宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い   作:最高司祭アドミニストレータ

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この作品は、「インラグ1ヶ月の作者」の提供でお送りします。


# プロローグ
エピソード・ゼロ


 果てしなく広がる真空の暗海。

 そこは本来、光すら届かぬ静寂と絶対零度が支配する領域であった。

 

 しかし人類という名の果敢にして愚かな種族は、自らの揺り籠であった青い星を飛び出し、その暗海に無数の光の道を引き開いた。

 

 

 空間共鳴ポイントの発見──。

 

 

 それは人類史上、最も劇的で、最も野心的な飛躍の幕開けであった。

 

 星と星との間に存在する空間の歪み、その特定のポイントに巨大な構造物を打ち込み、安定した超光速航行を可能にするスターゲート。

 

 のちに「ラグランジュ・ノード」と呼ばれることになるその奇跡の産物は、幾千幾万もの星系を瞬時に結びつける「ラグランジュ・ネットワーク」を構築した。

 

 光年という絶望的な距離の壁は崩れ去り、人類の版図は銀河の果てへと爆発的に拡大していく。

 

 未知の鉱石、新たな居住可能惑星、そして見たこともない宇宙の絶景。まさに黄金時代の到来であった。

 

 数え切れないほどの開拓船がネットワークを駆け巡り、宇宙は人類の野心と希望、そして尽きることのない欲望によって満たされた。

 

 やがて、広大になりすぎた版図を束ねる強大な存在が誕生する。

 

 艦船の完全無人化技術という圧倒的な軍事力を背景に、銀河に絶対的な覇権を確立した「神聖群星帝国」である。

 

 かつて彼らは「銀河戦争」と呼ばれる未曾有の大乱において敗戦逃れのためにスターゲート網を破壊して回るという暴挙に出たが、崩壊の淵からしぶとく体制を立て直し、現在もなお、銀河の覇権を握る国家として健在であった。

 

 現在の銀河帝国は、決して盤石ではない。

 

 その裏側では、地球至上主義を掲げるナンバーツー「地球圏政府」や、星系開拓で独自の進化を遂げた巨大企業「アントニオス財団」、冷徹な資本主義で利権を貪る「ノマシッピンググループ」といった強大な新興勢力が台頭し、ネットワークの覇権を狙ってドロドロの陰謀を巡らせているのだ。

 

 さらには血の気を持て余す軍事ギルドや、辺境を荒らす私掠団たちまでもが入り乱れ、莫大な資金と最新鋭の兵器が闇から闇へと流れていく。

 

 この広大な銀河は無限の可能性に満ちていると同時に、一歩足を踏み外せば巨大勢力の策謀や私掠団の砲火によって容赦無くすり潰される、血みどろの舞台。

 

 

 野心ある者は星の海へ出て、自らの手で新たな帝国を築こうと血を流す。

 権力を渇望する者は、他者を蹴落とし、その屍を踏み台にして高みへと登る。

 

 

 伝説の聖剣に宿る精霊フィリアは、永きに渡って生と死を見つめてきた。人間という種族はどれほど科学技術を発展させようとも、その本質にある闘争心と向上心を失うことはないのだと確信していた。

 

 しかしだ──すべての人間が、そのような壮大な野心や欲望を抱いているわけではない。

 

 人類の歴史の中で極めて稀に突然変異のように、進化のベクトルを完全に逆行させたような個体が出現することがある。

 

 

「そんな広大な銀河の覇権争いなど全く興味を持たず、ただ安全な後方で一生ダラダラと生きていきたいと願う、一人の愚かな青年がいた」

 

 

 フィリアがタイピングの手を止め、温度のない声でそう呟いた直後だった。

 

 

「なんだとゴラ!!」

 

 

 彼女の背後から電子ジャーナルの画面を覗き込んでいた青年──ケイイチ・フォン・タチバナが、顔を真っ赤にして大声を上げた。

 

 

「愚かってなんだ愚かって! 俺はただ真っ当な市民として、安全第一で生きたいって言ってるだけだろ! 銀河の覇権争い? 企業間戦争? 知るかそんなもん! なんで俺がそんな命懸けのデスゲームに参加しなきゃなんないんだよ!」

 

 

 タチバナはフィリアが書き込んでいる手記のホログラム表示を指差し、つばを飛ばさんばかりの勢いで抗議した。

 

 彼の言い分は、一般市民としては至極真っ当な生存本能の表れと言える。

 

 帝国有数の巨大財閥の御曹司として生まれながら、親の権力を利用して最も安全な後方事務官の地位を狙う。その徹底した保身と怠惰への執着は、ある意味で特筆すべき才能であった。

 

 だがフィリアは彼の言葉を完全に無視し、思考入力を再開しようとした。

 

 

「そもそもお前、なんで他人のプライベートな手記みたいなの書いてんだよ! しかも俺の内心がダダ漏れみたいに書いてあるけど、これって完全なプライバシーの侵害だからな! 俺の尊厳への挑戦だ!」

 

 

 フィリアはゆっくりと振り返り、顔を真っ赤にして息巻く彼を静かに見据えた。

 

 彼が実家の蔵で埃を被っていた聖剣を見つけ、不用意に引き抜いてしまった。あの日から精霊である彼女の存在意義は、この間抜けな青年を観察し管理することに固定されてしまったのだ。

 

 

「…何か文句でもありますか、タチバナ。事実は事実として、後世のために正確に記録しているだけですが」

「あるに決まってんだろ! 『愚かな青年』のところを『平和を愛する賢明な青年』に書き換えろ!」

 

 

 フィリアは微かに息を吐き、冷徹な声で事実を告げた。

 

 

「却下です。あなたのその極まりない怠惰と逃避願望が、数年後に全銀河を巻き込む未曾有の大戦争を引き起こし、あまつさえ帝国軍の頂点に君臨することになると知れば、歴史家たちは私のこの記述がどれほど控えめな表現であったかを理解するでしょう」

「へ? 大戦争? 帝国の頂点? なに言ってんだお前。俺はこれから士官学校を適当な成績で卒業して、ハンコを押すだけの安全な仕事に就くんだぞ?」

 

 

 タチバナは、心底わけがわからないといった顔で首を傾げた。その自分の未来に待ち受ける過酷な運命を微塵も想像できていない間抜けな顔を見て、フィリアは再びコンソールに向き直った。

 

 

「ええ、せいぜいそう信じて、今のうちに平和な学生生活を満喫しておきなさい」

「失礼な言い方だなおい」

「さあ口を閉じてください。あなたのくだらない抗議を書き留めるほど、私のストレージは無駄に広くないのです」

 

 

 銀河の歴史と巨大なメガコーポレーションの策謀。それらすべてを己の保身のためだけに利用し、やがて伝説の英雄となる男の物語は、こうして一人の精霊の冷やかな観察日誌として記録され始めたのである。




【あとがき:旧帝国の後継・銀河帝国について】
かつて星間ネットワークを支配し、無人艦隊を駆使して銀河に君臨した「神聖群星帝国」。彼らは苛烈な銀河戦争の末期、スターゲートへのワープドライブ特攻という狂気の戦術に走り、自滅の淵に立たされました。しかし、本物語における帝国は首都陥落の危機を奇跡的に乗り越えて崩壊を免れました。それが現在の「銀河帝国」です。

帝国は五百年に及ぶ永き平和を維持していますが、その内部は権力を独占する門閥貴族たちによって深く腐敗しています。さらに帝国の外側に目を向ければ、人類発祥の地を掲げる地球圏政府や、星系開拓を推し進めるアントニオス財団、そして徹底した資本主義で利権を貪るノマシッピンググループといった強大な新興勢力が無数に台頭しています。

現在の銀河は、帝国の強大な軍事力とこれら巨大企業の経済力が複雑に絡み合う冷戦状態にあります。この美しくも泥沼のような世界こそタチバナが必死に生き残りを図る、極めて過酷な舞台となっています。
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