宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
ケイイチ・フォン・タチバナ帝国元帥は、巨大な司令部基地「アーク・ステーション」のメインブリッジで、後方の扉に向かって腕を突き出した無様な姿勢のまま、完全に氷りついていた。
逃走経路を探して振り返り、一番分厚い装甲の脱出シェルターへ逃げ込もうとしただけだった。しかし、彼のその切羽詰まった動きは、通信モニター越しに見ていた味方の特務艦隊指揮官たちによって「背後に迫る敵別働隊の奇襲を完全に読み切り、迎撃を指示した神采配」へと自動変換されてしまったのだ。
「え、俺、ただ逃げようとしただけなのに…なんで…」
タチバナが引きつった顔で冷や汗を流している間にも、ホログラム星図上の戦況は劇的な変化を遂げていた。
タチバナの意図せぬ指示を受けて反転した味方艦隊が、基地の死角から肉薄してきていたノマシッピンググループ製の特殊艦、《ノマM470級 重量級揚陸艦》の群れを正確に捕捉したのである。
対施設への攻城攻撃と占領に特化した《ノマM470級》は、艦隊戦を想定した重武装を持っていない。
基地の装甲に取り付いて攻城UAVを放出する前に、カレン・マクシミリアン大将が率いる第七機動艦隊の苛烈なミサイル斉射を浴びた揚陸部隊は、一切の反撃もできずに次々と宇宙の塵へと変わっていく。
(…助かった。基地の中に敵が乗り込んでくる最悪の事態だけは避けられた。でも、なんで俺が奇襲を予測した名将みたいに扱われてるんだよ…! 俺の逃げ道が塞がれただけじゃないか!)
タチバナは扉に手をかけた中途半端な姿勢から、重い足を引きずって再び豪華な司令官席へと戻り、力なく腰を下ろした。
奇襲の要であった揚陸部隊を完璧なタイミングで潰されたことは、敵である帝国宰相派・貴族連合軍の主力艦隊に決定的な動揺をもたらした。
これまで《ST59級 防御巡洋戦艦》の分厚い盾の陰から一撃離脱を繰り返していたジュピター インダストリー製の最新鋭艦《マーレ インブリウム級 突撃フリゲート》の編隊に、焦りによる連携の乱れが生じたのだ。
功を焦った数隻の《マーレ インブリウム級》が、盾の範囲から大きく前に出すぎた。
そのわずかな隙を、タチバナ麾下の武闘派たちが逃すはずもなかった。
敵艦が耐久値低下を検知し、後列へと自動退避する『構造作戦』システムが発動するよりも早く、ヒナ・アカギ大将の《カグツチ》が限界を超えた速度で側面に回り込み、至近距離から魚雷を乱射する。
自動退避の推力を得る前に致命傷を負った《マーレ インブリウム級》の編隊は、味方の集中砲火に飲み込まれて爆散した。
機動力と火力を兼ね備えた遊撃部隊を失ったことで、難攻不落を誇っていた《ST59級》の防衛ラインにもついに綻びが生じる。
死角をカバーするフリゲートがいなくなった《ST59級》の巨大な船体に対し、レイナ・フォン・クロサワ上級大将の《スサノオ》から放たれた電磁加速砲が、最も装甲の薄い推進器のジョイント部分を正確に撃ち抜いた。
ドォォォンッ!
音のない宇宙空間で、基本耐久力十二万を超える巨大な盾が、内部から激しい誘爆を起こして崩壊していく。連鎖的な爆発が周囲の敵艦を巻き込み、強固な防衛陣形が完全に瓦解した。
(やっと、やっとあの化け物戦艦が沈んだ…)
タチバナはホログラムの赤い光点が次々と消えていくのを見て、安堵の息を長く吐き出した。
だが、その安堵はすぐに別の感情へと塗り替えられた。
盾を失い、戦意を喪失して逃げ惑う貴族連合軍の残党に対し、味方の特務艦隊は一切の容赦なく追撃を行い、徹底的な殲滅戦を展開しているのだ。無慈悲な破壊の光景を見せつけられ、タチバナは座席の上で身を縮こませた。
(味方が一番怖い…! 降伏勧告とかしないのかよ!? あいつら、完全に敵を塵にするまで攻撃をやめる気がないぞ! もし俺が少しでもヘマをしてあいつらの機嫌を損ねたら、俺もあの赤い点みたいに一瞬で蒸発させられるんだ…!)
巨大な資本と権力を背景にした貴族連合軍は、ついにその戦力のほとんどを喪失した。
戦場が一方的な掃討戦へと移行していく中、旗艦《アマテラス》のメインモニターに、突如として外部からの通信要求が入った。
傍らに控えるフィリア・アージェント大将がコンソールを操作すると、画面に敵の総司令官である門閥貴族のトップの顔が映し出された。
先日の叙勲式でタチバナを嘲笑し、傲慢な態度で彼を見下していた初老の貴族である。
だが、今の彼にその面影は微塵も残っていなかった。豪奢な軍服は乱れ、顔は恐怖による涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪んでいる。
『タ、タチバナ元帥! 待ってくれ、攻撃をやめてくれ!』
画面の中の敵総司令官は、プライドを完全に投げ捨てて叫んだ。
『降伏する! 私の負けだ! 領地もメガコーポレーションと結んだ利権も、財産もすべて貴様に差し出す! だから命だけは、命だけは助けてくれぇぇっ! 私は帝国に必要な人間だ! ここで殺すのはあまりにも…』
なりふり構わぬ命乞い。普通であれば、莫大な資産や政治的譲歩を引き出すための交渉に入る場面である。
しかし極度の恐怖で長時間パニックになり、極限の胃痛に耐え続けていたタチバナの心には、同情も打算も一切湧かなかった。
(こっち見んな! お前らが難癖つけて戦争ふっかけたせいで、俺は何度も死にかけたんだぞ! 謝って済むなら最初から俺を巻き込むな!)
タチバナは敵総司令官の見苦しい泣き顔を見た瞬間に、不快感と恐怖のフラッシュバックが爆発した。
彼は画面から目を逸らし鬱陶しそうに顔の横で右手を振り、シッシッと「早く通信を切れ(見苦しいから見たくない)」というジェスチャーをした。
ただそれだけだった。交渉する気力すらなく、視界から消してほしかっただけなのだ。
そのジェスチャーを見たフィリアは、紫水晶の瞳を冷徹に細め、氷のような声で宣言した。
「逆賊の無条件降伏すら認めぬ、という事ですね。慈悲なき断罪。承知いたしました」
ブツンッ。
フィリアがコンソールを叩き、通信が強制的に切断された。
(えっ?)
タチバナが予想外の言葉に目を丸くした直後、メイン通信回線を通じて最前線にいるレイナから冷酷な報告が響き渡った。
『閣下のご意志、確かに受け取りました。逆賊どもに、帝国の光を』
モニターの向こうで、《スサノオ》の艦首に搭載された超高密度荷電粒子強制加速砲が、極限までエネルギーを充填する光を放った。
狙いは、たった今命乞いの通信をしてきていた敵総司令官の乗る旗艦である。発射された極太の光条が、逃げ惑う敵旗艦を寸分の狂いもなく正確に貫いた。
音のない宇宙空間で、莫大な富と権力を握っていた敵の総司令官が、一瞬にして艦ごと爆散し、微塵も残さず消滅した。
これを以て貴族連合軍の指揮系統は完全に消滅し、大内乱の完全殲滅が達成された。
(えっ、今降伏しようとしてたよね!? 財産くれるって言ってたよね!? なんで殺したの!? 俺、通信切ってって手で払っただけなんだけど!)
タチバナは画面に映る無残な爆発の光景を見て、完全にドン引きして硬直した。
だが、彼のその真意が周囲に伝わることはない。
ブリッジのオペレーターたちは、「敵のトップの命乞いを冷酷に一蹴し、一切の情けを容赦なく切り捨てた覇王」の姿としてタチバナを見つめ、畏敬の念で打ち震えていた。
『タチバナ閣下の大勝利です!』
『敵対勢力は、我々が完全に排除いたしました!』
モニター越しに、特務艦隊のヒロインたちから熱狂的な歓声と報告が次々と飛び込んでくる。彼女たちの瞳には、タチバナへの狂信的なまでの忠誠がギラギラと燃え上がっていた。
(違う! 俺は誰も殺せなんて言ってない! なんで俺が、冷酷無比な大虐殺を命じた血も涙もない覇王みたいになってるんだよぉぉぉ!)
タチバナは、自分の意図しないところで全てが最悪の方向へ自動変換されていく現実に、激しい戦慄を覚えていた。
もはや彼を「小心者」として見る者は、この銀河でフィリアを除いて誰一人として存在しない。
大いなる勝利の歓声が響き渡るアーク・ステーションのブリッジの中で。
ただ一人、タチバナだけが意図せずに全軍の頂点に立ち、敵を情け容赦なく殲滅した残酷な支配者として君臨してしまった事実に絶望し、終わらない胃痛を抱えたまま豪華な席に深くへたり込むのだった。