宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い   作:最高司祭アドミニストレータ

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星系を跨ぐ進軍と、絶対安全圏の紅茶

 銀河を二分する「逆賊討伐」の戦端が、ついに切って落とされた。

 

 一万五千隻の大艦隊が、帝国宰相派である貴族連合軍を討ち果たすべく、決戦の地「ガイア星系」へと向けて怒涛の進軍を開始している。宇宙の各所で、ビームの閃光とミサイルの爆発が漆黒の空間を真昼のように照らし出しているはずだった。

 

 だが、帝国軍最高司令官たるケイイチ・フォン・タチバナ帝国元帥の周囲には、血と硝煙の匂いなど一ミリも存在していなかった。

 

 彼がいるのは、激戦が繰り広げられている最前線から遥か遠く離れた、完全なる後方宙域。そこに停泊する超巨大要塞・司令部基地「アーク・ステーション」の中心部である。

 

 直径数十キロメートルにも及ぶ小惑星をくり抜いて建造されたこの基地は、文字通り難攻不落の城であった。その外殻は数十メートルの厚さを持つ特殊合金の装甲板で何重にも覆われ、表面には無数の重防衛砲塔が隙間なく配置されている。

 

 その最も安全な最深部に位置する司令官執務室は、外の真空や砲火とは無縁の、極めて快適な温度と湿度に保たれていた。

 

 タチバナは、最高級の柔らかい革で覆われた執務椅子に深く腰を沈め、静かに息を吐き出した。

 

 彼の手には、繊細な意匠が施された陶器のティーカップが握られている。立ち昇る湯気からは、豊かな紅茶の香りが漂っていた。

 

 

(最高だ。戦争ってのは、こうして安全な場所からモニター越しに眺めている分には、実に悪くないな)

 

 

 タチバナはティーカップを口に運び、温かい液体で喉を潤した。

 数時間前、首都惑星の軌道上で出撃の号令を出した時の、あの心臓が口から飛び出しそうなほどの恐怖と絶望はすっかり鳴りを潜めている。

 

 部屋の中央には、巨大なホログラムプロジェクターが銀河系の広大な星図を青白く投影している。その光景は、どこかのんびりとしたボードゲームの画面のようにも見えた。

 

 

「各方面艦隊、予定通り各星系への侵攻を開始しました」

 

 

 傍らに直立不動で控えている首席副官、フィリア・アージェント大将が、感情を一切排した冷徹な声で報告する。

 

 ホログラムの星図上で、いくつかの星系が赤色から青色へと塗り替えられていくのが確認できた。

 

 

(ひとつの星系に、ひとつの艦隊を丸ごと送り込む…とんでもない豪快な物量作戦だよな。でも、俺はただこの安全な部屋の椅子に座って、紅茶を飲みながら頷いているだけでいい。自分で戦わなくていいって素晴らしい)

 

 

 タチバナが内心で呑気に構えていると、ホログラムの脇に複数の通信ウィンドウが一斉に開いた。

 

 タチバナの代わりに実働部隊を率いている、特務艦隊の女性指揮官たちからの報告だ。

 

 

『第七機動艦隊より、タチバナ元帥閣下へ。アルファ星系における敵防衛網の突破、及び無傷にて星系の制圧を完了いたしました。敵残存戦力は完全に沈黙。我が軍規の前に、逆賊どもの抵抗など無意味でした』

 

 

 モニターの一つで、カレン・マクシミリアン大将が、一分の隙もない敬礼とともに冷徹に報告する。彼女の指揮下にある艦隊は、戦術教本を具現化したかのような完璧な陣形を保ったまま、一つの星系をあっという間に平定してしまったらしい。

 

 

『第二機動強襲艦隊、ベータ星系の敵艦隊を全滅させました! 司令官、見ててくれましたか! この星系はもうあたしたちのモンですよ!』

 

 

 隣のモニターでは、ヒナ・アカギ大将が元気いっぱいに拳を突き上げている。彼女の率いる強襲部隊は、敵が陣形を整える暇も与えずに突撃し、力業で星系を制圧したようだ。

 

 

『第一強襲空母艦隊より報告。シリウス星系の制空権確保完了。残党はうちの可愛い子たちがいま絶賛掃討中よ。司令官、そっちの安全は私たちが完璧に守ってるから、安心して見ててね』

 

 

 さらに別のモニターで、メグ・フレイムハート中将が豊満な胸元を揺らしながら、余裕の笑みを浮かべてウインクを送ってくる。

 

 タチバナは、画面に映る彼女たちの姿を順番に眺めながら、極力威厳を保った表情で静かに頷いた。言葉を発する必要すらない。ただ頷くだけで、彼女たちは「元帥閣下が私の戦果を認めてくださった」と勝手に解釈して、さらに士気を高めてくれるのだ。

 

 

(おお、やってるやってる。俺は何の指示も出していないのに、あいつらが勝手に敵を倒して、勝手に星系を落としていく。まさに丸投げの極致。俺の理想としていた『安全で楽な生活』が、ついに実現したんだな)

 

 

 タチバナは、ホログラム上で次々と青色に染まっていく星系を見つめながら、心底からの安堵感に浸っていた。彼にとって、モニターの向こうの戦争は、自分には絶対に危害が及ばない安全な娯楽映像と同じだった。

 

 通信ウィンドウが切り替わり、今度は第一後方支援艦隊のアンナ・ホーキンス少将が映し出された。彼女の聖母のような穏やかな笑顔の背景には、無数の作業艦や輸送船が忙しく飛び交う宙域の映像が流れている。

 

 

『後方支援部隊より報告いたしますわ、閣下。制圧が完了した各星系において、事前の計画通り、迅速な兵站拠点の構築を開始いたしました』

 

 

 アンナの報告に合わせて、ホログラム星図に詳細なデータが追加投影された。

 

 シリウス星系やアルファ星系など、今まさに制圧されたばかりの星系内の特定座標に、緑色のマーカーが次々と点灯していく。

 

 

『展開中の《X20級 大型作業艦》および《XT-20級 支援巡洋艦》が、各星系の小惑星帯から高純度の「金属」および「結晶体」の採掘ポイントを確保。現在、その資源を直接利用し、周辺宙域に強固な防衛設備を備えた「前哨基地」を次々と建設中です。これにより、最前線への補給ラインは完璧に維持され、同時に敵の反撃を阻む強固な壁となりますわ』

「ご苦労。引き続き、兵站の維持に努めよ」

 

 

 タチバナは低い声で短く応え、再びティーカップに口をつけた。

 

 ホログラムに表示される、完成していく前哨基地のデータ。それは単なる施設の建設報告ではない。タチバナにとっては、自分の身を守るための「物理的な盾」が、何重にも分厚くなっていくことを意味していた。

 

(よしよし、いいぞ。各星系に前哨基地ができれば、そこで敵の反撃を完全に食い止めてくれる。つまり、一番後ろのこの司令部基地まで敵が攻めてくる可能性は、実質ゼロになったってわけだ。俺の絶対安全圏は、これで完全に保障された!)

 

 

 タチバナの内心は、もはや歓喜の舞を踊っていた。皇帝が死んだ直後のあの絶望とパニックが嘘のようだ。こんなに分厚い防御壁の向こう側に引きこもっていられるなら、戦争もそう悪いものではない。

 

 

「各方面の状況は、極めて順調です」

 

 

 フィリアが手元のコンソールを操作しながら、淡々と状況を総括する。

 

 

「中継となる全星系の制圧、および前哨基地の建設がほぼ完了しました。これより全艦隊は、敵の総本山である『ガイア星系』の外縁部へと集結します」

 

 

 ホログラム星図の中央、いまだ赤く染まっている巨大な星系に向けて、青い光点の大群が一斉に移動を開始する軌跡が描かれた。

 

 

「そうか」

 

 

 タチバナは椅子の背もたれに深く体重を預け、完全に油断しきった態度で足を組んだ。

 

 彼の顔には、隠しきれない安堵と緩みが広がっている。

 

 

「よし、そのまま一気に本丸を落としてくれ。俺はここで、紅茶の二杯目をいただきながら、のんびりと勝利の報告を待つとしよう。フィリア、お代わりを頼む」

 

 

 空になったティーカップを差し出すタチバナ。フィリアは無表情のままそれを受け取り、「畏まりました、元帥閣下」とだけ短く応えた。

 

 タチバナは目を閉じ、これから訪れるであろう平和な時間を想像した。自分がこの安全な部屋から一歩も出ることなく、有能な部下たちがすべてを終わらせてくれる。

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