すると、
「おっ」
レオナルドの視線が食堂の片隅の方へと向けられた。
「あいつ、また一人か」
そこには、朝食のトレーを持って席が空くのを待っている金髪の少女が一人。
そう、アリスである。
「相変わらずだな、ったく」
レオナルドは立ち上がると、彼女の元に駆け寄った。
「おーい! アリスー!」
「あ、レオナルド様……」
「席、こっち空いてる。一緒に食べようぜ!」
そんなレオナルドの元気な声が響き渡る。
「で、でも……」
「遠慮すんなって」
しかし、そんなレオナルドとは逆にアリスは不安そうに目を泳がせている。
「あの平民……また王子様を誑かして……」
「消えれば良いのに……」
「土の匂い……気持ち悪い女……」
その原因は明白、彼女を見る女子の視線が冷たいせいだ。
つい、それらの言葉に萎縮するアリス。
「気にすんなよ」
「でも……」
この学院の性質上、平民であるアリスを嫌う生徒はセリアだけではない。
皆誇り高き貴族の出、この学院にいると言うことはこの国を背負うと言うこと。
――表には出さないが、皆牽制しあっているのだ。
「わたし、は……」
だからこそ、彼女を皆差別する。
平民の存在がこの学院にいると言うだけで、自分の誇りが汚されると思うからだ。
この場に土の匂いがこびりつく田舎者は必要ない、皆の目はそれを訴えているようだ。
そんな空気の中でも、意に介さない者が一人。
「ほら、食事が冷めるぞ?」
その耐えられない視線の中、レオナルドが自分の隣の席を空けて手招きする。
「レオナルド様……」
「腹が減ってるんだろ」
「で、でも」
「なに遠慮してんだよ」
「みんなに、悪いから」
アリスの視線が睨んでくるセリアに向く。
その瞬間、セリアとミアに睨まれてアリスはまた萎縮してしまう。
――消え失せろ。
そして声を聞かなくてもわかる。四方八方から、貴族の女子達の差別の瞳。
「大丈夫だって」
レオナルドはそんな視線をものともせず、からりと笑う。
「みんな、朝は機嫌が悪いだけだ。ほら、こっちに」
その後押しが決め手となり、アリスはおずおずと彼の隣の席に座る。
「おはようアリス、相変わらず美しい金髪ね」
「あ、アリーゼ先生? えっ。ありがとうございます……っ」
「朝のシャンプーは何を使ってるの?」
「え、えっと、普通の石鹸です」
「あら、意外と質素なのね」
座った後、アリーゼとアリスが挨拶を交わす。
アリーゼがいる事に驚くアリスだったがそれ以上は顔に出さず、控えめに頭を下げた。
そして、アリスは次の人物に目を向ける。
「ふん」
その人物は、不機嫌を隠す事もせずに座っているセリアだ。
「あの、おはよ――」
「気安く話しかけないでくださる?」
「ご、ごめん、なさい……」
「平民は謝ることしかできないの?」
「えっと……」
おどおどした様子のアリスにいらつきを覚え、セリアは舌打ちをする。
その後セリアは水の入ったコップを持ち、立ち上がった。
「行きますわよミア」
「はっ」
セリアが指示を飛ばすとミアは彼女の隣に立つ。
その行動を見て、目をつむっていたアリーゼは片目だけで彼女を見る。
「あらクソガキ、もう行くの?」
「ええ、だって。これ以上ここにいる理由はありませんもの」
セリアは初めて、アリーゼに笑みを浮かべた。
それと同時に、
――バシャッ。
セリアは手に持っていたコップを、アリスの上でひっくり返した。
「…………」
「残念ながら、わたくしには汚物を見ながら食事をする趣味はありませんので」
セリアの薄ら笑い、ミアの汚物を見る目に俯き何も言わないアリス。
その瞬間、くすくすと笑う生徒達。
その中には、アリスを助けようとする生徒は誰一人としていない。
「おい、セリア! なんてことを」
「あらレオナルド様、何か問題でも?」
どこも彼処も彼女という平民を心の中で蔑む。
助けたいと願おうとも、そのごく少数は同調圧力で何もしない。
「く、お前らなぁ……っ」
レオナルドはそれが気に入らないのであろう。
彼は立ち上がり、セリアや皆にもの申そうとしたとき、それを少女の声が止めた。
「レオナルド様っ」
「アリス、お前……」
「いい、ですから」
その少女はアリス本人。彼女は俯いたまま、どこか悲しげに呟く。
「ホントに、いいですから。ごめんなさい……」
「なんで、お前が謝るんだよ」
彼女はわかっているからだ。
アリスばかりを贔屓しては王族として示しがつかない。
この貴族社会で平民に肩入れするなど、王族の品位を疑われる。それに、その行動をしたのは一番王家と近いと呼ばれるレーヴェル家のセリアだ。
助けて良い理由は、一つも無かった。
「……ごめんなさい」
「だから、お前が謝ることじゃねえだろ……くそっ」
レオナルドはアリスの声を聞いて、悔しそうに毒づく。
「く、ふふ……」
そんなアリスを見て、セリアは見下しあざ笑う。
(当然の反応ですわ、ずっとそううじうじしていなさい平民)
セリアはそう思いながら、取り巻きであるヴィクトリアとエミリーの食べている席へ。
「お二人とも、先に行っておりますわ」
「あっ、はい!」
「すぐ行きます! セリア様!」
セリアの声に萎縮して挨拶する二人。
そんな二人の低姿勢に愉悦感を覚えながらも、セリアは悪魔のような笑いをアリーゼに見せる。
「では、授業期待してますわよ? 担任さん」
その間、アリーゼは不気味になるほど黙り込んでいた。
アリーゼが教壇に立った瞬間、空気が変わった。
「さて皆様、始めますわよ」
さっきまでの道化めいた態度が嘘のように、凛とした威厳が教室を支配する。
「さて、お手並み拝見といくか」
レオナルドが席に着いたまま、面白そうに呟く。
新任教師の実力はどれほどか、そしてセリアがどう反応するか。彼の目には、そんな楽しげな色が浮かんでいた。
アリーゼは濃紺のワンピースの裾を軽く払う。
その後、舞台女優のような優雅さで振り返った。
「まず、魔術の基本について説明するわ」
アリーゼの姿は、ふざけた様子の普段の彼女とはまるで別人だ。
(な、なんなんですの……この落差は……)
セリアがそんなことを思っていると、アリーゼは手のひらを生徒に向けた。
すると、そこに白く輝く光の弾を発生させる。
「これが魔力を放出し留めた状態。人間の体内で生成される肉体エネルギーにDNAを組み込み……魔力に変換した状態よ」
「先生、DNAとは何ですか?」
ふと、一人の生徒が手を挙げて質問した。
「良い質問ね。DNAとは、生命の設計図――人体構造の礎であり、魔術の適性も、その微細な細胞に刻まれている。魔力回路、と言い換えた方が聞き馴染みがあるかしら」
アリーゼの出した球体は、まるで小さな惑星のように温かく光る。
「この状態で出来るのは基礎魔法のみ。傷を癒やしたり物を浮かしたり、単純なことしか出来ない。でも性質を変化させることで、より柔軟な魔術となる」
アリーゼが軽く息を吐くと、魔力の球体が徐々に熱を帯びる。
白い光が橙色へと……そして深紅へと変化し、ほんのり教室が暖かくなる。
「それが六大元素よ。これは炎元素を組み込んだ状態。六大元素には『火』『水』『風』『土』『雷』『草』の六種類があり、それぞれ特徴が違うわ」
アリーゼは球体を上へ上昇させ、パチンと指を鳴らすと消滅させた。
そして、流れるような筆跡で黒板に六大元素の個々の特徴を書く。
『火』最も活発で攻撃性が高く、破壊力に優れるが制御が難しい元素。
『水』流動性と柔軟性があり制御しやすい元素。癒やしと浄化を得意とする。
『風』機動力と切れ味に優れ、移動魔術や鋭い攻撃に優れている元素。
『土』最も安定しており防御と持続に長ける。建築魔術や防壁魔術を得意とする。
『雷』もっとも爆発的で瞬発力に優れているが、もっとも安定性はなく持続力はない。
『草』バランスが良く使いやすい。尖った特徴はないが適応力が高い。
「そして、基本六元素を逸脱した魔術元素……それが光元素と闇元素ですわ」
その言葉に、教室の空気が再び変わる。
光と闇――選ばれし者のみが使える特別な元素だ。
「逸脱した魔術元素……」
「特別な魔術……」
自然と生徒の視線が、光魔術の使い手であるアリスに向いた。
「光元素は神聖魔術や時空間に関わる高等魔術を得意とする元素。使用するには高い精神力と純粋な心が必要よ」
次に、闇魔術について説明するアリーゼ。
「闇元素は破壊ではなく『無』。空間操作や物質変換、そして魂に関わる高等魔術を得意とし、使用するには深い洞察力と強い意志が必要」
生徒たちは感嘆のため息を漏らしながら、必死にノートを取っていた。
しかし、その中で一人だけ、違う表情を浮かべている生徒がいた。
「それでその二つは……」
生徒達がアリーゼの話を聞いているその時、
「退屈ですわね」
セリアの不満そうな声が教室に重い空気を生み出す。
ミアは後ろの席で息を呑んだ。
「……ほう、何か文句でも? クソガキ」
「ふん」
セリアは優雅に足を組み替え、扇子をパタパタと仰ぎながら言葉を続ける。
その仕草は完璧に計算されたもので、貴族としての威厳を最大限に演出していた。
「先程から基本的な魔術の話ばかり、その程度の常識しか教えられませんの?」
たしかに、セリアの言うとおりである。
今話しているのは魔術の基礎知識でしかない。
「この学院に求められるのはそんな基本ではありませんわ。平凡な魔術論ではなく、貴族に相応しい高等魔術論。その程度のわかりませんの?」
エミリーとヴィクトリアも、セリアに同調するように頷いた。
「そうですわね、セリア様のおっしゃる通りです!」
「このような基礎は、既に家庭教師から学んでおりますもの」
セリアは言葉を続ける。
「ここは誇り高きアクアドール学院ですのよ。平凡な魔術しか教えられないなら――」
「あら反抗期かしら? 教師に噛みつくなんて可愛げがないわね」
「っ」
相変わらずふざけたアリーゼの言葉。
セリアは苛立ち、歯ぎしりをした。その音が静かな教室に響く。
「本当に生意気ですのね! スーリア様に推薦されたからって頭が高いのではなくて?」
スーリアの名前を出すセリア、それは彼女なりの牽制だ。
あの完璧な淑女が推薦した教師なのだから、それなりの実力はあるはずだという期待と、同時にスーリアの名を汚すなという警告でもあった。
「……」
アリーゼは一瞬複雑な表情を浮かべたが、すぐに元の傲慢な笑みに戻った。
「今までの全て基礎知識でしかない! その程度でこの学院の教壇に立とうなど――」
「ではお聞きするわ、クソガキ」
その時、アリーゼの瞳が冷たく光る。まるで氷の刃のような視線が、セリアを射抜いた。
「基礎魔術のヒーリング。それを魔術回路への負担を軽減させつつ、元素を使わずに効果を高める方法は?」
「げ、元素を使わずに……?」
セリアの顔が青ざめた。質問の意味は理解できる。
しかし、答えが出てこない。
(そんな方法が……)
魔術において、元素は必須のものだと教わってきた。
特に治癒魔術は水元素の独壇場。それ以外の方法など、考えたこともない。
「どうしたのクソガキ。こんな基礎もわからないの?」
元素を使わない治癒魔術など、聞いたことがない。
他の生徒も同様、その答えをわからずにいた。
「ほら、ほかの奴でも良いわよ。答えてみなさい」
静寂が教室を支配した。誰一人として手を挙げない。
「どうしたの? 貴女達の理解を試しているだけよ?」
レオナルドも、取り巻きたちも、皆が俯いて黙り込んでいる。
知識として『知っている』ことと、本質を『理解している』ことの違い。その深い溝が、今、残酷なまでに露呈していた。
その時、小さく震える声が響いた。
「あの……」
全員の視線が、声の主に向けられる。
窓際の席で、金髪の少女が恐る恐る手を挙げていた。アリスだった。
「ん?」
アリーゼも彼女を見る。
その表情にはわずかな期待が宿っていた。
「もしかして……魔力の共鳴、でしょうか?」
教室が、再び静寂に包まれる……それは驚愕の静寂だ。
「えと、ちがい、ましたか?」
「続けなさい」
「え?」
「いいから、続けなさい」
「は、はい……」
アリスは緊張しながらも、言葉を紡いだ。
「人間の体には……自然に治る力があります。魔力をその周波数に合わせることで、治癒を促進する……と思います」
その説明に、生徒たちが息を呑んだ。
農家の娘として、作物の成長を観察し続けてきた経験から導き出した答え。
「へぇ、マシなガキもいるのね」
アリーゼの言葉は相変わらず見下したものだった。
だが声音には、確かな驚きが込められていた。
(さすがアリス、やはりあの子は特別だわ)
アリーゼの心の中で、素直な尊敬の念が湧き上がる。
「正解よ、アリス」
アリーゼが頷いた。
「元素を使わないヒーリング。それは魔力の『共鳴』を利用する方法よ」
アリーゼは教壇に戻ると、新たな魔力球を生成した。
今度は、元素の色を持たない、純粋な白い光である。
「人間の体には自然治癒力がある。魔力をその周波数に合わせて共鳴させることで、治癒を促進できる。元素に頼らず、純粋な魔力制御だけで行う高等技術」
アリーゼが実演してみせる。
白い光が優しく脈動し、まるで心臓の鼓動のようなリズムを刻んだ。
「どう? 平民の娘でも理解できることが、貴女には理解できなかったようね」
「ぐっ……」
セリアは何も答えられなかった。
今まで自分が学んできたものは、表面的な知識の暗記に過ぎない。
そのことを心の底から痛感させられていた。
「基礎を『退屈』と言った貴女に質問するわ、セリア」
アリーゼの声が、教室に響く。
「基礎を理解せずに、どうやって応用を学ぶつもりだったのかしら?」
セリアは何も答えられなかった。