宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
首都惑星・帝都オーディンの夜空は、本来ならば煌びやかな人工の光に彩られ、眠らない繁栄を謳歌しているはずであった。だが今宵、その空を覆い尽くすのは、冷ややかな白銀の鋼鉄群である。
帝都防衛艦隊旗艦、特務仕様イオン砲巡洋艦《ブリュンヒルデ》。
そのメインブリッジに立つアリシア・フォン・ローゼンベルク上級大将は、純白の軍服を一切の隙もなく着こなし、黄金の髪を揺らしながら眼下の巨大都市を冷徹に見下ろしていた。
「帝都の全防空網、我が艦隊の掌握下にあります。宰相派の私設艦隊が起動準備に入った宇宙港は、すべてロックをかけましたわ」
アリシアの号令一つで、軌道上に展開した防衛砲塔群が地表へ向けて威圧的な照準を合わせる。それは、帝都から逃亡を図ろうとする反逆者たちへの絶対的な警告であった。
「気高きタチバナ元帥閣下の御心を乱す害虫どもを、この帝都の空から一隻たりとも逃がしてはなりませんわ。すべての空は、閣下のためにあるのですから」
アリシアの威光が空を封じる一方、地表の外縁部では、第七機動艦隊を率いるカレン・マクシミリアン大将が、重層的な包囲網を構築していた。
彼女の指揮する部隊は、主要な交通網や地下トンネル、非常用の脱出ルートに至るまでを物理的に遮断している。漆黒の髪を束ねたカレンの瞳には、帝国軍規を体現したかのような揺るぎない正義の炎が宿っていた。
「ネズミ一匹、網から漏らすな。閣下のご家族を傷つけた卑劣なテロリストどもに、逃げ場など存在しないことを思い知らせるのだ」
物理的な封鎖が完了すると同時に、目に見えない情報空間でも致命的な制圧が行われていた。
第五遊撃艦隊旗艦《ローゼンカヴァリエ》の司令官席で、アデライード・フォン・ローゼンベルク大将が優雅に扇子を開く。
「さあ、お茶会の時間は終わりですわ。電子戦部隊、出力最大。宮殿内の中枢ネットワークを強制シャットダウンしなさい」
アデライードの指示により、帝都の通信網に壊滅的な電子妨害が放たれる。宰相派が利用していた秘密の通信ルート、軍用暗号回線、さらには個人間の連絡手段に至るまで、ありとあらゆる情報網が完全にクラックされ、沈黙した。
これにより、最高幹部たちは連携をとることも、外部へ助けを求めることも不可能となった。物理的にも、情報的にも、彼らは完全に外界から隔離された密室へと閉じ込められたのである。
帝都の機能が麻痺し、混乱が広がる中、帝国宰相──すなわち現在の代理皇帝の私邸の奥深くでは、一切の無駄を省いた静かな、しかし確実な侵攻が進行していた。
重厚な装飾が施された宰相の寝室。
その分厚い扉が、突如として閃光と共に吹き飛ばされた。
舞い上がる煙と粉塵を切り裂いて、黒ずくめの武装兵士たちが雪崩れ込む。彼らはリン・シャオラン少将の直属の精鋭部隊であった。男たちは一切の躊躇なく、室内の要所を制圧し、巨大な天蓋付きベッドに向けて銃口を構えた。
「な、何事か!! 下賤の者が何を騒いでいる!!」
就寝中を襲撃された帝国宰相が、驚愕と激しい怒りで顔を歪めながらベッドから起き上がる。薄暗い室内で、無数のレーザー照準が彼の身体に赤い斑点を描き出していた。
そこに、静かな足音が響いた。吹き飛んだ扉の向こうから、一人の女性が悠然とした足取りで入室してくる。腰まで届く艶やかな黒髪。隙のない軍服。リン・シャオラン少将である。
彼女の顔には、これまでの激戦で見せていたような冷徹な表情はなかった。代わりに浮かんでいたのは、心の底から湧き上がるような、純粋で温かな微笑みであった。
それは、自らが信じて疑わない唯一無二の指導者──タチバナという存在を見出し、自らの居場所と大義を得たことによる、完全なる充足感から来る笑みだ。
「確かに騒がしいですね」
リンは、銃を構える部下たちの間を通り抜け、ベッドの傍らで歩みを止めた。
「ですが、これは新しい時代の夜明けに必要な、静寂への準備なのです」
「貴様リン・シャオランか! 門閥の犬風情が、私に銃を向けるとはどういうつもりだ! その下賤の者どもをどうにかしろ!」
宰相は唾を飛ばして怒鳴り散らした。自分が帝国の最高権力者であるという自負が、目の前の現実を受け入れることを拒絶させている。
リンは、その怒号を心地よい音楽でも聞くかのように微笑みを崩さず、静かに首を振った。
「それは出来ません。私は貴方を逮捕しに来たのですから」
「逮捕だと…? 狂ったか! 私は帝国宰相にして代理皇帝ぞ!」
宰相はベッドの上で身を震わせ、血走った目でリンを睨みつけた。
「罪状を言ってみたまえ! 私を捕縛するいかなる法的根拠があるというのだ!」
リンは薄い唇から紡ぎ出される言葉を、まるで神聖な祈りのように響かせた。
「先帝陛下に対する不敬、および国家転覆を企てたテロリストへの資金提供。そして何より、我らがタチバナ元帥閣下の御心を汚した罪です」
その罪状の最後の一文には法や論理を超えた、絶対的な狂信が込められていた。リンにとってタチバナの平和を脅かし、彼の心を煩わせたことこそが、万死に値する大罪なのである。
「タチバナだと…!? あの若造の差し金か! ええい、離せ! 私は帝国宰相だぞ!」
ベッドから逃れようと足掻く宰相を、リンはゴミを見るような冷ややかな一瞥で見下ろした。そして、静かに、しかし断固たる声で部下たちに命じた。
「拘束しなさい」
部下たちが一斉に動き、宰相の身体を乱暴に押さえつけ、手錠をかける。かつて銀河を牛耳っていた最高権力者の尊大さは、完全に地に墜ちた。
リンは無様に引き立てられていく宰相の背中を見送りながら、タチバナの姿を思い描き、再び至福の微笑みを浮かべた。
宰相の拘束と時を同じくして、帝都のあらゆる場所で、タチバナの戦乙女たちによる無慈悲な排除活動が展開されていた。
宰相派の高級官僚たちが集まる秘密会議場。
そこに踏み込んだのは、カレン・マクシミリアン大将とレイナ・フォン・クロサワ上級大将であった。会議場の警備を担う私設警護隊が武器を構えるが、二人の圧倒的な白兵戦能力の前には無力であった。
レイナが腰に佩いた軍刀を引き抜き、銀色の軌跡を描く。抵抗する者たちの武器は一瞬にして両断され、床に転がる。
「閣下の御心を傷つけた罪、その命をもって購うがいい」
レイナの冷たい声が響く中、カレンは一切の容赦なく、逃げ惑う官僚たちの退路を塞ぎ、次々と制圧していく。
一方、情報空間における粛清も完璧に進行していた。
統合情報戦略局の中枢で、ユキノ・シライシ大将は血走った目でコンソールを叩き続けていた。
モニターには、宰相派の重鎮たちが隠し持っていた裏口座のデータや、賄賂のリスト、不正取引の証拠が次々と表示されては、帝国全土のネットワークへと強制配信されていく。
「ふふふ…これで彼らの社会的な命は終わりです。閣下の敵対者は物理的にも社会的にも、徹底的に根絶やしにしなければなりませんからね」
彼女の指先一つで、巨大な権力を持っていた者たちの財産が凍結され、すべてが没収されていく。
さらに、帝都の地下ルートや航空路を使って逃走を図ろうとする者たちにも、容赦ない追撃が待っていた。
「あのじじい共、まとめてぶっ飛ばす! 司令官の敵は逃がさないよ!」
ヒナ・アカギ大将が強襲部隊を率いて地上から車列を追い詰めると同時に、上空からはメグ・フレイムハート中将が指揮する航空部隊が急降下してくる。
「うちの可愛い子たちの獲物よ。全機、ターゲットをロックオン」
空と地上からの挟み撃ちにより、逃走車両のタイヤや推進器が正確に撃ち抜かれ、幹部たちは次々と拘束されていった。
そして、それでもなお、暗がりや隠し通路に潜んで逃げ延びようとする者たちには、絶対に見えない死神の手が迫っていた。
ステルス艦《サイレント・シャドウ》から放たれた無数の小型無人ドローンを操り、クロエ・フォスター少将が帝都のあらゆる死角を索敵する。
「見つけた…閣下の邪魔をする者…」
クロエの呟きとともにドローンから放たれた麻酔弾やスタンガンが、隠れ潜んでいた幹部たちを一人残らず的確に無力化していく。
戦乙女たちによる粛清の嵐は帝都の夜を完全に掌握し、タチバナの絶対的な権力を確立するための道を切り拓いていた。
■
帝都を掌握し、逆賊たちを物理的にも社会的にも消し去ったその日。
タチバナの元には、さらなる重圧が待ち構えていた。司令部基地の執務室で、ようやく一息つこうとしたその時だった。通信パネルが、タチバナ家の本邸からの回線が繋がったのである。
(うわっ。一番出てはいけない相手からだ)
タチバナの胃が、最後の一絞りと言わんばかりに激しく痛んだ。
通信モニターに映し出されたのは、優雅な調度品に囲まれた執務室の風景。そしてその中央に、圧倒的な気品と、帝国の経済界を支配する者にしか出せない凄まじい威圧感を纏った女性が座っていた。
タチバナの母親であり、帝国最大の財閥「タチバナ・コンツェルン」の総帥、クラウディア・フォン・タチバナである。
「ケイイチ。随分と派手なことをしてくれたものね」
クラウディアの冷ややかな声が、部屋の温度を下げる。
「お父様が襲撃された件、そして貴方が首謀者たちを徹底的に粛清した件…すべて報告を受けているわ。あんな爆弾を、あの子の元へ横流しした連中の末路としては妥当だとしても、貴方のやり方は少々、目に余るものがあるのではないかしら?」
(くそっ、やっぱり全部バレてる! パパが巻き込まれた爆弾の件、ママは『暗殺未遂』だなんて可愛い言葉じゃ済ませないぞ! お前がその爆弾を寄越したんだろう、って詰め寄られたら、俺はどう言い訳すればいいんだ!)
タチバナは喉の奥が張り付くような感覚を覚えながら、元帥杖を握る手に力を込めた。
彼が「英雄として冷徹に立ち回っている」と見せかけているのに対し、クラウディアは「息子を支配下から逃がさぬ総帥」の目つきで彼を見下ろしている。
「…母上。あれは…帝国の秩序を守るための、止むを得ない軍事行動です。元帥として、逆賊を放置するわけにはいきませんでした」
「そう。軍務については貴方に任せているわ。でもね、ケイイチ…」
クラウディアがふっと微笑んだ。その微笑みは、アデライードやアナスタシアが浮かべるような狂気じみた情愛ではなく、もっと実利に基づいた、支配者特有の冷酷な美しさを持っていた。
「私の大事な夫を傷つけ、私の息子を危険に晒した者たちよ。貴方が排除したあの一族の資産、そのすべてをタチバナ・コンツェルンで買い叩かせていただいたわ。今の帝都における貴方の足場は、私の潤沢な資金があってこそ。それを忘れないでちょうだい」
(…はいはい、結局は金か。俺が元帥だろうがなんだろうが、結局はママの掌の上ってことかよ。あぁ、もう怖い、誰かこの母子関係から俺を切り離してくれ!)
タチバナは母親の莫大な権力が、自分の元帥としての地位を補強すると同時に、逃げ場のない「鎖」となって自分を縛り上げていることを痛感していた。
「それから…貴方がこれから皇帝の座に近づこうとするのなら、もう少し派手に動いてちょうだい。中途半端な英雄のままでは、貴方の価値が安く見られるわ」
「…母上?」
「お父様を傷つけた代償、高くつかせなさい。それがタチバナ家の流儀よ。それさえ守れば、貴方の好きにすればいいわ。ただし、私の期待を裏切るような真似は絶対にしないことね」
クラウディアのその言葉は、命令というよりも、明確な「脅し」だった。
もし彼女の期待する利益や権力をタチバナが損なうようなことがあれば、今度は彼女自身の手で、息子であろうと容赦なく切り捨てる。
そんな底知れない冷酷さが、彼女の言葉の端々に漂っている。
(分かったよ! 派手にやればいいんだろ! 貴族どもを皆殺しにして、元帥府の規模を広げて、誰にも手が届かない高みにまで登り詰めてやるよ! その代わり、俺をこれ以上危険な戦場には引っ張り出すな! 帝都の奥深くで、美味しい紅茶を飲ませてくれ!)
タチバナは震える声を必死に抑え込み、努めて傲慢な口調で返した。
「心得ております。タチバナの名において、次のフェーズへ移行しましょう。期待に応えるだけの戦果は、必ずや我が艦隊がもたらします」
「期待しているわ、我が息子」
クラウディアは満足げに片方の口角を上げると、通信を切った。モニターが闇に沈む。
(…ふぅっ。死ぬかと思った…なんで俺の周りは、母親も精霊も、ヒロインどもまで揃いも揃って怖い女ばかりなんだ…)
タチバナはドデカイ溜め息を吐いた。