悪役令嬢の教師は未来のわたくし   作:エクソダス

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第10話

 

 夕暮れの中庭。

 

「……ださいわね、ほんっと」

 

 アリーゼの呟きが、噴水の水音に溶けていく。

 オレンジ色の光が石畳を染め、彼女の銀髪を燃えるように輝かせていた。

 その横顔は美しく――そして、ひどく寂しげだった。

 

「アリーゼ先生」

 

 振り返ると、そこにはスーリアが立っていた。

 いつもの穏やかな表情。しかし、その瞳に確かな力強さがある。

 

「おや、ごきげんよう、スーリア先生」

 

 アリーゼは完璧な微笑みを浮かべた。宮廷仕込みの、隙のない笑顔。

 

「どうか、なされまして?」

「少し、やりすぎだよ」

「ふふ、何の話かしら?」

 

 直球のスーリアに、白々しく首を傾げてみせる。

 スーリアは一歩前に出て、いつものように人差し指で唇に触れた。

 

「とぼけないで。さっきの職員室の話も、授業のことも聞いてた。あそこまで追い詰めることはなかったでしょう」

 

 アリーゼは扇子を取り出し、優雅に開いた。

 

「そうかしら? あたし様は貴族に必要な教育をしているだけよ。ま、平民だった貴女にはわからないでしょうけどね」

 

 その言葉の裏には、かつての悪役令嬢としての醜い優越感が滲んでいた。

 夕風が二人の間を吹き抜け、スーリアの金髪がふわりと揺れた。

 

「クラスメイトの前で恥をかかせて、心を壊すことが教育だとでも? あんなやり方、いつセリアがつぶれてもおかしくありません」

「つぶれていいんじゃない? これでつぶれたなら、その程度なのよ、そいつは」

「……セリア」

 

 スーリアの小さな声が震えた。

 

「そう、結局その程度なのよ。わたくしは」

 

 扇子がカタリと石畳に落ちた。

 彼女の声から冷たさが消え、代わりに深い自己嫌悪が滲んでいた。

 

「セリア・レーヴェルは、何も変わらないの」

「……そんなに、過去の自分が許せない? 貴方は過去の自分で、憂さ晴らしをしてるようにしか見えないよ」

「そう見える? アンタには」

 

 すると、アリーゼが乾いた笑いを漏らした。

 

「相変わらず知ったような口を聞くのね。そうやって誰にでも優しくして――」

 

 アリーゼの顔が、ゆっくりとスーリアに向けられる。

 その瞳には、深い憎悪と、哀しみが混じっていた。

 

 

 

 

 

「そういうところが嫌いなのよ。“アリス”」

 

 

 

 

 

「っ」

 

 その名前が発せられた瞬間――時が止まったような錯覚に陥った。

 

「いつも正しかった貴女には、わからないでしょうね。私の気持ちは」

「“セリア”……」

 

 スーリアも、“未来のアリス”として呼ぶ。

 アリーゼ――いや、“未来のセリア”は、自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「この時代に来て、いろんな知り合いに会ったわ。友達も、親友も、恩師も、隣人も」

「……」

「いつもわたくしを持ち上げてへこへこしてた人たちが、みんな優しい笑顔を向けるの。誰もわたくしの正体に気付かずにね」

「そっか……」

「父親も、執事も。ミアにも会った」

 

 ミアの名を口にした時、“セリア”の表情が歪んだ。

 

「でも、誰もわたくしに気付かなかったわ、誰も」

「そんなの、大人になったんだから当たり前だよ」

「一人だけ、すぐわかってくれた人がいてね」

 

 その表情に、一瞬だけ温かなものが宿る。

 

「アヴェルだったのよ」

「それって――」

 

 その名を聞き、“アリス”の声に動揺が走る。

 なぜなら、その人物は……

 

 

「ええ。レーヴェル家の専属暗殺者よ」

 

 

 沈黙が落ちた。

 重い、息苦しいような沈黙。

 

 そして――

 

「ははは」

 

 “セリア”が笑い出した。

 乾いた、虚しい笑い。

 彼女らしい高笑いではなく、どこまでも乾いた笑いだ。

 

「笑えるでしょ?」

 

 笑い声が途切れる。

 

「驕り高ぶって、神すらも味方だと思っていた悪役令嬢」

 

 声が震え始める。

 

「愛する人も友達も誰も気付かず、気付いたのは……」

 

 彼女は言葉を切った。

 

「いつも暗殺の依頼を受けた、闇の人間なのよ」

 

 笑い声が、嗚咽に変わっていく。

 そして、光の無いその瞳に涙が落ちた。

 

「所詮そんなもんだったのよ。わたくしの人生なんて」

「…………」

「誰も本当のわたくしを、見てはいなかったのよ」

 

 セリアの声が小さくなる。

 

「完璧な公爵令嬢、優秀な魔術師、次期当主」

 

 肩書きばかりが増えていく。

 でも、ただの『セリア』を見ている者は――

 

「誰も、本当のわたくしをみてはいなかった」

 

 

「そんな弱音、貴女からは聞きたくないかな」

「やっぱり、わたくしには向いてないわ。教師なんて。汚いわたくしが、子供に魔術を教える資格は無いのよ」

 

 そのとき思い出すのは、セリア……目の前の過去の自分だ。

 大人となった悪役令嬢には、もう綺麗な目で魔術を見ることは出来ない。

 だが、

 

「ううん、貴女はやり遂げてくれる。今確信した。貴女は教師に向いてるよ」

 

 迷いの無い真っ直ぐな“アリス”の言葉が、“セリア”を突き刺した。

 

「……貴方ねぇ、聞いてた? わたくしがこんなにノイローゼになってるのに、何かの主人公みたいに真っ直ぐ進めようとするのはやめなさいな」

「ふふ、そうだね。でも、本当に確信したんだ」

「なんで……なんでそんなに信じられるのよ、悪役令嬢のわたくしを」

 

 “アリス”の唇の端が、ゆっくりと吊り上がる。

 不敵な笑み。まるで全てを知っているような表情。

 

「そんなの――言わなくてもわかるでしょ?」

 

 低く、艶やかで、どこか挑発的な声。

 

「貴女は、これからも苦しむわ。過去の自分を変えようとして、変えられなくて。でも、それでいいの。ううん、それがいい」

 

 “アリス”が後ろへ下がる。夕陽に照らされた姿が、光に溶け込んでいく。

 強い夕風が中庭を吹き抜ける。

 “セリア”が目を細めた瞬間――

 

 

 

 

 ――だって、それが私の愛した悪役令嬢だもん。

 

 

 

 

 

 

 風が止んだ時、そこにはもう誰もいなかった。

 

「……全く、相変わらずしゃくに障る女ね、アンタは」

 

 足元の扇子を拾い上げ、苛立たしげにパチンと閉じる。

 

「いつもいつも、わたくしの心を弄んで……」

 

 ほんのりと、頬が赤くなっていた。

 

(言わなくてもわかるでしょ? ですって。わかってるわよ、そんなこと)

 

 足取りは、どこか軽い。

 夜が訪れようとしている。

 でも、“セリア”の心には――小さな、温かい光が灯っていた。

 

 

 

学院の地下。螺旋階段を下りきった、誰も訪れない最深部。

 石造りの壁は冷たく、湿った空気が肌に触れる。

 

「魔術の、資格……」

 

 その場所に立つのはセリアだ。

 暗闇の中を淡く光る展示物――白い大理石の台座の上に、杖が静かに佇んでいた。

 ガラスケースに収められた、装飾された金属の柄。先端の宝珠からは、青白い光が今も放たれている。

 

 ――その杖の名は『月《ルナ》ト太陽《ソレイユ》ノ理《ロゴス》』である。

 

「……わたくしは」

 呟きながら、そっとガラス越しに杖へ手を伸ばす。

 

 冷たい感触が、指先に伝わった。

 

   * * *

 

 セリアが魔術に憧れた日、それは六歳の頃だ。

 何かのパーティに出席した時のこと。女王陛下も王子も出席していたそのパーティに、何者かが襲撃。いわゆるクーデターだった。

 華やかなパーティーが突如、悲鳴と怒号に変わる。知っている人が何人も倒れ、血の匂いが鼻から離れない。

 

「あ……ぁ……セリア……ちゃん……に、げ……」

 

 目の前には、自分を庇った名もわからぬ女性。顔も名前も、もう思い出せない。

 胸に大きな穴を開けられた彼女が力なく倒れ、赤い血だまりが広がっていく。

 

(だれ、か……)

 

 心から恐怖したその時、ある光がその場を満たした。

 

 それが、初めて見た魔術。初めて見た魔術師。

 真っ白なドレスを纏った女王が、様々な魔術を駆使して襲撃者を一掃する。まるで星が降り注ぐような、神秘的で圧倒的な魔術だった。

 

   * * *

 

「リオ」

 

 思わず、セリアは弟の名前を口に出した。

 

『落ちこぼれはレーヴェル家に必要ない』

 

 リオが捨てられたあの日、父が放った冷酷な言葉。

 真冬だった。雪の降る中、屋敷の外に追い出された小さな背中。

 

(わたくしは、ただ見てるだけだった)

 

 父親に逆らう勇気も無く、震える弟をガラス越しに眺めることしか出来なかった。

 

『ぼくはね、みんなを守れるようなすごいまじゅつしになるの!』

 

 リオは落ちこぼれと呼ばれても諦めなかった。

 誰よりも早く起きて魔術の練習、才能が無くても必死に努力してた。

 

(恥ずかしくて言わなかったけど……そんな弟を、姉として誇りに思ってた)

 

 弟がいなくなった後、何をしていた?

 忘れようとしたんだ。平民を虐げ、取り巻きを従えて笑い、自分の強さを鼓舞した。

 でも、毎晩夢に見る。リオの助けを求める涙、絶望と恐怖で震える瞳。

 

 ――だから怖くなる。次は、自分の番ではないか。

 

 そんな時、

 

「セリア、さん?」

「!」

 

 後ろから小さな声。そこにいたのはアリスだ。

 

「ど、どうして、貴女がここに」

「え、え、と……誰かに、呼ばれた気がして」

 

 アリスの視線が、引き寄せられるように台座の杖へ向く。

 

「誰かは、わからない。でも、ここから聞こえるの」

「はっ、ずいぶんと不思議ちゃんな事を言いますのね」

「……ごめんなさい。セリアさん、は? どうしてここに?」

「ふん、少し散歩に来ただけですわ」

 

 そのセリアの声には、いつもの覇気も傲慢さも欠片もない。

 ただ虚しく、乾ききった声だ。

 

「なにか、あったの?」

「は、このセリア・レーヴェルが平民に心配されるなんて、この世の終わりですわね」

「……本当に、どうしたの? セリアさんらしくないよ」

「貴女には関係ないでしょう。いつものように怯えてなさいな――お願いですから」

 

 セリアの声は震えていた。弱々しく、心の底で助けを求める悲痛な声。

 

「このまま見て見ぬ振りなんて、そんなの出来るわけ無い」

 

 今のアリスの瞳に宿っているのは怯えではない。優しさに満ち、決意を持った瞳だ。

 

「お願い、何があったのか教えてよ」

「……今日はずいぶん、噛みついてきますわね」

 

 だから、ついセリアは目をそらした。

 

「だって、すごく悲しそうで、すごく辛そうだから。何かしてあげたいの」

「ふん、偽善ですわね」

「……うん、偽善、だよね」

 

 目に決意があるのにいつもと同じ態度のアリス。

 それが気に入らなくて、セリアは舌打ちをした。

 

「そんな事せず、素直に罵倒してみなさいよ!」

 

 セリアの声が荒れる。

 感情が制御できない、ただただ吐き出す。

 

「いつも虐めてる主犯が落ち込んでるんですもの。『ざまあみろ』と心の底では思っているのでしょう?!」

「セリアさん……」

「……心底見下しなさいな、そう思われてた方が、今は気が楽ですわ」

「そっか……」

 

 その言葉にアリスは俯く。

 

「わかったよ、セリアさん。そう思うことにしておく」

「……ありがとう、アリスさん」

「だから――」

 

 その瞬間、アリスが両手でセリアの手を取る。

 

「な、なにを」

 

 温かい。

 震える彼女の手をアリスの小さな手が包む。

 冷たかった手に温もりが伝わり、不思議と振り払えなかった。

 

「何があったのかはもう聞かない。でも、一緒にはいさせて」

「何ですって?」

 

 その手から感じるのは困惑と戸惑いと――微かな安堵。

 

「何も理解していないのね、わたくしは貴女のそういうところが」

「……心の中で見下してるよ、ざまあみろって」

「は?」

 

 セリアはすぐに理解が追いつかなかった。

 

「そう思ってるから、もうちょっとだけ。貴女の望む、醜い平民の姿でいるから」

 

 アリスの瞳が真っ直ぐセリアを見つめる。

 

(この子、わざわざ嘘をついてまで……)

 

 いつも意地悪している自分に、嘘までついて。

 セリアは胸が熱くなった、ここまでして、自分と一緒にいてくれるのかと驚いた。

 

 彼女は察しが悪い方だが、アリスの嘘はすぐにわかった。

 なぜなら、

 

「一緒に、いさせてよ」

 

 涙を隠しきれていないのだから。

 

「……まったく、お人好しですわね。本当に」

 

 杖の光が優しく二人を照らす。

 セリアの瞳にはいつの間にか涙が伝っていたが、その顔は優しい微笑みだった。

 

(でも、この優しい感覚、覚えが……)

 

 そんな時だ。

 足音。螺旋階段からコツコツと響く、複数の重い足音が、こちらに向かってきた。

 

「おや、先客がいるとはな」

 

 二人の目の前に現れたのは、マントを羽織った男三人だった。

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