宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い   作:最高司祭アドミニストレータ

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凶弾のプレゼント

 柔らかな陽光が、完璧に磨き上げられたステンレスのキッチンカウンターに反射していた。

 

 橘厳一朗は鼻歌を歌いながら、フリルのついた愛用のエプロンを締め直した。彼の世界は、この清潔で温かみのあるダイニングキッチンを中心に回っている。

 

 トントントン、と軽快な包丁の音が響く。

 

 今日の夕食は、息子のケイイチが大好きな特製の「ふわとろオムライス」にする予定だった。卵は首都惑星の最高級農場から取り寄せた新鮮なもの。ケチャップも、トマトを丸ごとじっくりと煮詰めて作った厳一朗の自信作である。

 

 

「ケイイチ、今日も頑張っているんだろうなぁ」

 

 

 厳一朗はスープの味見をしながら、ふっと優しく目を細めた。

 彼

 の愛する一人息子であるケイイチが、先日の大戦で目覚ましい大勝利を収め、ついには帝国全軍の半分を率いる「帝国元帥」というこの上ない栄誉に浴した。その報せを耳にした時、厳一朗は嬉しさのあまり、キッチンで男泣きをしてしまったほどだ。

 

 超巨大財閥「タチバナ・コンツェルン」の現総帥である妻は、日夜銀河を股に掛けたビジネスで飛び回っており、滅多に家に帰ってこない。そのため、ケイイチを育て上げたのは、実質的に専業主夫である厳一朗の一手であった。

 

 

(あの子は昔から、本当に優しくて、真面目で、誰よりも責任感の強い子だった。前線での厳しい戦いの中でも、決して挫けることなく、帝国のために己の身を挺して戦い抜いたのだ。あぁ、本当に立派に育ってくれた)

 

 

 厳一朗の脳内にあるケイイチの姿は、完璧に美化された「正義と忠誠の塊である若き英雄」そのものだった。実際には息子が「死にたくない、前線に行きたくない、楽をしたい」と四六時中泣き喚き、恐怖で固まっているだけだとは、この心優しい父親は一ミリも疑っていなかった。

 

 息子がいつ帰ってきてもいいように、常に最高の状態で温かい食事と清潔な部屋を用意しておくこと。それだけが一介の主夫である自分にできる、我が子への最大の応援なのだ。

 

 その時だった。

 邸宅の重厚な玄関から、電子的なチャイムの音が響き渡った。

 

 

「おや、こんな時間に来客かな?」

 

 

 厳一朗はお玉を置き、エプロンで手を拭きながら玄関へと向かった。

 

 生体認証ドアの向こう側に立っていたのは、帝国軍の正式な礼装に身を包んだ、宮廷の特使と思われる若い将校だった。彼は厳一朗の姿を見ると、深く頭を下げ、恭しく両手で一つのパッケージを差し出した。

 

 

「橘厳一朗様。ケイイチ・フォン・タチバナ元帥閣下の代理人より、閣下からの直々の『贈り物』をお届けに上がりました。……お受け取りください」

「えっ…? ケイイチから、私に…?」

 

 

 厳一朗は、その言葉に思わず耳を疑った。

 

 差し出されたのは金色の宮内省の極秘封印が施された、絢爛豪華な漆塗りの木箱だった。

 

 外装には帝国最高技術による立体彫刻が施されており、一目でそれが「極めて高価で、極めて重要なお祝い品」であることが分かる代物だった。

 

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 特使を見送った後、厳一朗は木箱を抱えるようにして、そわそわとした足取りでダイニングルームへと戻った。

 

 彼の胸は、熱い感動で今にも張り裂けそうだった。

 

 

「ケイイチ。あんなに忙しい身の上だというのに、元帥に就任した最初の日から、私への贈り物を忘れないでいてくれたなんて…あぁ、なんて親孝行で優しい子なんだ。本当に、私にはもったいないほどの素晴らしい息子だよ」

 

 

 厳一朗は涙ぐみながら、木箱をダイニングテーブルの真ん中にそっと置いた。

 

 宮殿からの贈り物を手にするなど、一介の主夫にとっては一生に一度あるかないかの出来事だ。彼は壊れやすいガラス細工に触れるかのように、慎重に木箱の周囲を観察し始めた。

 

 

「それにしても、ずいぶんと厳重な包装だね。さすがは宮殿から届くような一級品だ」

 

 

 木箱の側面には通常の鍵穴はなく、高度なバイオセンサーや魔力的なセキュリティロックを思わせる、複雑な金属製のインターフェイスが組み込まれていた。

 

 

「ふむ…少しばかり複雑な鍵のようだけど、この手のロックは実家の古いオーブンのダイヤル合わせや、固く閉まった真空ジャム瓶の蓋を開ける要領に似ているね」

 

 

 厳一朗はウキウキとしながらエプロンのポケットから、家事用の万能ツールと乾いた布を取り出した。

 

 彼は日頃鍛え上げた「主夫の勘」と、長年の家事経験に基づいた手先の器用さを存分に発揮し始めた。

 

 カチャカチャリと厳一朗がツールの先端を隙間に差し込み、絶妙な角度で力を加える。

 

 

「おや、思ったよりも簡単に緩んだぞ。よしよし、これで中身が見られるね」

 

 

 最後の頑丈な金属製の留め金が、カシャリと静かな音を立てて外れた。厳一朗は満面の笑みを浮かべ、箱の重厚な蓋をゆっくりと持ち上げた。

 

 

「さあ、ケイイチがくれたサプライズは、一体何かな。私好みの、珍しいハーブの苗木かな? それとも、新型の全自動ブレンダーか」

 

 

 期待に胸を膨らませ、厳一朗は箱の奥を覗き込んだ。

 

 漆黒の木箱の底に収められていたのは、緑の苗木でも最新の調理器具でもなかった。

 

 鈍いガンメタルの光沢を放つ、ラグビーボールほどの大きさの無機質な金属製の球体だった。

 

 その中央に埋め込まれた小さなレンズ状のパーツから、信じられないほどの速さで、パチパチパチと真っ赤な光が明滅し始めた。

 

 

 ピピピピピピという高音の電子音が、静かなダイニングルームに鳴り響く。

 

 

「おや…? 綺麗な赤い光だな。これは、自動でスープを温めてくれるハイテクな調理家電なのかな…?」

 

 

 厳一朗はその赤い光を不思議そうに見つめながら、さらに顔を近づけた瞬間。

 

 

 ドォォォォォンッ!!! 

 

 

 突如として、大地を激しく揺るがすような凄まじい轟音が響き渡り、純白の閃光と強烈な熱波が、タチバナ家のリビングを丸ごと包み込んだ。

 

 衝撃波によって完璧に磨き上げられていた窓ガラスが一斉に吹き飛び、細かい破片となって夜空へと飛び散っていく。

 

 厳一朗の「うわあああ!」という短い悲鳴は、瞬時に爆風の轟音にかき消された。

 

 彼の着ていたお気に入りのフリル付きエプロンが引き裂かれ、爆風に舞う黒煙の中に消えていく。

 

 タチバナ家の邸宅の一部が崩壊し、ダイニングテーブルは木端微塵に粉砕され、周囲は一瞬にして焦げ臭い瓦礫の山へと変貌した。

 

 立ち込める黒い煙の中で、崩れ落ちた天井の瓦礫の隙間に、力なく倒れた厳一朗の姿があった。エプロンはボロボロに焦げ、意識は急速に暗闇へと沈んでいく。

 

 

(あぁケイイチ…今日の夜ご飯…オムライス…せっかく作ったのに…)

 

 

 厳一朗は薄れゆく意識の中で、最後まで愛する息子の夕食のことだけを想いながら意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 首都惑星の軌道上に停泊する巨大な司令部基地「アーク・ステーション」。

 

 その最深部に設けられたタチバナの私室は、徹底した防音と装甲に守られ、外界の喧騒を一切遮断した静寂の空間であった。

 

 ケイイチ・フォン・タチバナ帝国元帥は、高級なソファにだらしなく身体を沈め、ようやく手に入れた束の間の休息を貪ろうとしていた。先の内乱による極度のストレスでズタボロになった胃壁を休ませるには、誰とも顔を合わせず、ただ静かにやり過ごすしかない。

 

 そのささやかな願いは、突如として鳴り響いたけたたましい着信音によって無残に打ち砕かれた。

 

 

「なんだよ、もう。今日は絶対に誰とも面会しないって言っただろ…」

 

 

 タチバナは苛立たしげに顔を顰めた。

 

 しかし、コンソールに表示された発信元のIDを見て、彼の心臓がドクンと嫌な音を立てた。軍の公式回線ではない。

 

 タチバナ家の実家──彼が最も信頼し安寧の地と定めている場所の、長年仕える老執事からの緊急暗号通信であった。

 

 

 

「実家から…何かあったのか?」

 

 

 嫌な予感が背筋を駆け抜け、タチバナは慌てて通信の受諾ボタンを叩いた。

 

 

 ホログラムモニターが空中に展開される。そこに映し出されたのは、いつもの穏やかな実家の光景ではなく、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 

 

『け、ケイイチ坊ちゃま! 大変でございます! 旦那様が…厳一朗様が…!』

 

 

 画面越しに響く執事の悲痛な叫び。その後ろでは救急隊員たちが慌ただしく動き回り、消化剤の白い煙が立ち込めている。

 

 そして、タチバナの視界に飛び込んできたのは無惨に吹き飛び、黒焦げの瓦礫と化したダイニングキッチンの惨状。

 

 その中央でストレッチャーに乗せられ、血に染まった愛用のエプロンを身につけたまま、ピクリとも動かない父・厳一朗の姿だった。

 

 

「え?」

 

 タチバナの思考が、完全に白紙になった。

 

 声が出ない。瞬きすら忘れて、画面の中の凄惨な光景をただ呆然と見つめることしかできない。

 

 

(パパが血まみれ…? なんで…家が爆発してる…?)

 

 

 自分が元帥就任の祝いとして宮殿の特使から受け取り、「なんか高そうだし、パパにあげれば喜ぶだろ」と適当に実家へ横流ししたあの豪奢な木箱。それが彼自身の命を狙った高度な暗殺用爆弾であったことなど、今のタチバナには微塵も想像がついていなかった。

 

 彼はただ、世界で一番自分を甘やかしてくれた、あの優しい父親が死にかけているという事実に、頭を激しく殴られたようなショックを受けていた。

 

 

『ただちに軍の最高医療施設へ搬送しておりますが、意識が戻らず…!』

 

 

 執事の言葉が続く中、突如としてタチバナの視界からホログラムの映像が消え去った。

 

 

「なっ…!?」

 

 

 振り返るといつの間に部屋に入っていたのか、首席副官のフィリア・アージェント大将が無表情のまま通信コンソールの電源を強制的に切断していた。

 

 

「何をすんだよ! まだ話の途中だろ!?」

 

 

 タチバナは我を忘れてフィリアに食ってかかった。だが、フィリアは氷のように冷たい紫水晶の瞳でタチバナを見下ろした。

 

 

「取り乱すのはおやめください。軍の最高機密回線を個人の感情で占有することは推奨されません。ご実家で爆発事故が発生。お父上が重傷を負い、搬送された。状況の把握はそれで十分です」

 

 

 フィリアの体温を感じさせない事務的な報告に、タチバナは血の気が引くのを感じた。

 

 

「事故…? あれが事故に見えるのかよ…! 完全に爆破テロじゃないか…!」

 

 

 タチバナは震える足を引きずり、部屋の巨大な展望窓へと向かった。

 

 暗い宇宙の彼方に瞬く星々を見つめ、彼は背中を向けた。奇しくもかつて彼が見た歴史映画の英雄が、絶望的な状況下で見せた孤高の後ろ姿に酷似していた。

 

 傍から見れば愛する肉親を不条理な暴力で傷つけられ、深い悲哀と静かな怒りに暮れる若き元帥の、絵画のように美しい横顔である。

 

 実際に彼が窓の外の星々を見つめながら内心で展開していたのは、英雄的な怒りでもなければ高尚な復讐心でもなかった。

 

 己の命の危機に対する自己保身の絶叫であった。

 

 

(終わった…! 完全に終わった…! 親父が死んだら、あの超巨大財閥の総帥である母さんが黙ってるわけがない! 母さんは親父のこと溺愛してるんだぞ! もし身に何かあったら、莫大な資金力と裏のコネクションが総動員されて、犯人探しが始まるに決まってる!)

 

 

 タチバナは自分の母親の恐ろしさを誰よりもよく知っていた。経済で帝国の首根っこを掴む彼女が本気を出せば、軍の一個艦隊など消し飛ぶほどの力が動く。

 

 

(それに、なんで俺の実家が狙われたんだ!? 俺の命を狙うなら俺のところに来いよ! いや絶対に来るな! だけど、もしこれが俺への見せしめだとしたら…次は確実に俺が殺される! 暗殺の標的は俺だ! 怖すぎる!)

 

 

 窓ガラスに額を押し当て、タチバナはガタガタと震え始めた。彼の思考は極限の恐怖から、無意識のうちに責任を回避するための歪んだ防衛機制を働かせていく。

 

 

(俺は悪くない。絶対に俺は悪くない。あのプレゼントを寄越した宮内省の特使が悪いんだ。俺はただ、あんな高そうな箱、俺にはもったいないから、日頃お世話になってるパパに親孝行のつもりで送っただけなんだ! そうだ、俺は心優しい息子として当然のことをしただけだ! だから俺のせいじゃない!)

 

 

 己の無責任な横流しが引き起こした悲劇であるという事実を、恐怖のあまり完全に脳内で改竄し、彼は必死に自分を正当化する理屈を積み上げ始めた。

 

 

(頼む、死なないでくれ…! あんたが死んだら、母さんの怒りの矛先が全部俺に向かってくるかもしれないんだよ! 『あなたが不甲斐ないから、お父さんが巻き込まれたのよ』とか言われて、俺まで社会的に抹殺される! だから生きてくれ! 俺は絶対に死にたくないんだぁぁっ!)

 

 

 家族への愛情というよりも、自らの身の安全を担保するための究極に利己的な動機による平癒の祈り。

 

 それが、星を見つめる悲劇の英雄の真実であった。

 

 

「閣下。お心痛は察いたします」

 

 

 背後から、フィリアの足音が近づいてきた。タチバナはハッと振り返り、充血した目で副官を睨みつけた。

 

 

「お前…! お前、裏で何か知ってるんだろ!? 実家が爆破されるなんて、普通の事態じゃない! 誰がこんなことをやったんだ!」

 

 

 詰め寄るタチバナに対し、フィリアは一片の動揺も見せず、淡々と、しかし決定的な言葉を告げた。

 

 

「犯人はすでに判明しております。帝国最高幹部たちの残党です」

「は?」

「先の戦いで敗れた門閥貴族どもが、閣下への腹いせと帝国への反逆を企て、あのような卑劣なテロを引き起こしたのです」

 

 

 フィリアの紫水晶の瞳が、冷酷な光を放った。

 

 

「閣下のお父上を傷つけたのは、閣下を陥れようとする者たちの明確な悪意です。このまま放置すれば、次は閣下ご自身の命が狙われるのは火を見るより明らかでしょう」

「ヒッ…!」

 

 

 タチバナは、短い悲鳴を漏らして後ずさった。やはり自分が標的になっている。この広い宇宙のどこに逃げても、暗殺者の影は追いかけてくるのだ。

 

 

「では、どうすればいいか。答えは一つしかありません」

 

 

 フィリアは、タチバナを追い詰めるように一歩踏み出した。

 

 

「ただちに彼らの残党をすべて捕らえ、一族郎党ことごとく粛清するのです。そして、不安定な帝国の政情を完全に掌握するため、閣下ご自身が『帝国宰相』の座に就く。それこそがお父上の無念を晴らす最大の報復であり、同時に閣下の命を守る唯一の確実な手段です」

「さ、宰相…!?」

 

 

 タチバナは、信じられない言葉を聞いたというように目を丸くした。

 

 

「冗談じゃない! 元帥ってだけでも毎日胃に穴が空きそうなのに、政治のトップにまでなれって言うのか!? そんなことになったら、ますます忙しくて死ぬ確率が上がるだろ! 俺はただ、安全なところでダラダラ生きたいだけなんだよ!」

 

 

「ダラダラ生きていては、暗殺者に首を刎ねられるだけです。権力を持たぬ者は、権力を持つ者に殺される。それがこの帝国の絶対的なルールです」

 

 

 フィリアの残酷な正論が、タチバナの心臓を物理的に握りつぶすように締め付ける。

 

 彼女の背後には、見えない巨大な壁がそびえ立っているようだった。タチバナの退路は、またしても完全に断たれたのだ。

 

 

「安心してください。面倒な実務や法案の処理は、すべて私が代行いたします。貴方はただ、悲哀に暮れながらも帝国の未来のために立ち上がる、気高き指導者として玉座に座っていればいいのです」

「お前、最初からこれが狙いだったんじゃないだろうな?」

 

 

 タチバナは、震える声で呟いた。フィリアはそれに答えることなく、ただ薄く、冷ややかな笑みを浮かべるだけだった。

 

 

 もはや、抵抗する気力すら残っていなかった。

 

 生き延びるためには自らを狙う者たちを皆殺しにし、さらなる権力の階段を登るしかない。自分の命を守るために、他者を蹴落とし、帝国そのものを支配するという「最低の覇道」を突き進むことを、彼は余儀なくされたのだ。

 

 

「なんで、なんで俺ばっかりこんな目に…ッ」

 

 

 薄暗い私室の中、タチバナは両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。

 

 豪華な絨毯の上にへたり込み、彼は自分の逃げ場のない未来を呪いながら、ただ一人恐怖と絶望に震え続けるしかなかった。

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