らを兄さんへ紹介できる」
朝日が格納庫へ差し込む。
泥と焦げ跡に覆われた戦術機が、その光の中に立っている。
東京湾の遠くには、中枢破壊の煙がまだ上がっていた。
東京ハイヴは消えた。
人類は勝利した。
それでも物語は、戦いが終わった瞬間には終わらない。
戻った者たちが。
戻らなかった者たちを。
これからどう持ち帰っていくのか。
その答えを見つけるまで。
天衝作戦は。
彼らの中で。
まだ終わってはいなかった。