「あ~~あっ」
バルコニーで一人になったアリーゼは窓の枠に頬杖をつく。
目の前に広がる快晴の青空と、中庭で魔術練習をしている生徒達を眺めながら黄昏れる。
「鬱ですわ~」
心の奥で、深いため息が漏れる……一応過去の悪逆非道は受け止める覚悟でいた。
しかし、ここまで腫れ物扱いとは流石に堪えるものがあった。
「はぁああああぁあ~~っ」
またもや大きなため息。あの頃は皆が心の底から慕っていると思っていた。
――神々しさにひれ伏す。全ての人間が自分に尽くすために生まれてきた。
そう信じて疑わなかった。けれど、今になって、ようやくわかる。
(わたしはただの、憎まれるだけの屑だったのね)
「ヘラヘラですわ~~っ」
窓枠に突っ伏しながら、アリーゼは大声で叫ぶ。
窓の外からも内からも「何あの人、きもっ」という視線が注がれているが、気にしない。
『もし、全てをやり直せるとしたら。貴女は、許してくれる?』
「まったく、あの子の頼みとは言え、軽々と受けるんじゃなかったわ」
アリーゼが自分の行動に後悔していた。
そんな時――
~~♪
「ふむ?」
ふと、どこからか美しい草笛が聞こえてきた。
その優しくて懐かしい音、中庭の隅にある小さな花壇の方から聞こえてくる。
「~~っ♪」
そこには一人の少女が一輪の花を愛でていた。
その姿を見た瞬間、アリーゼの胸がぐっと締められるのを感じた。
「……アリス」
金色の髪、優しげな緑の瞳。
彼女こそがアリーゼ、いや成長したセリア・レーヴェルの恩人。
自分の愚行を許し、学園生活を良いものに彩ってくれた、アリーゼが一番尊敬し、敬愛している人物だ。
「~~~~♪」
相変わらず、花を愛でる姿は可憐の一言だった。
まるでおとぎ話の登場人物のように浮世離れしている。風に髪が揺れるたび、彼女の周りは美術品のような風景へと様変わりする。
「あいかわらず、本当に美しいわね」
やはり可憐だ、アリーゼは今でも嫉妬してしまいそうになる。
権力で人間を動かしてきた自分と違う、間違いなく本物の気品が彼女にはある。
「本当に、憎らしい位に美しい」
令嬢だった自分をも虜にしてしまう、立ち振る舞い。
「まっ、あたし様の知る彼女の気高さには遠く及ばないわねっ」
つい、嫉妬を隠すためにそう笑い飛ばす。
アリーゼは自分の友人《スーリア》の方が上だと、意味もなく高笑いした。
「お~っほっほっほっほっ」
……
「?」
その結果、当の本人から不思議そうな顔で見られる。が、気にしない。
と、ふと思えばどこか変だった。
「しかし、アリスは何故あそこにいるのかしら」
窓際で考え込むアリーゼ。
ここの彼女を見ていると、自分の知るアリスとは行動が多少ズレている。
(わたくしの知るアリスは花を愛でるタイプじゃなくて、花より団子タイプのはず)
そのため、目の前の光景に少し違和感があった。
「ん~、やっぱりスーリアとは違うものなのかしら……」
アリーゼはぽけーっと口を開け、変な形の雲を見ながら思考する。
「たまにアリスがわからなくなりますわ~」
と、そんなことをつぶやいていると。
「あらあら、どうやら雑草がまだ生えているようですわね」
そんな声がアリスのいる下から聞こえてきた。
「ぁあ……?」
アリーゼが口を開けたまま、そちらの方を確認する。
するとやはりと言うべきか。そこには過去のセリアが二人の取り巻きと一人のメイド、ミアを引き連れてアリスの前に立ち塞がっていた。
「こんな所で花を愛でているなんて。相変わらず脳内がお花畑ですわね平民」
「……」
「こんな小さな、何の価値もない花を。やはり平民の感性ですわね」
セリアは心底見下した声で、アリスに向けて言葉を放つ。
(うわー、なによあのクソみたいな極悪令嬢……)
アリーゼは愕然とした。昔の自分ながら、どうしてそう悪役の台詞を吐けるのか。
(スーリアはあんなに心酔してたのに。『同一人物』だって知ったらなんていうのかしら)
まさに、その光景は悪役令嬢が主人公をいじめている図。
あれが過去の自分だと思うと、羞恥心やら呆れやらでアリーゼは頭を抱える。
「……」
「本当に、この学院の恥ですわ。貴女の泥で学院が汚れるではありませんか」
スカートが泥と土で汚れる事を気にせずに、その場に座り込んでいるアリス。
見下したまま、セリアは髪をかき上げる。
「貴方などの平民がこの学院にいるなど」
あざ笑うセリアに反応するように、後ろの取り巻きが騒ぐ。
「本当ですよね! 汚らわしい」
「ここにいるだけで貧乏が移ります……」
エミリーが大げさに叫び、ヴィクトリアは眼鏡をハンカチで拭く。
「本当に、運良く光の魔術を使えるからって、調子に乗ってはいませんか?」
いつまでも反論しないアリスへ向け、セリアの声に嘲笑が混じる。
「貴方は運良く泥から見つかって、この学院の慈悲で生かされているだけだというのに」
「……」
どれだけけなされても、アリスは何も言わない。
この頃の貴族社会は腐っており、平民というだけで見下される。
しかもアリスは特別な光の魔術を使い、王子達に好かれている――年頃の貴族令嬢がいじめるには、これとない対象だった。
「ちょっと、聞いておりますの!! 平民!」
バサッ――セリアは黙り込むアリスに、近くにあった土を投げつける。
アリスは砂を頭からかけられて、小さく身を震わせた。金色の髪に砂埃がかかり、制服の肩にも白い粉が積もる。
それでも彼女は顔を上げず、ただ膝の上で握りしめた手が、わずかに震えていた。
「……」
しかし、アリスは黙ったまま。
その沈黙が、セリアの神経を逆なでした。
「何よその態度……! わたくしを無視するつもりですの?」
貴族として生まれ、常に周囲から畏怖と称賛を受けてきたセリア。
彼女にとってこの無反応は、最大の侮辱に等しかった。
「平民の分際でっ!」
セリアの声が一段と冷たくなる。
取り巻きのエミリーとヴィクトリアも、事態の緊迫を感じ取って息を呑んだ。
セリアは手を振り上げる。恐らくはそのまま、彼女の頬を叩くために――
「この……」
「そこまでですわ」
が、次の瞬間、
――バシッ!
アリーゼの右手がそれを止めて見せた。
優雅にセリアの振り上げた腕を掴むと、静かに微笑む。
「セリア様? 何をしているのかしら?」
「あなた……っ」
アリーゼは優雅に、けれども威圧を込めて言い放つ。
「今、何をしようとしておりましたか?」
アリーゼを見た途端、セリアは顔を強張らせる。
「暴力を振るっても良い人間なんて、この世に存在しない。流石の貴族様とはいえ、暴力は感心しないわね」
「っ」
「貴族ならば貴族としての立ち振る舞いを覚えなさい。感情的になる貴族は、信頼してくださる女王陛下の顔に泥を塗る事になるわよ」
威圧を込めたまま、アリーゼは静かに諭す。
ギリッ――少女セリアは唇をかみ締めると、アリスに背を向けて言った。
「行きますわよ、みんな」
「は、はいっ」
取り巻きの二人が慌ててセリアに続く。
メイドであるミアはこちらに憎むような視線を向けた後、黙って身を翻す。
(くぅ~、これがわからせというやつね。中々良い気分だわ)
そんな事を思いながら、アリーゼはアリスに声をかける。
「大丈夫? アリスさん」
「えっと、はい……」
アリーゼはアリスの近くに行くと、手を差し出した。
アリスは少し照れくさそうにしながらも、その手を取る。
「それは良かった」
そうアリーゼは優しく微笑む。
アリスははにかんだ笑顔を向け、パタパタとスカートの土を払った。
(……ん。これは)
アリーゼはそのとき、何かに気付いた。
彼女がスカートの土を払った瞬間、やっとわかった。この子がここにいた理由。
「えっと、あの……」
「いい土ですね、これは」
「え?」
突然の言葉に、アリスは目を見開く。
「とても良い肥料になる土ですわ。それで気になってたのね」
「は、はい。とても良い野菜が作れそうだなーと」
アリーゼの言葉にアリスは目を見開きつつ、答えた。
アリスは農家の出身、野菜やお米の知識に関してはかなり博識。野菜の美味しい作り方や、駄目な育て方を、あの頃は色々教わったものだ。
「ええ、そうね」
アリーゼはアリスの言葉に同意するように、頷く。そして、新たな言葉を紡ぐ。
「けど、それをしてはいけません」
「え?」
「この美しい花、これは一輪だから美しいのです」
「一輪、だから?」
「何も無い所に一輪で咲く。それはとても誇り高いこと」
アリーゼは跪き、花に触れる。その声には慈しみといたわりの両方を感じる。
「雑草や他の植物がないからこそ。この一輪は力強く栄養を吸って育つ。この美しい栄養を、簡単に取ってはいけませんわ」
「……力強さ」
「そう、一つに注がれるから、この花は美しいのよ」
言い終わると、アリーゼは立ち上がる。
「さて、あたし様はそろそろ戻るとするわ」
アリーゼが立ち去ろうとすると、ふと背後にいる少女が声をかけてくる。
「あの。先生」
「なにかしら?」
その声にアリーゼが振り返った。
アリスは彼女の瞳をじっと、そのまま何も言わず、ただ真っ直ぐに見つめている。
(大きくて綺麗な目、相変わらずお人形みたいね)
アリーゼはつい、彼女の緑の瞳に吸い込まれそうになる。
そう思いながら数秒の時間が経過し、やがてアリスは小さく口を開いた。
「あの、ありがとうございました」
その声は小さいが、確かに聞こえる声。
「貴女も、優しい人……なんですね……」
「…………」
その時、心の底から湧き上がる感情があった。その気持ちが何かはわからない。
が、少なくとも悪い感情ではないだろう。
「あの……ほんとはセリアちゃん……」
「ほんとは?」
「ほんとは……悪い人じゃないん……です……」
つい、苦笑をしてしまうアリーゼ。
「――ふふっ、悪い人じゃない。ね」
「?」
「本当に、甘ちゃんな平民ですこと」