宇宙の平和より俺の命を大切にして何が悪い 作:最高司祭アドミニストレータ
あれから、本当に色々なことがあった。
ジャングルでのサバイバル行軍を突破したタチバナの士官学校ライフは、その後も勘違いと奇跡の連続であった。
艦隊指揮演習では接敵した瞬間に全軍に「絶対防衛・完全後退」を命じて逃げ回った結果、教官から『自軍の損耗率ゼロで敵を遅滞させる、完璧なフリート・イン・ビーイングだ!』と絶賛された。
射撃訓練では、流れ弾を恐れて分厚いバリケードの裏から適当に銃だけ出して乱射した結果、跳弾が奇跡的な軌道を描いて標的のど真ん中に命中し、『遮蔽物を利用した神業のトリック・ショット』として学年記録を更新してしまった。
ただひたすらに「安全第一」「痛いのは嫌だ」「前線に行きたくない」と願い、卑屈に逃げ回った結果──。
「なんでこうなったんだよ」
タチバナは帝国中央士官学校の壮麗な大講堂の最前列で、己の胸に輝く『首席卒業生』の特待バッジを見下ろしながら、死んだ魚のような目をしていた。
周囲のエリート候補生たちが、悔しさと尊敬の入り混じった眼差しでタチバナを見つめている。
壇上のバルガス教官に至っては、「あの怠惰だった男が、ついに己の才能を開花させおった!」とハンカチで号泣している始末だ。
(まあいい…とにかく、これで地獄の学校生活は終わりだ。首席の権限と親のコネをフル活用すれば、絶対に誰も来ないような辺境の後方事務基地に配属されるはず。俺の平和なハンコ押しライフが、ついに始まるんだ…!)
タチバナは内心でガッツポーズを決め、卒業式という名の茶番をやり過ごした。
式典終了後。
タチバナは付き人のフィリアを連れて、宇宙都市の最上層にある展望デッキへとやってきていた。
分厚い強化ガラスの向こうには、どこまでも広がる漆黒の暗海と、無数に煌めく星々の海──ラグランジュ・ネットワークの雄大な絶景が広がっている。
「…ふっ。見ろ、フィリア。星々はあんなにも美しいというのに、それを統べる銀河帝国は、なんと酷く腐敗していることか」
タチバナは実家から取り寄せた『裏地が真っ赤なオーダーメイドの軍服マント』をバサァッ!と翻し、ガラス越しに星の海を指差した。
「無能な門閥貴族どもが平民を虐げ、私腹を肥やすこの腐りきった体制…そして何より、俺のたった一人の愛する姉上を、後宮の慰み者として無理やり奪っていった憎き皇帝…ッ! 俺は許さない。この手であの腐りきった帝国を根絶やしにせねばならないのだ!」
タチバナは自らの黒髪を気取った仕草で掻き上げながら、完璧な「悲劇の英雄」の横顔を作って虚空を見つめた。
往年の大河歴史ドラマの主人公を完全トレースした、渾身のロールプレイである。
しかし彼の一歩後ろに立つフィリアの紫水晶の瞳は、文字通り『絶対零度』に冷え切っていた。
「…何ですか、その三文芝居は」
フィリアの氷点下の声が、展望デッキに響く。
「あのさぁ、そこはノるトコだろ! 卒業記念の俺の壮大なごっこ遊びなんだから、空気読めよ!」
「空気を読む以前に、設定が破綻しすぎていて私の論理回路が拒絶反応を起こしています。そもそもあなた、一人っ子でしょう。奪われる姉など最初から存在しません。ご両親の愛を一身に受けて育った甘やかされの温室育ちではないですか」
「うるさい! 気分の問題だ! 架空の姉が奪われた悲しみを胸に抱いてるんだよ俺は!」
タチバナが顔を真っ赤にして言い返すが、フィリアの冷酷なマジレスによる追撃は止まらない。
「それに、帝国が腐敗していると糾弾していますが…あなたの実家であるタチバナ財閥こそが、帝国の門閥貴族たちに莫大な裏金を贈り、補給路の利権を不当に貪っている腐敗の根源の一つです。あなたが本気で帝国の腐敗を打ち倒したいなら、まず真っ先にあなたのお母様を告発して刑務所に叩き込むべきでは?」
「やめろ! 正論で俺のデリケートな世界観をタコ殴りにするな! 母様の金があるから俺は安全に生きていけるんだよ!」
痛いところを的確に抉られ、タチバナは涙目でマントを握りしめた。
しかし、ここまでやって引き下がるわけにはいかない。彼はコホンと咳払いをして、無理やり気を取り直した。
「い、いいから! お前は今日から俺の半身とも言える幼馴染役だ! ほら、俺がこういうフリをしたら、横に立ってあの有名なセリフを言うんだよ! 『タチバナ様、宇宙を手に入れてください』ってやつを!」
タチバナは目をキラキラさせながら、フィリアへと熱い視線を向けた。
フィリアはタチバナの底知れぬ図太さと自己中心的な妄想に、もはや怒りを通り越して深い深ぁぁぁい溜息を吐き出した。
「…タチバナ様」
「おおっ! 言え、言えフィリア!」
タチバナが期待に胸を膨らませた、次の瞬間。
「──どうか、辺境の事務室で大人しく『ハンコ』を手に入れてください」
「スケール小っさ!!」
タチバナは盛大にズッコケた。
宇宙を手に入れる壮大な覇道は、たった一個の事務用スタンプへと無惨にダウングレードされてしまった。
「でもまあ…俺の人生のライフプランとしては完全に正解だからヨシ!!」
フィリアは信じられないものを見るような目で、ピンと背筋を伸ばしてドヤ顔を決めている主人を見つめた。ふと根本的な疑問に立ち返るように、小さく首を傾げる。
「…今更ですが、タチバナ」
「ん? なんだ、俺の完璧な計画に、ついに感服したか?」
「いえ。なぜあなたは『安全で怠惰な辺境基地への赴任』をそこまで目指すのですか? 前提として、辺境とは帝国の法と秩序が及ばない最果ての地です。未知のエイリアン・ビーストがうごめき、私掠団が跋扈し、アントニオス財団のような新興勢力が虎視眈々と利権を狙う最前線。補給物資も滞りがちな場所ですよ? 全く安全ではありませんし、怠惰に過ごせる環境でもありません」
タチバナの笑顔がピクリと引きつった。
「え…あ、いや、だって…辺境って田舎だし。人が少ないから、敵の主力艦隊とか来ないじゃん?」
「敵の主力は来なくとも、無法者たちの略奪の標的になります。さらに言えば…」
フィリアは無慈悲に言葉を続ける。
「あなたの実家は、腐っても大財閥です。痛いのが嫌で、安全で怠惰な生活を送りたいのであれば、最初から士官学校などに入学せず、実家の地下シェルターに引きこもって親のすねをかじっていればよかったはずです。何なら、あなたが士官学校に入った理由すら、私には理解できません」
ぐさっ、と。正論という名の物理ブレードがタチバナの胸に容赦なく突き刺さる。
確かにそうだ。タチバナ財閥の御曹司である彼なら、莫大な資産を使って一生地球圏の安全なタワーマンションでゲームをして暮らすこともできたはずなのだ。わざわざ地獄の軍学校に志願し、泥水をすする理由などどこにもない。
しかし、タチバナは下を向かなかった。むしろ彼の瞳には狂気じみたギラギラとした野心が燃え上がり、バサァッ! と再び裏地が真っ赤なマントを翻したのである。
「ふっ…フィリアよ、お前は本当に人間の業というものを理解していないな。実家の金で引きこもる? そんなスケールの小さいことで、この俺が満足するとでも思ったか!」
タチバナは展望デッキのガラスに両手を突き、無数に煌めく銀河の星々をねめつけながら、声高らかに叫んだ。
「いいか! 俺がわざわざ士官学校に入り、そして辺境の事務官を目指す理由…それはな!!」
タチバナは大きく息を吸い込み、全宇宙に響き渡らんばかりの大音声で言い放った。
「銀河中の女を支配するためだろうが!!」
「……は?」
絶対零度の精霊の思考回路が、一瞬だけ完全にフリーズした。
「考えてもみろ! 実家の金でチヤホヤされるのは地球圏だけの話だ! だが、帝国軍の将校という絶対的な『権力』と『ステータス』を手に入れればどうだ? しかも前線で死ぬリスクのない辺境のトップになれば、その星系の行政権を握れるんだぞ!」
タチバナの口角が、どこまでも醜悪に吊り上がっていく。
「そこで権力を振りかざし、俺のオフィスには美人な女性秘書官だけを集め、毎日俺のために最高級の紅茶を淹れさせる! 現地の純朴な娘たちからは『ああっ、タチバナ総督閣下ステキ!』と慕われ、俺はエアコンの効いた部屋でふんぞり返りながらハーレムを築き上げる! これぞまさに男のロマン、宇宙を手に入れるということと同義だろうが!!」
展望デッキにタチバナの邪悪にして極めてスケールの小さい、しかし本気度だけは異常に高い高笑いが響き渡った。
悲劇の英雄などという設定は、開始三分で木端微塵に消え去っていた。そこにあるのは純度百パーセントの権力欲と下心に塗れた、一人の卑俗な男の姿だけである。
フィリアは数秒間の沈黙の後、自身のローカルストレージに厳重に暗号化された手記を開き、極めて冷淡な指使いで記録を更新した。
『──対象の行動原理が判明。それは平和主義でも生存本能でもなく、純粋かつ極限まで煮詰められた下半身由来の劣情と自己顕示欲であった。銀河の平和のためにも、この男は一刻も早く最前線の激戦区に放り込み、宇宙のチリに変えるべきだと提言する』
「おっ、おい! また何か手記に悪口書いただろ! 消せ! 未来のハーレム王に対する不敬罪だぞ!」
「何も書いていません。『対象の脳内はお花畑を通り越して、腐海に沈んでいる』と事実を記しただけです」
「それを悪口って言うんだよ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てるタチバナと、汚物を見るような目で見つめるフィリア。
かくして、士官学校でのすべてのカリキュラムと茶番を終えたケイイチ・フォン・タチバナは、晴れて帝国軍の少尉に任官することとなる。
彼が心待ちにしている「辺境での安全なハーレム建設」が、教官たちの“過大評価”によって最前線の遊撃艦隊司令へとすり替わっているという地獄の辞令を、彼が受け取るのは、この数時間後のことであった。