授業が終わり、セリアは早足で廊下を歩いていた。
取り巻きのエミリーとヴィクトリアが慌てて後を追い、ミアも控えめに後ろを歩く。
「セリア様、お怒りはごもっともですが……」
「あんな無礼な教師、今まで見たことがありませんわ!」
エミリーの落ち着ける言葉もセリアには届かない。
いつもムードメーカーであるエミリーも、珍しく反応に困る。
「セリア様、お気持ちお察しします」
ミアは内心でため息をつく。
あの教師の態度は確かに許し難いものだ、貴族に向かって品性のかけらもない。
「しかし、少し落ち着いて――」
「落ち着いてますわ! でもレーヴェル公爵家の威光を知らないなど、一体どこの田舎から来たというのかしら!」
どうにもセリアの怒りは収まらないらしい。
彼女は珍しく強く足音を立てて、青筋を立てている。
「しかも、とても同じ魔術師とは思えない態度ですわ!」
「きっと、どこか辺境の出身なのでしょうね」
眼鏡をかけたヴィクトリアが、なだめるように言った。
「それも、多分名前すら知られていないほどの」
「ふん、そのうち自分の立場を理解するわ」
まったくと、セリアは銀髪をかき上げる。
「そして跪くのよ――すぐにね」
そんなセリアに、内心では三人とも彼女の剣幕に戸惑っていた。
いつもなら威圧的な態度で相手を黙らせることができるセリア。
あれほど教師に手こずるなど前代未聞。それに、あの教師の堂々とした態度――まるでセリア様と同等かそれ以上の身分を持つ者のようで。
「「あ、あはは……」」
つい、取り巻きの二人は苦笑しか出来なかった。
「ああっもうっ!」
セリアが憤慨しながら角を曲がろうとした時――
ふわりっ。
優しい匂いと共に、向こうから一人の女性が歩いてきた。
「……♪」
美しく長い金髪がさらりと揺れる、知性的で優しげな瞳。
なんの特徴も無いシンプルなスーツが、かえって彼女の品格を際立たせる。
「まあっ!」
セリアは美しさについ息を呑んだ。それはまさしくセリアの求める大人の女性の姿。
先ほどまでの怒りが一瞬で和らいでいき、みるみると笑顔が咲き誇る。
「ス、スーリア先生!」
「おや、ごきげんよう、セリア様」
その声は鈴のように美しい、話し方も完璧に洗練されている。
周囲の空気まで上品になったように感じられる美しさに、ついエミリーとヴィクトリアも背筋を正した。
「ご、ごきげんよう。スーリア先生」
セリアは慌てて優雅にカーテシーをする。
いつもなら完璧な所作で行う彼女のカーテシー。だが、スーリアの前では緊張で少し震えてしまっている。
それほどまでに、スーリアの存在は圧倒的であった。
「お忙しい中、お声をかけてくださってありがとうございます。セリア様」
「い、いえ。スーリア先生もお元気そうで何よりですわ」
「新しい担任の先生はいかがでしたか?」
「え、いや、えっと……」
「?」
スーリアの問いに、四人同時にあの無礼な女がフラッシュバック。
「なにかご不満がありましたでしょうか」
「それが、少々――」
(セリア様、あれは少々では無いと思います)
控えめに言うセリアに、ミアは心の中でツッコむ。
あれはどう考えても少々どころではない。
「その……」
「はい、なんなりとお申し付けを」
セリアは思わず本音を漏らしそうになる。
しかし、優しいスーリアの顔を見てすぐに取り繕う。
「いえ、なんでもございません!」
「そうですか、それは良かったです」
(いやいやいやいや……)
ミア達は三人同時にツッコみそうになったが、どうにか抑える。
すると、スーリアは意味深な微笑みを浮かべた。
「アリーゼ先生は少し特別な方ですからね、困惑することもあるでしょうが」
その微笑みには、何か深い意味が込められているように見えた。
まるで全てを知っている。それでも敢えて何も言わないような、謎めいた表情。
「でも、きっと良い経験になると思いますよ」
そして、スーリアは頭を下げる。
「それでは、失礼いたします、セリア様」
スーリアは優雅に去っていった。
その後ろ姿を見送るセリアの姿は、頬がほんのりと赤く染まり……その後ろ姿に魅了されているようであった。
スーリアが見えなくなってから、セリアは拳を握りしめて呟く。
「やはり、彼女こそ――」
その声にはとてつもない熱がこもる。
「彼女こそ私の求める淑女ですわ!」
そして、恋い焦がれるようにうっとりと両手を合わせた。
「なんという気品! あのアリーゼとは雲泥の差ですわ!」
「……確かに、いつ見ても美しい立ち振る舞いの方ですね」
彼女に同意するように、ヴィクトリアがスーリアの背を見ながらいう。
パタパタと――セリアは扇子を仰ぎながら続けた。
「スーリア様のような完璧な方が推薦なさったというのに。どうしてあんな無礼な教師が。理解できませんわ」
「ううん……どうなんでしょう、ううーん……」
「エミリー、貴女は頭の回転が鈍いのだから、そんなことより勉強に頭を回したら」
「ひどい」
腕を組んで頭を悩ませるエミリーに、冷たいジョークをいうヴィクトリア。
「きっと何かの間違い! そうに違いありませんわ!」
セリアは確信を込めて言う。
「スーリア様があのような人を推薦なさるはずがない! 何かの陰謀なのですわ!」
「そう、です、ね……」
セリアに曖昧に同意するミア。
陰謀にしてはいろいろおかしい気がするが、少なくとも道理は通る。
「たしかに、何もなしに推薦されたとは思えません」
スーリアがあの無礼な教師を推薦するなど、あり得ないこと。
セリアの心の中では、憧れのスーリアと忌々しいアリーゼが完全に対極に位置している。
―― ―― ――
初めての授業が終わった休憩中、アリーゼは職員室で事務作業をしていた。
「ふっ、ガキの子守も楽じゃないわね」
その姿には先ほどの授業とはまた違った緊張感と気品が漂っている。
容姿の端麗さとも相まって、一人の世界を形造っているかのよう……その場の職員もつい見とれてしまいそうになる。
アリーゼが生徒の成績を確認していると――
「き、君。まずいよ……」
年配の先生がアリーゼに怯えた様子で話しかけてきた。
アリーゼはプリントを整えた後、そちらに視線を向ける。
「はい、何でしょう?」
「えと、ああいうのは困るよ」
「困る? 何がです?」
「ええと、さっきの君の授業を少しだけ見てたんだけど――」
年配の教師は言いづらそうに話を続けた。
「あのような、生徒を見下すやり方はやめてください」
「何故です?」
「それは、生徒達の教育に悪いでしょう」
「まあ、そうですね」
アリーゼは足を組み替え、少し冷めてしまった紅茶を飲む。
(まあ、確かに彼の言う通り。少しやり過ぎたわね)
過去の自分を見てテンションが上がりすぎた。
つい、意地の悪い大人のような振る舞いをしてしまったのは否定できない。
「それに、君のクラスには彼女がいる……」
だが、その忠告がただ教師としての【建前】であることも、アリーゼにはわかった。
「彼女、とは?」
「セリア君の事だよ。レーヴェル家に逆らってはいけない」
まるで陰口を言うように、年配の教師は続ける。
「君も知っているだろう。この学院の投資はほとんどレーヴェル家の資産で成り立っている。逆らうとロクなことがない」
「……ふむ」
アリーゼは静かに聞いていた。
この頃のレーヴェル家がいかに腐っていたか――それは誰よりもよく知っている。
思い返せば、公表されたものだけで特集記事が組めるほどだ。
「表だってはいないが、彼女に……いやレーヴェル家に逆らった者達は全員不幸になる」
年配の教師の額に汗が浮かぶ。
「それは異常なほど不幸にね」
「…………」
「彼女に逆らって人生が終わった人間は、この学院にも数多くいる。恐らく外にも……」
勿論、そのことも知っている。
(ええ……わかってるわよ。そんなこと)
アリーゼは小さく吐息を吐く。
それに冷たさがあるのは、自分に罪悪感があるからだ。
「だから――」
「お気遣いありがとうございます」
年配の教師の言葉を遮り、アリーゼは椅子から立ち上がる。
スッ――と優雅にスカートの端を掴んで一礼して見せた。
その瞬間、職員室の空気が一瞬ざわめくのが感じられた。
「しかしながら」
アリーゼは顔を上げる。
「あたし様の行動はあたし様が決めます。誰の指図も受けません」
「っ!」
「あたし様は世界で一番の気高い花嫁、ですわ」
アリーゼは高らかに笑う。
「おーっほっほっほっほっ!」
ざわめいたのは、アリーゼが一礼したからに他ならない。
本物の貴族というものは、行動を起こす指先一つ一つに優雅さがある。
まるで指揮者のような美しさがある。それを見た教師たちは言葉を失っていた。