宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
超弩級特務巡洋戦艦《アマテラス》の深部。
タチバナ元帥の私室から遠く物理的に隔離された区画に存在する秘密会議室は、宇宙空間の真空よりも冷たく、そして超新星爆発の直前のような危険な熱量に包まれていた。
重厚な円卓を取り囲むように集結したのは、帝国全軍の半分を事実上支配する十三人の女性指揮官たちだ。
普段であれば、各々の信じる「タチバナへの愛の形」を主張し合い、時に牽制し合う彼女たちだが、今この瞬間だけは、完全な一枚岩の殺意として結束していた。
「おのれ。あの腐りきった老害どもめ」
第七機動艦隊司令官、カレン・マクシミリアン大将が、黒革の手袋に包まれた拳を強く握りしめた。革の擦れる音が、静まり返った室内に痛いほど響く。
「軍人として、卑劣なテロを断じて許さない。愛するご家族を傷つけられ、血の涙を流しておられるであろう閣下の無念…このカレンが必ず晴らす」
その言葉に、第一打撃艦隊司令長官レイナ・フォン・クロサワ上級大将が、静かに、だが底知れぬ剣呑な光を瞳に宿して同意した。
「全くだ。我らが主君、タチバナ閣下の御心を傷つけた罪…決して安いものではない。奴らには、その命と一族の血をもって購わせる」
「あのじじい共、まとめてぶっ飛ばす! 司令官の敵はあたしの敵だ!」
第二機動強襲艦隊のヒナ・アカギ大将が、テーブルをバンと叩いて立ち上がった。彼女の真紅の髪は、怒りの炎そのもののように逆立っている。
「うちの航空隊も、全員怒りで鼻息が荒いわよ」
第一強襲空母艦隊のメグ・フレイムハート中将が、腕を組みながら艶やかな唇を歪めた。
「いつでも飛べるわ。全艦、出撃準備完了ね。あいつらの旗艦のエンジンから火を噴かせて、泣き叫ぶ顔を見てやるんだから」
武闘派の面々が殺気を滾らせる中、後方支援を担う者たちもまた、悲憤の涙を流しながら静かに狂気を煮詰めていた。
「ああ、タチバナ様…今頃、どれほどお辛い思いをされていることか…」
帝国軍医療本部長セシリア・ホワイトリリー中将が、純白のハンカチを両手で握りしめ、慈愛と独占欲の入り混じった涙を流す。
「タチバナ様を苦しめた罪は、海よりも重いですわ。逆賊どもを処刑する際には、わたくしが特別室で、死の間際までたっぷりと『お世話』をして差し上げますわ」
「閣下の元帥祝いを台無しにした犯人なんて、私が一番許せません!」
ベッキー・スターリング少将が、目に涙をためながら力強く頷く。
「兵士のみんなには、最高級のスタミナ食を配ります! お腹いっぱい食べて、憎き逆賊を一人残らず叩きのめしてもらうんですから!」
「ええ。閣下のお心をこれ以上傷つけさせませんわ」
アンナ・ホーキンス少将が、聖母のような笑みの裏に絶対的な冷酷さを潜ませて告げる。
「討伐軍に必要な兵站は、全て私の第一後方支援艦隊から提供しますわ。一滴の燃料、一発の弾薬たりとも不足はさせません」
部屋の隅の影では、第三特殊偵察艦隊のクロエ・フォスター少将が無言のまま深く頷いていた。
その前髪の奥から覗く瞳は、一切の感情を排した暗殺者のそれに等しく、室内の温度を物理的に数度下げるほどの凄まじい殺気を放っている。
「皆様、感情に任せて動くのは下策です」
第五遊撃艦隊のアデライード・フォン・ローゼンベルク大将が、扇子を広げて優雅に、しかしその裏に燃えるような怒りを秘めて言葉を紡いだ。
「貴族の端くれとして、あの腐敗した宰相派を切り捨てる覚悟はすでにできているわ。ですが、彼らを根絶やしにするには、大義と確固たる証拠が必要ですわ」
「証拠なら、わたくしが用意しますわ!」
帝国祭祀院特務少将のアナスタシア・フォン・ミラックスが、狂信的な光を空色の瞳に宿して立ち上がる。
「タチバナ様の愛を汚す不敬者たち…神の怒りを持って消し去って差し上げますわ! 大義など、わたくしたちの愛の前にひれ伏す言い訳に過ぎません!」
「姫様を止める手立てはもうありません」
アナスタシアの背後で、クラリッサ・フォン・ミューゼル中将が重い溜息を吐きながら、胃薬のボトルを握りしめる。
「なら、さっさと反逆者どもを片付けて、この胃痛を終わらせるだけです。私怨で軍を動かすのは本意ではありませんが、相手が相手なら容赦はしません」
「帝都を汚す害虫には、わたくしが獅子の牙を見せてやりますわ」
帝都防衛艦隊のアリシア・フォン・ローゼンベルク上級大将が、誇り高く宣言する。
「タチバナ元帥閣下の気高き御心を乱す不届き者ども、帝都の軌道上から一人残らず排除してご覧に入れます」
ヒロインたちの怒りが臨界点に達しようとしていたその時。分厚い扉が音もなく開き、室内の空気を一瞬にして凍らせるほどの冷気とともに、一人の女性が歩み入ってきた。
元帥府長官であり、タチバナの首席副官たるフィリア・アージェント大将。彼女の背後には、情報戦略局のユキノ・シライシ大将と、新たに帰順したリン・シャオラン少将が付き従っていた。
「皆様、お揃いのようですね」
フィリアの紫水晶の瞳が、円卓を囲む十三人の女性たちをゆっくりと見渡す。
「閣下のご尊父が襲撃された件について、すでにユキノ大将の統合情報戦略局が動いておりました。そして、犯人は特定されています」
フィリアが手元の端末を操作すると、円卓の中央にホログラムデータが展開された。
それは帝国の裏ルートを流れた暗殺用爆弾の流通経路、偽装された通信記録。そして莫大な裏金の動きを示す、極めて精緻な証拠群であった。
「データは揃っています」
ユキノ・シライシ大将が白衣のポケットに手を入れたまま、レンズの奥の目をギラリと光らせた。
「彼らの通信経路は全て私の管理下です。暗殺の指示を出した中枢から実行犯の末端に至るまで、一人たりとも逃がしません」
「犯人は帝国宰相を筆頭とする最高幹部たち、および彼らと結託した門閥貴族連合の残党です」
フィリアが、氷のような声で断定する。
その場に居合わせたリン・シャオラン少将が一歩前に出た。彼女はかつて門閥貴族側に身を置いていたからこそ、その言葉には異様な説得力が宿っていた。
「フィリア大将の仰る通りです。彼らはノマシッピンググループなどのメガコーポレーションと裏で手を結び、帝国の利権を永遠に独占しようと企んでいます。タチバナ閣下という、清廉にして圧倒的な力を持つ英雄の存在が、彼らにとっては目障りだったのでしょう。焦った老害どもの、浅ましい一手に過ぎません」
リンの証言は、ヒロインたちの怒りを「確信」へと変えた。
「やはり、あの薄汚い老犬どもでしたか」
レイナが、腰に佩いた軍刀の柄に手をかける。
「許せません…! タチバナ閣下のお優しさを、弱さと勘違いした愚か者どもめ!」
アンナが、美しい顔を怒りに歪ませた。
フィリアは、室内に充満する濃厚な殺意を満足げに見つめながら、静かに、しかし絶対的な重みを持って言葉を紡いだ。
「閣下は今、ご家族を傷つけられた悲しみと、帝国を思えばこそ同胞に刃を向けねばならないという苦悩に、その身を引き裂かれんばかりに傷ついておられます」
実際にはタチバナは「ママに怒られる! 俺が殺される!」と保身の恐怖に震えているだけなのだが、フィリアの巧妙な誘導により、ヒロインたちの脳内では「孤独で高潔な英雄の苦悩」へと完璧に変換されていた。
「これ以上、元帥閣下に玉座の重圧と、血塗られた決断を強いるべきではありません」
フィリアは両手を広げ、彼女たちを煽動する。
「貴女たちの武力と忠誠があれば、彼らを討つことは容易い。今こそ、閣下を煩わせる害虫どもを完全に根絶やしにし、タチバナ閣下を名実ともに帝国の頂点…『帝国宰相』の座へと押し上げるのです。それこそが、閣下の御心をお慰めする唯一の道」
その宣言に、十三人のヒロインたちは一斉に立ち上がった。もはや誰一人として異を唱える者はいない。タチバナへの重すぎる愛と狂信が、一つの巨大な奔流となって銀河を呑み込もうとしていた。
「皆様の決断、心より支持いたします。私の艦隊も、先兵として貴方様方にお供しましょう」
リン・シャオランが、深々と優雅な礼をする。
「全艦隊、直ちに出撃準備に入りなさい。目標は帝国中枢。逆賊どもに、愛と正義の鉄槌を下しますわ!」
アデライードの華麗な号令を皮切りに、ヒロインたちは各々の艦隊、各々の配置へと向かって足早に会議室を去っていった。
これから帝都に吹き荒れるであろう、情け容赦のない粛清の嵐を予感させる、軍靴の音が遠ざかっていく。
やがて広大な秘密会議室には、フィリア・アージェントただ一人が残された。ホログラムの明かりだけが、彼女の銀糸の髪を青白く照らし出している。
「ふふ」
誰もいなくなった空間でフィリアはただ一人、美しい唇を歪めて冷酷な微笑を漏らした。
彼女の紫水晶の瞳は、まるで盤上の駒をすべて思い通りに配置し終えた、絶対的なチェス・プレイヤーのそれであった。
「これで、盤面は完全に整いました。さあ、タチバナ。逃げ道のない玉座への最終階段を、血のカーペットの上で優雅に登っていただきましょう」
自らの主君を究極の権力機構へと縛り付けるための、完璧なクーデター。
そのすべてを裏で操る美しき精霊は、満足げな独白を暗い室内に溶かすと、静かに会議室の照明を落とした。