宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
決戦の地、ガイア星系。
タチバナの震える指先が意図せず招いた「神采配」により、難攻不落と思われた重水素プラットフォーム要塞の一角が大誘爆を起こし、崩壊した。だが、それは勝利の決定打ではなく、眠れる巨大な獣の尾を全力で踏みつける最悪の愚行であった。
要塞の防衛ラインに陣取っていた帝国宰相派・貴族連合軍の主力艦隊が、怒り狂ったように一斉に反撃の牙を剥いたのだ。
「ひぃぃぃっ…! 来るな、こっちに来るなあああ!」
巨大な司令部基地のメインブリッジ。その最も奥に設置された豪華な司令官席でケイイチ・フォン・タチバナ帝国元帥は、ガタガタと震えていた。
彼の悲鳴は、絶え間なく鳴り響く警報音と、分厚い装甲越しに伝わってくる重低音によってかき消されている。
展望窓の外は、もはや宇宙の暗闇ではなく、ミサイルの推進炎と爆発の閃光で埋め尽くされた光の海と化していた。敵の主力である《ルドゥタブル級 ミサイル巡洋戦艦》の群れが、タチバナのいる司令部基地を明確な標的と定め、無数の多連装ミサイルを雨あられと撃ち放ってきているのだ。
味方の《ボレアス級-TE ミサイル駆逐艦》が構築する防空網や、基地自体の重防衛砲塔群が猛烈な弾幕を張り、迫り来るミサイルの大半を空中で迎撃してはいる。だが、その圧倒的な飽和攻撃のプレッシャーは、タチバナの矮小な精神力を削り取るには十分すぎるほどだった。
(だから撃つなっていっただろ! 安全な距離で睨み合ってるだけで良かったのに、なんであんな要塞の一部をぶっ壊しちゃったんだよ! 完全に本気で殺しにきてるじゃないか! ここにいたら絶対に死ぬ!)
タチバナは頭を抱え、豪華な絨毯に顔を押し付けて必死に命乞いの祈りを捧げていた。
事態は彼の祈りなど嘲笑うかのように、さらに絶望的な展開を見せ始める。
「敵主力艦隊の背後より、未確認の超大型艦船の接近を探知。その数、十、二十…いえ、さらに増加しています」
コンソールを操作するフィリア・アージェント大将の、温度を感じさせない声が響いた。
タチバナはビクッと体を震わせ、机の下から恐る恐る目だけでホログラム星図を覗き込んだ。
ミサイルの閃光の向こう側から、尋常ではない質量の影がゆっくりと、しかし確かな圧迫感をもって進み出てくるのが見えた。
全長一五二〇メートル。所属も開発元も一切不明とされる謎多き超主力艦、《ST59級 防御巡洋戦艦》の群れであった。
「なんだあれ…あんなバカでかい戦艦、今までの報告にあったか!?」
「通常の帝国正規軍の編成には存在しません。門閥貴族たちがメガコーポレーションの裏ルートを使い、莫大な裏金で買い漁ったプライベートな切り札でしょう」
フィリアの解説を聞きながら、タチバナは絶望的な光景を目の当たりにしていた。
《ST59級》は本来、艦隊の中列に配置される艦船である。だが、彼女たちは自らの意思で前列へと進み出る『艦船突進戦略』を実行し、貴族連合軍の最も前面に立ちはだかったのだ。
タチバナ麾下の特務艦隊──第二機動強襲艦隊の魚雷や、第一打撃艦隊の電磁加速砲が、容赦なくその巨大な船体へと集中砲火を浴びせる。
光の雨が晴れた後、《ST59級》の巨体は傷一つなく、平然と宇宙空間に浮遊していた。
(嘘だろ…! 全然効いてないじゃないか!)
タチバナは目を疑った。
《ST59級》の基本耐久力は、巡洋戦艦の規格すら逸脱する。さらに『超重装甲システム』と呼ばれる堅牢な防御モジュールが、あらゆる物理・エネルギー攻撃をことごとく弾き返しているのだ。
それはもはや艦船ではなく、宇宙を漂う「不動の城塞」であった。
これまでの星系で、いとも容易く敵艦隊をすり潰してきたヒロインたちの圧倒的な暴力が、完全に停滞している。
「あのデカブツのせいで、攻撃が全然通ってない! どうすんだよこれ!」
「敵の狙いは、強固な盾による前線の押し上げです。そして、盾の陰には必ず矛が隠されているものです」
フィリアが淡々と告げた直後、その言葉を証明するかのように、《ST59級》の巨大な船体の陰から、一回り小さな鋭角のシルエットが異常な速度で飛び出してきた。
ジュピター インダストリー製の最新鋭艦、《マーレ インブリウム級 突撃フリゲート》の編隊である。
「今度は何だ! フリゲート!? あんな小さな船で何ができるって言うんだよ!」
タチバナが叫ぶが、その認識は数秒後に致命的な誤りであったと思い知らされる。
《マーレ インブリウム級》は、フリゲートという艦種でありながら、船体の大半を占めるような『大口径艦首電磁加速砲』を搭載していた。
高出力エネルギー武器の小型化技術の結晶とも言えるその艦船は、敵陣の盾の陰から現れるや否や、『火力突撃』の作戦戦略を起動させ、猛烈な勢いで実弾弾幕を張り始めた。
ドォォォンッ!
タチバナ艦隊の前衛を担っていた駆逐艦の一隻が、フリゲートから放たれたとは思えない大質量の直撃を受け、装甲を抉られて後退を余儀なくされる。
「フリゲートの火力じゃないだろあれ! なんであんなに威力があるんだよ! ジュピター インダストリーとかいう企業、頭おかしいのか!」
タチバナは、理不尽な兵器開発を行うメガコーポレーションに激しい八つ当たりをしていた。
味方艦隊も黙ってやられているわけではない。すぐさま反撃のミサイルとパルス砲が、《マーレ インブリウム級》の編隊へと襲いかかる。装甲の薄いフリゲートであれば、一瞬で蒸発するはずの火力だ。
しかし攻撃が直撃する直前、《マーレ インブリウム級》の編隊は信じられないような機動を見せた。
艦船の耐久値が低下したことをシステムが検知した瞬間、自動的に作動する『構造作戦』システムである。猛烈な勢いで姿勢を制御し飛び退くように前列から中列、そして後列へと撤収していったのだ。
そして、その逃げ込んだ先には、先ほどの不動の城塞──《ST59級 防御巡洋戦艦》の分厚い盾が待ち構えている。
「逃げた! あいつら、撃つだけ撃って盾の後ろに隠れやがったぞ! 卑怯だろ! ずるいぞ!」
(俺と同じ戦法じゃないか! 一番安全な場所に隠れて、危なくなったらすぐ逃げる! あんなのやられたら、こっちは一方的に削られるだけだ!)
タチバナの心の中で、かつてないほどの危機感が爆発した。《ST59級》が鉄壁の盾となって味方の攻撃をすべて吸収し、その陰から《マーレ インブリウム級》が飛び出して高火力の一撃離脱を繰り返す。
巨大な資本力とオーバーテクノロジーを組み合わせた、理不尽なまでの完璧な戦術。
これまでの「圧倒的な火力による各個撃破」という楽勝ムードは完全に消し飛び、タチバナ艦隊は徐々に、しかし確実に防衛ラインを後退させられ始めていた。
「戦線が、押し込まれています。このままでは、当基地の防衛圏内に敵の直接射撃が到達するのも時間の問題です」
フィリアの無機質な報告が、死のカウントダウンのように響く。
「全然勝てないじゃないか! 俺の絶対安全圏はどうなったんだよ! 前哨基地の防衛システムはどうしたんだ!?」
「現在、全力で稼働中ですが、敵の装甲と機動力が想定を上回っています。メガコーポレーションの最新技術の前に、我々は苦戦を強いられているという事実を認識してください」
タチバナは両手で頭を抱え、豪華な絨毯の上にうずくまった。
皇帝が死に、大義名分をでっち上げてまで生き残ろうとした結果がこれだ。
どれだけ出世しようと、どれだけ強大な権力を手に入れようと、結局のところ、金に物を言わせた巨大勢力の暴力の前には、一個人の命などちっぽけなものでしかないのだ。
(話が違うぞ…! 俺はただ、安全に生きたかっただけなのに…! なんでこんな、銀河の最新兵器の実験場みたいなところで、ミンチにされそうになってるんだよぉぉぉっ!)
絶え間なく続く砲火の振動と、窓の外で明滅する死の閃光。
タチバナは机の下の暗がりに身を縮めながら、終わりの見えない泥沼の消耗戦に、ただひたすらに絶望の冷や汗を流し続けることしかできなかった。