コツコツと、ハイヒールを鳴らしながら近づいてくるアリーゼ。
その姿はただの教師では無く、女王様とも呼べる畏怖の存在。悪の華だ。
「く、くるな!」
ダリウスは叫ぶが、その声は震えている。
そして震えた手でナイフを取り出し――アリスを人質にした。
「きゃっ!」
「これ以上近づくな! 近づいたらこの娘を殺す!」
刃が、アリスの白い首筋に触れた。
「ひ……っ」
「アリス!」
「お前も動くんじゃねえ! 殺す、殺してやる!」
その顔は恐怖に引きつり、すり足でアリーゼから逃げようとしていた。
「はぁ……」
その時、アリーゼがため息をついた。深く、退屈そうに。
「なんか、つまらないわね。予想通り過ぎるわ、色々な意味で」
「な、なんだと」
「変わらない光景、同じ事の繰り返し。記憶をなぞってるだけみたい」
セリアには、その冷たさの意味がわからなかった。
覇気のない、諦めた冷たさだ。
(記憶? 一体なんの)
「本当に、つまらないわ」
アリーゼはゆっくり、指をダリウスに向ける。
「アリス、動いちゃ駄目よ」
その指先に魔力が集中する。
しかし、それは今までの純粋なエネルギーでは無かった。
――禍々しくて重い、黒く不吉な魔力。
「それは……闇魔術だと! たかが教師風情が、闇魔術を扱えるのか!」
闇魔術――光魔術が世界を作りかえる白だとするなら、世界すら破壊する黒。
『ぼくはね、みんなを守れるようなすごいまじゅつしになるの!』
ふと、セリアの頭に弟の言葉が響く。
世界を塗りつぶすほど危険な魔術。弟が求めた魔術とはかけ離れた――支配の魔術。
「《世界を閉ざし闇――」
ゆっくりと、始まるアリーゼの長い詠唱。
それを聞いて、セリアは――怖さを感じた。
この魔術をこの女性が撃った瞬間、何かが決定的に壊れてしまうような。
「《次元を裂く刃を以て――」
彼女を自分《セリア》自身だと、そう錯覚してしまった。
(違う、こんなのは……違うっ)
――こんなの、弟の求めた魔術と違う。
あの子の夢見た魔術とは、違うはずなんだ。
「うわぁああああ――ッ」
身体が勝手に動いた。
足が震えているのに、止まらなかった。
セリアは目をつぶり、何も考えずに真正面から突進した。
「ぇ……?」
小さく、アリーゼが驚きの声を上げた。
ガ――ッ。
「ぐぁっ!!」
突進したセリアはダリウスを押しのけ、アリスを庇うように倒れ込む。
ズキン。
「が……ぅぁ……がっ!」
押し退けた時、ナイフが肩に食い込んだのだ。
彼女の肩に、痛々しい血の赤が滲む。
「セリアさん!」
「くそ、がぁ――ッ!!」
起き上がったダリウスが再度ナイフを振り上げた。
――バシッ。
しかし、それはアリーゼが投げた扇子により弾かれる。
そのまま懐に入り込み、ダリウスを二人の射程圏外まで蹴り飛ばした。
「セリアさん! セリアさん!」
「だ、大丈夫ですわ……そんな辛そうな声を出さないでくださいまし」
「ごめん、ごめんなさい……わたしのせいで……っ」
アリスは溢れる涙を止めることが出来ず、肩をふるわせる。
「……もう、今はいじめてませんのに。わたくしの目の前で泣かないで。ふ、ふふっ。せめて泣くのは、いじめてるときになさいな」
いつものように傲慢な笑みを見せようとするセリア。
そんな二人に、アリーゼが近づいた。
「なぜ……なぜ、突っ込んだの? なぜ動けたの?」
そう問いかけた声に、いつもの余裕はなかった。
心底の驚愕――まるで、世界の法則の乱れでも見たような表情だ。
「一歩間違えたら死んでたわよ。今のアンタには死ぬ覚悟も度胸もないはず、動けるわけ無いはずなのに」
その瞳の奥にはどこか、希望を見出したような光がともる。
(動けるわけがない……? そんなの――)
なぜ、そう断言できるのか。セリアにはわからなかった。
ふとセリアは、アリスを見る。
その涙は、大嫌いなはずの令嬢のために流してくれたものだ。
「……そんなの、深い理由なんてありません。気まぐれで、助けただけですから」
「セリア、さん……あり、がとう……たすけて、くれて……」
「……ふん」
セリアは鼻を鳴らし、気恥ずかしさに目をそらす。
そんな二人を見て、アリーゼは優しく笑った。
「く、くそ……っ」
ダリウスがよろよろと立ち上がる。その目にはまだ闘志が宿っている。
「あら、まだやるつもり?」
アリーゼが再度扇子を広げる。
その瞬間、アリスは怪我をしたセリアを守るように立ち塞がった。
「なんで、こんなことをするの! なんで、こんなこと……!」
その声は怒りに震えており、いつもの臆病なアリスとは違った。
「……ほう、本人も気付いてないのか」
ダリウスが嘲笑し、ゆっくりと語り始める。その声は重く、残酷だ。
「教えてやるよ、この世界の真実を。今の王子……レオナルドは、本当の女王陛下の息子ではない。あれは女王陛下の妹、名も消えた王家の息子だ」
「女王陛下の妹ですって?!」
セリアは驚愕の声を上げる。
陛下に妹がいるなど、そんな話聞いたことがない。
「今から十年前、ある事件があった。貴族が集まるパーティーでな」
「あ……」
セリアの脳裏に過去が蘇る。
十年前、襲撃、女王陛下が助けてくれたあの事件だ。
「狙いは女王陛下の本当の娘。そこで陛下の妹が殺害され、陛下は自分の娘に危害が加わらないよう、世界にある偽りの魔術をかけた」
そして、ダリウスはアリスを指さした。
「それは……一人娘である“アリス・アマリア”の存在だ」
「え……」
世界が止まった感覚をアリスは味わった。セリアも驚きを隠せない。
「女王陛下は娘の存在を世界から隠して無かったことにし、辺境の村へ逃がした」
「アリスが……女王陛下の……?」
「だが、お前は決して王家の呪縛から逃れることは出来ない。絶対にな!」
ダリウスが叫び、地面に握りこぶしを振りかざす。
赤黒く禍々しい魔法陣が展開され、空中にルーン文字が入り乱れる。
「《土の精よ・我が呼びかけに答え・二つの魂を以て・我が僕となれ》――ッ」
四節、上級魔術だ。
直後、二カ所から悲鳴が上がる。ガースとエドガーだ。
「う、うわぁあああ!!」
「ぐぅおおおおぉおおっ!!」
二人の足下に泥のようなものが広がり、無数の腕となって引きずり込んでいく。
「ぎひひひ、はははははっ!」
そして、ダリウス自身も高笑いしながら呑み込まれた。
ずるずると身体を呑み、頭を呑み、助けを求めた手も飲み込み――何も聞こえなくなった。
その消失と共に、ナニかが泥から這い出てくる。
全身が土で出来た人型――魔術式傀儡《まじゅつしきくぐつ》である。目も口も無いのっぺらぼうだ。
「ま、魔術式傀儡をこんなに……!?」
――魔術式傀儡は人間の複製を作る魔術。魔力の負担から、本来は二、三体が限界。
それが次から次へと生成される。人間二人の魂を、触媒にして。
「う゛、う゛ああぁ」
「くっ」
セリアは立ち上がろうとするが、激痛の走る肩を押さえるので精一杯だ。
「セリアちゃん……!」
その瞬間、アリスが立ち上がった。
「アリ、ス」
「今度は、わたし、が。守るから」
顔は青ざめ、足を震わせながらもアリスは立ち塞がる。
魔術の恐怖に支配されてもなお、セリアを庇おうとしているのだ。
「ふむ、ひぃーふぅーみぃー……合計で二十。媒体の数を考えれば大した物ね」
アリーゼは冷静に数えた後、扇子をホルスターにしまう。
一切焦っていない様子に、セリアは痛みに耐えながら声を上げる。
「な、なにをそんなに落ち着いて――」
「あの時と、数は同じ」
ふと、アリーゼは呟く。
「え……?」
その呟きと同時、アリーゼはポケットから懐中時計を取り出して時刻を見る。
「時間は少しずれてる程度、でも確実にズレてる」
「なにを……」
セリアに答えることなく、静かに懐中時計を閉じるアリーゼ。
その表情には希望と不安が入り混じっているように感じた。
「アリス、下がって。こういうことは素直に先生に任せなさいな」
「で、でもこん、な……」
「貴女は恐怖に立ち向かった、それだけで十分。そこのクソガキのおもりしてなさいな」
アリーゼは優しく笑うと、二人の前に立つ。
(一人で、この数を相手にする気ですの?!)
二十体の魔術式傀儡は、一体一体が人間並みの力を持つ、感情のない兵士だ。
(そんなの、不可能ですわ!)
セリアの思いとは裏腹に、アリーゼはどこか楽しそうだ。
「二人とも、少しだけ見せてあげる……魔術の可能性を」
傀儡が迫る中、彼女は落ち着いて目を瞑り、右手を上げる。
「来なさい――《ツクヨミ》」
――パチン。
瞳を開くと同時、指を鳴らした。
その刹那、部屋全体に巡っていた杖を守る魔方陣が光り出す。
「で、伝説の杖が……」
「光って、る」
杖が真っ白に光り、封印が解除されてケースから飛び出した。
――パシッ。
杖は吸い込まれるように、アリーゼの右手に収まる。
「『月《ルナ》ト太陽《ソレイユ》ノ理《ロゴス》』が、先生を認めた?」
アリスが驚いた声を上げた。当然の反応だ。
この杖は、宿る精霊『太陽神《アマテラス》』と『月神《ツクヨミ》』が初代女王陛下に忠誠を誓っているため、王家を継ぐ者しか使えない。
ただの教師が扱えるなど、あり得ない。
「《双理の杖よ・月の輝きを解き放ち・大いなる力を宿したまえ》――ッ!」
力強い三節詠唱。その瞬間、アリーゼの身体が光に包まれた。
――いや、光では無い。闇だ。
しかし禍々しい闇では無い、夜空のような美しい漆黒。
その闇がアリーゼの身体を包み、新しい衣装を織り上げていく。
「これは……!?」
目の前に現れたアリーゼは、過去に見た女王陛下……自分を助けてくれた魔術師を思わせるドレス姿であった。
――しかしそのドレスは、白の反対の黒。
黒をベースに銀のコントラスト、本物の夜空を彩るように月の刺繍と星が散りばめられていた。
「さて、と。暴れる前に。少しズレを“修正”しなきゃね」
アリーゼは小さく呟き――その杖を、アリスとセリアに向けた。
「その選択肢は、まだ先なのだから」