宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
同日。
午前中の【兵站学】で無駄な高評価と注目を集めてしまったその日の午後。
タチバナは疲労困憊の体を引きずり、第四講義室のデスクに突っ伏していた。
「なんで俺がこんな目に。目立たず平均点でやり過ごすはずだったのに…」
『自業自得です。あなたが己の保身に全力を注ぎすぎた結果、周囲の目にはそれが「完璧な大局観」として映ってしまっただけのこと。諦めて、このまま優秀な司令官候補として最前線へ散ってきなさい』
隣の席で涼しい顔をして座っているフィリアが、脳内に容赦のないテレパシーを叩き込んでくる。
(ふざけんな! 前線で散るくらいなら、これからすべての実技テストで意図的に手を抜いてやる! 徹底的に無能をアピールして、なんとしても安全な後方勤務をもぎ取ってやるんだ!)
タチバナが心の中で固い決意を固めたところで、午後の授業──【艦船工学】が始まった。
「これより、帝国軍標準艦船の設計図の構造理解と、その運用テストを行う!」
白衣の上に軍服を羽織った、神経質そうな技術士官の教官がホログラムを展開した。教室の各デスクに浮かび上がったのは、『CAS066級 汎用巡洋艦』の立体設計図だった。
「貴様らも将来的には艦長として、艦のチューンナップを指示する立場になる。本日はこの標準設計図をベースに、仮想のカスタマイズ案を提出してもらう。火力特化、機動力向上、何でも構わん。貴様らの戦術ドクトリンを設計図に示してみせろ!」
周囲のエリート候補生たちが、嬉々として設計図をいじり始める。
「俺は艦首の主砲を大口径に換装して、徹甲ダメージを底上げするぞ!」
「私はエンジン出力を限界まで上げて、機動打撃に特化させよう!」
彼らのコンソールには、いかにして敵を早く、そして多く殺すかという好戦的なカスタマイズが次々と描かれていく。
そんな中、タチバナの目は血走っていた。
(火力? 機動力? バカかお前ら。そんなもん上げたって、自分が死んだら何の意味もないだろ!)
タチバナはCAS066級のホログラムをぐりぐりと回転させ、ある一点を猛烈な勢いでズームアップした。
(一番装甲が厚くて、敵の攻撃が絶対に届かない場所…つまり俺が座る『司令官席』はどこだ!? …は? なんで船体の上のほうにポツンと露出してんだよ! 景色を楽しむための遊覧船じゃねえんだぞ、こんなの一番最初にミサイルの的になるじゃねえか!)
タチバナは激怒しながら、コンソールに触れて設計を大幅に改変し始めた。まずは無駄に露出しているブリッジを船体の最深部──コアシリンダーのど真ん中へと移動させる。
そして、前方に搭載されていた魚雷発射管や大口径砲を「誘爆したら危ないから」という理由で全撤去し、空いたスペースに分厚い複合重装甲を何重にも詰め込んだ。
(よし、ここに壁を増設して、さらに衝撃吸収材を挟み込む。空気清浄機と予備の生命維持システムは独立して3つ用意しろ。さらに脱出ポッドまでの専用直通ルートを確保して…っと。完璧だ! これなら外に一歩も出なくていいし、万が一船体が真っ二つになっても俺の部屋だけは絶対に無傷だ!)
タチバナのコンソールに浮かび上がっているのは、もはや巡洋艦の設計図ではなかった。それは船体の九割を装甲と生命維持装置が占め、中心部にただ一つ「タチバナの引きこもり用シェルター」が存在するだけの、奇びつな鉄塊であった。
その狂気じみた落書き作業を隣で見つめながら、フィリアは冷ややかなテレパシーを放った。
『対象は授業中にもかかわらず、戦艦の設計図を己の「絶対安全圏」の建築図面と完全に混同している。武装をすべて捨て去り、ひたすらに自分を守るための装甲と生命維持装置だけを書き足し続けるその姿は、もはや宇宙の深淵に引きこもる巨大なフジツボである』
(フジツボ言うな! これは究極の生存戦略だ! これを見れば、教官も『タチバナは戦う意志ゼロの臆病者だな、こいつは後方に回そう』って呆れるに決まってる!)
タチバナが会心の笑みを浮かべた、まさにその時だった。
「…おい。これはなんだ、タチバナ候補生」
いつの間にか背後に立っていた技術士官の教官が、タチバナのコンソールを食い入るように見つめていた。その声は低く震えている。
(よし来た! 怒れ怒れ! そして俺に落第点をつけるんだ!)
タチバナは内心でガッツポーズをしながら、ヘラヘラと振り返った。
「いやぁ、俺ってば平和主義者なもので。武器なんて野蛮なものは全部取っ払って、とにかく安全で快適な『司令室』を作ってみたんですよ。これじゃあ前線じゃ使い物になりませんよねぇ?」
「使い物に、ならないだと?」
教官は眼鏡を押し上げ、タチバナの設計図を指差した。
「貴様…自分がどれほど恐ろしいものを設計したのか分かっているのか!」
「え?」
「圧倒的な火力が飛び交う現代の艦隊戦において、最も恐れるべき事態は『指揮系統の喪失』だ! だが貴様の設計したこの艦は違う! 武装を完全に捨て去るという常軌を逸した決断により、艦の中心に配置された指揮所を絶対不可侵の要塞へと昇華させている!」
教官は興奮のあまり早口になり、教室中の注目が再びタチバナの席へと集まった。
「敵がどれほど猛火を浴びせようと、この艦は絶対に沈まない! つまり、この艦が戦場に存在する限り、味方艦隊の『指揮と戦術ネットワーク』は決して途絶えることがないのだ! 自らの命を最強の盾で守り抜き、ただひたすらに味方を指揮し続ける『不沈の絶対旗艦』…! 天才的なインスピレーションだ!!」
「…は?」
タチバナの思考が停止した。
(いや、俺はただ、自分が痛い思いをしたくないから壁を分厚くしただけで…)
「素晴らしいぞタチバナ! 兵站網の構築能力といい、この艦船工学の設計思想といい、貴様は『指揮官が生き残ることこそが最大の戦術である』という真理を完全に理解している! 本日の評価も、もちろんSランクだ!」
教官の絶賛の声に、同級生たちが「またタチバナか!」「あいつ、ヘラヘラしてるが頭の中はとんでもない戦術家なんじゃ…」と視線を向けてくる。
(違う! なんでそうなるんだよ! 俺の有能アピールが止まらねええええ!)
タチバナは顔面を引きつらせながらも、ここで「単にビビッてるだけです」とは言えない特大のプライドと生存本能が働き、結局はドヤ顔を作って頷くことしかできなかった。
「ふ、ふふ…気づいてしまったか。そう、司令官たる俺が生き残ってこそ、味方の勝利があるのさ」
『対象の保身のための落書きは、またしても軍事的なパラダイムシフトと誤認され、彼をさらなる最前線の英雄的地位へと押し上げてしまった。喜劇を通り越して、もはや宇宙の法則が彼を殺しにかかっているとしか思えない』
脳内で静かに呆れるフィリアの声を聞きながら、タチバナは心の中で血の涙を流していた。