宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
皇帝からの宣旨を受け、銀河最年少の帝国元帥という、およそ分不相応な重荷を背負わされたケイイチ・フォン・タチバナを待っていたのは、首都惑星の一等地にある広大な邸宅──新たに開庁された「帝国元帥府」であった。
高い塀に囲まれ、豪華な装飾が施された正門をくぐると、美しく手入れされた庭園が広がり、その奥に威風堂々たる白亜の豪邸がそびえ立っている。帝国の軍事力と権力の象徴として、これ以上ないほどふさわしい舞台だ。
だが、その巨大な邸宅の廊下を歩くタチバナの内心は、豪華さへの感動とは無縁の、薄暗い恐怖に支配されていた。
(広すぎる。無駄に広すぎるだろ、この家。廊下の端から端まで歩くのにどんだけかかるんだよ。隠れる場所なんて山ほどあるじゃないか)
タチバナは、大理石の床に響く自分の足音にビクビクしながら、周囲の彫刻や観葉植物の陰に目を配った。
(こんなだだっ広い場所に住まわされてみろ。どこから暗殺者のレーザー狙撃が飛んでくるか分かったもんじゃない。寝室のクローゼットの中に爆弾を持った刺客が隠れていても、絶対気づかないぞ。なんで俺がこんな巨大な標的の中に住まなきゃならないんだ。パパの手料理が待ってる、あのこぢんまりとした安全な実家に帰してくれよ…)
軍の最高位に就いたことで、彼の「殺されるかもしれない」という被害妄想は、以前にも増して肥大化していた。
嫉妬に狂った他の提督たち、あるいは軍の主導権を狙う得体の知れない貴族たち。彼らにとってタチバナという若すぎる元帥は、目障りな障害物でしかないはずだ。
「タチバナ。周囲をキョロキョロと見回すのはおやめください。まるで挙動不審な小悪党のようです。帝国の頂点に立つ者にふさわしい、堂々たる歩みを意識してください」
背後から、一切の感情を含まない冷徹な声が降ってきた。
首席副官から、元帥府の長官へとスライド昇進を果たしたフィリア・アージェント大将だ。彼女の階級も上がったが、タチバナに対する態度の冷たさと、物理的・精神的な支配力は何一つ変わっていない。
「分かっている」
タチバナは極力表情を動かさず、短い言葉だけを返した。多言はボロを出すだけだ。
「元帥府の警備体制は、私が完璧に再構築しておきました。旧来の古臭い近衛兵どもはすべて解任し、元帥閣下の『ご要望』に沿った、特別な親衛隊を編成しております」
(要望? 俺、何か要望なんて出したか?)
タチバナは足を止めずに内心で首を傾げた。
そもそも、軍の警備兵など、無骨でむさ苦しい男たちばかりに決まっている。そんな連中に二十四時間監視され、少しでもだらしない態度を見せれば、すぐに他の提督たちに「元帥は怠惰な若造だ」と密告されるのがオチだ。
どうせなら、警備なんていない方がマシなくらいである。
『忘れたとは言わせませんよ。数日前、貴方が実家のソファでだらしなく寝転がりながら、無防備に呟いた言葉を』
フィリアからの、直接脳髄を冷やすようなテレパシーが響く。
『どうせ四六時中監視されるなら、むさ苦しい男どもより美女に囲まれるほうが万倍マシだ。グヘヘ…と。私は貴方のその浅はかで欲望に忠実な指示を、忠実に実行に移したまでです』
(言った! 確かに俺、そんなこと言ったわ! ていうか、なんでお前、俺が一人でパパの家のリビングで呟いたような言葉まで拾ってんだよ! 盗聴器でも仕掛けてるのか!?)
タチバナは盛大に動揺したが、表情筋だけは死守した。
「親衛隊の選閲は、すでに完了しています。さあ、こちらへ」
フィリアの案内に従い、タチバナは元帥府の中央に位置する大広間へと足を踏み入れた。重厚な両開きの扉が開いた瞬間、タチバナの視界に飛び込んできたのは、想像を絶する光景だった。
広間に整然と二列に並んでいたのは、数十名の兵士たち。その誰もが、いかつい大男でも、サイボーグのような機械兵でもなかった。
全員がモデルや女優と見紛うばかりの、若く美しい女性たちだったのだ。
彼女たちは帝国の標準的な軍服ではなく、式典用の特別な制服を身に纏っていた。
純白を基調とした、身体のラインを美しく見せるタイトなジャケット。肩には華やかな金色の飾緒が流麗に垂れ下がり、腰には儀礼用の長剣が下げられている。そして何より目を引くのは、惜しげもなく晒された脚線美を際立たせる、純白のミニスカートであった。
タチバナが広間に姿を現した瞬間、美女たちが一糸乱れぬ動きで踵を鳴らし、一斉に敬礼をした。
「元帥閣下! 帝国元帥府付き親衛隊、ただいまより着任いたします!」
凛々しく、かつ女性らしい高く澄んだ声が広間に反響する。タチバナはその光景を前に、恐怖や胃痛を完全に忘れ去っていた。
(たまんねェな、これ!!)
彼の頭の中から、暗殺者への恐怖が文字通り吹き飛んだ。
右を見ても美女。左を見ても美女。タチバナの瞳が一瞬、ギラリと獣のような光を宿す。その視線はまるで汚れた手で撫で回すかのように、彼女たちの身体のラインを、頭の先からつま先までゆっくりと舐め上げる。
純白のタイトジャケットは、彼女たちのたわわに実った柔らかメロンによって、はち切れんばかりに張り詰めている。ボタンとボタンの間がわずかに引きつれ、息をするたびにその豊かな質量が制服の下で揺れるのがわかる。
視線を下に降ろせば、純白のミニスカートから伸びる鍛え上げられた太もものライン。微かに腰を落とした敬礼の姿勢が、引き締まったヒップラインを完璧な曲線として浮き彫りにしていた。
(最高じゃねぇか! なんだよこの天国! 毎朝、こんないい女たちに完璧な敬礼をされて一日が始まるのか? むさ苦しいオッサンたちに囲まれて威圧されるより、よっぽど精神衛生上いいぞ!)
タチバナは、表面上は「頼もしい兵士たちを見る威厳ある指揮官」の顔を完璧に保ちながら、内心では下卑た欲望を丸出しにして歓喜の舞を踊っていた。
(おっ、あそこにいる少しタレ目の子、すげぇ好みだな。俺は今や帝国元帥だぞ。権力を笠に着て、夜の執務室かベッドにでも呼び出して、あの制服を無理やり引き裂いて、揉みくちゃにして押し倒してやるか…グヘヘヘ)
男としての根源的な欲望が、タチバナの脳内で最低な妄想を繰り広げる。誰も自分を止める者はいない、絶対的な権力者としての甘い蜜の味。
「ご紹介します。彼女たちが閣下個人の護衛と、この元帥府の警備のみを任務とする特別編成部隊。通称『ロイヤルガード』です」
フィリアが、タチバナの横で淡々と説明を始める。
「ご満足いただけたようで何よりです、タチバナ。ですが、彼女たちを単なる観賞用の飾りだと勘違いしないでくださいね」
(ん? 飾りじゃない?)
タチバナの思考が、一瞬だけ止まる。
「彼女たちは帝国軍のあらゆる特殊作戦部隊、憲兵隊、そして海兵隊の中から、身体能力、反射神経、そして各種格闘術においてトップクラスの成績を収めた者だけを、私が厳格な基準で選抜したエリート中のエリートです。…いざとなれば、素手で成人男性の首の骨を二本の指で容易にへし折る程度の白兵戦能力は、全員が兼ね備えています」
「……は?」
タチバナの顔面から、歓喜の血の気が一瞬にして引いていくのがわかった。
「つまり彼女たち一人ひとりが、一騎当千の戦闘能力を持つ人間兵器に等しい存在ということです。並の暗殺者であれば、瞬時にその命を絶つことができるでしょう」
広間に並ぶ、美しい「戦乙女」たち。
彼女たちは相変わらず、タチバナに向けて真っ直ぐで純粋な忠誠の眼差しを向け、微動だにせず敬礼を続けている。
(首の骨を、指二本で折る? ちょっと待て、そんなヤバいバケモノどもを、俺の家に何十人も解き放ったのか!?)
タチバナの顔面から、歓喜の血の気が一瞬にして引いていくのがわかった。胃袋が、先ほどまでとは違う、鋭い痛みを訴え始める。
さっきまで脳内で繰り広げていた甘い妄想が、音を立てて崩れ去るのと同時に、タチバナの脳内に一つの恐るべき仮説が急浮上した。
(もしや、これは皇帝の仕業か!?)
宮殿の奥深くで、すべてを見透かしたような退屈な瞳をしていたあの老人。彼が、二十代の若輩者である自分を「帝国元帥」などという軍の頂点に据えたのは、決して戦果を評価したからではない。
自分を最も監視しやすい場所に縛り付け、少しでも反逆の兆しを見せれば、いつでも合法的に処刑できるようにするためだったのではないか。
そして、目の前に並ぶこの「ロイヤルガード」という名の美女軍団は、皇帝がタチバナの命を刈り取るために放った、純白の処刑人たちなのではないか。
タチバナの脳細胞が、かつてない速度でフル回転し、自分が暗殺の標的となる心当たりを探し出し始める。そして、血も凍るような一つの致命的な記憶の欠片に行き当たった。
(あっ…! あん時か! この前の祝勝会の挨拶の時、フィリアが用意した原稿をそのまま読んだら、やたらと血気盛んな内容で…極度の緊張とプレッシャーで頭が真っ白になって、俺が『いつか必ずやこの手で皇帝の首、貰い受ける!』とかいう、とんでもない言い間違いをマイクの前で大声で言ってしまったからか!?)
タチバナは息を呑んだ。あの時、本来ならば「敵の海賊の首」と言うべきところを、原稿の文字がブレて見え、あろうことか「皇帝の首」と口走ってしまったのだ。
周囲の将官たちは一瞬完全に凍りついたが、フィリアが裏で即座に「タチバナ閣下特有の高度なジョーク」「陛下への究極の忠誠心の裏返し」などと無理やり解釈させる情報を流し、拍手喝采で強引に誤魔化された。
だが、もしその録音が、一字一句違わず皇帝本人の耳に届いていたとしたら?
(ち、違うんです陛下! あれはただの言い間違いで! いや、そもそもあんな無駄に長くて威勢のいい原稿を書いたのは、隣にいるこの氷の女なんです! 私はただ文字を読まされただけで、中身なんて一ミリも理解してなかったんです! この女に洗脳されていて! 私は悪くありません! 全部、全部こいつが悪いんです!)
タチバナは心の中で、はるか彼方の宮殿にいるであろう皇帝に向けて、床に額がめり込むほどの勢いで土下座を繰り返した。だが、脳内でいくら言い訳と責任転嫁を叫ぼうと、目の前に整列する数十人の「人間兵器」たちが消え去るわけではない。
彼女たちは、純白のタイトジャケットを豊満な胸で押し上げ、ミニスカートから眩しいほどの太ももを晒しながら、直立不動の姿勢を崩さない。
先ほどまで「天国」に見えていたその光景が、今や圧倒的な死の恐怖へと反転していた。
(あの細くて綺麗な指先で、俺の首の骨をバキッて!? 冗談じゃない! もし俺が夜中にトイレに行こうとして、暗がりで彼女たちと出くわして、不審者と間違えられたらどうなる!? 弁明する間もなく、あの引き締まった太ももで首を絞め落とされて、俺の人生はジ・エンドだ!)
タチバナの被害妄想は、もはや留まることを知らなかった。
(俺が権力を笠に着て押し倒そうとしたら…なんて妄想してる場合じゃなかった! むしろ押し倒されるのは俺の方だ! 何か少しでもボロを出したら、この美女たちが一斉に牙を剥いて、俺をベッドに押さえつけてそのまま…いや、エロい展開なんて微塵も期待できない! ただの物理的な公開処刑だ! なんだそれ、貞操の危機とかいうレベルじゃねえ! 俺が非力なヒロインかよ!?)
男としてのプライドも、元帥としての威厳も、すべてが恐怖の前に瓦解していく。タチバナはガクガクと震えそうになる膝を、マントの重みでなんとか誤魔化しながら、冷や汗を流し続けた。
(フィリアの奴、俺の過去の失言と欲望を逆手にとって、こんな逃げ場のない監視網を敷きやがったな…俺を一生、恐怖のどん底に縛り付ける気だ)
「どうしました、閣下。顔色が優れないようですが。美女に囲まれて生活したいという、ご自身の卑小な欲望が叶ったのですから、もっと喜ばれてはいかがですか」
フィリアの声が、タチバナの耳元を撫でる。
彼女はタチバナが調子に乗りかけたところをわざと持ち上げ、その後に底なしの絶望へと突き落とすという精神的な拷問を、意図的に楽しんでいるようだった。
「あ、あぁそうだな。頼もしい限りだ…」
タチバナは震えそうになる声を必死に押し殺し、なんとか絞り出すように答えた。広間に並ぶ戦乙女たちに向かって、ゆっくりと右手を上げ、敬礼を返す。
「…貴官らの働きに、期待している」
「はっ! 命に代えましても、元帥閣下をお守りいたします!」
数十人の美女たちが一斉に声を張る。純白の制服に身を包んだ彼女たちのその気迫に満ちた声圧だけで、タチバナの寿命はまた数日分縮んだ。
(忠誠って言っても、こいつらは帝国軍人だろ! もし俺が少しでも無能なところを見せたり、あるいは皇帝の気が変わって『タチバナを暗殺しろ』って命令が下ったりしたら、この美女たちが一瞬で暗殺者に変わるってことじゃないか! しかも、この家の中にいるんだぞ! 逃げ場なんてどこにもないじゃないか!)
美女軍団の凛々しい顔つきが、今や「いつ標的の首を狩ろうか」と待ち構えている肉食獣の群れに見えてくる。
帝国元帥としての、記念すべき新生活の第一歩。
それは華やかな美女軍団という名の、逃げ場のない死の檻に自ら足を踏み入れるという、タチバナにとって最悪の絶望の始まりであった。