宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
通学
「よし、対対空ミサイル用チャフ、よし。偏光電磁シールド、出力正常。万が一の際の脱出ポッド、生命維持システム、予備電源…うん、完璧だ」
ラグランジュ・ネットワークの中核、銀河帝国の政治中枢たる宇宙都市のドックから一隻のシャトルが発進した。
タチバナ財閥が誇る最高級VIP専用シャトル『セイフティ・クレイドル』号。
それは一般の富裕層が乗るリムジン・シャトルとは一線を画していた。外装は巡洋艦クラスの直撃にも耐えうる複合重装甲で覆われ、船体各所には過剰なまでの迎撃システムが組み込まれている。
ちょっとした私掠団の群れなら返り討ちにできそうな「動く要塞」の後部座席で、ケイイチ・フォン・タチバナは深くシートに身を沈め、満足そうに頷いていた。
彼の服装は、帝国高官や名門貴族の私兵を育成する『帝国中央士官学校』の端正な制服だ。しかし、その顔に未来の英雄としての覇気は微塵もない。
「やっぱり時代は安全第一だよな。どれだけ銀河がキナ臭かろうが、通学途中に流れ弾で死ぬ確率をコンマ数パーセントまで抑えられる。親の権力と財力は、こうやって命を守るために使うもんだ」
「実家の資産を湯水のように使い、通学路の治安維持のために私設ドローンを二十機も随伴させている人間のセリフとは思えませんね」
呆れ果てたような声が、タチバナのすぐ隣から響いた。声の主はシートにちょこんと腰掛け、相変わらず空中にホログラム入力を展開している美少女──聖剣の精霊、フィリア・アージェントだった。
彼女の紫水晶の瞳は、タチバナの顔を見ることすらなく、流れるような速度で文字を刻み続けている。
「おいフィリア? また俺の悪口書いてるだろ。あとドローンは二十機じゃない、念のために二四機に増やしたんだ。四の倍数の方が縁起が良いからな」
「『対象は自身の臆病さを隠蔽するために、数理的なオカルトにすら縋り始めた。実に滑稽である』…と」
「リアルタイムで書き足すな! あと俺は臆病じゃない! 慎重と言え!」
タチバナは窓の外に目を向けた。シャトルの強固な防弾ガラスの向こうには、燦然と輝く宇宙都市の壮大な景観が広がっている。そしてその遥か下方、軍用レーンを整然と巡航しているのは、帝国軍の治安維持フリゲート──FG300型だ。
無骨な装甲に覆われ150mm砲を構えたその姿。一般の生徒なら目を輝かせるところだが、タチバナは嫌悪感を露わにして身震いした。
「うわぁ、見てみろよフィリア。あのFG300型、あんな防空能力も心許ない、装甲をケチった鉄の棺桶に乗って前線に出されるなんて、どんな罰ゲームだよ。あそこに配属された時点で人生の死亡フラグが確定するね。俺なら仮病を使ってでも全力で拒否するわ」
フィリアはタイピングの手を止め、冷ややかな視線をタチバナに向けた。
「FG300型は帝国の版図を守る傑作量産艦であり、多くの開拓者や軍人が命を預ける信頼の艦艇です。それを『鉄の棺桶』呼ばわりするとは…数年後、あなたがその『棺桶』すら愛おしく思えるほどの極限状態に放り込まれるのが、今から楽しみでなりません」
「縁起でもないこと言うな! 俺の未来は決まってんだよ。士官学校を平均点ギリギリの無難な成績で卒業して、誰も来ないような平和な辺境の、机とハンコしかない安全な後方事務官になるんだ。そこで一生、書類に承認スタンプを押すだけの簡単なお仕事をしてダラダラ生きる。これが俺の完璧なライフプランだ!」
拳を握り、この日一番の熱量で「後ろ向きな野望」を語るタチバナ。フィリアは深いため息をつき、再び虚空へと文字を打ち込み始めた。
「『タチバナの脳内は、未だに自らに課せられた過酷な運命を拒絶し、不可能な現実逃避の妄想で満たされている。しかし、運命の歯車はすでに回り始めているのだ』…ふむふむ」
「だから勝手にストーリーを進めるようなナレーションを入れるなって!」
そんな不毛な押し問答を繰り返しているうちに、シャトルは速度を落とし、重厚な自動防壁で囲まれたエリアへと滑り込んでいく。窓の向こうには、巨大な校章が刻まれた白亜の巨塔──帝国中央士官学校の全景が見えてきていた。
■
重厚な校門をくぐると、そこは野心と軍国主義のるつぼであった。周囲を歩く帝国中央士官学校のエリートたちは皆一様に目を輝かせ、血気盛んな議論を交わしている。
「卒業後は絶対に艦長になってみせる!」
「私は辺境の私掠団を根絶やしにして、門閥貴族に名を連ねるのだ!」
タチバナはそんな同級生たちとすれ違うたび、完璧なまでに覇気のない愛想笑いを浮かべ、「俺のことは気にしないでくれ、ただの無害な金持ちだから」というオーラを全力で放っていた。
だが、どれほど気配を消そうとも、タチバナ財閥の御曹司という肩書きは目立つ。
「おい見ろよ、タチバナのボンボンだ」
通路の曲がり角で、取り巻きを連れた見覚えのある貴族の生徒が、タチバナを見て鼻で笑った。そして彼の傍らのフィリアへと、値踏みするような蔑視の視線を向ける。
「相変わらずひとりしか侍らせていないのか」
「あの女、平民の分際でよくもまあ入学できたものだ」
「いくら金があっても臆病者には宝の持ち腐れだな。戦場に出る度胸もない腰抜けには、その程度のおもちゃがお似合いだ」
周囲の取り巻きたちが下品な愛想笑いを漏らす。フィリアは表情一つ変えず彼らを完全に無視していたが、タチバナの内心は怒りに包まれていた。
(あ? なんだとこのモブ貴族。コイツは実家の蔵で埃を被ってたクソ精霊だぞ! 好きで付き人にしてると思ったら大間違いだ!)
タチバナは顔ではヘラヘラと笑いながら、心の中で激しく中指を立てていた。
(だいたい全銀河が保護すべき『人類の至宝』たるこの俺に向かって、なんて口の利き方だ! 俺のセンスと所有物をバカにするたぁ、帝国法廷でも裁ききれない重罪だぞ! 覚えとけよ、将来お前らが前線でFG300型の棺桶に乗せられて泣き喚く時、俺は安全な後方基地から冷たいお茶をすすりながら笑ってやるからな!!)
「あはは、君たちの言う通りだよ。俺には…ね。それじゃ、君たちも立派な軍人になれるよう頑張ってねー」
タチバナは怒りを完璧に隠し通し、ぺこぺこと頭を下げてその場を逃げるように立ち去った。安全のためならプライドなど一瞬でドブに捨てられる。それこそが彼の真骨頂であった。
「『対象は、自身の所有物を侮辱されたことで内心激しい自己愛による憤怒を燃やしながらも、生存本能に従い見事なまでに頭を下げた。自己評価と行動の乖離が凄まじい』…ふふ」
「うっさい! 処世術と言え処世術と! アァ腹立つ、あいつら絶対長生きしないぞ」
ブツブツと文句を垂れながら、タチバナは教室へと滑り込んだ。
「よし、一番乗りだ。主人公っぽくて悪目立ちする『一番後ろの窓際』は避け、教官の死角になり、かつテロリストが乱入してきても被弾率が最も低い『後ろから二列目の廊下側』…ここが俺の安全圏」
「病院の予約をしときましょう」
「やめろ」
堂々と居眠りの準備を始めるタチバナ。やがてチャイムが鳴り響き、教室のドアが開いた。
教壇に立ったのは顔に歴戦の傷跡を残す、如何にも厳格そうな帝国軍の退役将校だった。
「これより、銀河帝国史の授業を始める! 貴様らが命を賭けて守るべき、このラグランジュ・ネットワークの血塗られた歴史を叩き込んでやる! 心して聞け!」
教官の怒声が教室に響き渡る中、タチバナの意識はすでに安全で快適な夢路へと向かっていたのだった。
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